カンテラテンカ

エセンシア 3

 タンジェの心臓が燃え上がるように熱くなる。全身に血が巡る。その巨躯を目に入れただけで、タンジェの復讐心は暴れ出す。
 オーガに飛びかかろうとした。だが鎖に阻まれ、ガシャリと金属質な音を立てただけだ。鎖はまったくびくともしない。
 タンジェはラヒズを睨み、叫んだ。
「てめぇ!! 俺をおちょくってるんだな!?」
 状況からタンジェの短絡的な思考回路が導き出したのは、ラヒズがのタンジェの復讐の件を知って面白がり、タンジェに嫌がらせをしているという可能性だった。
「この鎖は何だ!? 今すぐ外しやがれ!!」
「活きがいいですねぇ」
 満足そうにうんうん頷くラヒズは、タンジェの横のオーガに視線を移し、
「どうですか、念願のタンジェリンくんとの再会は」
 と話しかけた。
「念願? 再会? 何を言ってやが――」
「……ラヒズ様」
 と、横のオーガが声を発した。確かにそれは声、いや、正確には言葉、だった。タンジェは驚愕で言葉を止め、オーガを凝視する。それでそのオーガはタンジェのことをちらと見たが、すぐ視線をラヒズに戻した。
 オーガが言葉を話すなんて聞いたことがない! これではまるきり、先日見た悪夢だ。オーガが言葉を話すなんてのは、悪夢だったから許されていたことだ。
 だがタンジェの思考なんてまるで関係なく、オーガは平然とラヒズと言葉を交わしている。
「我々は再会までは望んでおりませんでしたよね? 無事と健康が分かればそれでいいとお話ししたはず」
 明瞭な発音で、確実に理性ある言葉だった。ただ、言葉の意味は分からなかったが……。
「でも、会えて嬉しいでしょう?」
 オーガはため息をついた。状況の把握ができていないタンジェだけが、ラヒズとオーガの顔を見比べながら困惑するばかりだ。
「何なんだよ……!? なんでオーガが共通語を喋ってる!?」
「タンジェリンくん」
 ラヒズは幼い子供に言い聞かせるように優しい声色で言った。
「きみが倒れたのは、ストリャ村の周囲に張られた結界のせいですよ」
「結界? なんでそんなもんがストリャ村に?」
「『オーガ除けの結界』です」
「なんでそんなもんが、俺が倒れたのと関係があるんだよッ!?」
 前提としてですね、とラヒズは言った。
「ペケニヨ村を襲ったあとのオーガたちは、少し南下してストリャ村の近辺に住処を移しました。ペケニヨ村の二の舞になってはいけないと、ストリャ村はオーガ除けの結界を張るよう魔術師に頼みました。その魔術師というのは、私です。乞われるまま結界を張りました。きみはそれに引っかかった」
「だからッ……大事なところが説明できてねえだろうが! なんで『オーガ除け』に俺が引っかかるんだよ。人間が引っかかったら欠陥もいいとこじゃねえか!」
 タンジェは自分の疑問は正当だと思っている。ラヒズはなんてことはないように答えた。

「きみがオーガだからですよ」

 一瞬の沈黙、それからタンジェは、
「はッ、苦し紛れにわけの分からねえことを言ってるんじゃねえよ」
 吐き捨てた。なるほどラヒズからすれば、"タンジェがオーガだからオーガ除けの結界にも引っかかる"ということで、理屈は通るのだろう。
 だがタンジェは人間である。どれだけラヒズが自身の理屈を通そうとしたって、根本のそこが破綻しているのだから意味がない。ラヒズの言葉はふざけた冗談でしかなかった。
 しかしながらラヒズはいっさい動じた様子はなく、
「そこのオーガが何故共通語を話しているのかと聞きましたね」
 と、丁寧にタンジェの質問に答えた。
「オーガが共通語を話しているのではない。きみが、オーガの言葉を理解しているのですよ」
「ふざけんじゃねえッ!」
 いよいよラヒズに殴りかかろうとして、しかしやはり鎖に阻まれる。鎖はガシャン! と大きな音を立てたが、それよりさらに大きな声でタンジェは怒鳴り散らした。
「俺の両親は人間だし、俺だって人間だ。オーガは俺にとって仇だ! 悪趣味な冗談、言ってんじゃねえぞ!! ……俺に適当な嘘を吹き込んで、てめぇになんのメリットがある!?」
「メリットですか?」
 メリットはないですね、とラヒズはさらりと言った。続けて、
「これは、ただの『約束』なので」
「約束……?」
「オーガたちと約束したのですよ。オーガたちの願いを一つ叶えるとね」
「?」
 今度は何を言い出したのか。眉を思いきり寄せたタンジェの顔を見て、ラヒズはにこと笑った。
「私は悪魔です」

