盗賊ギルドの戦い 4
「へっ……殺さねえのか? 『我を通す』んだろォ?」
驚いた。脳を思いっきり揺さぶるつもりで蹴ったが、まだ意識があるらしい。その質問にタンジェが答える前に、
「タンジェ!」
ブルースの声がした。
タンジェがギャジを警戒したまま顔だけ傾けて後ろを見ると、ブルースが盗賊ギルドの入り口から駆け込んできたところだった。てっきり奥で震えているもんかと思っていたのでこちらにも驚く。いつの間にか外に出ていたらしい。治癒の奇跡が使えるやつを探しに行っていたのだろう。
ブルースの後ろには何故かイザベラがいて、生存している盗賊にすぐに駆け寄り、聖ミゼリカ教の聖句を唱え始めた。なるほどシスター服のイザベラを見れば聖ミゼリカ教の治癒の奇跡が使えるだろうことは一目瞭然だ。
「ぶ、無事か!?」
「おう」
タンジェはまだギャジに斧を向けたまま頷いた。斧の先に倒れ伏しているギャジを見たブルースは、
「死んだのか?」
「死んでねえぜェ」
ギャジ本人が答えた。うお、と言ってブルースはタンジェの後ろに隠れる。
「てめぇは悪魔じゃねえ、獣人だろ?」
タンジェが尋ねると、ギャジは天井を見たまま「そうだぜェ」と言った。
「なんで悪魔に加担したんだよ? ベルベルントの住人じゃねえのか?」
「ベルベルントには来たばっかさァ。俺の相棒が悪魔だからよォ、悪魔側に協力するだろ、フツー」
「相棒が、悪魔?」
ラヒズも、かつてのサナギを『友人関係』だと言っていたか。だが、悪魔とのそれを信頼できるものなのだろうか。誰を信頼するかなんてギャジの勝手だし、交流関係を他人に口出しされたくはないだろうが……。
「あいつは狩りの仕方も教えてくれたしよォ……」
その『相棒』とやらが<天界墜とし>で来た悪魔なら、墜ちてきたのは本当につい最近のはずだ。情報を少しでも得ようと、タンジェは尋ねた。
「その悪魔ってのは誰なんだ? ラヒズか? ハンプティか?」
「どっちでもねぇなァ。サブリナってやつだよ」
知らない名だ。タンジェの眉根が寄っている。それを見たブルースが、
「こいつの『相棒』とやらの名前がそんなに重要か? 誰だろうとぶちのめすとか言い出すと思ったがな」
……そりゃそうだ、と答え、思考を切り上げた。タンジェが考えを巡らせたところで意味がないことだ。きっと答えに辿りつくこともない。ただ、ギャジの相棒である悪魔も恐らくベルベルントのどこかにいるのだ。警戒しておくように黒曜たちにも伝えたいところである。
とすれば、いつまでもここにはいられない。盗賊ギルドを去ろうとすると、
「おい待て、行くのか? こいつはこのまま?」
「どうせもう武器もねえんだ、戦えねえよ」
タンジェが言うと、ギャジのくぐもった笑い声が聞こえてきた。
「俺ァよォ、この戦いの前にも人間を何人も喰い殺してんだぜェ? 言ったろ、狩りの仕方は教わったってよォ」
それで、タンジェはゆっくりとギャジのほうを向いた。
「それでも俺を殺さねえってかァ? お人好しだよなァ! 武器なんざなくてもお前らの喉笛噛み切れるんだぜェ」
口はよく回っているが、顎を打たれたギャジは立てないらしく、未だ大の字で転がっているのみだ。
「さァ、我を通せよ! そのために戦ったんだろォ!?」
「……」
信念、思想、そのほかあらゆるもの――人をその人たらしめる条件は膨大で、その中の何かしら、たった一つでもほかの何かとぶつかったのなら、そこに争いが起こる。
たとえばかつて巨大熊ノワケと戦ったのは、ロッグ村の人々が、平穏を望む我を通そうとしたからだ。
オーガと戦うつもりだったのは、タンジェが復讐という我を通したいがためだった。
ギャジと戦ったのだって、そりゃあ、ベルベルントへの侵略を許さないという我を通すためである。そしてそれはとっくに通った。ギャジの生死に、戦いとの因果関係はない。
それでもギャジは納得がいかないらしい、
