カンテラテンカ

きっと失われぬもの 6

 エスパルタの北部にある丘に、誰のものでもないオリーブの木が一本生えている。 
 そのオリーブの木に寄りかかり、黒曜が眠っていた。
 小高い丘には冷えた風が吹く。日当たりはいいが、これでは風邪を引く。
「黒曜」
 しゃがみこんで呼びかけると、黒曜の目元が震えて、すぐに開いた。
「タンジェリンか」
「こんなとこで寝たら風邪引くぞ」
「ん……」
 黒曜は軽く伸びをして、座り直した。
「いい国だ。……来るのは二度目だが」
「ああ。そういやそうだったか。ま、あのときは観光なんざできなかったろ」
 タンジェが復讐を志し、エスパルタを出るときのことだ。黒曜はある目的でエスパルタにいて、たまたまタンジェとともにベルベルントへ発った。当時はお互い初対面。思えばあのときからの付き合いか。
 タンジェはトゥロンを差し出した。
「食えよ」
「最後の一つのようだが」
「構やしねえよ」
 それでも黒曜が遠慮しようとするので、タンジェはトゥロンを半分に割った。片方を差し出すと、今度は黒曜は素直に受け取り、ぽり、と口に入れた。さっきまで、まるでまどろむようにゆらゆらしていたしっぽが、今は機嫌よさそうに立っている。風が二人の間を抜けていく。
 黒曜に奴隷の立場からどう逃れたのか尋ねることを一瞬、考えて、やめた。そんなことを聞くのは悪趣味だ。きっとこれからも、知る機会がないままでいいことだ。
 代わりにこう尋ねた。
「なんで止めた?」
「……」
「いや、責める気はねえ。最終的に、殺さないことを決めたのは俺だしな。ただ、どうしててめぇが俺の復讐を止める必要があった?」
「……」
 黒曜はトゥロンをぽりぽりと食みながら、しばらく黙っていた。
 やがて、
「夢の中で、加害者を、お前は迷わず殴りに行った」
 一瞬、何を言われているのか分からず、タンジェは黙った。
 少し思考を巡らせて、なるほどどうやらベルベルントに眠りの邪法がもたらされた、あの事件の際に、黒曜の夢の中に入ったことだと見当がついた。
 あの夢の中でタンジェは、確かに当たりもしない拳を加害者にぶつけていた。
「……ああ。そりゃあ、ムカついたからな。結果的には殴れなかったが。それが、どうした?」
「お前の心は、悪辣な人間を殴るようにできている」
「ああ……?」
「何かを殺し、終わらせるようには、できていない」
 黒曜は、タンジェに終わってほしくない、と言う。
 そして、タンジェの斧は人を活かすためのものだと。
「……」
 タンジェは息を吐いた。何となく、黒曜の言っていることが納得できてしまった。
 情けない。復讐を志しておいて、結局タンジェの精神構造は、何かを殺して、のうのうと生きていくようにはできていないのだ。
「タンジェリン」
「ん?」
「決めたのか」
「……」
 オーガへの復讐の話だ。
「……オーガどもが俺の村を襲ったのは、そもそも最初に俺の両親に雇われた冒険者がオーガを襲ったからなんだと」
 タンジェの言葉は、たぶん唐突だったと思うが、黒曜は黙って聞いていた。
「両親がなんで冒険者を雇ったかってのは……成長した俺、オーガの子を、オーガたちが取り戻しに来るんじゃねえかと心配したかららしい」
「……」
「それでオーガをぶっ殺して、その復讐にオーガに村を襲われた。それで今度は俺がオーガに復讐……」
 タンジェは晴れ渡った空を仰いだ。
「こんなのまるっきり逆恨みじゃねえか」
 そして、本音が出た。
「萎えるぜ……」
 コンシットを殺されたと、タンジェに反省を促すのだと息巻くトリカに、逆恨みだと文句を言えた義理ではない……というのが、何とも苦い気持ちになる。
「……火がぐずぐずにくすぶってるみてえな感じだ。俺はいつでもこの火を起こせるかもしれねえが、このままシケって火がつかなくなるかもしれねえとも思う」
「……」
「ただまあ、それは……持っとくぜ。心の中に、持っとく。逆恨みだろうがなんだろうが、親父やおふくろ、村の奴らを殺された事実は変わらねえ。そのことを忘れたくはねえからな」
 黒曜は聞きながら、トゥロンを食んでいる。元よりこちらを向いてはいない。
 タンジェは気にせず続けた。
「ただ、今はよ……時間をくれたみんなや、俺に『終わるな』っつう、黒曜に免じてやろうと思う。俺の斧は、人を活かすためのものなんだからな」
 その言葉をくれたとうの黒曜は、ごく淡白に答えた。
「そうだな」
 反応の薄さに、タンジェのほうに照れがくる。
 数瞬の沈黙。
「戦闘訓練は、もう、不要か?」
 タンジェはぱちぱちと数回目を瞬いてから、は、と笑った。
「いいや。まだ、もがくぜ」
 それから、先の照れを振り払うように、
「未来のことは分からねえが、少しでも、理想になりてえからな」
「理想?」
 タンジェの理想。
 黒曜のように、というのは、たぶん違う。黒曜のことは尊敬しているし憧れも羨む気持ちもあるが、タンジェはきっと、黒曜のようにはなれないし、ならない。
 黒曜だってそんなこと望んじゃいない。黒曜はタンジェがオーガを殺すのを止めたのだ。ラヒズを殺すのも引き受けた。タンジェが、終わってしまわないように。
 だからタンジェは、こう答えた。
「ムカつく奴をぶん殴れるように」
 黒曜はしばし黙り、やがて浅く頷いた。
「そうだな。殺意の瞬発力は、己の実力で決まる」
 澄ました顔で言う。悪夢の中で平気で人のいる屋敷に火を放った黒曜だ。説得力が違う。
 ともあれ同意は嬉しかった。
「黒曜、てめぇがいてくれりゃ、俺はどこまでも強くなれると思ってる。戦闘訓練も引き続き頼むぜ」
「……」
 黒曜は特に、何も言わなかった。その無言が否定的なニュアンスでないことはなんとなく分かったので、タンジェは気にしなかった。
 二人の間に沈黙が流れる。タンジェは食べ損ねた半分のトゥロンを口に入れて咀嚼した。
「黒曜、……ありがとよ」
 いろいろな意味を込めた、感謝の言葉だった。続けて、
「てめぇがいてくれりゃ、俺はどこまでも強くなれると思ってるんだ」
 黒曜は特に、何も言わなかった。その無言が否定的なニュアンスでないことはなんとなく分かったので、タンジェは気にしなかった。

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登場人物は男キャラ多数。
冒険者一行の連作短編です。


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