カンテラテンカ

神降ろしの里<前編> 5

 タンジェは船に乗ったことはない。故郷ペケニヨ村近くの川や池でボートに乗ったことくらいはあるが、こんな大きな船は見るのすら初めてだった。
「こんなデカいもんが水に浮くのか」
 船に乗り込みながら呟くと、サナギが「浮力があるからね」と答えた。
「ものには密度というものがあって、水に沈むかどうかはそれが密接に関係している。木は密度が水よりも小さいから、沈む力よりも浮き上がろうとする力のほうが強いんだよ」
 経験として、木が浮くこと自体はなんとなく知っていた。説明されてもいまいちピンとこないが、タンジェは「なるほどな」と返事をした。
 もっとも、とサナギは続ける。
「浮かぶ理屈があったって、事故があれば船は沈む。俺たちも船上のことを手伝いながら、救命用の浮き輪なんかの位置を確認した方がいいね」
「冒険者ってのは意外と慎重派だねえ」
 指示ついでに、たまたま近くを通りかかったアビーがこちらの話に口を挟んだ。
「きちんとアタイから緊急時の手順をレクチャーするさ。何かが起きてから教えるんじゃ遅いからね!」
 と、胸を叩くので、その言葉には甘えることにする。出航の準備が整うまでの時間に、アビーから緊急時の対応について叩き込まれた。
 誰がどの対応をすることになってもおかしくはない。冒険者であるタンジェたちにとって、緊急時の心構えをするなんてのは慣れたものだ。今回は慣れない船上であるため普段よりさらに緊張感があったが、それに輪をかけて、らけるはずっと緊張した面持ちだった。

 やがて、にわかに船上が騒がしくなり、出航が近づく。

 タンジェたちは船着き場からアビゲイル号が離れていくのをデッキで見届けた。
 太平倭国への航路は実に14日におよぶ。二週間も海の上、というのは変な感じだ。
 タンジェたちは寝泊まりするのにあてがわれた船室へと引っ込んだ。
 アビゲイル号は客船ではなく貨物船であるため、船室には限りがある。男を7人も追加で乗せるのだから、十中八九、用意されたのは貨物室だろう、と思っていたが、予想に反してきちんと船室を貸し与えてくれた。感謝するべきだろう。
 船室はアビゲイル号の中央近くにあり、サナギによれば「船は中央がもっとも揺れない」らしい。
 それでも陸よりはるかに揺れた。最初は船内の廊下を歩くにもよろける始末で、壁に手をつかなければまっすぐ歩けもしなかったが、慣れてくればなんてことはない、ちょっと足場が悪いだけの床の上だ。
 一同、ほとんどのメンバーが、時期の差こそあれ船旅に適応したが、航海が3日を過ぎても緑玉は気分が優れないようだった。顔色が悪い緑玉はほとんど常に備え付けのベッドに横になっていて、サナギが甲斐甲斐しく世話を焼いてやっていた。サナギは「緑玉のことは俺に任せて、自由に過ごしなね」と言っていたし、船室に籠っていても特にすることはないから、タンジェはデッキに出ることにする。
 すれ違いざまに数人の水夫が元気よくあいさつをしてくるのに、タンジェも短く返事をする。馴れ馴れしいのは嫌いなのだが、水夫たちは冒険者たちに不要な干渉もせず爽やかで、タンジェとしては好印象であった。アビーも船上の仕事で忙しいらしく、わざわざ冒険者たちに構うこともない。仕事人だということが分かり、彼女に対しても初対面ほどの苦手意識はなくなっていた。

