NEMESIS 5
昼前にもなると、タンジェの手際もなかなかのものだった。たまたま配架のついでに例の禁書庫の前を通る。普通に通り過ぎようとして、立ち止まった。二度見する。禁書庫の扉が細く開いていた。
「あ……?」
ほんの僅かに、だが確かに。
シルファニのような司書が何らかの理由で入室しているのかもしれない。入るな、と言われた、そしてタンジェは頷いた。……気にはなるが、入る必要はない。
ブックトラックに配架の本がないか確認するため、禁書庫に背を向ける。すると、向かいの本棚の間からこんな声が聞こえてきた。
「マイラ! どこなの! マイラー!」
……女の声だ。静かな図書館で声を張り上げている。迷子らしい。
広い図書館だから、そういうこともあるかもしれない。だが、……タンジェは背後にある禁書庫を見た。細く開かれた扉。まさか……?
「マイラ、お願い、返事して! マイラ!」
子供が禁書庫に入り込んだ可能性に思い至る。――余計なお世話だ、司書たちに任せればいい。タンジェは与えられた自分の仕事だけすればいい。そう思ったのに、確認せずにはいられなかった。
禁書庫の細く開いた扉に手をかけ、静かに開ける。
「おい、誰かいるのか?」
声をかけた。
中にいた者が振り返る。薄暗闇の中で、扉から入ったこちら側の光に僅かに目を細めたのは――ラヒズだった。
「――は?」
目が合って、思わず声が出る。ラヒズは「おやおや」と言った。
「こんなところで会うとは奇遇ですねえ」
「何してんだてめぇ!」
こいつ、マジで俺たちを尾けてるんじゃねえのか、とタンジェが疑う程度には、本当に縁がある。もちろんさっさと切りたい縁だ。
だが、なんでラヒズがここにいるかはこの際どうでもいい。どうせ問い詰めてもたまたまとか言い出すだろう。問題はやつのいる場所だ。ここは呪いの本があるという禁書庫である。絶対にろくなことにならない!
「何、と言われましても。借りた本を返しに来ただけですよ」
「はっ。ここは禁書庫だぜ。正規の手続きは踏んでねえんだろ」
それはそうですね、と言いつつ、確かにラヒズの手は禁書庫の棚に添えられていて、今まさに本を返した、その言葉に矛盾はなさそうだった。
取り押さえたい。が、ここで取り押さえてどうする? 武器も持っていない。そもそも図書館の、おまけに禁書庫内で暴れるのも……。
逡巡し難しい顔をするタンジェに、
「まあ、今日は休戦といきませんか?」
ラヒズはにっこり笑った。
「……ちっ」
タンジェは禁書庫の扉から一歩離れた。
「どうも。それではまたあとで」
ラヒズは悠々と禁書庫から出て行った。タンジェは司書たちの姿が近くにないことを確認したあと、ラヒズが手を添えていた付近の本棚を確認した。ラヒズが"戻した"と主張した本は、いったいどれだ? もしかしたら、やつの目的の手がかりがあるかもしれない。
だが不穏な本のタイトルが並ぶばかりで、どれも怪しく見えるし、どれも関係ないようにも思える。諦めて仕事に戻ろうか、そう思ったタンジェの目に、タイトルではなく著者名が飛び込んできた。
――サナギ・シノニム・C19
タンジェの指が、その本の背をなぞる。タイトルへと向かう。
『<天界墜とし>についての研究』
NEMESIS 4
翌朝早くに目覚めたタンジェは、ランニングついでに美味そうな香りを漂わせていたパン屋でパンを買い、サナギの家に戻って朝食、それから大図書館へ向かった。約束の8時より少し早めに着いたが、すでにシルファニは図書館の入り口で待っていた。
「来たか。冒険者は時間にルーズだと思っていたが、お前はまだマシのようだな、タンゴ」
約束の10分前に来たというのにずいぶんな言われようだ。
タンジェはシルファニに連れられて大図書館の中へ入った。天井高くまで伸びた本棚にぎっしりと本が並んでいる。ただでさえ天井が高いのに、さらに上の階まであるようだった。とんでもない。
「開館は9時から。夜は21時まで」