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エセンシア 2

 3日間、馬車に揺られたとてサナギはよく喋っていたし、パーシィとラヒズは宗教について何かを語り合っていた。けれどもさすがにエスパルタからストリャ村の山中においては、いつもは賑やかなサナギもすっかり黙ってしまった。ロッグ村の依頼のとき、ファス山に登ったのと同じ状況だ。
 エスパルタの周囲の山は思いのほか険しい。一応、道はあるのだが、ただでさえパーティの中では体力がないサナギのことだ。過酷な道であろうとは思う。
 アノニムは体力はあるし、黒曜と緑玉も平気そうな顔をしている。パーシィもさほど堪えていない様子だし、タンジェはもちろん、なんてことはない。それでも参謀のサナギを置いていくわけにはいかない、黒曜は、
「休憩は」
 サナギに声をかけた。
「そうだなぁ……あとどのくらいかな?」
 サナギが汗を拭って尋ねた。答えたのはラヒズだ。
「もうすぐそこですよ。あと15分というところでしょうか」
 タンジェは宣教師というものを舐めていて、ラヒズのことはインドアの、大して体力がないタイプの人間だろうと思い込んでいたが、実際は涼しい顔をしている。認識を改めなければならない。
 サナギは頷いた。
「そっか。なら休憩より、到着してしまったほうが楽そうだ」
 一同は頷いた。軽く水分だけとって、タンジェたちは再び山森の中を進む。
 数分も進めば、森の中にも人が頻繁に踏み込んでいるのだろう形跡があったし、にわかに生活感が出てきた。獣を捕る罠や、焚き火の跡。タンジェにとっては見慣れたものだ。ストリャ村が近いのだろう。

 瞬間、ぐる、と、タンジェの視界がひっくり返った。
 気付けばタンジェは立ってもおらず、膝をついている。
 血がざあっと引いて、急激に気分が悪くなっていく。胃がひっくり返った。
 がんと頭が殴られたように痛み、けれど衝撃はなく、静かに、視界が真っ暗になる。
 たちまち意識が落ちていく。

★・・・・

 目覚めた、らしかった。
 たぶん、……いや、どうやら、タンジェは眠っていた、正確には気を失っていた、らしかった。少し、頭が痛い。
 冷たい岩の上に横になっているらしい。タンジェはなんとか上半身を起こした。
 ジャラリ、と重い金属の音がした。目を手足に下ろすと、両手足に枷が嵌められ、鎖に繋がれている。
「……!?」
 たちまち、トリカに身体の自由を奪われた<罪の鏡>の一件を思い出す。何が起きたかは分からない、だが、ろくな状況でないことはすぐに分かった。
 慌てて周囲を見回した。洞窟の中らしい。焚き火があってパチパチと音を立てている。それのおかげで、暗くもないし寒くもない。
 ――何が起きた? なんで俺は洞窟にいる?
「目が覚めましたか」
 焚き火の奥にラヒズがいた。
 タンジェが体調不良を起こし、洞窟に一時避難、ここでタンジェを休ませていた――というなら、別に問題はないのだが。残念ながらタンジェの両手足の手枷は明らかに異常事態である。しかし、事情を聞く相手がラヒズ以外に誰もいない。
「……何が起きた? 他の奴らは?」
「何が起きたか、ですか」
 ラヒズは笑っている。
「予定通りのことが起きた、という感じでしょうか」
「予定通り、だと?」
 ラヒズは鎖に繋がれていない。タンジェだけが鎖に繋がれていて、ラヒズと二人きり。ラヒズは何かを知っている。すなわちこの状況を作ったのがラヒズで、そうなればラヒズが悪意ある何者かであることも察せられた。
「てめぇ!!」
 それでタンジェは、ラヒズが敵だと認識した。飛びかかって殴ろうとしたが、鎖がしっかりと杭に繋がれて動けない。
「何のつもりだ!! 何者だ!?」
「話すと長くなりますねえ」
 長い足を組み、頬杖をついたラヒズは、余裕たっぷりに言った。どこから話しましょうかね、と首を傾げて言ったが、視線はタンジェに向いていない。タンジェの背後にある。タンジェがさっき周囲を見回した範囲では、ラヒズとタンジェのほかには誰もいなかった。が、洞窟にはまだ奥があったのだろう、タンジェの背後、洞窟の奥からぬっと大きな影が現れ、どっかりと音を立ててタンジェの横に座った。

