神降ろしの里<後編> 6
「てめぇ、ラヒズ――」
「汚らしい悪魔がァーッ!!」
タンジェが怒鳴り込む前にパーシィが叫んで突進していったので、さすがにタンジェのほうが出遅れた。
一瞬の迷いもなくメイスを振り被ったパーシィがラヒズにそれを叩き込む――すんでのところで、黒いぐにゃぐにゃしたものがそれを阻んでいた。
「落ち着いてくださいパーシィくん。久しぶりのご挨拶もまだじゃあないですか」
「<ホーリーライト>ッ!!」
パーシィの指先に光が灯り、瞬時に弾ける。さすがに受け流せなかったのか、ラヒズは明確に回避動作をした。パーシィからたっぷり距離をとると、
「怖い怖い」
ラヒズが軽く手首を回す。金属の擦れる音がして、中空に広がる闇から鎖が飛び出し、それがパーシィを地面に叩き付けた。
「パーシィ!」
アノニムは鎖が着弾する数秒前には反応して駆け寄っていたが、間に合わない。鎖で地面に縫いつけられたパーシィにタンジェたち全員が駆けつけ、武器を構える。
「困りましたねえ……ここでは戦う気はなかったんですが」
やれやれ、といった様相で首を横に振るラヒズ。タンジェとアノニムが同時に踏み出して、ラヒズとの間合いを詰めようと駆けた。
大きな音を立てて鎖が張り巡らされ、かわす間にラヒズとの距離が開く。タンジェは舌打ちした。
「鎖が邪魔だな……!」
「てめえが化け物になりゃあぶち破れるだろ」
アノニムがこちらを見ずに言い放った。確かに前回ラヒズに拘束された際、オーガに変じたタンジェは鎖をぶち破った。それを覚えていたらしい。アノニムは他人への関心が非常に薄いので、少し意外には思ったが、
「あれ以降なってねえからな……! なれるか分からねえよ……!」
「チッ、使えねえ」
「んだと!?」
アノニムに嚙み付こうとしたが、アノニムはタンジェを見てもいない。そうだ、アノニムとやり合ってる場合ではない。
鎖を器用に搔い潜った黒曜と緑玉が左右に展開して各々の武器を振るった。ラヒズはそれらは回避しなかったが、黒いぐにゃぐにゃしたものがラヒズを庇って攻撃を受け流す。
縦横無尽に駆け回る鎖をなんとか回避するために、タンジェたちはかなりラヒズから距離を取らなければならなかった。攻めあぐねる。その様子をラヒズはにこにこと見守っていた。
そのラヒズが不意に顔を上げたかと思うと、ばらばらに張り巡らされた鎖が解け、一瞬でラヒズの元に集まった。その鎖の塊に、草陰から斬りかかる影がある。
しゃりんと涼しげな音が鳴り、鞘から剣が抜かれた。月下に閃く青白い刃が金色の瞳を照らしている――ラケルタだった。
「ラケルタ!?」
ラケルタは薄ら寒気すらするほどの白刃をもった剣を携え、ラヒズの動く鎖と何度か刃を打ち合った。ラケルタが鎖を引き受けているうちに自由になったアノニムが迷わずラヒズに駆け寄っていく。まっすぐ棍棒で殴りつけようとしたアノニムに、黒いぐにゃぐにゃしたものがまとわりつき、アノニムはそれをウザったそうに払った。
「参りましたね」
ラヒズが自在に操る鎖には、数に上限があるのかもしれない。そうでなければ、ラケルタの防御とこちらへの牽制を同時に行えるはずだ。
ラケルタへの防御に鎖を割いている今がチャンスである。斧を構えてアノニムとは別の方向からラヒズの懐へ駆け込んでいく。黒いぐにゃぐにゃしたものが躍り出てタンジェの視界を塞いだ。
「タンジェ、やめて」
黒いぐにゃぐにゃしたものから、両親の声がする。
「うるせぇ!」
タンジェは迷わず両断した。偽物だと分かっているのだから、躊躇う理由はない。
ぶっつりと二つに分かれた黒いものだったが、そもそも不定形の存在らしく、特にダメージもなさうに動き回っている。タンジェは舌打ちした。
ラヒズに視線を移すと、いつの間にかラケルタとの鍔迫り合いからは引いたようで、はるか上、木の太い枝に立っていた。
「やれやれ、野蛮な方々ですね」
「説明しろ、なんでてめぇがここにいる!」
タンジェが叫ぶと、
「説明する前に攻撃してきたのはあなた方じゃありませんか」
と肩を竦めた。
「そもそも、私が先にここにいて、あなた方が後から来たわけで。何故あなた方がここに、というのは、こちらのセリフです」
「神降ろしに来た」
ラケルタが剣を構えたまま言う。
「仏のふりをして村人を山へ連れ去っていたのは貴様だな?」
「あなたは初めましてですね。ラヒズと申します。お見知りおきを。質問の答えですが、はい、その通りです」
あっさり認めたラヒズは続ける。