「ずいぶん遅くまで開いてんだな」
「学者の多い街でな。あの手合いは夜型だ」
夜遅く朝も遅いサナギの顔を思い浮かべる。納得だ。
すれ違う職員らしき人々にタンジェのことを簡単に紹介しながら、シルファニはカウンターへ向かった。
「利用者はここに本を返却にくる。私たちはそれを返却処理したのち」
シルファニは移動式の本棚のようなものを指し示した。
「このブックトラックに本を載せていく。お前の仕事は、それを元の棚に戻すことだ」
「なるほどな」
簡単そうに思える。しかし、
「本が元々どの棚にあったかなんざ俺は知らねえぞ?」
「それは心配ない。この本の背を見ろ」
シルファニが差し出した本の背中に四角のシールが貼られている。シールは真ん中で二段になっていて、上には430という数字。下にはMの文字があった。
「ヨンヒャクサンジュウ?」
「ヨンサンゼロと読む。これはこの本の請求記号だ」
「請求記号?」
「図書館にある本にはすべてこの番号が振られている。これはこの本がどのような内容について書かれているのかを示すものだ。たとえばこれは錬金術の本で、著者はジミィ・モルダン。ちなみにこの図書館は共通十進分類を採用している」
タンジェの顔を見たシルファニが呆れた表情になる。よほど分からねえって顔をしていたのだろう。
「まあ、細かい分類を知る必要はない。要するに、数字とアルファベットの順に並べればいい」
それから実際に図書館の棚を指し示し、ここが0類の棚で、そうそう、0類というのは先ほどの請求記号の一番左の数字を表し――云々。
理屈にされると混乱するばかりだったが、実際に見てみるとなんとなく分かった。要するに、ジャンルごとに数字を割り振り、その順番通りに並べることで、似たような内容の本が同じ場所に集まるようになっているということだ。
数字とアルファベットの並べ方のルール、それからどの数字がどの棚にあるのかをシルファニから教わりながら図書館をぐるりと見てまわる。
その途中で、棚と棚の奥に扉を見つけた。シルファニは案内しようとしなかったので、関係ない場所なのだろうとは思ったが、念のため尋ねた。
「あそこは?」
「ああ、あそこは禁書庫だ」
「禁書庫?」
「外に持ち出せない本がある倉庫だ。換えが効かない貴重本や、呪いの類のかかった本など、様々な理由で表には出せない」
「そんなもんまで取っとくのか」
シルファニは何を当然、というような顔になった。
「あらゆる知は必ず保存され、未来永劫引き継がれなければなるまいよ。それはそうとして禁書庫には絶対に入るな。あの場所にある本は貸し出さないから返却もされん、お前には用のない場所だ。さっきも言ったとおり、呪いなんかがかかってる本もある」
「分かった」
厄介事に巻き込まれたくはない。タンジェは素直に頷いた。
それから図書館を一周したのち、練習と称して実際に何冊か配架をした。シルファニの確認も入りながらで時間はかかったが、開館の9時までにはなんとか様になった。配架がない時間帯は書架整理、要するに、利用者が読んだ本を戻すことで起こる請求記号の乱れを直す作業をしろ、とのことだ。
開館直後だから、まだブックトラックに配架の本はない。タンジェは近くの棚をうろうろして、数字が前後していたり、アルファベットがズレていたりする本を探してはそれを直していった。手が足りていないのか意外と請求記号の乱れが見つかる。
数十分もすれば、たちまち忙しくなった。タンジェは配架の本を抱えて図書館を歩き回る。案外本は重い、何より図書館が広い。シルファニが言うとおり、確かにこれは体力がいる仕事だ。
だが黙々とやれる。トレーニングにもなるかもしれない。タンジェは基本的に本に興味はないのだが、むしろだからこそ、こんな本があったのか、みたいな発見もある。「筋トレに効く! 筋肉ごはん」……若干気になりながら、タンジェはその本もあるべき場所に戻す。
NEMESIS 3
