カンテラテンカ

分水嶺 8

 お互い簡単に名乗ってから、ライゴが口を開く。
「ノワケのやつはまったく、えらい化けグマだわ。猟銃程度じゃ頭蓋どころか毛皮も貫けんときた。ワシとてこの村で長く猟師をやっとる。ノワケを撃ちたい気持ちはあるが、だいたい、あんなのに一人と一匹で立ち向かうのは現実的じゃないわい」
 ほとんど愚痴まがいの話から始まったので、せっかちなタンジェは面倒に思った。偏屈ジジイの愚痴を聞くために来たわけではない。半分くらい嫌味のつもりで、
「はっ。ジジイが無理するもんじゃねえ。てめえがノワケに掻っ捌かれたら、それから猟は誰がするんだって話だからな」
「口の悪いガキだ!」
 ライゴは口元こそ歪めたが、それで不機嫌になったということはなさそうであった。
「だがまあ言ってることは間違っとらん。ワシがくたばったら、この村には後継者がおらなんだ。元よりジジババばかりの限界集落よ、時の流れに従って死ぬならばそれもよし、だがあんなよそもんのクマ一頭に踏み荒らされる謂れはないわい」
「ノワケに立ち向かったことがあるのですね?」
 ああ、とライゴは頷いた。
「外に猟犬がおっただろう。名をラッシュという。あいつは数年来の相棒よ。あいつの親も、そのまた親も、ワシとずっと狩りをしてきた」
「ノワケにも、ともに?」
「ああ。到底敵わなんだ。猟銃を眉間にぶち込んでも貫けんのだから。だが威嚇にはなったらしい、ノワケのほうが引いたから生きていたようなものよ。ラッシュを無駄死にさせずに済んだ」
 ノワケは、その体格に見合う規格外れの頑強さの持ち主らしい。
「罠はどうだ?」
 尋ねたタンジェの顔をライゴがちらりと見る。
「ノワケは恐ろしく賢いやつだ。ワシの作る罠じゃ、避けて通るか、掘り起こすわい」
「ふむ……」
 メモをつけるサナギの横で、黒曜が改めて、
「何か特徴的な行動パターンはあるか」
 と、村長に尋ねたのと同じことを聞いた。
「行動パターンか。そういえば、やつはある一帯でようクマハギをしよる」
「クマハギ……ああ、樹皮はぎか」
 タンジェが言うと、「そう呼ぶ地域もあるらしいな」とライゴ。タンジェとしては、クマハギと呼ぶほうがやや地域性が強いと思う。
「こんな時期にか? なんか春にやってるイメージがあるが」
「ほう……お前、口が悪いだけのガキかと思ったら、猟師かい」
 ライゴの言葉には、首を横に振る。謙遜ではない。事実、タンジェが胸を張ってそう名乗れるような純然たる猟師であったことは一度もないのだ。
「元木こりだ。故郷の村で……猟師みてえなことも、まあ、してた。ただクマは狩ったことはねえ」
「そうかい。だがまあ、それなら少し安心したわい。山で生きたことがある人間がおるなら、ズブの素人に任せるよりは多少マシだわ」
 そうかよ、とタンジェは言った。二人の会話がひと段落つくのを待ってから、サナギが、
「クマハギ、つまるところの樹皮はぎというのは、タンジェの言う通り、一般的には春先から初夏にかけて見られるクマの行動だね。俺は実物を見たことはないんだけれど……要するに、名前のまま、樹皮を剥ぐ行為だ。知識としては、木の内側の水分とか養分を摂取するために行っているというのが主説だったかと。ただ、諸説あるらしいね」
「ノワケの場合は、縄張りのアピールの可能性が高いかもしれん。クマハギの範囲は徐々に広がっておるわい」
 ただ、そのあたりにいることはやはり多く、もしノワケを張るならそのあたりがよかろうとライゴは言った。
「場所の案内は……、厳しいか」
 サナギの視線はライゴの足にある。 
「ああ……ワシとて協力したいわい。しかしこの足じゃな……」
「なんだ、足を治せばいいのかい?」
 持ってきていたドライフルーツを数粒ばかり食んでいたパーシィが不意に言って立ち上がった。
「ご老人、怪我をみせてくれ」
 言いながらライゴの足元に跪いたパーシィは、さっさとライゴのズボンの裾をたくし上げて、包帯をあっという間に取り去った。なるほど生々しい傷跡がある。だが、クマ爪の仕業ほど深くはないとタンジェは見当をつけた。ノワケと相対したおり、木々にでも躓いたのかもしれない。
「なんでえ、お前は」
 パーシィは答えず、さっさともう、その傷に手を翳して、目を閉じている。ぽつぽつと小さく光が灯り、それがふわふわと集まって、ライゴの足の傷を覆っていく。赤みの強かった足は乾いた皮膚の色に戻り、ライゴは何度も瞬きをして、パーシィと足を見比べた。
「なんじゃあ! 傷が……痛みも引きおったわい!」
「それはよかった」
 何回見ても、本当に奇跡としか言いようがない御業である。祈りだけでこれをやってのけるのだから、本当に、聖ミゼリカ教徒というのはとんでもない。目を白黒させているライゴに、
「聖ミゼリカ教の癒しの奇跡です。彼は教徒なので」
 と、サナギが言い添えた。
「聖職者か。そんな便利なもんがあるなら、最初からやれい!」
「すまない。老人の怪我を癒したところで、何の役にも立たないだろうと思って」
「おい、なんじゃこいつ。タンジェリンよりはるかに口が悪いぞ。本当に聖職者か」
 説明は難しい。「こういうやつなので」としか言いようがなかった。
「ともあれ、これで案内はお願いできるな」
 その言葉に、ライゴは一つ頷いた。
「やってもいい。ラッシュも呼ぼう。やつはワシにしか懐かん」
「そうなの?」
 急に玄関のほうから声が聞こえて、見れば玄関扉を開けた緑玉が立っていた。今までずっと外の猟犬ラッシュと戯れていたらしい。ラッシュは緑玉を見上げ、遊んでくれてありがとうとばかりに尻尾を振りながら緑玉に甘える仕草をした。それからライゴの足元へとチャッチャカ爪を鳴らして歩み寄り、主人の横に伏せた。
「いい子だね」
「……たまげたわい。普段から人に吠えこそしないが、ほかのやつに尻尾を振るのを初めて見た」
 緑玉はしばし黙り、それから、
「人間は嫌いだけど、ラッシュが主人と認めるなら、あんたは悪いやつじゃなさそう。この村も」
 ぽつりと呟いた。黒曜の黒豹の耳は、その言葉が終わるまでずっと緑玉のほうを向いていた。サナギが話し出すと、今度はそちらに耳が向く。

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