暗中ディスカバー 2
アントロッドの森北西部。アントロッド遺跡の周囲は大雨に見舞われていた。
発掘調査拠点として猟師小屋を借りていた一同は、しばらくそこに縫い付けられてしまった。発掘作業開始から4日目。トレンチ――地中にある遺跡の性質を判断するために掘られる溝――をようやくある程度、掘り終えたところだった。
大雨は朝から続き、昼になってもまったくやむ気配はない。
「そんなこともあるさ」
と、件のトキ・ツーマッハはのんびりとコーヒーを飲んでいる。タンジェは普段コーヒーなんてものを飲まないのだが、トキに振る舞われたので仕方なく受け取った。味の良し悪しに敏感なほうではないものの、単純に悪くないと思えるコーヒーであった。
「でもトレンチ? だったか……あの溝、埋まっちまうんじゃねえのか」
雨で周囲の土が軟らかくなるだろう。それがトレンチに流れ込むことを案じたタンジェが尋ねると、トキは、
「もともと発掘調査では、年代の違う土を取り除くもの。新たに入った軟らかい土くらい、なんてことないさ」
言葉通り、なんてことはなさそうに笑った。
そう言われてそういうもんかと頷けるのは、とうのトキが土にまみれながら率先してトレンチを掘っていたからだ。これで彼が指示をするだけの依頼主だったら、印象はかなり違うだろう。
それにトレンチを掘ること自体、黙々とやれて嫌いではなかった。特に初期段階の今は、ざっくり広範囲を掘るのがメインで力仕事だったし、貢献できたと思う。以降は遺物とやらを見つけ出し次第、スコップやスプーンで周囲の土を削る地道な作業だそうだが……。もっとも、これができなければ盗賊役と胸を張れはしないだろう。
「本当に丁寧に仕事をしてくれて助かっているよ」
「冒険者として当然のことですが……痛み入ります」
丁寧に恐縮しているサナギだがその笑顔が愛想笑いでなく本心からくるものであることはなんとなくわかる。「ファン」らしいので。
そこからサナギとトキが雨が上がってからの予定を話し始めたので、会話から外れてタンジェは立ち上がった。コーヒーを飲み干しカラになったコーヒーマグを洗うためだ。キッチンに行くと、機嫌の悪そうな緑玉といつも通りの無表情の黒曜がいた。そういえばリビングで顔を見かけなかったか。
「何してんだ」
タンジェが問うと、
「明日、追加で冒険者来るって話。本当に無理だって、黒曜に言った」
緑玉の言葉に、そういやそうらしいな、とタンジェは適当に応じた。トキは天候に限らず、この頃合いで作業に遅れが出ることは見越していて、あらかじめ冒険者パーティをもう一組呼んでいると言っていたのだった。その冒険者が明日の朝に合流するらしい。
「依頼人がそうするっつってんだから、仕方ねえだろ」
「……分かってるよ」
すんなり理解を示すので、緑玉の意図がよく分からず、タンジェは妙な顔になった。緑玉のことは理論派だと思うのだが、考えていることはぜんぜん分からない。タンジェが理論派でないからなのか、単に緑玉の思考が難解だからなのかは知れない。
「……明日から合流したら、あと9日間は一緒に寝泊まりというわけでしょ」
「この小屋は13人が生活するようにはできていない。どちらかのパーティがテントを張って外で寝泊まりする」
淡々と言った黒曜に対し、緑玉はそっぽを向いて、
「……そう。だったら新参が外で寝ればいいけどね」
もともと人間嫌いな緑玉のことだ。明日、どんなパーティが合流するのかは知らないが、知らないやつらが6人も追加で来るというのは確かに落ち着かないだろう。タンジェも残念ながら社交的なほうではないので、気持ちは多少、分かるつもりだ。分かったところでどうということもないが。
