分水嶺 6
- 2023/09/19 (Tue)
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しっかり汗を流し、ほどよく疲れたところで、夜会の食堂に戻る。食堂は夕食をとりにきた一般客でにぎわっていて、その中にパーシィやアノニム、緑玉やその双子の姉・翠玉の姿もあった。翠玉はパーティメンバーではないが、黒曜と同郷らしく、緑玉も加えた3人でよく食事などを共にしている。
黒曜一行は基本的に依頼時以外にくっついていることは少なく、みんなめいめい、好きな席に座って勝手に食事をしたり、買い物をしたり、タンジェのように特訓をしたりして、余暇を過ごしている。パーシィとアノニムは仲がいいらしく、一緒に食事をとる姿を見かけることも多いが、逆に言えばその程度だ。
タンジェは一人で食事をとることがほとんどなので、だいたいカウンター席に座る。盛況の中に運よくぽつんとあいている席がありタンジェはそこに腰かけた。くるくると働いていた娘さんがすぐに注文を取りにくる。タンジェは短く、
「パンとシチューを頼む」
「はーい。すぐにお持ちしますね!」
星数えの夜会には、だいたいシチューが大鍋で用意されている。わざわざニンジンが星の形にくり抜かれた『星数えシチュー』だ。手間だろうに何故わざわざそんなことをするのかと尋ねたことがあるが「こうするとウチの名物っぽいから」との回答だった。抜き型を使っているのでそこまで手間はかけていないらしい。これがまた結構うまくて、タンジェは気に入っていた。安価でうまい、それにすぐ出てくる。非の打ち所がない。
間もなく器に盛られたアツアツのシチューと夜会で焼かれたパンが出てくる。
いただきます、と言ってからパンをシチューに浸してかぶりつけば、この半年間で幾度となく食べて馴染み深くなりつつある味が口いっぱいに広がり、訓練の疲れも癒されるようだ。
瞬く間に食べ終えて「ごちそうさん」と親父さんと娘さんに声をかける。食器を片付けようとすると、娘さんが「私の仕事ですよ」と笑った。
星数えの夜会には共同ではあるが風呂場がある。ベルベルントの地下にははるか昔に作られたという下水道があり、近隣には豊かな水源もあるうえ、上水道も整備されていて、水回りに困ることはまずない。都市全体もかなり清潔だ。
タンジェは特別きれい好きなたちではないが、一日の終わりには風呂に入りたいくらいの衛生観念はあるので本当にありがたい。今日もさっぱり汗を流した。
風呂から上がって身体を拭き、着替えを終える。脱衣所にノックがあり応じると、サナギであった。
「やあタンジェ、きみだったか。お風呂、今上がったの?」
「おう」
タンジェは少し意外に思いながらも頷いた。サナギがこんな時間に風呂に用があるとは思えなかった。サナギは夜が遅く、普段は風呂も一番最後に入っているようだから。
タンジェが訝しげに見ているのに気付いたのか、
「ああ、タオルを取りに来たんだよ」
「……タオル?」
「薬品をこぼしちゃって」
サナギは薬品を作ったり混ぜ合わせたり、よくいろいろな実験をやっている。レンキンジュツだと言っていたが、タンジェにはさっぱり分からない領域の話だ。今回のもどうやら錬金術とやらに使う薬をこぼしたということらしい。大して興味もなかったので「そうかよ」と雑な返事をした。
「タンジェはもう寝るの?」
「ストレッチしたら寝る」
「きみの生活習慣は本当に健康的だねぇ」
サナギの言うとおり、タンジェはかなり健康志向で、規則正しい生活を心がけている。もちろん依頼の都合でそういうわけにいかないこともあるが、イレギュラーの際に体調を崩さないための健康資本は、こういった日々の積み重ねにあるはずだ。
「てめぇもさっさと寝ろ。明日は早いだろ」
「分かってる分かってる」
言って、タオルを抱えて去って行ったが、さて本当に分かっているのやら。サナギは頭のいいやつなのだが、どうもどこか抜けているところがある気もする。
ほどなく寝る支度を整え、自室に戻り、タンジェはベッドに潜り込んだ。
冒険者にとっては、安全な寝床、ふかふかの布団、来るのが保証された朝……どれも貴重で大事なものだ。
もっともそれは、ほんの半年前まではタンジェにとってただの日常だったが――。
★・・・・
燃えている。
村が、燃えている。
タンジェにとってただの日常であったはずのそれが、破壊され、蹂躙され、めちゃくちゃになって、そこにある。
タンジェは雄叫びを上げて、緑肌の巨躯に向かっていった。だが、木を切るための手斧なんか簡単に弾かれて、ちょっと突き飛ばされただけでタンジェの身体は丸めた紙くずを放るみたいに吹き飛んだ。
オーガ。
タンジェの村を襲った巨躯の群れ。
隣の家の爺さんを。婆さんを。村長を。私塾の先生を。医者を。医者の手伝いを。家畜小屋の夫婦を。教会の神父を。命乞いをする親子を。
父を。母を。
引き裂いて貪り食うそいつらを。
絶対に、殺してやる。
そう、誓った。
★・・・・
目が覚めた。
故郷の夢だ。実際に半年前に滅ぼされた、タンジェのふるさと。エスパルタ国にあるペケニヨ村という小さな村だ。
ほとんど、皆殺しだった。なんでタンジェが生き残れたのかは知れない。どうでもよかった。結果として、タンジェは、生き残った。
そして拾ったこの命は、目の前で村を、村の人々を、タンジェの両親を蹂躙してのけたあのオーガどもに復讐するためにあるのだと、タンジェは信じている。
そのためにタンジェは戦う技術を、力を手に入れる必要がある。だからタンジェは冒険者になったのだ。ただの木こりであったタンジェが、オーガどもを殺す力を求めて。
この夢はたまに見る。不快に思う気持ちはあったが、それがタンジェのメンタルに影を落とすかといえば、そうでもない。頭はしんと冷え、だが胸と腹の間あたりがぐっと熱くなり、心は怒りでいっぱいになる。タンジェはこの夢を見るたび決意を新たにする。復讐のために強くなる。それにはまず、依頼と実戦をこなすことだ。
タンジェは起き上がり、今の時間を確かめた。ロッグ村への出発時刻にはじゅうぶん間に合っている。軽くストレッチをして身支度を整え、階下に下りた。
タンジェの朝は早いが、親父さんはそれよりもっと早い。より細かい朝の身支度、朝食などを済ませていればほどなく黒曜を皮切りにメンバーが集まり始め、一同は予定通り、滞りなくロッグ村へ出発した。いや、細かく言えば、朝に弱いサナギが案の定――昨晩タンジェがあれだけ言ったにも関わらず――ぎりぎりの起床だったり、パーシィがすでに携帯食料を食い尽くしかけていたりと問題自体はあったのだが、全体の依頼の進行には影響がなかった、という意味だ。
サナギが先に言っていたとおり、馬車に2時間揺られて、ロッグ村への中継地点、山の麓の小さな町ファスに到着。ファス山の深くにある山村の一つが目的地のロッグ村だ。ファスの町では食堂に入って軽食をとり数十分ほど休憩した。それからすぐにファス山へ登る。山道はそれなりに整っており、危険な野生動物との遭遇はなく、順調であったと言える。ただサナギの目算よりはやや遅れて――とうのサナギがへろへろになって登山のスピードが落ちたからである――1時間と20分程度で到着した。