いっぱいになったゴミ袋を捨てる役に、タンジェが名乗り出た。そろそろ外の空気を吸いたかったからだ。
両手いっぱいのゴミを抱えながら指定のゴミ捨て場を探して少しさまよう。程なくゴミ捨て場は見つかり、身軽になった。そのまま帰ろうかと思ったが、不意に空を見上げると高い建物がすぐそこにあることに気付いた。例の図書館だ。
それで、何とはなしに横道を行くと、図書館前の広場に出た。
「……」
やはりデカい建物だ。案の定特別な感情は沸いてこなかったが、見上げるほどのこの建物いっぱいに本が詰まっていることを考えると少しだけめまいがした。タンジェは本なんかは読まないたちなのだが、本のみっしり詰まったこの建物が、この街の人々に慕われ、愛されているのだろうことを考えると、それはなんというか……うまく言えないが、なんだか途方もないことの気がした。
気を取り直し、ぶらぶらと広場をうろつくと、掲示板が立っている。いろいろな掲示物が貼ってあった。作家が来て講演会をするだとか、子供向けに絵本の読み聞かせをするだとかいう内容のものばかりだったが、その中にこんなチラシがあった。
――配架・書架整理アルバイト募集!
日給80Gld。誰でもできる簡単なお仕事です。
半日のみでもOK!
「ハイカ……ショカセイリ?」
聞いたことのない単語だが、整理、ということは、何かしらを整える作業なんだろうか。
「図書館に戻ってきた本を棚に戻す作業が配架、乱れた書架……要するに本棚を整理するのが書架整理だ」
突然横から声がして、けれど別にこんな街中で敵ということもなし、タンジェは顔だけそちらに向けた。
銀髪を肩で切り揃えた眼鏡の女がこちらを見ている。
「見たところ冒険者のようだが……冒険者ふぜいが図書館に興味なんかあるのかね?」
言い方にはカチンときたが、言ってることはもっともだ。
「図書館に興味はねえが……予定が早く終わって、時間を持て余しそうでな。日給80Gldはでけえな。半日なら40Gldか」
図書館内の整理整頓、つまり命の危険がないところでの作業で1日80Gld。悪くないどころか、かなりいい条件に見える。
「お前が思っているより体力の要る仕事だぞ?」
女は人を小馬鹿にしたように言った。負けじと、
「はっ、あいにくその体力を売る商売だ」
鼻で笑ってやると、女は口端を釣り上げた。
「なるほど。なら明日、1日やってみるか?」
「あ? てめぇ、図書館の関係者か?」
女は眼鏡をクイと上げた。
「図書館司書のシルファニだ。多少の人事に融通はきく」
なるほど、と俺は頷いた。
「俺はタンジェリン・タンゴだ。明日は何時から?」
「8時に来てくれ。お前は図書館を何も知らなさそうだ。一から説明してやろう」
それは少し面倒くさい気もしたが、今後の冒険者生活で図書館を利活用することもあるかもしれない。勉強になるだろう。タンジェは本人が自覚するよりはるかに勤勉なのである。その上、80Gldももらえるのなら損はない。タンジェは頷いた。
★・・・・
サナギの家に帰ると、サナギが茶とクッキーを用意して待っていた。黒曜とアノニムが不在で、2人は食材の買い出しに行ったとのことだった。
「なんだよ、言ってくれたら買い出しもゴミ捨てついでに行ってきたのによ」
「頼もうと思ったらもう出てっちゃってたからさ。追ってまで頼むことはないって黒曜が」
パーティリーダーの黒曜は、労働の分配に多少の気を利かせる。タンジェの負担を考えたのかもしれない。別に買い出しくらいなんてことはないのだが。
「まあ、ゆっくりしなよ」
言いながらパーシィが茶を飲んでいる。それを用意したのは確実にてめぇじゃねえだろ、と思ったが、まあどこでも我が物顔なのはいつものパーシィだ。
「それはいいけどよ……その茶葉とクッキーはどっから出した?」
「ああ、心配しなくていいよ。これは俺がベルベルントから持ってきたものだから」
