密やかなる羊たちの聖餐 4
寄宿舎の入り口、A棟とB棟を分ける岐路でサナギと別れたタンジェは、5番部屋を探してうろついていた。誰にもすれ違わなかったので聞くこともできず、少しだけ手間取る。
修道士たちは、確か……教えられたスケジュールによれば、今の時間は『使徒職』、つまるところ午前の仕事をやっているはずで、部屋にいるやつはいないのだろう。
10分ほどさまよい、ようやく5番部屋を見つけた。誰もいないことを察しながらも、一応、ノックをしてから部屋に入る。質素な部屋で、2段ベッドが2つと小さな椅子が4脚、机が1つ。それからクローゼットがあるだけだった。
「あれ、新人さん?」
いないと思っていたのに急に声をかけられたので、タンジェは反射的に腰に手を伸ばした――普段腰に下げているナイフを取ろうとしたのだ――先に言ったとおり、装備はほとんどを置いてきてしまったので、急に腰に手を当てただけになったが。
顔を上げると、2段ベッドの上で大あくびをしている男がいる。紺色の癖毛で、顔にそばかすがある。人懐こそうな丸い目は、薄い茶色だった。
「ずっと3人だったし、新人さんが来てもおかしくないかぁ。あ、着替えるならそこのクローゼット使いなよ。でも、その服の上からローブ着るだけでも大丈夫だよ」
「……今は使徒職の時間じゃねえのか?」
タンジェが思わず尋ねると、男は、
「えー、もうそんなことまで習ったの? きみ、結構真面目なタイプ?」
へらへらしている。タンジェの修道士のイメージとも、実際に廊下ですれ違った何人かの修道士との印象ともまるで違う。こんなやつが修道院にいるとは思わなかった。
タンジェの顔が少し歪んだ。別に修道士のあり方についてどうこう言う気はない。馴れ馴れしさに苦手意識を持ったのだ。もっとも、タンジェが好ましく思う相手というのはまず少ない。この紺髪の修道士が悪いことは何もなく、彼が親切な人柄であることは分かる。
いそいそローブを着ると、2段ベッドの上から「わあ!」と感嘆の声が聞こえた。
「似合わないねー!」
「……」
感嘆ではなかったらしい。タンジェは2段ベッドの上を睨んだ。
「へへ、ごめんごめん。だってきみ、修道会っていうより修行僧みたいな感じだからさぁ。滝行とかするやつね!」
何故か脳内で滝に打たれる自分を想像してしまい、あまり違和感がないことに少しげんなりした。
紺髪の修道士は気にせず尋ねてくる。
「ここには信仰心を高めに来たの?」
「……まあ、そんなところだ」
信仰心を高める、という概念からまず理解できなかったが、適当に話を合わせた。
「なあ、きみ、名前なんつーの? 俺はドート!」
「……タンジェリンだ」
今回、偽名は使っていない。タンジェは不器用で要領が悪いので、その場限りの偽名なんか逆にボロが出るだけだ。
「タンジェ、これから12時になったら昼だし、一緒に行こ」
ごく自然に、ドートは迷わずタンジェを愛称で呼んだ。慣れた呼び名なので違和感も悪い気もないのだが、やはり馴れ馴れしい。
「食堂の場所は教えてもらった。一緒に行く義理はねぇ」
冷たくあしらおうとするも気にせず、ドートは2段ベッドから降りてこようとした。そこでタンジェは、ドートのその仕草が、わずかに左腕を庇っているのに気付いた。
2段ベッドから降りてきたドートは、
「そう言うなってー。先輩風吹かさせてくれよ」
と、肩を組んでこようとしたので、さすがにそれは避ける。
「……どっちにしろ食堂に向かうなら同じ方向だろ」
「それもそうか。ま、仲良くしようなー」
ドートはにこにこ笑っている。
「……で、なんで部屋にいたんだ?」
「え? ……へへ。体調不良!」
「左腕か?」
別に興味があったわけではないのだが、気付いたので何気なく指摘すると、ドートはびっくりした様子で目を見開いた。
「すごい! ……よく分かったね」
「……」
少し目ざとすぎたかもしれない。タンジェは適当に「まあな」と言った。
「実は、ちょっとケガしちゃって」
「……」
「俺の使徒職、庭の手入れなんだけど、腕使うからさ。結構困ってんだー」
ドートは、はは、と笑った。
「そうかよ」
別にドートの怪我にも、それを負った経緯にも、それでドートがどの程度困っているのかにも、興味はない。
だが、タンジェはただでさえ社交的でないのだから、せめて同部屋のほか3人とは良好な関係を築いておくべきだろう。何せ、情報収集をしなければならないのだ。
それでタンジェは、少しだけ考え、
「身体は資本だろ。少しは気、遣えよ」
と言った。ドートは明るい顔になり、「タンジェ、めちゃくちゃいい奴じゃん!」とこちらに抱きついてきそうになったので、タンジェはそれも避けた。
昼食のために部屋から出て、ドートと一緒に歩いていると、A棟とB棟の合流地点でサナギと出会った。
サナギはドートを見て少し驚いた顔をしたが、「もう友達ができたの?」と、屈託なく笑った。
「……そういうわけじゃねえ」
「うわうわ、すっごい美人じゃん! タンジェの知り合い?」
ドートが後ろからでかい声を出すので、タンジェは顔を顰める。サナギのほうは別に不快にも思わなかったらしく、朗らかな笑顔のまま、
「ベルベルントから一緒にこの修道院に来たんだ」
設定通りのことを言った。
「ベルベルントから? あんな都会から、よくこんな田舎まで来たね」
「だからいいんじゃないか。俺たちは自然派なんだよ。俺はサナギ。きみは?」
「ドートだよ」
握手をしたサナギとドートは、話を続けた。
「ところで、ドートはなんでタンジェと一緒に?」
「同じ部屋なんだよ」
「俺の部屋には誰もいなかったよ。今は仕事の時間じゃないの?」
「体調不良で休んでたんだー」
ドートはタンジェに対して言ったのと同じことを言った。サナギは少し不思議そうな顔をする。「体調不良」という言い方がよくないと思う。ドートはどう見ても健康そうなのだ。
怪我なのだからそう言えばいいだろうに、とタンジェは思うのだが、ドートが言わないことをわざわざ割り込んでまで指摘することはないだろう。サナギも特に突っ込みはしなかった。
鐘の音が鳴る。
「正午の鐘だよ。行こ!」
食堂の場所は教えてもらったと言ったのに、ドートはわざわざタンジェとサナギを先導した。呆れながらもサナギと並んでそれについていく。サナギはドートに聞こえないように小声で言った。
「さっそく、いい情報源を見つけたじゃないか」
「……苦手なタイプだぜ」
「ふふ、お互い頑張ろう」
得られる情報は多いほうがいいし、最初は手当たり次第だ。だったらドートは確かに、会話するのに悪い相手ではない。だが4人部屋ということはあと2人、あの部屋には誰かがいるわけで、ドートと2人きりで話せる時間は多くはないだろう。
「とにかく、夜か」
「そうだね」
タンジェとサナギは頷き合った。