「そうでなくても、そこのやつらはもう死んでんだろォ? 俺が殺したんだぜェ!」
まるで殺してみろと言わんばかりだ。
ギャジの言うとおり、ギャジは人を殺した。だが、いつかその事実がギャジを殺すのならば、それはギャジの因果応報であって、タンジェが我を通した結果ではない。タンジェは呆れてギャジを見下ろした。
「てめぇが何人も殺して、殺した末に喰ったって? その決着を俺につけさせようとするんじゃねえ。てめぇのケツはてめぇで拭けよ」
義憤に燃えたタンジェがギャジを裁き、殺すことは、なるほどギャジの中では筋が通っている話なのだろう。見当違いとまでは言わないし、タンジェにだって邪悪をぶちのめそうという気概はある。だがギャジを裁くのはタンジェではない。ギャジがこの世界に生き、共通語を解す獣人である以上、この世界の法律が、彼を裁く。あるいは殺されたやつらの遺族が怒りに燃え、ギャジを裁くだろう。それを請け負ってやる義理はない。
復讐相手への逆恨みに萎え、誰かを助けるための放火の覚悟もなく、それでいて黒曜が言うほど潔白でもない。
それでもここに至って、タンジェは、殺す相手くらい自分で選ぶ。
「……」
ギャジは大の字になったまま、黙って天井を見つめていた。
「お、おいおい、マジかよ……マジで生かしとくのか!?」
困惑したのはブルースだ。鬱陶しく思い、タンジェが、
「殺したいならてめぇで殺せよ」
ぶっきらぼうに返事をすると、ブルースは唇を尖らせたが、やがてしぶしぶといった様子で腰からナイフを抜いた。
マジかよ、とタンジェは思った。ああ言ったのは自分だし止める理由もないが、さすがに意外だった。腐っても盗賊ギルドの所属、ということだろう。
「待ってください」
止めたのはイザベラだった。生存していた盗賊たちの治療は終わったらしい。イザベラは立ち上がり、ブルースに歩み寄る。
「彼は獣人です。ベルベルントには獣人が多い。今ここで彼を殺すと、それが万が一ほかの獣人に知れたときパニックになります。『悪魔と戦争しているはずなのに、住人が獣人を殺した』――そんな話にでもなったら大変なことですよ」
「だがこいつ、放っておけねえだろう。仕掛けてきたのはこいつだしよぉ」
「それを説明する猶予は私たちにはないでしょう。『獣人を殺した』というレッテルが貼られる可能性はないに越したことはありません」
「……」
沈黙するブルース。イザベラの言っていることは正論に思える。タンジェは別に正義の人ではないが、悪辣な殺人鬼だと思われるのにいい気持ちはしない。ブルースだってそうだろう。
「悩んでいる時間は多くはありません。ここは私に任せてくれませんか?」
「任せる?」
「彼の処遇を、です」
イザベラは言いながら、手振りでブルースのナイフを下ろさせた。そして横たわるギャジの傍らに座り込み、微笑みかけたかと思うと、突然ジャギの首元に針のようなものを突き刺した。
「ギャッ」
短い悲鳴を上げたギャジが意識を失う。ギョッとして思わず「な、何だよ今の!?」と尋ねると、イザベラは不思議そうな顔をして、
「睡眠針です」
「なんでそんなもんシスターが持ってんだよ!」
「盗賊役なら誰しも懐に持っているものかと思いますが」
理解が追い付かず「あ?」という声が出る。ナイフを腰の鞘にしまいながら、ブルースが言った。
「シスター・イザベラは午前3時の娯楽亭において、役職を兼任している。聖職者と盗賊役の2つをな」
「盗賊役? シスターが!?」
さすがにインチキすぎる! 冒険者になる聖職者ってのはインチキまがいのやつばかりなのか?
声には出ていなかったはずだが、顔には出ていたらしい。イザベラは笑ってこう言った。
「戦斧を振り回す盗賊役も大概かと思いますよ」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。