「ここで戦う気はなかったと言ったじゃないですか。私はここでバカンスを楽しんでいたのですよ」
「バカンスだぁ……!?」
「要するにのんびり休憩していたんです」
「それが村人を山へ連れ去っていたのと何の関係があるんだよ!」
「タンジェくん、鈍いですねえ。ほら、パーシィくんはもう察してますよ」
その言葉にパーシィを見やると、もう身体を縫いとめる鎖はないというのに、パーシィは地面に臥していて、真っ青な顔でラヒズを見上げている。パーシィは図太いやつなので、顔色を変えるのも珍しい。訝しく思いながら、タンジェはまたラヒズを睨みつけた。
「どういうことだよ……? きちんとイチから説明しやがれ!」
「カンバラの里の神降ろし……死者に会えるという触れ込みの祭りですが、そんなことはありえないとあなた方だって知っていたはずです」
ラヒズは月明かりの下、木の枝の上、鬱蒼と茂る葉にその身を半分隠したまま、語り始めた。
「ですが、なかなか面白い話です。私はこの山に住むシェイプシフターたちに、ヒトの心を読む能力を与えました。シェイプシフターというのはこの子たちのことですよ。変身能力を持った妖魔です。これまではただこの山に暮らす、特に害のない存在でしたね」
黒いぐにゃぐにゃしたものが自己を主張するように伸び縮みする。
「ヒトの心を読み、死者の情報を得て、死者に変身し、ヒトを山へ連れ去ってくる。この5日間で山に消えた人々に関しては、全部私とシェイプシフターたちの仕業です」
「その連れ去った人たちをどうしたの?」
銃を構え、ラヒズに向けた状態でやつを睨むサナギ。
「食べました」
ラヒズは何てことのない声色で言った。
「う……おぇ……!」
呻き声を上げてパーシィが嘔吐した。確かに衝撃的な内容ではあったが、パーシィはデリカシーも倫理観も今一つ欠けているようなやつなので、むしろダメージなんか大したことなさそうなものだが……。もっとも、何が誰の地雷かなんてのは分かりようもない。少なくともパーシィにとっては相当、気持ちのよくない話だったようだ。
いつの間にかアノニムが、ラヒズとパーシィの間に立っていて、ラヒズのことを睨み上げている。ラヒズからの追撃はなさそうだが、警戒する気持ちは分かった。
「食い殺したのか」
「そうとしか言えません。そうなのですから。バカンスと言ったでしょう。ご馳走を食べてゆっくり休み、気分良くなっていただけです。人間だってそういう贅沢、するでしょう? おっと、人間は一人もいませんでしたね」
安い煽りのあと、今日と明日の二日間が過ぎれば移動する予定でしたよ、とラヒズは続けた。
「もっとも、人の味を覚えたシェイプシフターたちが今後もカンバラの里を襲わないとは限りませんが」
「責任もって連れてけよ!」
「シェイプシフターたちのふるさとはここですよ? ここから引き離すなんて気の毒なこと、私にはとてもとても……」
と、ラヒズは片手で顔を覆い、首を横に振った。泣いているわけはないだろう。芝居じみた同情に、タンジェは「くだらねえ」と吐き捨てた。
「タンジェ、このシェイプシフターたちをどこへ連れていったとしても、こいつらは人を食い殺すんだ」
サナギが背後から声をかけてくる。
「今ここで退治するしかない」
人の味を覚えたクマは殺すしかない。妖魔だろうと同じ。タンジェは納得し、浅く頷いた。ラヒズは人のいい笑みを浮かべたまま、軽く首を傾げる。
「では、私への用は終わりですね。お先に失礼します」
「ふざけんな! てめぇもここでぶっ飛ばす!」
吠えるが、ラヒズは木の上からくつくつと笑い、
「タンジェくんは元気がいいですねえ。たいへん良いことです」
……完全に小馬鹿にされている。
だが実際、木の上のラヒズに斧を振るうことはできない。不意打ちでナイフを投げるか――そう考えて、話をしながら自然な動作に見えるようにそっとナイフを提げた腰に手を添える。
それに気づいていたのかどうかは分からないが、真っ先に動いたのはサナギだった。すでにその手に持っていた拳銃をラヒズに向け、発砲する。目にも見えない速さの弾丸を、ラヒズはまるで平気な顔で、顔を傾けるだけでかわした。
間髪入れずに引き抜いたナイフをラヒズに投擲した。ナイフはラヒズが顔を傾けた先にまっすぐに飛んでいく。
「!」
それでもラヒズはそれを甘んじて受け入れはしなかった。顔面に突き立つはずだったナイフを身体ごと捻って回避する。それでもタンジェのナイフはラヒズの頬をかすって木々の奥へと消えていった。