creepy sleepy 3
気付けば雪はやんでいた。パーシィが教会へと向かってから、タンジェも外に出ることにする。筋トレもいいが、もう少ししっかり身体を動かしたい。
気温は低いが雲はすっかり別の場所へ移動したらしい。今日これからは、雨や雪に悩まされることはなさそうだ。
聖誕祭を祝う準備だろう、店先にはカラフルな菓子が並んでいる。それらを横目で見ながら、森林公園までジョギングをした。
ストレッチをしてから、休憩しようとベンチの雪を払う。木のベンチは水分を吸ってしっとりしていたので、首にかけてきたタオルを敷いて腰かけた。吐く息は白かったが、走ってきた身体は汗ばんで体温が上がっている。
日の当たるベンチはこの時期にしてはあたたかく、ぼんやりしていると眠ってしまいそうだ。……
「!」
ハッと目覚めた、ということは、寝ていたらしい。
慌てて周囲を見回したが、まだ空は青く、日も少しだけ傾いた程度のようだった。寝ていたとしても10分か20分といったところだろう。ジョギングしてのんきに寝落ちなんて、笑えない。今までトレーニング中に眠気に襲われたことすらなかったのに、あまりに急な寝落ちだった。疲れていたのだろうか? 自覚症状はないのだが。
宿に帰る前に武器屋にでも寄るか、と思いながらベンチから立ち上がる。一歩踏み出したところで違和感に気付いた。
――森林公園じゃない。
振り返り見下ろせば、タンジェが寝ていたのも、ベンチではない。横倒しになった大きな丸太だった。
ザクリと足を踏み鳴らした地面で、ここが森にほど近いところだと分かった。辺りを見回すと、見慣れた場所である。タンジェのふるさと、ペケニヨ村だった。
「……」
夢だとすぐに分かった。
この夢は妙な現実感を伴って、ひどく気味が悪い。まるで過去に戻ってきたような、今ここにタンジェがいることが何もおかしくないみたいな顔をして、ペケニヨ村は、そこにあった。燃えてもいない、オーガの群れに襲われてもいない、村人たちが普通に生活を営み、平和に毎日を過ごすそれが。
ペケニヨ村の夢を見ることは珍しくない。だが、タンジェが見る故郷の夢は決まって、滅びている最中か滅びたあとだった。こんなふうに生活感のあるペケニヨ村を夢に見たことは、復讐を志してから今まで一度だってない。
「タンジェ」
覚えのある声がタンジェを呼んだ。振り向くと、そこにはタンジェの家があって、……オーガが2体、立っていた。
「……!!」
息を呑む。2体のオーガは、まるでヒトのように口を開く。
「休憩にしましょう。クッキーを焼いたわ」
いつの間にかタンジェは手に斧を持っている。足元に目を落とすと薪があった。薪割りの途中だったとでもいうように。
「寒いだろう、早く中にお入り」
まるで父と母みたいなことを言って、父と母みたいに、笑っている。侮辱で、屈辱で、悪趣味だった。
「どうしたんだい、タンジェ」
「お茶も淹れるわ。だから……」
2体のオーガは言った。
「ずっとここにいるといい」
タンジェは吼えた。
「ふざけんじゃねぇーッ!!」
持っていた手斧を振りかざす。タンジェはまっすぐオーガの心臓を狙った。黒曜が触れた急所の一つ。頭をカチ割れればよかったが、タンジェの身長では届かない。
「ぶっ殺してやるッ!!」