 緑色の皮膚の、巨大な体躯。オーガだった。

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エセンシア 1

「護衛依頼」
 と、黒曜がラヒズの言葉を復唱した。
「はい」
 にこやかに頷くラヒズは、星数えの夜会に数日滞在していた宿泊客である。
 親父さん曰く、"きちんと宿代も払い、問題も起こさないまっとうな人間"とのことだ。ラヒズに夜会を紹介したのはタンジェだが、ラヒズはその際「依頼を引き受けてもらえるのは大前提」と言っていたから、いずれ何かしらの依頼をされるだろうとは思っていた。
 ラヒズは言う。
「私は宣教師でして。新興宗教の布教を目的にして世界を巡っているのですが……」
 その言葉にパーシィの笑顔が引きつった。なるほど、どおりでパーシィが嫌がる雰囲気を持ってるわけだ。
「ベルベルントに来た際も、冒険者に護衛を頼みました。しかし彼らの目的地はさらに南らしく、すでにベルベルントを発ってしまい、新しく雇う冒険者を探していたのですよ」
 皆さんなら心強い、とラヒズは続けた。
「話に聞けば、先日のベルベルント全体が眠りに落ちたあの事件、皆さんが解決したそうじゃないですか?」
 一同の視線がサナギとパーシィに向く。だいたい二人の手柄だ。もっともパーシィの笑顔は相変わらず引きつり気味だったし、サナギは自分の不始末を自分で片付けただけの話なので、二人とも応答はしなかった。
「特に断る理由はないが……どこまで行く?」
 視線をラヒズに戻し、黒曜が問う。ラヒズは依頼の受諾だと判断したのか、機嫌よく頷いた。
「エスパルタのストリャという村です」
「エスパルタ!?」
 思わずタンジェが口から大きな声が出た。
「ええ……何か?」
「……いや。ただ、馴染みのある場所でな」
 必死に動揺を隠した。エスパルタといえばタンジェのふるさとだ。エスパルタ国土には小さな村が点々とあり、その中の一つがタンジェの故郷ペケニヨ村である。
「馴染みがある、ですか?」
「……出身がエスパルタなんでな。ストリャ村も知ってる」
 別に隠してるわけではないので、タンジェは素直に言った。ラヒズがほう、と好奇の目でこちらを見る。
「あの小さなストリャ村をご存じとは。失礼ですが、近隣の村のご出身ですか?」
「……ペケニヨ村だ」
「ペケニヨ!? 生き残りがいたのですか!?」
 言ったあとに、ハッとラヒズが自身の口を押さえる。
「失礼しました……」
「……」
 先手で謝られたが、タンジェはラヒズを思いきり睨んだ。村の名を言ったのはタンジェのほうだが、ラヒズの反応はそれに対する応答としては最悪である。
「どういうことだ?」
 よせばいいのにパーシィが詳細を聞きたがった。
「ペケニヨ村は……少し前に、オーガの群れに襲撃されて、壊滅したと聞いていたので……」
 睨むタンジェに頭を下げたラヒズが、
「申し訳ありません。不用意な発言でした」
「いや……もういい」