タンジェはあらかじめ井戸から汲み上げていた水瓶から使う量だけの水を柄杓で掬い、コーヒーマグを洗って水切りカゴに置いた。
リビングに戻ると、トキとサナギの話はいつの間にかお互いの来歴に変わっている。興味はなかったがすることもなかったので、タンジェはリビングの質素なテーブルに頬杖をついて話を聞き流す態勢になった。あまり真剣に聞くつもりはないものの、耳に入ってくる情報をによれば、トキはもともと各地の遺跡を発掘して回るはぐれ学者だった。はぐれ学者、要するにどこの団体にも所属していない、一人で活動する学者だ。それでいろいろあって、今の『墓穴の標亭』に腰を落ち着けた、と。
「あなたの宿にも、ほかに冒険者がいるんだろう?」
ソファ――複数のクッションにより即席で作られたもの――でアノニムと一緒にだらだらしていたパーシィが顔を上げて会話に参加した。
トキは頷き、
「ああ。頼りになる仲間たちがいる。ただ、私たちはきみたちとは違って固定メンバーでパーティを組んでいるというわけじゃない」
「どういうことだい? パーティというのは基本、固定メンバーでは?」
というパーシィの疑問に答えたのはサナギで、
「そういうわけでもないよ。6人の役職が必ず揃っている必要も、本来ならないんだし。あくまで統計から算出された生存率から、6人パーティが推奨されるというだけで」
「私たち『墓標亭』のメンバーは、それぞれの役職担当が複数人いてな。その時々に都合がいいメンバーで臨機応変にパーティを組むんだよ。私はリーダーをやることが多いかな」
「ということは、今も冒険に行かず待機しているフリーの冒険者がいるわけだよな?」
パーシィは首を傾げた。
「最初に聞きたかった質問に戻るのだが。この遺跡発掘の依頼は、あなたの宿の冒険者たちでは不足だったのか?」
なるほどそれは気になる話だ。タンジェが黙って会話の行く先を見守っていると、トキは実に爽やかに笑って、
「彼らは、壊すので」
単純明快な返答をした。もっとも、それに関してはタンジェが苦い顔をしたのと、パーシィがアノニムに視線を向けて首を傾げたくらいには、こちらも自信がない。今のところはトレンチを掘っただけで、不要な破壊はしていないはずだが……。
「ははは! 心配しなくても、まだしばらくは穴を掘るだけだ。遺物や遺構が発掘されれば、そこからもう少し繊細な作業になるが……苦手なことは言ってくれれば、無理にやらせたりしない」
タンジェとパーシィの様子に気付いたトキがそう言うので、タンジェはひとまず安心した。
雨はまだやみそうにない。今日は一日、降り続けるのかもしれない。トキは冒険者にとって手持ち無沙汰なこの空き時間を、この遺跡に伝わる伝説を語ることで埋めた。その伝説というのは、こういったものであった――。
――曰く。かつてこのアントロッドの地で、異端とされ十字架にかけられた聖ミゼリカ教の聖人アンセリオは、死の直前にこう予言した。「自分の死の直後、落雷があり、それによってこの十字架は黄金に変じる」。
そして見守る信者たちに「その黄金を溶かしてロザリオにし、信仰のしるしとして貧しい人々に与えよ」と告げた。
アンセリオ殉教ののち、予言のとおり激しい落雷があり、アンセリオが磔にされた十字架は黄金へと変じた。
ところが時の権力者グリドリトスは、黄金を貧しい人々に分け与えることを良しとしなかった。グリドリトスは黄金を独占し、黄金の一部を一つのロザリオに、残り全てを装飾品に変え、自身を着飾った。
しかしほどなく激しい落雷があり、雷に打たれたグリドリトスの姿は、黄金のロザリオを除いてすべて石に変わってしまった。