オーガは抵抗しなかった。やつは醜悪な顔を笑うように崩したままタンジェの斧を受けた。斧が骨に当たる。手斧で肉を抉る感覚は、当たり前だが、木を切り倒すそれとは違う。骨を強引にかき分けて斧を心臓に当てれば、オーガは地に倒れた。
斧を引き抜けば血が吹き出す。タンジェはもう一体のオーガに振り向いて、雄叫びを上げて同じように叩き殺した。
肩で息をする。夢だ。こんなことをしたところで何の意味もない。分かっているつもりだ。だがこの夢を甘んじて受け入れることはできなかった。
こんなクソみたいな夢を受け入れられるなら、復讐なんか志していない。
タンジェは頬に飛んだオーガの血を拭いながら、パーシィが言っていた『悪夢に悩まされる人々』のことを思い出す。
きっと、自分が見ているこれもまた、ちまたを騒がす悪夢のひとつなのだろう。
ここにいてはいけない。きっとこの悪趣味という言葉すら生ぬるい悪夢は、人々の心に巣食う。そうして蝕まれて深い深い夢の底まで引きずり込まれたら、あるいはもしかしたら戻れない。
だが、みすみすこんな夢に呑まれる気はない。こんなくだらない、ムカつく夢にタンジェは負けない。
夢から目覚める方法なんて決まっている。タンジェは迷わなかった。
オーガの血にまみれた手斧を、左腕に叩き付ける。
目覚めると、今度こそ森林公園だった。
左腕がじんじんする。タンジェは眠りながらも、夢の中と同様に、握った右手を強く左腕に叩き付けたようだった。夢で突き立てられた斧は当然ながら現実にはない。タンジェの馬鹿力にかかれば、腕くらい折れてもおかしくなかったが、殴られたほうの左腕だって頑丈なタンジェの一部だ、無事だった。痛みも徐々に引いていく。
タンジェは空を仰いだ。――最悪な夢だった。
反芻したせいで、叫び出しそうな怒りに包まれる。だが、森林公園でいきなり吼えたら不審者だ。タンジェは耐えたが、
「……っち!」
むしゃくしゃして、舌打ちをして小石を蹴る。
小石が転がった先に、人が倒れていた。突然で唐突だったので、一瞬、判断が遅れたが、
「……おい!」
駆け寄り呼吸を確かめる。なんてことはない、生きている。心臓は正常に動いているし、呼吸も……寝息のそれだった。タンジェの素人目に見れば、ただ眠っているだけだと思われた。
とはいえこんな道端で寝落ちしているのはあまりに不自然だ。タンジェは周囲を見回した。森林公園にいた市民たちが――タンジェと同じように――みんな、眠っている。異常事態だということは、すぐに分かった。
タンジェは数瞬、どうするべきかを考えた。ひとまず、足元で寝こけている市民に何度か声をかけ、できるかぎりの手加減をして頬をぺちぺちと叩いてみたが、起きる気配はまったくない。
タンジェは結論を出した。これ以上、自分だけでできることは何もない。
誰かの意見を仰ぐべきだ。リーダーの黒曜、あるいは参謀のサナギ。ならば行く場所は決まっている。星数えの夜会だ。
夜会へ戻る途中、何人も倒れ伏して眠る人びとを見た。起きているやつは一人もいない。
まだ日も高いのに、街の全てが眠りについたように、ひどく静かだった。
★・・・・
星数えの夜会に飛び込むと、まずカウンターに突っ伏して寝ている親父さんが目に付いた。それからテーブル横のソファで娘さんも。あのあと歓談していたらしい黒曜と、その相手だったのだろう緑玉、翠玉の三人も眠っている。
「おい!」
声をかけて揺り起こそうとしても、まったく反応がない。そのうち勝手に起きるだろうか?