 今日は天気がいい。デッキではらけるが海鳥を眺めていて、タンジェに気付くとぶんぶんと手を振った。無視することもできず、仕方なく隣に立って海を眺める。
「サナギと緑玉、仲良いんだね」
 らけるが急にそんなことを言った。
 エスパルタで、緑玉が朝遅いサナギに朝食を残してやって、サナギがそれに礼を言ったことがあった。その折にも思ったのだが、緑玉が特別、サナギのことを考えて配慮しているとか、そういうことを感じたことはない。今回も、サナギが緑玉に特別な思い入れがあって看病に名乗りを上げたという印象はなかった。だが……、初めて行動を共にするらけるまでこう言い出すということは、単にタンジェが彼らの『特別』に気付いていないだけの可能性が出てきた。
 タンジェは少し苦い、難しい顔をした。らけるが「なんだよその顔ー!」と笑う。
「パーティってみんな仲良くていいよな」
 ひとしきり笑ったあとのらけるがそんなことを言う。
「あ? なんだよそれ」
「友達以上、家族未満って感じ?」
「全員が全員、仲良いってわけじゃねえ。仲が良いからパーティを組んでるってわけでもねえしな。俺たちは……パーティ組もうってときに、たまたまそこにいた6人で組んだってだけだ」
 そうじゃなかったら、戦士役志望がかち合って決闘なんて羽目にはなっていない。
 タンジェは未だにアノニムのことは小憎たらしいし、緑玉のことは何も分からないし、パーシィを奇人変人の類だと思っている。
 らけるが首を傾げた。
「でも、一緒に寝泊まりしたりできるってことはさあ、嫌いあってはいないってことだろ? 仲良くないのに一緒に生活するなんてきついし、無理だし」
「寝泊まりするのに好きも嫌いもあるかよ。必要なのは、⁠後ろから刺さねえっていう信頼だろ」
 らけるは目をぱちぱちと瞬かせたあと、はぁーと感嘆の息を漏らして、
「なるほどなあ」
 と何度か首肯した。
「な、なんだよ」
 急に恥ずかしくなってきたタンジェは、らけるを横目で睨む。らけるが「タンジェ、何赤くなってんの!」とからかうので、ますます睨む目に力を込めた。
 話変わるけどさ、とらけるはまるで気にしていない様子で言った。それで睥睨の行き場を失う。
「翠玉さんって美人じゃね?」
 本当に宣言通り話が変わったので、タンジェは一瞬、らけるが何を言ってるのか分からなかった。翠玉? 緑玉の双子の姉だ。翠玉とはほとんど会話をしたこともないので、タンジェは彼女のことを緑玉以上によく知らなかった。
 タンジェはひとの美醜に頓着はないが、客観的に見て、まあ、確かに顔は整っているだろう。双子の弟の緑玉が美形であるからして、姉の翠玉も同様に秀麗でも別におかしくはない。
「それがどうした?」
「翠玉さん優しいしスタイルもいいし素敵だよな!」
「だから、それがどうした?」
 らけるは海の向こうを眺めてぽつんと言った。
「翠玉さん彼氏いるのかな……」
 ここまでくれば、さすがに鈍いタンジェでも分かった。らけるは翠玉に惚れているらしい。
「いや、てめぇは元の世界に帰る気なんだろ?」
「そうなんだよ! うわー、やっぱ告白してくればよかった!」
 らけるは頭を抱えた。頭を抱えたいのはタンジェのほうである。
「……あのな。この世界から消えるかもしれねえやつに告白されても困るだろうが、よく考えろ」
「そうかな……? どうせ脈無しだし言ってきたほうが未練なくてよくね……?」
「てめぇの都合で他人を振り回すなよ」
「翠玉さん、黒曜と付き合ってんのかな?」
「?」
 タンジェの思考が停止した。
「……?」
 らけるの顔を凝視するタンジェに、気付いているのかいないのか、
「いつも一緒にいるじゃん? 緑玉は弟だから分かるけどさ、黒曜と翠玉さん、よく食事してるし」
「あ、ああ……?」
 確かに黒曜、緑玉、翠玉は三人でよく食事や歓談をしている。それは故郷が同じで、特別な信頼関係があり、お互いがお互いの身を案じているからだ。黒曜の過去を見てきたタンジェなら分かる。そうでなくとも、名前の雰囲気、獣人であること、衣服や装飾から、同郷であることくらいは察して然るべきだろう。い、いや、同郷であることを理解したうえで、そこからさらに踏み込んで、"同郷なら恋仲もありえる"、という思考の発展をしたのだろうか?
 いやしかし、そう……なるか!? そういう思考になるものなのか!? 普通!?
 そもそもそこが付き合ってたら緑玉は何なんだよ、そこ三人でいたら気まずすぎるだろうが。
 というか、まず前提として黒曜と付き合ってるのは俺なんだよ!
 ――タンジェの脳裏に言いたいことがごちゃごちゃと頭を回るが、いったん全部飲み込んだ。
 特に最後! らけるに言ったらめんどくさいことになりそうだ。絶対に言う気はない。ついでに言えば、パーティメンバーにも言っていない。隠しているというわけではないが、わざわざ言うことでもないだろうと思っている。
 ともあれ、黒曜と翠玉が付き合っているのではという盛大な勘違いは正しておいてやったほうがいいだろう。黒曜と翠玉のためにも。
「……そこの二人は兄妹みてえなもんだ。恋人ってことはねえ」
「そうなんだ!? タンジェ、夜会の人間関係詳しいの?」
「詳しくはねえが……てめぇよりは知ってる。もっと知りたいなら、娘さんあたりが把握してんじゃねえか」
 それも、てめぇが元の世界に帰りゃ関係ねえことだがな、と俺は付け加えた。
「そうだよなあ」
 らけるは気のない返事をして、また手すりに寄りかかって海の向こうを見た。
 海鳥が鳴いている。

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