堕天使の望郷 5
それから1年半ほどで、マリスは天寿を全うした。
へリーン村の人々総出での葬儀は、慎ましく、厳粛でありながらも、パーシィを含めたみんながマリスの旅立ちを快く見送った。
へリーン村に留まってもよかったし、マリスの死がきっかけ、というわけでもないのだが、パーシィは旅に出ることにした。
何の旅かと言われたら、説明は難しい。一言で言うならば「巡教だ」とでも言おうか。
言葉通りの巡教では、たぶんない。パーシィは人々に神の道を説いたりはしないし、教え導くような気もない。
ただパーシィは、きっとこの世界にある様々な豊穣が見たいと思った。天使の力を借りない、自然の豊穣を。それはきっと、本当に美しいから。
ジョシュを含めた村人たち全員が、俺の旅立ちをもまた、快く見送ってくれた。
これが今でも思い出せる、堕天使パーシィの過去と誕生だ。
そのあとはいろいろな場所を巡り、ベルベルントに辿り着いた。そこからは――ほかの機会の回想に譲るとしよう。
未だにパーシィは、間違うこともある。
パーシィは神やマリスのように美しく、慈悲深くなりきることはできない。それはパーシィの咎であり、罪なのだろう。
それでも堕天してなお、主たる神への忠誠と思慕は依然としてある。
この世界におけるパーシィは『聖ミゼリカ教』に属する者だ。もちろんかつて信仰される側にいたのと立場は違う。パーシィは今ではそれを信仰し、力の行使を乞う側である。
それでも祈りで、聖なる力はもたらされる。
愛と豊穣、美しいもの。罪と咎と罰。そして信仰――重ね合わせて歩んでいくしかない。
だが悲観はしていない。だって何もかもを失ったわけではない。マリスが、ヘリーン村の人々がくれた小さな灯火は、パーシィの中に煌々と灯っている。パーシィのことを知らずとも、何も聞かずに隣を歩んでくれる仲間たちにも出会えた。
少しずつ、また罪を重ね、愛を積み、咎を認め、豊穣を慈しみ、罰を受け、そして――美しいものに出会っていく。
それが堕天使パーシィの人生だ。