 反射的に睨んだものの、壊滅したペケニヨ村の事情を知っていれば、咄嗟に出る発言としては、分からないでもなかった。これ以上苛立ったところで意味はない。
「てめぇの言うとおり、俺はペケニヨ村の生き残りだ。冒険者になったのは復讐のためだ」
 半ばヤケクソ気味に言った。こちらも、別に隠しているわけでもない、言う機会も必要もなかったから言っていなかっただけだ。別に言ったところで誰も興味はないだろうし、実際、一同からの反応は特になかった。
 が、不意に視線を感じた。そちらを向くと無表情の黒曜がタンジェを見ている。
 なんだよ、と、睨み返したが、黒曜は、
「タンジェリンは目的地周辺に詳しいのか」
 ごく平坦な声で、依頼に関わるであろう情報を尋ねてきただけだった。
「ストリャ村は、ペケニヨのすぐ南にある村だからな。行くこともあったさ。ただ、知り合いって仲のやつはいねえが……」
「ご安心を。ストリャ村は私の宗教活動の拠点ですので」
 ラヒズが微笑む。
 タンジェはカチンときた。ラヒズは身なりからして明らかにエスパルタの出身ではない。よそ者がまるでタンジェよりエスパルタに詳しい口ぶりなのに気を悪くしたのである。
「新興宗教の宣教師だかなんだか知らねえが、エスパルタは聖ミゼリカ教国家だぜ。怪しい宗教が流行る余地はねえよ」
「存じております。ただ、ストリャ村には協力者がおりまして」
 タンジェは意地の悪い言葉にも、ラヒズは特に気を悪くした様子はない。笑顔のままごく朗らかに応答した。その横でパーシィがため息をつく。
「嘆かわしいな。こんな怪しげな宗教の協力なんて」
「エスパルタでは宗教の自由は保障されておりますよ。ただ聖ミゼリカ教徒が多いだけで」
「納得いかないな。教義から教えてもらわないことには……」
 パーシィが詰め寄ろうとするのを、はいはい、とサナギが止める。
「宗教論争はエスパルタ行きの道中でしてもらうとして。さて、エスパルタまでは馬車を乗り継いで3日ってところだけど、どうする? 黒曜」
「受けよう」
 黒曜は頷いた。
「ありがとうございます」
 心強いです、と、ラヒズは笑った。
 エスパルタ。タンジェの故郷。だが帰るのは久しぶりだ。ペケニヨ村がオーガの群れに滅ぼされて、復讐のために冒険者になろうと志し発ってから、一度も帰っていない。
 ――今なら俺は、オーガを少しでも殺せるんじゃないのか?
 ストリャ村までラヒズを送り届けたら、ペケニヨ村の周囲を探索してオーガのねぐらを突き止めて、殺す。その機会が突然現れたことにタンジェは昂揚した。
「出発は?」
「明日の昼には発ちたいですね」
 明日の昼。エスパルタには絶好のコンディションで着きたい。元よりタンジェが体調を崩すことはまずもってなかったが、興奮のあまり調子が狂う可能性はある。いつも通り食って、身体を動かし、リラックスして、しっかり寝よう。
 久しぶりの帰郷。タンジェはこの機会に、あのオーガどもと決着をつける。

