カンテラテンカ

きっと失われぬもの 7

 また、二人の間に沈黙が流れる。タンジェは日記を読んだことで食べ損ねていた、残り半分のトゥロンを口に入れて咀嚼した。アーモンドの歯応えを楽しんでいると、
「タンジェリン」
「あ?」
「見届けよう」
「あん?」
 黒曜は無表情の中にも、穏やかで落ち着いたニュアンスを滲ませて、タンジェを見た。
「返事だ。夢の中で聞いた言葉の。お前が強くなるのを見届けろ、と言った」
 タンジェは固まった。
 その言葉は……、夢が崩壊しかけていて、がらがらと世界が崩れる音がうるさくて、聞こえていなかったのでは? 現にタンジェのほうは黒曜の声が聞こえていなかったのだ。
 しかして黒曜は、
「聞かせる気はなかったか。だが、獣人の聴覚を侮ったな」
 なるほど、とタンジェは思った。スペックの差というわけだ。
 今の姿でのタンジェの五感はヒト並みだ。それに比べて、黒曜は獣人。獣人は五感が鋭敏なものだし、そうなれば黒曜の耳はあの轟音の中でもタンジェの声を聞き取れた。
 タンジェは瞬間、火がつくほどのものすごい羞恥に襲われた。

 いやだって、それが聞こえていたということは、つまり。
 聞こえていたのだ!! タンジェの「ぜんぜん嫌いじゃねえんだよ」が!!

「うおおおおおおおお!!」
 タンジェは自分がオーガになったときよりデカい声を上げて丘の上を転がった。純度の高い羞恥による。
 その発言だけじゃない。尊敬も憧れも、羨望も、タンジェにとっては特別な気持ちなのだ。情けなくて、かっこ悪い気持ちなのだ。ひけらかすものじゃない。冷静に考えると。
 ただ、唯一の救いは、黒曜がタンジェの「ぜんぜん嫌いじゃねえんだよ」が、恋慕とかそういうときめきに端を欲するものではない、ということをきちんと理解してくれているらしいことだった。いやそりゃそうだろ。それにしたって。
「ぐわあああああああ!!」
「すまない、困らせるつもりはなかった」
「困ってるわけじゃねえ!」
「そうか」
 タンジェはしばらくもんどりうっていたが、草まみれになってようやく落ち着き、諦め、のろのろと顔を上げた。
 逆光に佇む黒曜の口が、わずかに弧を描いた。そう見えた、だけかもしれない。
「タンジェリン」
 黒曜は言った。
「お前は俺に、眠ったままは許さない、と言った」
「……ああ」
「お前はお前自身が眠ったままで……それは、許せるのか?」
 タンジェは、いいや、と言った。
「到底、許せねえな」
「そうだ。お前はそういう奴だ」
 
 崩壊を始めた世界で、タンジェは――あの言葉が露と消えても、目覚めた先の現実世界ですべて忘れていても、それでいい、と思った。
 こんな感情は復讐の役には立たない。むしろたぶん、邪魔だと。
 けれど、黒曜の過去とともに置いていったはずの、黒曜への苛立ちも、好意も、尊敬も憧れも嫉妬も。すべて黒曜は拾い上げて、ここに持ってきてくれた。
 言葉は消えることはなかった。すべて忘れていることもなかった。
 そしてタンジェは、それを心から、よかったと思った。

 黒曜は立ち上がり、そろそろ戻ろう、と、タンジェに声をかけた。
「戻る? 『情熱の靴音亭』にか?」
「ベルベルントへ。星数えの夜会へ」
 ――ああ。
 もう、ここにいる必要はないのか。
 オーガとの決着を望まない今、タンジェは踏み出さなくてはならない。ベルベルントへの帰路を。

 タンジェは、立ち上がる。

 いつだって黒曜はタンジェの憧れだ。その背を追いかけているだけで強くなれる気がした。
 ――気のせいじゃない。
 時折、立ち止まってこちらを向く黒曜が、タンジェに言葉をかけるたび、タンジェは奮い立つ。一歩前へ、進む。
 だから、次のこの一歩だって、そうなのだ。
 タンジェはまた、少しだけ強くなる。
 踏み出したブーツの底が、故郷の土に跡をつけた。

 パーシィの言葉は、やつなりの気遣いだ。タンジェを元気づけようとしていた。
 アノニムとは相容れない。けれど、まだ何も終わっていないことを、気付かせてくれた。
 緑玉は今だって人間のことを恨んでいる。自然にあるべき感情は、否定しなくてもいい。
 サナギの優しさはタンジェに寄り添い、思考のための時間をくれる。
 そして黒曜は、強さを見届けてくれるのだ。タンジェが諦めない限りは。

 人を動かすのは、怒りや悲しみや憎しみだけじゃない。
 楽しいとか嬉しいとか、幸せとか、愛とか。そういうものを動力にして、人は生きられる。
 人じゃないタンジェも、人に育てられたから、人に愛されたから、きっとそうやって生きられる。

 タンジェの身体に流れる血が、人ならざるものだったとしても、そんなものはきっと、タンジェの本質を変えたりはしない。
 母の料理を食べ、父と共に木を切り、家族を愛し家族に愛され、ペケニヨ村の人びとと触れ合い支え合って生きてきたタンジェリン・タンゴが、血なんかでその在り方を、心を奪われ、失うなんてことは、ありはしないのだ。

【きっと失われぬもの 了】
<< 

プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
※BL風味です(明確な描写はありません)


このブログに掲載している小説はフィクションです。
実在する人物・組織・事件等とは一切関係ありません。
また、著作権はやまかしにあります。
このブログにある画像、文章の無断転載・AI学習はしないでください。


Copyright ©  -- カンテラテンカ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / powered by NINJA TOOLS /  /