そういえば馬車で緑玉がクッキーを食べていた。あれとまとめて持ってきていたらしい。
「食器も念入りに洗ったし」
「そうか。それならいただくとすっか」
サナギが手渡してくれたタオルで手を拭き、クッキーをつまんでひとくち食べた。バターの香りがする。美味い。飲み込んでから、
「そうだ、ゴミ捨てついでに図書館を見てきたぜ」
「へえ! 興味があるとは思わなかったな」
俺が紹介したとき生返事だったじゃないか、とサナギはからから笑った。
「ついでだ、っつったろ。そんでバイトを募集してたから受けてきた」
「何のバイト?」
「本棚の整理だ。日給80Gldもらえるとよ」
「いいじゃないか。こっちの掃除はもう終わるし、思ったより早く済んだんでみんなには本格的に観光でもしてもらうつもりだったんだ」
別に予定より早く帰ってもいいんだけど、せっかく5日もかけて来たしね、とサナギは続けた。タンジェは頷く。
「宿代もタダだしな」
「そうそう、自分の家だと思ってくつろいでよ」
「ん……そういや結局、<魅了>に対抗できそうな研究はあったのか?」
もしかして掃除の合間に研究成果を見つけてやしないかと聞いてみると、
「全部見られたわけじゃないけど、今のところは空振りだね」
「そうか」
少し残念だが、まあ元からそこまでアテにしていたわけでもない。
言っている間に、黒曜とアノニムが帰ってきた。その量、いるか? というぐらいの食材を抱えている。しかし、パーシィに食器を洗わせ、それ以外の5人で適当に分担して料理を作ったら、あっという間に食材を使い切ってしまった。普段は親父さんや娘さんが作る料理や旅先で限りある食材を使った料理を食べているから、いざ腰を据えて自分たちで作って食べるとなったとき加減が効かないのだった。もちろん、大量の食材の分だけ山のような料理を作ったということなのだが……このメンバーに至って、それが残る心配をする必要もなかった。
味もよく、量も満足。もちろん食材にかかった費用を考えればかなりの贅沢なのだが、それを無駄にしないためにパーシィを料理に関わらせなかったのは功を奏した。野菜を洗うことすらさせていいか疑問だ。
それから一同は順番に湯を浴びて、綺麗にした部屋に横になって寝た。
さすがに布団は使い物にならなかったので処分したが、天井があって床があるだけで冒険者はぐっすり眠れる。
NEMESIS 2
結局、道中で一行が気を揉んだのは雨が降ったことくらいで、妖魔も野盗も現れはしなかった。旅程は順調、予定通り5日目にはスーゼヒェッテに辿り着いた。
門でベルベルントから来た冒険者であることを告げ、荷物検査やらを受ける。ウォークスルー状態で入れる街も数多あることを考えれば厳重なほうだ。時間がかかって煩わしいが、警備がしっかりしているのはよいことだ、文句は言えない。30分前後待たされたが、黒曜一行はつつがなく中に入ることができた。
門を出ると直接目抜き通りに繋がっている。
パッと見た印象では、スーゼヒェッテの建物の造りなんかは、ベルベルントと大差ない。道幅や人出はさすがにベルベルントより規模が小さいが、露天も出ていたし賑わっていた。違う部分として特筆するなら、行き交う人々の中に獣人は見当たらない。これに関しては、どちらかというとベルベルントのほうが異質だ。ただ、黒曜たちに気付くと、おっ、という感じで視線を向けてくる者もいるのだが、いずれも拒絶の意図はなさそうだった。変に絡まれたり、突っかかられたりすることもなかった。さすが厳重なだけはある、治安はいいのだろう。
さて、一行はすぐにサナギの案内で彼の家だという場所に向かう。
目抜き通りを歩いている途中で、背の高い建物が見え、タンジェは青空にそびえるそれを目を細めて見上げた。
「教会か?」
思わず呟くと、
「ああ、あれは図書館だよ」
視線を追ったサナギが教えてくれた。
「スーゼヒェッテ大図書館は、世間ではちょっと有名さ」
「図書館? ……ああ、そういや聞いたことある気がすんな」
