Over Night - High Roller 10
シャルマンの裏口付近は、炎から逃れようと逃げ惑う人で大混乱だ。
シャルマンとオークション会場は大して長くもない渡り廊下で繋がれただけの、ごく近距離にある。火がシャルマンに燃え移るのも時間の問題だ。そもそもパーシィはシャルマンの中にいるのか? タンジェが顔を上げて黒曜に意見を聞こうとしたとき、
「絶景ですねぇ」
何度も聞いた小憎たらしい声がした。黒曜と一緒に振り返れば、テントの建てられた広場の隅に、横顔が炎に照らされたラヒズがいる。
「やあ、こんばんは。よく会いますねぇ」
「やっぱりてめぇか、ラヒズ!」
パーシィが「悪魔の気配」だと言った時点で心当たりは奴しかいなかったが、実際に会うとやはり怒りが勝つ。
「緑玉を攫ったのはてめぇの指図だな!?」
「実は、それは関係ないんですよ。彼を攫ったのは信者たちの勝手な判断でして」
「信者たち?」
黒曜が油断なく青龍刀を構えたまま、ラヒズに尋ねる。タンジェも構えたかったが、斧はない。もどかしく思いつつ、とりあえず殴れるように構えだけ取る。ラヒズはタンジェのそのさまをにこにこと見守っていたが、
「ええ。つい先日、ヤーラーダタ教団――私のほうで管理している新興宗教ですが――そちらでシャルマンを乗っ取らせていただいてまして」
確か、ラヒズは『新興宗教の宣教師』だったか。だが、
「……そんなことに何の意味がある」
「ちょっとヒトの欲望やらいろいろ欲しくてですね」
ラヒズは何てこともないように答えた。
「賭け事はいい、ヒトの負の感情が如実に出ますからね。まあそれはいいんです」
「そうだな、んなことはどうでもいい。てめぇはここでぶっ飛ばす!」
タンジェが駆け出そうとしたが、黒曜が腕で制止した。やむを得ず立ち止まる。その手をどけろとタンジェが黒曜を睨むが、黒曜はタンジェを見てもいない。
「パーシィはどうした」
「ああ、彼なら――」
ラヒズは右腕の袖を捲り上げた。大きく火傷痕のようなものがある。
「私に不意打ちで聖なる力を喰らわせてきましたね。さすがに不意打ちは卑怯では? あのひと本当に元天使ですか?」
「今さら不意打ちくらいでゴタゴタ言うんじゃねえよ。カンバラの里でも俺に喰らっただろうが」
「あれはいい不意打ち、これは悪い不意打ちです」
不意打ちにいいも悪いもあるかよ、とタンジェは吐き捨てた。元より悪魔の感性なんか知ったことではないが。
ラヒズは袖を下ろす。
「さすがに追撃は回避して、衆人環視のもとだったのであとは信者の黒服たちにお任せしたのですが……どうなりましたかね。黒服には強力な麻痺の呪文をあたえていますから」
「強力な麻痺の呪文。……それで緑玉も?」
「そういうことになるでしょうね」
ラヒズは肩を竦めた。
どっちにしろ、そもそも信者とやらに好き勝手させたラヒズのせいだ。聞きたいことはもうない。タンジェは黒曜を押しのけて前に出ようとしたが、
「タンジェ!」
後ろから声がかかって、しぶしぶ振り返った。炎のテントを背にしてよろけたパーシィがこちらに近付いてきている。
「パーシィ! てめぇを探してたんだ。黒服は?」
「火が回って俺どころじゃない」
パーシィは足を引きずっていた。麻痺がまだ残っているようだ。テントの火は強くなるばかり。……パーシィをここから逃がすなら、もう離れたほうがいい。
「……ちっ!」
タンジェは舌打ちして、パーシィに肩を貸した。
「黒曜、もうここにはいられねえ。火が!」
「分かっている。やむを得まい」
黒曜はそれでもラヒズを警戒していたが、
「ああよかった、右腕が動かないのでここでの戦闘は避けたかったんですよ。いや本当に、右腕が動かないので。誰かさんの不意打ちで」
「おいパーシィ、もう一発喰らわせてやれ」
パーシィが聖なる力の一撃を与えようとその指先に力を籠める前に、
「それではまた会いましょうね、星数えの夜会ご一行」
と、ラヒズは踵を返して立ち去る。
「俺たちも早めに離れるぞ」
「くそ、痺れさえなければもう一発くらい……それにしてもなんで火が……」
指先を下ろしたパーシィが掠れた声で言うものの、黒曜は無言で聞き流した。
タンジェたちは手早くその場から離れる。オークション会場からシャルマンに火が燃え移れば、天高く燃え上がるのは一瞬だった。夜会まで走る道中、大規模な火消し隊とすれ違う。明日の朝に消火できているかも怪しい。
せめてこれ以上、燃え広がらなければいいが……。
それと、放火犯が黒曜たちだとバレるのも避けたい。
リカルドは無事に逃げられただろうか。
無関係な人々への被害はどの程度だろう?
