ニセパーシエル騒動 6
けれどもナイフがパーシィに辿り着く前に、アルフの腕はアノニムの片手で抑えつけられていた。アノニムからすればあんな突進など止まって見えただろう。一同にとって素人のアルフ1人の制圧は容易い。
「アノニム、彼の怒りは正当だ」
パーシィは言った。
「刺されてやろうと思う」
アルフの顔がみるみる真っ赤になった。
「お前は傲慢なんだよ!! 今も昔も……!! 『刺されてやろうと思う』!? ふざけるな!! 馬鹿にするなーっ!!」
アルフはアノニムの拘束から逃れようと暴れたが、一般人がアノニムに万に一つも敵うわけがない。
アノニムは掴んでいたアルフをそのまま組み伏せ、地面に叩きつける。それから倒れたアルフに馬乗りになり、その首に手をかけた。
「アノニム!!」
パーシィが名を呼ぶが、アノニムは無視した。アルフが震えた声で叫ぶ。
「ぼ、僕を殺すのか? パーシエルの仲間も所詮は邪悪だ!! 最低だ!! クズ共め!!」
「大事なもののために武器を取る。てめぇにその覚悟があるなら、こうされる覚悟もあったんだろうが?」
アノニムに怒りも憐憫もない。
「てめぇが復讐でパーシィを刺すのは構わねえ。だが、それならその復讐で俺はてめぇを殺す。だったら先にてめぇを殺しても同じだ」
アルフの表情が徐々に怯えに変わる。アノニムが本気なことが分かったのだろう。アルフの目算は正しい。アノニムは躊躇いなくそうする。
それでもタンジェにとって、口を挟まねば納得できない部分は、確かにあった。
「それはてめぇらの理屈だろうが。大事な人を食い殺されて、相手が天使だから、はいそうですかってわけにはいかねえだろ!」
「赤毛のお前は話が分かるか!!」
アノニムの下からアルフが叫んだ。
「この男を止めてくれ!! パーシエルには断罪が必要だ!!」
「うるせぇ! てめぇ、自分が詐欺師だってこと忘れんなよ!」
怒鳴り返すと、アルフは「お、お前、僕の味方じゃないのか!?」と驚愕した。
「ああ!? なんで俺がてめぇの味方なんざしなくちゃならねえんだよ!」
アルフは目を白黒させている。アルフの復讐心は真っ当だと思うし、境遇に同情できる部分はあるが、アルフのことを守ってやるつもりはタンジェにはいっさいない。ただ、タンジェはパーシィとアノニム、そしてアルフの双方の言い分を聞いた上で、とにかく納得ができないだけだ。
アルフは「で、でもだって詐欺は……パーシエルへの復讐には必要だったから……」とか何とか言い訳している。タンジェは無視し、パーシィに声をかけた。
「パーシィ、刺される覚悟はあるんだな?」
「あ、ああ……もちろんだ」
パーシィは頷いた。タンジェは殴られたきりずっと地面に倒れ込んでいたパーシィに手を貸し、立たせた。
「よし、アノニム、どきやがれ」
「ああ?」
「アルフに刺させようぜ」
「それをされたら俺はこいつを殺すが?」
「ああ。そうしたら殺しちまえ」
アノニムは眉を上げ、珍しく訝しそうにタンジェを見た。だがゆっくりアルフから退く。たぶん、今までだったらアノニムがタンジェの言うことに応じ、殺すべき目標からみすみす離れるなんてことはなかっただろう。アノニムからのある程度の信頼を得られるようにはなった、ということか。
それはともかく。タンジェはアルフも立たせて、ナイフを構えさせた。
「思う存分刺せ!」
アルフの背中を叩いて鼓舞する。アルフは戸惑った顔をしていたが、パーシィに向かい、そしていよいよナイフを腹に突き立てようとして、だがアルフは、そこで止まった。
「……」
「……」
数秒の沈黙。焦れたらしいパーシィがナイフの刃を掴み、
「刺すんだ」
パーシィの手袋越しにナイフが指を切っている。みるみるうちに白手袋が血で染まっていくのを見て、アルフは顔色を悪くした。
タンジェには分かっていた。
刺せないだろう、と。
アノニムやパーシィ、黒曜、緑玉、それにたぶんサナギが容易にそうできるようには、普通に育った普通の人間は、人を殺せない。
もちろん、カッとなって咄嗟に人を殺す人間はいくらでもいる。感情的にナイフを振り回し、容易に加害はできる。アルフがさっきパーシィに突っ込んでいったとき、あのときなら、アノニムに阻まれさえしなければ、アルフはたぶん、パーシィにナイフを突き立てることができた。
だがいざ冷静になって、さぁどうぞという相手にナイフを刺せるか、となったとき、そう簡単には刺せるものではないはずだ。だってアルフは、決して快楽殺人鬼ではない。
「……刺せねえよな」
タンジェは言った。
「さ、刺せるさ……!! 僕には覚悟があるんだ!!」
「だったらそもそもパーシエルの名前で結婚詐欺なんかしねえで、強盗殺人とかやってんだよ。パーシエルの名前に泥を塗るのも目的だったんだろ?」
「そ……それは……」
アルフに覚悟がないとは言わない。ただ、アルフの覚悟はきっと、アルフ自身の殺人を容易く許可しない。彼は結婚詐欺に躊躇いのないクソ野郎ではあるが、恋人を殺されて嘆き悲しみ、再び大事な人を失うことを恐れる、ごく臆病な"普通の人"なのだ。
だからこそアルフは結婚詐欺なんて方法で復讐をしようと――自分は復讐をしていると、思い込みたかったのだ。
「悔しいよな」