私塾でスーゼヒェッテについて習ったときに、そんなようなことを聞いたかもしれない。あまり関心がなかったのですっかり忘れていた。
「あとで行ってみるといい。建物自体も素敵だよ」
そうだな、と生返事をした。美的センスはないほうなので、建物に素敵とか素敵じゃないとか思ったこともない。タンジェは建物というのはその目的にあった快適さがあればいいと思っている。わざわざそんなことを言いはしないが。
「さあ、この石段を上った先だよ」
目抜き通りを抜けて外れを少し歩き、石段のある路地でサナギが言う。体力がないサナギがよくもまあ石段の先なんかに家を建てたもんだと思う。もしかして、かつてのサナギの中には、筋骨隆々なサナギもいたのだろうか。タンジェの視線に気づいたサナギが、不思議そうに笑って首を傾げる。タンジェはなんでもねえ、と言った。
石段は思ったより長く、往復すればいいトレーニングになりそうだ。上りきればいかにも古そうな家が並ぶ一角についた。
その中の一つ、蔦が這うレンガ造りの建物が目に留まった。円形に突き出た全面ガラス張りの大きな部屋がある。ただ、曇っていて中は見えない。
何とはなしにタンジェが覗き込んでいると、
「そこはコンサバトリーだよ。サンルームの一種だね」
サナギが言いながら、レンガの家の扉に古びた鍵を差し込んだ。ということは、なんとも偶然、ここがサナギの家らしい。
がちゃりと大きな音を立てて鍵が開く。サナギがタンジェたちを招き入れた。
「さ、どうぞ」
言われるがまま入ったはいいが、何年使われていないのやら、ずいぶんホコリっぽかった。思わず眉を寄せていると、
「うーん、最後に掃除したのが50年くらい前だからなあ」
サナギがのんきなことを言っている。それだけ放置されてもなお家としての形を保っているというのが驚きだ。
とりあえず一通り家を案内してもらい、間取りを把握する。夜会にあるサナギの自室や研究室のことを考え、どうせこの家も雑然と散らかっているのだろうとタンジェは思っていたのだが、想像より遥かに室内は整えられていた。もちろんホコリやカビはあるのだが、それを綺麗にすれば見違えるだろう。
ただ例外はあって、サナギが研究室として使っていたらしい部屋はとんでもない荒れ方をしていて、タンジェは額を押さえた。
「ここは俺が片付けるよ」
サナギが言うが、こいつは星数えの夜会の自室だってまともに片付いてはいない。やらせるだけ無駄だ。とはいえ、サナギの一番プライベートな部分だろう、ずかずかと乗り込むと後が面倒だろう。たとえばタンジェにはサナギにとって重要なものが何か分からない。それを勝手に処分してしまうなどの不手際があったら、サナギに悪い。
止むを得ないだろう。研究室はサナギに任せるとして、タンジェたちは大まかに家のどの部分を担当するか決め、さっさと掃除を始めることにした。思いのほか広い家だったが、まだ日は高い。夕方までに飯を食う場所と寝る場所くらいは確保したいところだ。
「よし、さっさとやっちまうか」
独り言だったが、一応、メンバーから「おう」「ああ」「ん」といった、特に気合いもない雑な応答があった。気のない応答はともかく、さっさとやっつけてしまいたい気持ちは同じなのだろう、各々がすぐに掃除に取りかかった。
★・・・・
サナギは掃除に3日かかると見積もっていたが、それはたぶんサナギを基準に考え算出したものだ。彼は自身の掃除や整理整頓に関する能力の低さをいまいち深刻にとらえていないらしく、甘く見ているところがある。実際、掃除が好きでも得意でもないタンジェですら、担当の場所の掃除を数時間で終えた。ほかのメンバーを手伝って回っても夕方までにはほとんど掃除は済んで、結局サナギが名乗りを上げた研究室だけが、いつまでも混沌の中にあった。
「え? もう終わったの? 早くない?」
「……サナギが遅すぎる。掃除下手すぎ」
ため息をついた緑玉が真実を告げる。サナギは驚愕の表情になった。