天罰を恐れた人々はアントロッドに遺跡を建て、強欲を戒めた。
『アントロッドの黄金の聖印』として伝わる話である。この伝説はもはやおとぎ話となり、人々に贅沢を控えるよう啓蒙するものとして残っている。
暗中ディスカバー 1
冒険者への依頼というのは多岐に渡る。
メジャーなもので言えば妖魔退治だったり、商隊などの護衛だったり。タンジェたち黒曜一行が先日受けた大熊ノワケ退治においては、相手は妖魔ではなく獣であったが、害獣退治だって少なくない依頼だ。それから人・ペット探し、変わり種では殺人事件の解決への助力なんていう、調査がメインになる依頼もある。はたまた大掃除の手伝いや道具屋の店番など、人々の日常に根ざす些細な仕事だって持ち込まれることがある。
依頼頻度の多寡でだけ見れば、今回の依頼はマイナー寄りだと言えるだろう。黒曜一行は、遺跡発掘の手伝いを引き受けていた。
ことは5日前。星数えの夜会の掲示板に貼られた依頼書を二度見したサナギは、すぐさまそれをはぎ取り、黒曜の前に差し出した。黒曜は一行の実力に見合わない依頼は決して受けない男だったが、今回の依頼書には「丁寧な仕事をしてくれるなら素人でも可」との記載があり、戦闘などの危険は少なく、報酬も悪くない、と、条件が良かった。唯一の欠点は拘束時間が長いことで、実に二週間近くを依頼人と過ごすことになる。
「何言ってるの!」
拘束時間が長い点を緑玉に指摘されたサナギは大声を出した。とはいえ咎めている様子ではなく、むしろはしゃいだ調子だった。サナギはその声量のまま続けた。
「依頼主はトキ・ツーマッハだよ!? 『墓穴の標亭』の!」
「誰だよ……」
と、横でタンジェが呟くと、サナギがぐるりとこちらを向いたので、余計なことを言った、とタンジェは直感した。サナギはタンジェに詰め寄るように身を乗り出すと、
「ご存じない!?」
「ご、ご存じねえよ」
「『墓穴の標亭』といえば、お酒と冷製料理がおいしい宿だけど……あそこの真の名物は"怪談話"さ!」
普段通りの饒舌さに興奮を乗せて語り始める。
「俺もたまに行くんだよ。墓穴の標亭――通称『墓標亭』は、俺たちの星数えの夜会と同様、冒険者宿なんだけれど。所属冒険者の中に『語り部』がいるんだ。要するに、ストーリーテリングをするテラーだね。『墓標』から『死』や『恐怖』を連想して、語り部が得意とする物語りもだいたいは怪談話さ。トキ・ツーマッハはその中でも抜群に話がうまい!」
俺は彼のファンなんだよ、とサナギが目を輝かせるのを、一同はごく落ち着いた――ともすれば冷めた――態度で受け止めている。
「そのトキ・ツーマッハさんは、語り部で冒険者なのに、何故こんな依頼を?」
と、まともなことを尋ねたのはパーシィで、サナギは今度はそちらに向くと、こう即答した。
「彼は本業は考古学・民俗学を専門にする学者なのさ。だから彼の怪談も実に文化的で、おもしろいんだよ」
「はあ。そういう冒険者もいるんだな」
どうやらパーシィは考古学だの民俗学だのにピンとこないらしく――タンジェだって学術の内容はまったく知らない――雑な感想を返した。
とにかくさ、とサナギは黒曜に、
「彼と話せる機会が2週間もなんて、素敵な話さ! ぜひ受けようよ。少なくとも、今の俺たちの手に負えないような依頼じゃないはずだ」
改めてこの依頼を強く推した。
鏡裡を砕く 6
日はとっくに落ちていてずいぶん暗い。街灯の少ない裏路地だからなおさらだ。しかし月があるから真っ暗闇を手探りで進むというほどでもない。問題なく帰れるだろう。
戦闘訓練をサボってしまった形になる。黒曜はああ言っていたが、あるいは戦闘訓練に現れないタンジェを探しに来たのだろうか?
