テ・アモは言わずとも 1
入り口を見張る盗賊ギルドの幹部も、最近は顔パスだ。タンジェがベルベルントに来てから8ヶ月が経とうとしていた。
聖誕祭が終わってこっち、少しずつ落ち着きを取り戻していた街が、またにわかに浮つき始めている。理由は明白、バレンタインが近いからだ。
故郷エスパルタでは世話になった女に贈り物をする日だったが、ベルベルントでは少し趣が異なる。女から――別に男からでもいいが――気のある相手にチョコレートなどのプレゼントを贈る日だそうだ。
タンジェがこの盗賊ギルドに来た理由も、遡ればそのバレンタインに関することなのだが、今は割愛しておく。
奥の個室で相変わらず飲んだくれている師、ブルースに声をかけた。
「ブルース」
「ようタンジェ」
だいたいブルースはいつもテーブルに突っ伏して、酔い潰れて寝たふりをしている。これはヤツなりの処世術らしく、声をかけられるまでは周囲の気配を伺ったり聞き耳を立てたりして決して動かない。名を直接呼ぶものがあれば、こうして顔を上げる。
タンジェがブルースを訪ねるのは、技術のレクチャーを頼むときか、情報が欲しいときか、あるいは、
「なんか仕事ねぇか」
盗賊ギルドでできる仕事について尋ねるときである。
「仕事ねぇ」
ブルースは無精ヒゲをさすった。
少し前までは、タンジェがブルースからもらえる仕事なんて、盗賊ギルド運営に際して発生する買い出しや掃除といった雑事ばかりだった。盗賊ギルドに持ち込まれる仕事は大半が「汚い仕事」だ。そうでなければこんな薄暗く後ろ暗いところに依頼を持ち込む理由がない。ベルベルントにはたくさんの冒険者宿があり、質も料金もピンキリなので、表に出せるなら自分の予算に合った冒険者宿を選べばいい。
表に出せない理由はいくつかある。たとえば、殺しだ。タンジェは受けたことがない。というか、ブルースがタンジェに紹介しない。これは今もだ。別に"人殺しをさせたくない"とかそんな甘い理由じゃなく、単にタンジェの腕が信用されていないためである。
それでもようやく、タンジェでもできる簡単な仕事は回してもらえるようになっていて、たとえば荷運びの手伝い、金庫の警備、"縄張り"の見回りなどをごくたまに引き受けている。今日もなるべく割のいい仕事をもらいたかった。ブルースが口を開く。
「何でもいいか?」
「何でもいい」
即答で頷く。ブルースはテーブルの隅にあったにあった羊皮紙を引き寄せた。
「ちょうど、悪くねえのがあるぜ」
「本当かよ! 詳細を聞かせてくれ」
タンジェはブルースの向かいに座った。
「今の時期はバレンタインだろ。それで街が賑わってる」
「ああ……そうだな」
「それで売り買いされるものの中に、惚れ薬が紛れてるってんだ」
「惚れ薬ィ?」
拍子抜けした。ブルースは「おいおい」とタンジェを嗜める。
「馬鹿にしちゃいけねえよ。今までも惚れ薬なんてのはいくらでもあったが、どれもがキッチリ処分されてんだ。何故か分かるか? 危険だからだよ」
ブルースは熱弁した。
「考えてもみろ。国の要人なんかを骨抜きにしたら、戦争だっておっ始められる」
「なるほど……まあ、考えてみりゃそうかもしれねえな」
「人心操作に関する研究は規制も厳しいし、だいたい国の管理下よ」
「それなのに、なんで惚れ薬なんざ出回るんだ?」
ブルースが「そりゃ、簡単」と人差し指を突き出した。
「儲かるからよ」
「……まあ、儲かるだろうが」
「で、だ。そういうわけだから国も惚れ薬なんかの規制にはしっかり金をかける。つまり……これは国からの依頼なのさ」
「国から!? 盗賊ギルドに!?」
タンジェは思わず大声を出した。ブルースは咎めなかったが、突き出した人差し指を口元に持っていって「シー」と言った。
「別に珍しいことじゃねえよ。国から直接盗賊ギルドに下ろされる依頼は割とある。でも、だいたいは後ろ暗い仕事だ……だから表の冒険者宿には出さねえ」
「今回の依頼も後ろ暗いのかよ?」
「国から表立って依頼したら惚れ薬なんかが出回ってるのを公に認めることになるからな。国のイメージダウンだろ」
そういうもんか、と言うと「国はだいたい、表に出したくねえもんは盗賊ギルドに放り込めばいいと思ってるからな」とブルースがぼやいた。
「まあ、金払いは確実だし割もいい。今回のはかなりいい仕事だと思うね」
「で、結局、その惚れ薬とやらを見つけて、売ってるヤツをぶん殴ればいいのか?」
「おっちゃんな、脳筋は盗賊に向いてねえと思うんだ……」
そんなのタンジェが一番よく分かっている。
「まあ、惚れ薬を見つけるところまでは合ってる。そしたら作ってるヤツを何としてでも捕縛しろ。で、国に引き渡す」
「なるほどな……」
盗賊というのは、だいたいそこまで対人戦闘が得意ではない。だからこんないい依頼が残っているのだ。暗殺術には長けていても、取っ組み合いになったら力負けする盗賊は多いだろう――その点で言えば、馬鹿力が売りのタンジェに向いている仕事と言える。暴れる人間を取り押さえるのは得意分野だ。
「分かった。受けるぜ」
「よし。じゃあ事前情報だが、まず……惚れ薬は、どうやらチョコレートに紛れているらしい」
「チョコを売ってるところを片っ端から見ていくしかねえか……」
「足を使うのも盗賊の仕事だぜ。ましてや冒険者なんだから情報収集は得意だろ」
本来、冒険者パーティにおける盗賊役というのは情報収集の担い手でもある。ところがタンジェは別に適性があって盗賊になったわけではないので、情報収集ものみならず交渉など口を使う仕事は基本的に不得手だった。
しかし師にそう言われてしまったら仕方がない。それに依頼は受けると言った、やるしかない。
「そもそも、惚れ薬が出回ってるなんてどう判明したんだよ?」
「噂だよ、若い子たちの。どっかに惚れ薬入りのチョコが売ってるってな」
「噂で動いてんのか、国」
「噂でも無視できないんだよ、国」
だから盗賊ギルドに依頼下ろしてんの、と言われれば、それもそうかという気もしてくる。
つまり、チョコを買っている若い奴らから話を聞けば噂の手がかりもあるか。タンジェは立ち上がった。
「よろしく頼むぜ、タンジェ。捕縛したら一度盗賊ギルドに連れてきな。俺から国に引き渡してやる」
「分かった」
立ち去ろうとすると、話だけして何も注文しなかったことが気に食わないのか、カウンターのバーテンがジトリとこちらを見ている。盗賊ギルドもボランティアで成り立っているわけではない。とはいえ、タンジェの拠点はここではないので、ここが万が一潰れてもさほど困りはしないのだが……今後も盗賊役として長い付き合いになるだろう。ここを拠点としているヤツらに悪印象を持たれるとやりづらい。
仕方なく「ブルースに」と告げて安酒を一杯注文した。