「掃除に上手いとか下手とかあるんだ……」
「あるよ……だからこうなってるんでしょ」
やれやれといった様子で、緑玉が研究室に踏み入ろうとして、立ち止まった。
「……入っていい?」
「いいよ。よかったら手伝ってほしいな」
「大事な部屋じゃないの?」
「みんなに見られて困るものはないよ。仲間なんだからさ」
それを聞いて、緑玉は躊躇いがちに入室した。
「つい、積まれた研究内容を読んじゃうんだよね」
「掃除が進まねえやつの典型だな」
言いながら、タンジェも研究室に踏み入る。
山のような紙束と本、空になったインク壺の横に、封の切られていないものもある。ペン先の潰れた羽ペン、それからフラスコやら試験管やら、何らかの実験器具。それもうずたかく積まれている。
「……」
手伝ってほしい、と言われて入ったはいいが。どこから手を付けたものか……。
「この空のインク壺は不要だな?」
タンジェのあとから黒曜も入ってきて、空のインク壺を拾っている。不燃物のゴミ袋にそれを放り込んだ。
「何かに使えない?」
「使えない。捨てるよ」
サナギの言葉に緑玉が即答した。
部屋の隅では大量の植物が干からびている。よく見れば、植物だけじゃない。得体の知れない干物が大量にある。見なかったことにしたいが、目的は掃除だ。
「こっちの干からびてんのはどうすんだよ」
「それは実験に使えるかもしれないから」
「50年放置してたのに今さら使わない。捨てる」
緑玉によって干物はぽいぽいと可燃物のゴミ袋に捨てられていく。さらに入室してきたパーシィも、
「本やら紙束は実験に関する資料なんだよな? それ以外の消耗品は劣化が激しいから捨ててしまっていいかい?」
口こそサナギに伺いを立てているが、手は問答無用でそこら辺のものをゴミ袋に入れまくっている。
「はわ……」
一同のあまりに無慈悲な動きについていけていないらしく、サナギは妙な声を上げて目を白黒させていた。
NEMESIS 1
日が差す星数えの夜会の1階テーブル席で、不意にサナギがこう言った。
「俺からの依頼を受ける気はない?」
タンジェだけでなく、パーティ一同がサナギを見た。
「どういうことだ」
黒曜が尋ねると、サナギは「大したことではないんだよ」と前置きしてからこう続ける。
「俺がホムンクルスを造って、死ぬ前に意識や記憶を次代に継いでいってることは伝えたよね?」
聞いた話だ。理解を遥かに越えてはいるので、あまり考えないようにしているが……。
「それで、何代か前まで俺はスーゼヒェッテという街にいたんだけど、そっちに家が残ってるんだよね」
軽く相槌を打ち、黒曜が続きを促す。
「何かの役に立つかもしれないし、家を引き払うつもりはないんだけどさ。定期的に掃除しないと保つものも保たないでしょ。要するに、俺の古い家の掃除を手伝ってほしいのさ」
家の掃除か。大した労働ではなさそうだ。タンジェ個人としては悪くないと思う。他の依頼も抱えていないし、宿でダラダラしているよりよほど建設的だ。
サナギは、
「依頼料として、俺の個人的なお金をパーティ用の金庫に入れておくよ」
と。移動カジノ・シャルマンのときも思ったが、サナギは意外と自由に使える金を持っているようだ。もっとも、何代分も生きているのだから、多少の貯金は当たり前なのかもしれないが。
黒曜はしばし考えているようだったが、
「何日くらいかかる?」
「馬車を乗り継いで5日、向こうでの掃除は3日もあれば終わるかな。それから帰ってまた5日。まあ、多めに見て2週間あれば。旅費は俺が出すよ」
観光ついでと思ってくれたらいいよ、とサナギは言った。頷く黒曜。
「分かった、受けよう」
それで黒曜一行は、急ではあるが、スーゼヒェッテに向かうことになった。
★・・・・
タンジェは国の地理や政治なんかには詳しくないのだが、スーゼヒェッテはエスパルタからそう離れてはいないのでまったく知らないわけでもない。ペケニヨ村の私塾でそういう街があることは教わった。ただ、行ったことはない。