……聞くのはやめた。黒曜は「偶然だ」と言ったのだ。だったらそれが真実だ。
二人で並んで、黙って夜道を歩く。
タンジェもおしゃべりではない、沈黙に耐えられなかった、というわけではないのだが、
「……てめぇが壊したあの鏡は……」
なんとなく、さっきの状況を説明したほうがいいのかもしれないと思って口を開いた。
「<罪の鏡>とやらで……罪が、映るらしいぜ」
黒曜は黙って聞いている。言っているうちに、説明するならば見えたもののことも白状しなければならないことに気付いた。脳裏にちらつく、砕けたタンジェの鏡像。
「見えたか? 俺の罪が、あれだってこった」
その事実は、普段ならばタンジェを奮起させたかもしれない。生来の負けず嫌いは、自分の未熟さを痛感するたびに鎌首をもたげて、タンジェを立ち上がらせてきた。
けれども今回の件は、自覚しているよりずっと、タンジェをヘコませたらしい。
弱音を吐く気はなかった。しかし黙っているのもいたたまれず、場を紛らわすように、タンジェの口から出たのは、
「……情けねえ」
だった。
「弱い俺をぶっ殺したかったが……、できなかった。あれを殺したのはてめぇだ」
「……」
「悔しいだろうが……! 俺が殺せねえ弱い俺を、てめぇはこんなに簡単に殺してみせやがる」
一瞬の間。やがて黒曜の静かな声が、まるで独り言みたいにこう呟く。
「人は生まれ変われない。過去はやり直せない。結果なんか見えはしない」
だが、と。
「もがくのが無意味なら、俺はお前の戦闘訓練を引き受けてはいない」
黒曜の石のような瞳が、つい、と、タンジェを向いて、
「強くなることだ。自分が弱いと思う暇もないくらいに。……お前ならそれができるだろう?」
人は生まれ変われないから。過去はやり直せないから。結果は見えはしないから。
だから今、無様だってもがくしかないのだ。
見えない結果だとて、それでも不確かな未来を、ほんの少しでも確かにするために。
黒曜の言葉は別に、期待でもないし、希望でもない。タンジェを鼓舞する意図もない。黒曜は、ただ、タンジェの言動へ『感想』を、言っただけだ。
けれどもその言葉は、タンジェの心の深いところに、静かに沈んでいった。
強くなるための道は黒曜が示してくれる。それは戦闘訓練で、あるいは依頼の実戦で。
思えば黒曜は、タンジェが盗賊役だとて、戦闘の際にタンジェを後方支援へ下がらせたことは一度だってなかった。
心臓が熱くなる。
黒曜の言葉が、タンジェの心の深いところからタンジェの心の臓を燃やして、たちまちタンジェの全身に血を、活力を巡らせる。
「……はっ」
タンジェはたまらず、笑った。
「そうだな。今は無様だって……強くなるために、もがくしかねえんだ」
黒曜はこんなにも容易く、タンジェの胸裡を砕く。
だが礼は言わない。素直にありがとうが言えるような性分ではないのである。
タンジェが強くなることが、今日言えなかった礼の代わりになるだろう。
タンジェが怒りをくべて燃やす復讐の炎。その火元にある、「強くなりたい」という、ただひたすらに抱く、強さへの渇望。
弱いことは罪だろうか? ペケニヨ村の人々が蹂躙されたのは、弱者という罪人であったためだろうか?
違う。
弱いことは罪ではない。弱さを嘆き、身の丈に合わない強さを求めたとき、人は弱さの罪を負う。
過去のタンジェの弱さは、タンジェのことをいつでも罪人にし得る。
だが、罪を逃れたいのではない。贖いたいのでもない。謝罪などいっとう無意味だ。
ただ復讐のために、弱い自分を殺すために、タンジェは、強くなる。それしかない。がむしゃらに、強くなるしか。
やがて立ち向かえる。
タンジェは、弱い自分を、今度こそきっと、自分自身で打ち砕くのだ。
鏡裡を砕く 5
窓がないから風もない。なのに灯ったランプの火が揺らめき、落ちた影が歪む。
視線が、離せない。タンジェの目の前で、ぼんやり霞んで映っていたおぼろげなタンジェの像がゆらりと動く。
タンジェは椅子に縛られたまま動いていない。
なのに鏡の像が、摂理に反してゆっくりと立ち上がった。ゆらゆらと揺れるそれは、立ち上がってもやはりタンジェの姿に違いない。
「……!」
息を呑む。タンジェの視線の先で、あいまいな輪郭が明瞭になっていく。まるで鏡から靄を消し去ったかのように、突然それはタンジェの視界に飛び込んできた。
――血まみれのタンジェだった。
タンジェは、それだけで、すべて理解した。
顔、髪、服についた夥しい量の血、そのほとんどは、他人の血だ。父の血で、母の血で、村の人々の血だ。