気付けば、声になっていた。
「自分はなんで殺せねえのか、正当性だって、覚悟だってあるつもりなのによ……」
タンジェを見たアルフの顔は、ほとんど泣きそうになっていた。タンジェはパーシィにナイフを放すように声をかけた。
「……」
パーシィはまっすぐにアルフを見ていたが、タンジェのほうを見ているアルフとは視線が合わない。やがて目を伏せて、ナイフをゆっくりと手放した。
自由になったナイフを持ったまま、アルフは2、3歩、よろけるように後退した。
「なんで刺せないんだ……! 僕の覚悟は、そんなに生半可なものだったのか……!?」
「別にてめぇの覚悟をどうこう言うつもりはねえよ。だがパーシィを刺せないなら、ああ、"その程度"だ」
タンジェは無慈悲に言い切り、
「だが、てめぇには救いがある。パーシィはすでに罰を受けてるってことだ。てめぇがその生半可な覚悟でもって、無理やり断罪なんざしなくてもな……とっくにこいつは、たぶん、後悔をしてる。こいつに後悔を気付かせた誰かがいて、その誰かはこいつが復讐されることは望んじゃいねえ」
もちろん、そんなことはタンジェの想像だ。続けた。
「そんなことでてめぇの婚約者が戻るわけじゃねえ。だから復讐をやめろと言うつもりもねえ。だが、パーシエルなんて天使はもうどこにもいやしねぇんだ。そもそもてめぇは復讐には向いてねえよ」
タンジェにはパーシィを許してやることはできない。昨晩、パーシィに甘えるなと言ったのは誰でもない、タンジェ自身だ。
だがタンジェたちは、パーシィに下されようとしている私刑を止めることくらいはしてもいいはずだった。仲間だから。
だとすれば、復讐に身をやつした"人間"の、対等な相手は自分だと、タンジェは思っている。
「お前は……」
黙ったままだったアルフが、ぽつりと言った。
「お前は、何なんだ? 急に場を仕切って、……分かったような顔をして……」
「てめぇと同じ根性なしだ。復讐を志して冒険者になったが、……俺も、斧を振り下ろせなかった」
アルフはタンジェを見た。アルフの顔が歪んでいき、
「怖いさ……ああ怖いさ!! 人を殺すのが怖くて、パーシエルの名誉を傷付けようと思ったときも、だから人を殺そうなんて思えなかった!!」
「ああ」
「なのにこいつは、こいつは平気でゼータを、僕の婚約者を殺させて、食ったんだ!! こいつは人を殺すのなんて何とも思ってない、卑怯じゃないか……! そんなの、ずるいじゃないか!! 一方的すぎるじゃないか!!」
「ああ」
「じゃあ僕の気持ちはどうすればいいんだよ!!」
アルフは崩れ落ちた。泣いていた。
「そんなことはてめぇが決めるんだよ!」
タンジェは怒鳴りつけた。アルフは喚き散らす。
「分かんないよ! だって僕は、復讐がしたかった!」
「……」
「どうすればいいんだよ、どこにこの気持ちを置けばいいんだよ!」
タンジェはその答えを知っている。
逡巡した。
だが、ここまできたら言わなきゃいけないだろう。覚悟を決める。
「愛だよ!!」
タンジェのデカい声が山に響き渡った。音量を間違えた。
「……へ?」
言われたアルフのほうは、唖然としている。
いや、分かっている。恥ずかしいことを言ったと。タンジェは咳払いをした。全身が真っ赤になっている。 羞恥に挫けそうにはなったものの、不屈のメンタルで気を取り直し、
「て、てめぇは言ったよな。婚約者とは別の女で……村に恋人がいると。お前はその女が急にいなくなるのが怖くて先に村から出たと言ってたが……好きだったことに間違いはねえんだろ」
アルフは困惑したまま、視線だけでタンジェの言葉を肯定した。
「なら、村に戻れよ。お前は詐欺師だしろくでもない野郎だが、誰も殺しちゃいねえ。まだ胸張って生きていける」
「……で、でも……彼女の前から急に消えた僕を、彼女はまだ……愛しているだろうか……?」
「知らねえよ! そんなことに責任を持つ気もねえ」
タンジェは吐き捨て、けれど続けて、思ったことを言った。
「だがその女にとっては、てめぇは急に消えたんだ。それはてめぇが味わったのと同じだろ」
「……!!」
アルフが息を呑む。
「だったら、相手の気持ちが逸れることくらい覚悟しろってんだ」
タンジェからすれば、余計なことを考えて、失うことを恐れて逃げ出したアルフが悪いのだ。……いや、もちろん、そもそもはアルフの最初の恋人を食ったパーシィが悪いのだが。それでも新しく惚れた相手ができたのなら、アルフはそいつのために全力になればよかった。
復讐心を愛で上書きできる、とか、そんなことを言うつもりはない。タンジェだってまだ自分の復讐に思うところはある。ただ、復讐にかける情熱を、アルフは、タンジェ自身も、きっともっと前向きな何かに変えていける。そうしてくれるだけの誰かが隣にいるのなら。
「……村に……」
アルフは言った。
「戻るよ……。ベティが……待っててくれてるかもしれないから……」
アルフはパーシィの血で汚れたナイフをそっと折りたたんだ。それを懐に入れ直し、ゆっくりと立ち上がる。アルフがパーシィに視線すら寄越すことは、もう二度となかった。
パーシィは黙ってアルフを見つめていた。背中が見えなくなるまで、長いこと、見送っていた。