馬車に揺られながら街道をゆく。
馬車の中で退屈しのぎに――というわけではないだろうが、サナギは先日のハンプティとの戦いについて話し出した。正確には、戦いのことというよりその後のことについてだ。
「精神操作の類について対策をしておくべきだと思うね」
黒曜は静かに頷いたし、パーシィは苦い顔をした。アノニムは馬車の外を眺めている。緑玉は黙ってクッキーを食んでいた。
ハンプティとの戦いはタンジェたちに結構な傷を残したけれども、致命傷というわけでもない。タンジェの腹には傷跡が残ってはいるが、もう痛みは引いている。動くのに支障もまったくない。元気そのものだ。
タンジェは腹の傷を服の上から軽くさすったあと、サナギを見た。
「対策も何も。あれ以来、破魔のチカラとやらについていろいろ調べてんだろ」
アノニムにかかっていたパーシィによる<おまじない>とやらを「破魔のチカラ」と呼ぶサナギは、それを目下研究中だそうだ。
「うん。それで思ったんだけど、もしかしたらスーゼヒェッテの家にも似たような研究資料がないかなあ、って」
なるほど。長い研究生活の中で、そういうものがあってもおかしくはないか。
「そっちが本命ではないのか」
黒曜は鉄面皮だから、その表情からは特別な感情は読み取れない。それでも責任を重く感じているらしく、サナギの調査に付き添って遅くまで起きていることが増えていた。健康のためにさっさと寝てほしいので、調査が進むのは大歓迎だ。
「正直、そういう研究はやった記憶がなくてさ。だから、あんまりアテにはできないんだ。本当にあったらいいな、程度で」
「はは、結局、本題は掃除か」
苦い顔をしていたパーシィが顔を綻ばせる。
そういえば――昏睡から目覚めたパーシィがいやに深刻な表情でタンジェを訪ねたので、何かと思えば謝罪だった。「俺がもう少ししっかり気配を探れていれば、きみにそんな怪我はさせなかった」だの「全部俺の神聖力の不足が招いた結果だ。本当にすまなかった」だの、らしくなくかなり落ち込んでいたので、タンジェは面食らった。「別に誰も悪くねえ」と黒曜に言ったのと同じことを言ったが、あまり心には響かなかったらしく、最終的には肩を落としたまま退室していった。まあ、翌日になったらすっかり元の調子に戻っていたが……。それはそれで切り替え早すぎるだろと思わないでもないが、ずっと落ち込まれていても鬱陶しい。
馬の蹄が鳴る。馬車は進む。外を眺めているアノニムは会話に割り込んでこない。先日、急に現れたアノニムと怒鳴り合ったが、どちらかといえばそっちのほうが例外で、本来タンジェとアノニムはろくに会話もしない。最終的に喧嘩のようにはなったものの、感謝しているのは嘘ではない。アノニムのおかげでみんな助かったようなものだ。
しかし、黒曜とパーシィを見捨てて逃げようとしたことを忘れてはいない。結果としては助かったのだが、タンジェの中では釈然としない思いは未だにある。感情的になるアノニムは初めて見た。何か考えや信念があったのだろうとは思うが、それはアノニムが語らぬ以上は邪推でしかないし、把握できたとしてもたぶんそれはタンジェと相容れるものではないのだろう。
「もうじきベルベルント領を抜けるね」
緑玉がぽつりと言った。うん、とサナギが応じる。
「大丈夫だとは思うけど、妖魔と野盗には気を付けるとしようか」
プロフィール
一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
中世洋風のファンタジー。
登場人物は男キャラ多数。
冒険者一行の連作短編です。
このブログに掲載している小説はフィクションです。
実在する人物・組織・事件等とは一切関係ありません。
また、著作権はやまかしにあります。
このブログにある画像、文章の無断転載・AI学習はしないでください。