タンジェの罪は、ペケニヨ村の人々がオーガに蹂躙されるのを、ただ見ているしかできなかったことだ。
そしてこの<罪の鏡>で、初めて分かったこともある――血まみれのタンジェは、顔を歪め、本当に、無様で、情けない顔をしていた。
タンジェの罪は何より「弱かったこと」に他ならないのだ。
「……、ち、……くしょおッ……!」
こんな八つ当たりみたいな逆恨みで、自分の弱さが暴かれたことが、悔しい。
目の前で顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうな、弱っちい自分をぶん殴れないことが、悔しい。
何より今すぐロープをぶち破ってめちゃくちゃに暴れることすらできない今の自分が、この頃の自分と何が違うのかと突き付けられたことが、悔しかった。
これが本当に<罪の鏡>とやらだとして、それが映すものはコンシットではないだろうことを、タンジェは最初から知っていた。
なのにこうして直面したとき、タンジェは何の抵抗もできない。でも、ただ屈して負けたくはない。
どうすればいい。今の俺に、何ができる? ……。
――混迷するタンジェの目の前で、血まみれの、弱いタンジェが粉々に砕け散った。
「――」
砕けた鏡裡が、床に落ちる。ランプに揺られてちらちらと光るそれを、じゃり、と踏む黒衣。
弱いタンジェの代わりに、気配の一つもさせずにそこに立っていたのは、黒曜だった。
タンジェの鏡映ごと<罪の鏡>を叩き割った黒曜は、タンジェのほうをちらと見て、一歩でタンジェに歩み寄り青龍刀を閃かせた。
椅子とタンジェを縛り付けていたロープが切り落とされて、タンジェはようやく自由になる。
「――っは、」
力が入らないなりに立とうとするが、うまくいかない。
黒曜はタンジェの腕を掴んでぐいと引き寄せた。それでなんとか立ち上がり、二、三歩よろけて、タンジェは黒曜の胸に飛び込むはめになった。
「おわ!」
思わず飛びのき、またよろめく。
黒曜がいったん椅子に座るよう促したので、タンジェは仕方なく座り込んだ。
「……身体の自由を奪う魔術だろう」
「……」
「じきに治る」
そういえば、路地でトリカと対面したときに彼女が叫んだ言葉は、魔術師が使う呪文のような感じだった。
あの手に持っていたのがその呪文を放つためのいわゆる「スクロール」ってやつだったのかもしれない。おそらくこの状況に持ち込むためにあらかじめ用意していたのだ。
でも、そんな答え合わせに大して意味はない。
タンジェは尋ねた。
「……なんでここに?」
「偶然だ」
「そうか……」
確かに黒曜が言ったとおり、話している側からだんだん身体が動くようになってきた気がする。
はっとタンジェは顔を上げた。
「トリカは?」
黒曜は無表情のまま、少し肩を竦めた。タンジェは眉を上げる。
トリカがいたであろう椅子の後ろに視線を向ければ、トリカは床に倒れ伏していた。
「……」
なるほど、鏡をぶち破るより先に、黒曜が気絶させていたらしい。
わざわざ起こす意味もない。もう関わり合いになりたくなかった。黒曜に気絶させられたことで、懲りてくれればいいが。
「目を覚ます前に、出てったほうがよさそうだな……」
なんとか動けそうだ。タンジェは立ち上がる。
黒曜の先導についていき、部屋から出た。
タンジェが監禁されたのは路地裏の廃屋の地下で、ほどなく外にも出られた。
鏡裡を砕く 4
おぼろげな視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
ぼんやりした頭も同時に少しずつ覚醒し、タンジェはようやく目覚めた。
「……っ、なんだ、何が起きた……!?」
声は思ったより掠れていて、ほとんど呻き声だった。周囲を確認しようとすれば、自分が身体の自由を奪われていることに気付く。タンジェは椅子に座らされ、椅子の背もたれごと後ろ手に拘束され、ご丁寧に足も椅子の脚にロープで括られていた。
「……、……!?」
肝は据わっているほうだ、恐怖はなかったが、何が起きたのかという動揺はさすがに抱く。落ち着け、とタンジェは自分に言い聞かせた。
おそらくタンジェはあの女に騙されたのだ。ニセの悲鳴は、周囲のひと気のなさやタイミングを見るに、明らかにタンジェをおびき寄せるために発されたものだ。ノコノコ現れたタンジェに、あの女は……何をした? 本のようなものを開いて、何かを叫んでいた。