考えることが多い。だが、今はどうしようもない。ぼんやりと闇に伸びる炎を背に、3人は星数えの夜会へと帰った。
★・・・・
星数えの夜会に来たリカルドに、サナギが報酬を渡している。
「悪いね、散々な目に遭わせて」
「いや」
リカルドは注文したコーヒーを飲みながら、スカした態度で言った。
「タンジェリンを勝たせたということは、俺はディーラーとしてはあそこでかなり負けていた」
「……おう」
「燃えたおかげで、俺の悪い評判は立ちようもなくなったな」
「……」
そういうことを気にするタイプだったらしい。なのにイカサマの依頼を受けたのだ。感謝するべきだろう。
「まあ無事に逃げられていてよかったよ」
「本業は冒険者だ、異常事態の身の振り方は心得ている」
それもそうか、とサナギは言った。
「ありがとう。お疲れさま。大勝ちしたぶんのチップは当たり前だけど燃え落ちてしまったし、俺から出せる分はこれだけなんだ」
それでも結構重さのありそうな金貨袋を差し出す。リカルドはそれを手元に引き寄せて中身を簡単に確認すると、
「確かに受け取った」
と言って頷いた。
「また午前3時の娯楽亭にも遊びに行くよ」
「……ドーピングは出禁にするか……」
「あはは!」
サナギはからっと笑った。リカルドもニヤリと口端を上げて、そのまま金貨袋を持って夜会を出て行った。
緑玉もパーシィも、麻痺についてはそう長く続くものでもないらしく、回復は順調だった。
緑玉は麻痺させられたあと何らかの魔法で昏睡状態にあったようだが、翌日になれば目を覚ましたし、片足を引き摺っていたパーシィも夜会に戻る頃にはかろうじて自立できるようになっていた。
「迷惑かけた……」
緑玉が気まずそうな顔をしている。だが、一番迷惑を被ったのは当の緑玉だろう。タンジェもパーシィも、黒曜も翠玉も、首を横に振った。
「怖かったね」
まるで子供をあやすように、サナギが緑玉に言う。言い方に苦言を呈そうかタンジェが迷っている間、緑玉は黙っていたが、
「…………うん」
やがて、ほんの小さな声で、肯定した。
人間に故郷を奪われ、奴隷として暮らし、今でも人間嫌いの緑玉の気持ちを考えると――緑玉はタンジェなんかの同情は望まないだろうが――いたたまれなくなる。とはいえかける言葉はない。タンジェはサナギが緑玉の頭を撫でるのを黙って眺めていた。
そういえば長いこと留守にしていたアノニムだが、こちらは特に大きなトラブルというわけではなかったようだ。単に個人で依頼を請け負っていただけとのことである。
タンジェたちが昨晩、夜会に帰ってきたときにはすでに帰宅していて、タンジェがパーシィに肩を貸しているのを見ると不機嫌そうな顔になった。
「俺がいればその場の全員殺してやったのによ」
そんな大量殺戮をされたらたまったもんじゃない。事情も分からないままのアノニムにパーシィが、
「そうだな、きみがいたらもう少し話が早かったかも」
と言っていたが、アノニムがいたら話なんかややこしくなるだけだろう。ラヒズは……ぶちのめせたかもしれないが。