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creepy sleepy 7

 浮遊感があって、目を開ける。ずしりと身体が重くなる。
 目覚めだった。
 周囲を見回す。食堂の中で寝ていた人びとがゆっくりと起き始めて、何が起きたのか分からないという顔をしていた。
「……」
 視線を手元に下ろすと星飾りは光を失っていた。
 ごそ、と衣擦れの音がして、黒曜が目覚める。タンジェはそこで、糸くずを払うために黒曜の前髪にわずかに触れていたことに気付き、慌てて糸くずを払って手を引っ込めた。とうの黒曜は眠そうに目を細めていて、その様子がまるで寝起きの猫みたいなので、気が抜ける。あんな壮絶な夢を見ておいて、寝起きの顔がこれだ。
 向かいにいた緑玉と翠玉も目を覚まして上体を起こしている。
 何が起きたのかとざわめきが広がる。食堂の奥からサナギがやってきて「やあ、起きたね」と告げた。
「……何があった?」
 黒曜が尋ねると「パーシィのほうが詳しいね」と肩を竦める。そういえば悪魔とやらを追ったパーシィは無事だろうか。
 ふと、視線を感じる。顔を上げると黒曜がこちらを見ていた。最後に心情をぶちまけた声は、聞こえていないだろう。だが言葉にしたことでタンジェはすっきり満足した。未練はない。もう筋トレ中に怪我をしかけることもなさそうだ。
「パーシィを探してくる」
 立ち上がる。
 それに応えるように、星数えの夜会にパーシィが戻ってきた。タイミングのいい男だ。
「ただいま」
 髪は乱れていたし、少し疲れた顔をしていたが、目立った傷もなく健康そうだ。サナギが「おかえり」と言った。
「タンジェはうまくやったよ」
「きみもな、サナギ」
 パーシィは食堂を見渡し、みんなが起き始めているのを見て安心したらしい。少し顔を綻ばせたが、それからみるみるうちに眉が寄り、はぁと大きなため息をついた。
「きみはそうでもないみたいだね」
 サナギが笑う。
「途中までは追えたんだけどな……」
 悪魔のことだろう。
「パーシィ、説明を」
 黒曜の言葉に、ああ、と顔を上げたパーシィは説明を始める。
「ベルベルント中の人びとが眠らされたんだが、これはどうやら、サナギの作った催眠術式を改変した悪魔による邪法で――」
 その横からサナギが2歩ばかりタンジェに近付いて、「なんで使ったの?」と尋ねた。
「あ?」
「なんで黒曜の夢の中に入ったの? というのが正しいかな」
 手に持っている光を失った星飾りを指して、サナギは首を傾げた。
「必要あった?」
 タンジェは肩を竦める。
「別に理由はねえよ、事故みたいなもんだ」
 ただ、と続けた。
「必要はあったな」

【creepy sleepy 了】

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creepy sleepy 6

 知らない場所に立っていた。
 雨が降っている。見たこともない造りの家が立ち並ぶ、見知らぬ町。
 夢の中だというのに、タンジェの身体が雨に濡れて、たちまち前髪の先が雫を落とした。その雫の先に、獣人が一人、死んでいた。
 いや、死んでいた、のではない。殺されていたのだ。人間の男に。
 絶命した獣人の顔にナイフが添えられて、ゆっくりと、丁寧に、男が獣人の瞳を抉り出す。
 抉り出された目玉を容器に入れてニヤニヤと笑う男。
 嫌悪を覚えたタンジェは瞬間、カッとなり、
「何してやがる!」
 向かっていった。
 思いきり顔面をぶん殴ってやろうとしたが、タンジェの拳は男をすり抜けた。
「お前こそ何をしている」
 と、急に背後から声がかかった。うお、と思わず声を上げて振り返ると黒曜が突っ立っていて、いつも通りの無表情でこちらを見ていた。
「……よ、よお」
 勝手に夢の中に入った手前、妙に気まずく、タンジェは片手を挙げた。
 黒曜は応じなかったが、タンジェとしても別に返事を求めてした言動ではない。
「その……邪魔してるぜ」
 干渉すらできないらしい相手に殴りかかったのを見られたことも、気まずさに拍車をかけた。
 勝手に他人の夢に入ってきたタンジェはまるきり悪趣味だ。
 黒曜にとってこの夢がどういう意味を持っているのかは知らない。だがタンジェに夢を見られているなんて不愉快でしかないだろう。この夢からは早めに立ち去るべきだ。
 ひとまず、自身を殴りつけるなど物理的な衝撃で夢から脱しようと思ったところで、だったらついでに黒曜も目覚めさせたほうがいいだろうと気付いた。
 サナギの夢から出たときは物理的な衝撃を使って、ともに目覚めたのだ。黒曜も頭突きで目を覚まさせてやろう。
 そうなればとさっそく黒曜に近づこうとすると、
「宝石眼――こいつは高く売れるぞ」
 はっとして獣人を殺していた男に視線を移す。獣人の目玉を持って卑しく笑う様子が見えた。
 よくよく見回してみれば、殺されているのはその獣人だけではない。
 周囲には目玉が抉られた獣人が老若男女問わず転がっていて、この男とあるいはその仲間たちが、目玉を目的にして獣人たちを殺戮したことが見て分かった。

 ――宝石眼はとっくの昔に狩り尽くされて、生き残りはおらんって話ですぜ。
 ――東の町にごく少数いた民族がもつ、稀少な魔眼だよ。宝石眼の目玉は魔術的価値もあれば金銭的価値も高い。
 ――その眼はこの世のものとは思えぬほど美しくまばゆく輝く、名の通りの珠玉なのだ! 世のコレクターなら、喉から手が出るほど欲しい代物よ。