タンジェは周囲を見回す。室内だ。窓はないが、明かりはふんだんに用意されていて暗くはない。
椅子に縛り付けられたタンジェの目の前には、布のかかった大きな何かがある。縦はタンジェが立ったときの身長より大きく、横幅はタンジェの3倍はありそうだ。
――ちっ、何だってんだよ。
何をされたのか、何をされるのか、そもそも誰が何の目的でこんなことをしているのかは知らないが、タンジェは単純にイライラした。
普段の怪力さえ発揮できればこんなロープをぶち破ることなど容易い。が、昏倒したときのあの痺れた感覚がまだ全身に残っていて、力が入らなかった。
「起きたみたいね」
声が聞こえた。タンジェは人の声を一度で覚えられるほど他人に興味はないが、状況から考えれば間違いなくタンジェを謀ったあの女だろう。
声は背後からで、そちらに出入り口もあるのかもしれない。視界をほとんど制限されているタンジェには与り知れないことだ。
足音が背後から回って、タンジェの前に来た。バンダナにエプロン姿の、ごく一般的な市民といういでたちの女だった。確かに倒れる前の一瞬、タンジェが見たあの女である。
「なんなんだよ……、てめぇは」
掠れた声で尋ね、思いきり睨む。女は、
「名前? 名前はね、トリカ。骨董屋を最近継いだばかり。歳は24よ」
「んなことは聞いてねぇ……!」
トリカは腕を組んで、首を傾げた。
「何をされたのか。これから何をされるのか。なぜ、こんなことになっているのか。それが知りたいってわけ?」
「分かってんなら、……とっとと言いやがれ……クソ女ッ」
この状況下でも、タンジェの口はすこぶる悪い。トリカは顔を歪めてタンジェを見下す。
「コンシットの名を聞けば、思うところはあるわね?」
「……あ……?」
思いも寄らないやつの名前が出てきて、タンジェは眉を寄せた。
「私の恋人よ」
「……」
さすがのタンジェも、先は察せられた。同時にこれがこの女による明確な"逆恨み"であることも察した。要するにトリカは、
「あなたがコンシットの誘いを断らなければ、コンシットが依頼先で死ぬことはなかった。そうね?」
タンジェがコンシットのパーティに参加しなかったために、コンシットのパーティの戦力が足りず、それがコンシットを死に追いやったと思い込んでいるのだ。
「知らねえよ……」
タンジェは呆れ半分で吐き捨てた。もう話すのもかったるい。いざというときのために体力を温存しておくべきか、だとすれば無理に話す必要もないのかもしれない。
トリカはまったく意にも介していないらしく、
「コンシットは、立派な冒険者になったら私を迎えに来てくれるって約束してくれたの。あんな小汚い骨董屋、継ぐ必要ないんだって。私、嬉しかった……。コンシットが立派になるのをいつまでも待つつもりだった」
1ミリも興味がない。もう少し身体が、あるいは口が自由に動けば、暴れるなり文句を言うなりできるのだが。
「それをあなたが台無しにしたのは、ちゃんと自覚をもって?」
早く話終わらねえかな、と思いながら、タンジェは虚空を眺めている。
「あのね、私はあなたを殺そうとか、そういうつもりはないの。ただ反省してほしいだけ。分かる?」
「反省だと……?」
トリカは、タンジェの目の前にあった大きなものから布を取り去った。
布の下にあったのは豪奢な鏡である。巨大な姿見は、かつては美しかったであろう細かな細工のくすんだゴールドに縁どられていて、とうの鏡面もまるでモヤでもかかったかのように曇っていた。目の前に座っているタンジェの姿が、かろうじてぼんやりと映る。
「この鏡はね、うちの骨董屋にあったものなの。<罪の鏡>というらしいわ」
「……」
「名前のとおりよ。この鏡には、その人の<罪>が映るの」
「俺の、罪……」
「この鏡にはきっとコンシットが映るはずよ」
トリカは言った。
「彼の姿を見て、深く反省して、謝罪してほしいの。私が望んでるのはそれだけ」
「……」
そして、ゆっくりとタンジェの背後に回ったようだった。
静寂が、部屋を満たす。
プロフィール
一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
中世洋風のファンタジー。
登場人物は男キャラ多数。
冒険者一行の連作短編です。
このブログに掲載している小説はフィクションです。
実在する人物・組織・事件等とは一切関係ありません。
また、著作権はやまかしにあります。
このブログにある画像、文章の無断転載・AI学習はしないでください。