カーテンコール 3
そもそも何故、今、タンジェがエスパルタまでやってきたのか――タンジェの叔父を名乗ったあのオーガにもう一度会うためだった。
覚悟が決まったのか、と問われれば、分からない、としか言えない。
たとえばその"覚悟"ってのは、復讐のためにやつを殺す覚悟か? それならば、それは違う。タンジェはあのときに先送った、やつを殺すべきか否かについて、まだ保留にしていたいと思っている。それを決断できるほど強くなってはいない。
だが、覚悟が"決まっていない"と断言しない理由はある。タンジェは「話を聞きたい」――そう思った。その決断は、タンジェにとって勇気がいることだったし、覚悟は、要った。だから、覚悟がないわけではない、と思いたい。
今更、あのオーガどもに何の話を聞くことがあるのか――そう思わない自分がいないわけでもない。だがそれでも、3月にこのエスパルタを出てから1年半が経った今、本当にタンジェは純粋にこう考えたのだ――"知るべきだ"と。
かつてラヒズに謀られ出会った叔父を名乗るオーガ。そこから足早に立ち去ったタンジェは、あの瞬間は、すべてを知った、と思った。でも実際はそうではない。知らないことは、多い。
特段のきっかけがあったわけではないが、思い立ったが吉日で、多少の貯金ができ始めたのもあり、タンジェはすぐにエスパルタ行きの切符を買い、黒曜一行と親父さん娘さんに留守にすることを告げた。とはいえ本当に少しの間だ、数日もすれば戻ると。
ほとんどが深い事情を聞かなかったが、行き先がエスパルタだと聞いてみんな大体の事情は察したらしかった。ただ、出発の日になったら馬車の停留所に旅支度をした黒曜がいて、無表情のままエスパルタ方面行きの馬車にタンジェと共に乗り込み、平然とタンジェの横に座ったので、タンジェは面食らった。
「テメェ、どっか行くのか?」
黒曜は黙ってタンジェにエスパルタまでの切符を見せた。
「一緒に来んのか?」
黙ったままの黒曜だったが、ほんの少しだけ首を傾げた。「駄目か?」のニュアンスだったので、
「切符も買ってんのに、今更残れとは言えねえだろうが……。まあ構わねえよ。ただ」
タンジェはほとんど吐き捨てるように言った。
「情けねえ姿を見られるかもしれねえぜ」
今、改めてオーガを前にして、まともに会話が成り立つのか……。あるいは会話が成り立ったと思っていたのは、あのときの錯乱だったのかもしれない。タンジェがやろうとしていることは、もしかしたらそもそも、まともなことじゃないのかもしれない――オーガとの対話なんざ。
だが、黒曜は静かに小さな首肯だけして、それでも馬車を下りることはなかったのだ。
★・・・・
二度目の『情熱の足音亭』は、前回来たときに比べればまだすいていて――あのときは聖誕祭に被っていたためだ――ツインベッドの部屋を取ることができた。
黒曜と同じ部屋で過ごすのは落ち着かないような気持ちもあったが、タンジェが星数えの夜会以外の場所に一人で宿泊するのはほとんど初めてで、だから黒曜の存在は正直ありがたい。これまでの冒険においては、部屋は別でも誰かしら仲間が一緒に行動するのが常だった。だからといって別に心細いとか寂しいとかはないのだが、目的を考えれば、多少なりともナーバスになるもので。
黒曜と二人で階下の食堂で遅めの夕食をとる。タンジェはやっぱりエスパルタ風オムレツを頼んだ。黒曜の選んだメニューは牛テールの煮込みで、これもエスパルタの一地方の郷土料理だ。届けられたメニューをもりもり食べている黒曜を見て、タンジェはにわかにシリアスな気持ちを忘れた。故郷の食べ物を美味しそうに食べてくれるのはやはり嬉しいものだ。
食後に湯を浴びて寝支度を整えて、2人は部屋に戻った。それからようやく、タンジェは今回エスパルタに来た自分の目的を黒曜に伝え始めた。
「オーガに会おうと思ってる」
意外でもなかったらしく、黒曜は黙って小さく頷いた。
「別にぶっ殺しに来たわけじゃねえ。その……まあ、話ができたらと思ってる。成立するもんなのか、正直よく分からねえが……」
それに、オーガどもの居場所も分からねえとタンジェは言い添えた。
「『オーガ除けの結界』がまだ機能しているなら」
黒曜は淡々と言った。
「それを避けた場所にいることは間違いない。ただ、ラヒズの消滅後、結界が残っているものかは不明だ」
「チッ、サナギに聞いてくりゃよかったな」
結界のことは失念していた。あれのせいで散々な目に遭ったというのに。
「だが、あの山なら多少は歩けるつもりだ。オーガの痕跡を見つけることは難しくねえと思う」
「そうか」
少しの沈黙。それからタンジェは「寝るか」と呟くように言った。黒曜は、
「何を話す」
「あ?」
「オーガに会って、何を話す」
タンジェはまた少し黙った。それから、
「やつらが知ってることを、俺も……知りてえと思ってる。やつらだけが把握してる特別な何か、真実みてえなものがあるのかすら……知らねえが……」
「そうか」
黒曜はただそう言って頷いただけだった。否定も肯定もない。当たり前だ。これはタンジェの問題だ。タンジェの問題に何故、黒曜がついてきたのかは、タンジェは改めては聞かなかった。黒曜は、ただタンジェの決意を見届けに来ただけなのだろう。あるいはその身を心配してのことかもしれないが――だとしたら何も言わないのは正解だ。そんなに俺が頼りねえかよ、の気持ちになったに違いないから。
「……もう寝るか。明日は山登りだ」
「ああ」
2人はおやすみ、と声をかけあって、それぞれのベッドに潜り込んだ。まだ本格的な秋に入るには少し早いけれども、カラッとした気候のエスパルタは、夜はさほど暑くなく寝苦しさもない。最初は黒曜が横に寝ている事実が多少なりとも気になりはしたが、本来、決まった時間に寝るよう習慣づいたタンジェのこと、たちまち眠りに落ちるのだった。