 宝石眼。東の町の民族。殺された獣人。宝石眼を抉りだす男。
 いや、こんな映像だけでは、理解には遠い。
 だがタンジェは再び黒曜を振り向いて、
「なんで止めねえ!」
「……止める?」
 黒曜はごく平静な声で言って、無表情のままほんの僅かに首を傾けた。
「これは夢だ。無意味だろう」
「あぁ? 無意味なんてことねえだろ!」
 と言って返したものの、言われてみれば夢で何を為したところで確かに無意味かもしれない。
 それでも、現実に何が反映されなかったとしたって、こんな有様をぼんやり見ているよりはマシだろう!
「夢だから大人しく見てるのかよ。そんなのは俺はごめんだぜ」
「……」
 もちろん、タンジェがこの夢に干渉できないらしいことを忘れてはいない。できることは何もない。
 分かっていても、殺戮を前にして黙っていることはできなかった。
 故郷がオーガに蹂躙されたとき、何もできなかった自分を悔いて、だからタンジェは冒険者になったのだ。
 あの悔いに類するこの感情を、他人の夢だとて、無視したら、冒険者になった意味がない。
 応じない黒曜に見切りをつけ、タンジェはまた男に向かって拳を振り上げた。
 しかし、その拳が男に突き刺さる――ことは、どちらにせよなかっただろうが――その前に、まるで劇のように場面が暗転する。
 建物の中らしい。
 緑の髪の双子と黒い髪の男がいて、これはすぐに緑玉とその姉翠玉、そして黒曜だと知れた。彼らの姿は今のそれより幼く、あるいは若い。
 翠玉が黒曜に何かを告げている。共通語ではない言語らしく意味はまったく分からない。
 だがタンジェは、黒曜にとってプライベートであろうこの夢において、言葉が分からないことはせめてもの救いであるように感じられた。
 緑玉は入口を見ていて、それから振り返って、翠玉と黒曜に何事か告げた。
 黒曜たちは外の様子を窺い、そのまま、静かに裏口から出て行った――。
 タンジェは思ったまま、改めて尋ねた。
「……昔の出来事、か? 黒曜の?」
 黒曜は浅く首肯した。
「故郷の町が襲われたのか? 人間に。宝石眼、ってやつだからか?」
 黒曜の石の瞳がタンジェを見た。
 肯定とも否定ともとれない、意図も感情も分からない無表情。
 タンジェはそれを勝手に肯定だと受け取った。
 やがて、この鉄のような男の過去にある、彼の同胞たちの死にざまが、ゆっくりと腹に沈んでいく。
 黒曜はあの<罪の鏡>で、故郷の村人の血にまみれたタンジェを見たとき、何を思ったのだろうか?
 答えなんか分かるはずもない。
 暗転。
 これも知らない場所だが、どこかの屋敷の中らしい。
 過去であっても、今と同じように――いや、あるいは、今もかつてと同じように――黒衣の黒曜。その横に、翠玉が静かに佇んでいた。
 黒曜たちは身を隠すように屋敷の中を横断し、液体を撒いている。
 窓から見える外は闇で、屋敷の中もかなり暗いが、夢の中だからなのか、タンジェにも黒曜たちの様子は見える。
 明かりもつけずにたっぷりの液体を屋敷中に撒いた黒曜は、懐から取り出したマッチを擦り火をつけると、それを無造作に床に放った。
 液体に飛び込んだマッチの火は、しかして消えず、ごおっと音を立てて燃え上がる。
 火が床の液体を舐めるように走り、たちまち屋敷は炎に包まれた。
 黒曜と翠玉は素早く移動し、ある部屋に飛び込むと、数分もしないうちに中から粗末な服を着た緑玉を連れて出てきた。それから三人は裏口らしい扉から去っていく。
 さっき緑玉と翠玉は黒曜と一緒に逃げていたはずだ。そのあとにはぐれてここに緑玉が閉じ込められていたのだとすれば、過酷な逃走だったのだろう。
 ごうごうと燃える炎はまったく衰えず、タンジェの手元をオレンジ色にぎらぎらと煌めかせた。
 夜だろうに明らんだ屋敷の中に、徐々に異変を感じ取った人々の悲鳴、怒号、叫び声が響く。
 暗転する。
 見知らぬ町並みに戻ってくる。往来する人々はみんな獣人らしい。獣人の町――。
 だが雨ではない。曇り空の下。黒曜が現れる。黒曜は、傷を負った人間を数人運び込んでいる。どうやらこの町で療養させるつもりらしいことが、黒曜や周囲の者たちの仕草で分かる。
 暗転。
 傷を負っていた男たちはすっかり回復して、町を出たようだ。
 また暗転。
 雨。人間たちの襲撃。人間の群れに殺されていく獣人たち。やがてナイフは死んだ獣人の目を抉り――。

