Over Night - High Roller 5
「裏」
リカルドとサナギが同時に言った。
「……賭けにならないな」
こちらも茶を飲みながらパーシィがぼやく。珍しく正しいことを言ったな、とタンジェは思う。
イザベラが手を離せば、確かに裏を向いたコインがあった。リカルドはテーブルからサナギのほうへ身を乗り出す。
「……分かっていたな?」
「なんのこと?」
サナギはすっとぼけた顔をした。なんだなんだとタンジェとパーシィが動向を見守る。リカルドはあくまで真剣な面持ちでサナギを問い詰めた。
「俺のは勘だ。だが、お前のは違う。お前はコインが裏だと分かっていた」
タンジェとパーシィは顔を見合わせて、それからサナギを見た。サナギはそうだね、と今度は首肯した。
「分かっていたよ」
「……」
リカルドは腕を組み、また椅子にもたれかかった。
「……」
しばらく黙ってサナギのことを見つめていたが、やがて、
「イカサマをした」
「うん」
サナギは笑っている。
状況が呑み込めないタンジェは、肘で隣のパーシィの脇をつついた。
「あんなシンプルな賭けにイカサマもクソもあるかよ?」
「さあ……俺には何も」
小声で言い合い、パーシィも首を横に振る。少なくともタンジェが見ている範囲ではサナギは本当に何もしていない。
リカルドはタンジェたちのほうに目こそ向けたが、会話も聞こえていたのだろう、すぐ無関係だと悟り、視線をサナギに戻した。
「……」
沈黙。たぶん、考えているのだろう。サナギのイカサマの正体を、だ。賭けが成立しなかったことより、サナギのイカサマを見抜けないことに納得がいかないらしい。しばらくまたサナギを観察していたが、
「お前はこの宿に入ってきてからいっさい不審な動きはしていない」
言った。
「となると、何か仕込むなら宿の外。ここに来る前からだ」
「やるねぇ。そこまで分かるもの?」
サナギが笑う。蚊帳の外ではあるが、タンジェもなんとなくサナギの言動を思い返す。宿に来る前のこと……。だが、何にも思い至らなかった。サナギは特別なことを何もしていない、と思う。
「……何をした?」
ようやく、絞り出すようにリカルドが尋ねた。事実上の降参である。サナギはそれをからかいも嘲りもせず、にこやかに、
「感覚過敏の薬を飲んでる。要するにドーピングだよ。コインもスローモーションに見える」
「ど……」
リカルドは一瞬目を見開いたあと、渋い顔になって顔を手で覆った
「ドーピング……!? こんな賭けに、ドーピングを仕込んできたのか!?」
「うん。正直、空気に触れるだけでも肌が痛い。けっこうやせ我慢しているよ」
「バカなヤツ!」
リカルドは小さく笑っているのかもしれない。顔は見えなかったが、肩と声が少しだけ震えている。
「薬なんざ……いつの間に?」
思わず俺が呟くと、サナギは「ほら、上着取りに行ったときだよ」と答えた。
「先に言っとけよ……!」
「きみたちの所作からバレちゃうじゃない?」
ぐうの音も出ない。
「なるほどな、お前がどんなことをしてでも俺に条件を呑ませる覚悟だったのは分かった」
顔を上げたリカルドがやれやれといったように肩を竦めた。
「だが、お前のドーピングがあれば俺の協力なんていらないんじゃないのか?」
「もちろん俺はこれでシャルマンに行くつもりだよ。でも、あんまり他人には飲ませたくないんだ」
「おい、危険な薬なのか?」
タンジェの質問にはサナギは愛想笑いをした。呆れる。
それからサナギはタンジェとパーシィを指し、
「リカルド、こちらのタンジェかパーシィどちらかと、あるいは両方と組んで、彼らを勝たせてほしいんだ」
「…….」
リカルドはサナギの指し示した先の2人を見ていたが、
「まあ、いいだろう。突っ立ってるだけで勝たせてやる」
余計なことはするな、の意味なのかもしれない。言い方にムッとしないではなかったが、ことギャンブルにおいては確かにタンジェはド素人だ。大人しくリカルドの言うことを聞いておいたほうがいいだろう。
「いいか、俺はディーラーとしてシャルマンに潜入する。だが、どの卓を――要するに、どのゲームを――担当することになるかは分からない。お前らのほうから俺のいる卓を探してそこにつけ。お前ら、ゲームのルールは?」
「簡単なものなら。ブラックジャック程度の……」
堪えたのはパーシィで、タンジェのほうは、
「ギャンブルなんざ興味ねえんだ。何も分からねえよ」
「……」
リカルドが黙ってしまった。
「まあまあ、初心者にゲームを教えるのも楽しいものですよ」
横でイザベラが笑う。
「それに、『突っ立ってるだけで勝たせてやる』のでしょう?」
「……」
苦い顔になるリカルドに、口元に手を当ててたおやかに微笑んだイザベラは、
「シャルマンに並んでいるゲームならだいたい分かります。私がルールを教えておきますよ。リカルドはシャルマンへ向かってください」
リカルドはため息をつき、「任せた」と言った。それから緩慢に立ち上がり、宿の奥へと引っ込んでいった。身支度を整えてからシャルマンに向かうのだろう。
イザベラの申し出はタンジェたちにとってもありがたかった。イカサマはリカルドに一任するとはいえ、さすがに何の知識もなしに挑める場所ではないはずだ。
少し疲れたから休むね、と言って、サナギはイザベラに許可を取り壁際のソファに横になった。ドーピングのせいだろう。サナギは虚弱ではないが、頑丈さは人並みだ。無茶をしたな、とタンジェは思う。ただ発話は明瞭だったし、顔色も悪くはなかったから、放っておくことにした。もともとタンジェは仲間たちへの干渉は必要最低限だ。
それより今は、イザベラにゲームルールをレクチャーしてもらうことだ。タンジェとパーシィはイザベラが促すままに席に着く。