いや、と、タンジェはすぐさま否定した。
自分が見た悪夢のことを考える。今までに見たことがない、おぞましい夢。確実にタンジェの精神を抉る、悪意と作為を感じた。
これは人為的な何かなんじゃないか――そう考えたところで思い至った。サナギが言っていた、盗まれたという術式。その中には、周囲に眠りをもたらす<眠りへのいざない>とやらもあったはずだ。
だいたいサナギは研究室にいる。急いで駆けつけノックしたが、返答がない。嫌な予感を覚えながらドアを開けると、混沌とした部屋の中に、やっぱりか、サナギが寝こけていた。
「勘弁しろよ……!」
サナギの元まで移動してぺちぺちと頬を叩くが、「うーん」とのんきな呻き声を上げただけで、サナギはすやすや眠っている。悪夢にうなされているという様子ではなかったが、起きそうもない。
「どうしろってんだよ……!」
あのあと解除術式が完成したという話は聞かない。だがサナギのことだ、未完成のまま放置ということもないだろう。サナギのことを叩き起こせば、解除術式とやらでみんなを起こせるかもしれない。だがそのサナギを起こすために、何をどうしたらいいのか。タンジェは考える。
冒険者として、少しずつ経験は積み重なってきている。自分ができることとできないことも、今なら冷静に分析し、判断できるはずだ。タンジェが今できること――盗賊役としての役割の遂行。すなわち、情報を集めることだ。
そうなると、行く場所も絞れる。情報なら、盗賊ギルドだ。
タンジェは夜会を出て、足早に盗賊ギルドに向かった。道中、無事な人がいないかを確認するが、起きている人間は一人としていなかった。人間どころか、犬も猫も眠っている。
間もなく辿りついた盗賊ギルドでも、出入りを管理しているギルド幹部までが眠っていた。不安が募る。もうこの街に、自分以外に起きているものはいないんじゃないか――タンジェは首を横に振る。そんなことを決めつけるのはまだ早い。
横たわった幹部の身体を跨いで、暗くて狭い盗賊ギルドの中に踏み込んだ。
盗賊ギルドはそもそも静かな場所だが、静寂がいつにも増す。タンジェは奥のテーブル席へ顔を出した。ブルースの定位置だ。
人影が動く。テーブルに突っ伏していたバンダナ頭がこっちを向いた。
「……! タンジェ!」
「起きてやがったか!」
お互いに驚く。タンジェはブルースのもとへ駆け寄った。正直、ほんの少しだけ途方に暮れていたので、知り合いが目覚めていたのは朗報だった。しかしそのことは表面に出さず、タンジェは尋ねる。
「なんでてめぇは無事なんだ?」
ブルースは「知らねえよ」と顔を歪ませた。
「なんでこんな状況になっちまったのかも分からねえんだ」
そうだな、とタンジェも頷いた。ただ、一応、心当たりだけは告げておく。
「……俺のパーティの参謀役が作った術式とやらが盗まれたんだとよ。その中に広範囲に眠りをもたらす術があったらしいぜ」
ブルースに隠し立てする意味はないし、今は解決策を探す段階で、頭を捻る人間は少しでも多いほうがいいだろう。ブルースは難しい顔で首を捻った。
「何だと……? じゃあ、それが原因か……? 盗まれたのが最近だってんなら、タイミング的にも可能性は高そうだが……」
「ああ。同じやつが最近、それの解除術式とかいうのを作ってたんだが……そいつも寝ちまってるんだよ」
ブルースは少し悩んだあと、それはそれとして、と言い、
「タンジェこそよく無事だったな」
「一回は寝たんだ、無理やり起きた」
「さすがの根性だな」
賞賛と呆れが半々という感じで言ったあと、ブルースはごそごそと懐を漁って小綺麗なロザリオを取り出した。
「俺が無事だったのは、神サマの加護かもしれねえな」
「はあ? ……てめぇ、聖ミゼリカ教徒だったのかよ?」
「んなわけねえだろ。盗品だよ」
タンジェの顔こそ、呆れに歪んだ。ブルースは悪びれることなく、
「でも、これが助かった要因だとすれば、聖ミゼリカ教徒は全員無事って理屈になるよなァ」
「聖ミゼリカ教徒……」
パーシィの顔が脳裏に浮かぶ。なるほど次の行き先としては悪くない。
「聖ミゼリカ教会に行ってくる」
「なんだい、慌ただしいねえ」
「てめぇと話してても得るものがなさそうだからな」
「おーい、助かったのがロザリオのおかげだって可能性、見つけたの俺だからな?」
恩着せがましい。面倒に思い無視した。