 繰り返している。

 黒曜は、夢の中でこれをずっと、繰り返しているのだ。
「宝石眼は」
 と、黒曜は言った。
「普段は隠蔽魔法で隠している」
「……」
 タンジェは黒曜の目を見た。石のような瞳が見返してくるだけだったが、魔眼に言及した直後にその目を凝視するのは、あまり上品とは言えない所作だったかもしれない。
 謝罪すべきか考えているうちに、黒曜は続けた。
「俺が招き入れた手負いの冒険者は、宝石眼に気付き、のちに奴隷商を率いて町を襲撃した。宝石眼は抉り出され売られ、あるいは希少価値ゆえに生かされ、奴隷にされる者もいた」
 黒曜の言葉を遮ってまでの謝罪は、余計だろう。
 タンジェは黒曜から視線を外し、男が抉り出した獣人の目を見た。確かにそれは――宝石のごとくまばゆく輝く、うつくしい目玉だった。
 そうだったとて、他人の目玉なんざほしいものか。
「緑玉と翠玉と俺はこの瞬間は生き延びたが、のちに捕まり、別々の場所で奴隷生活をした」
 タンジェと黒曜の前で、黒曜たちがまた逃げていく。そして雨の中に切り替わり、黒曜は屋敷に火を放つ。
「……目を抉られていた獣人は、俺が親友と呼んだ男だ。緑玉と翠玉の義兄だ」
 続けて言うことには、
「緑玉が人間を憎む気持ちは、分かってやれ」
「はあ⁉」
 デカい声が出た。いや、別に否定的な意味で出た声ではない。
 この様子を見せられれば、緑玉が人間を嫌うのは当然だと分かる。タンジェがオーガたちに復讐を誓っているのと何が違うというのか。
 緑玉の人間嫌いは正当で、それは間違っちゃいない。
 が、違うだろ、そうじゃないだろう。
「てめぇはどうなんだよ⁉」
 今この光景を見せつけられているのは黒曜で。
 それによって傷つき、苦しんでいる――のであればだが――のも黒曜で。
 じゃあここで話題に上がるべきは、黒曜の気持ちだろう。
 黒曜は無表情のまま黙り、炎の放たれた屋敷のほうをちらと見た。
 ……それが答えだということか。
 つまり、翠玉と緑玉を助け、それは終わった、ということが。
 自らの責で故郷が蹂躙され滅び、愛する人びとが殺され奴隷にされ――すべてを焼いたとて、黒曜はきっと空っぽなのだ。すべては燃え落ちて、それで本当に、黒曜の人生は「終わった」のだ。
 黒曜は、長いエピローグを生きている。
 それに対して、何を感じても、何を言っても筋違いであることは分かっている。黒曜がタンジェの言葉なんか望んでもいないことも。 
 それでも、言ってやらなければ気が済まないことがある。
「俺はな、黒曜……てめぇがぼんやりこれを見てるのが気に食わねえんだよ!」
 黒曜はタンジェのことをごく無感動の様子で眺めている。タンジェばかりが声を荒げて馬鹿馬鹿しい。
 それでも火がついてカッとなった頭は、黒曜に食ってかからなければ冷えそうもないのだ。
「無意味だ」
 と、タンジェとは真逆に火がつきそうもない様子で、黒曜は言った。
「ああそうだろうぜ。けど、そうじゃねえよ!」
 タンジェは黒曜に掴みかかった。
「起きるんだよ!」
 胸ぐらを掴んで、だがタンジェのほうが背が低いので、見上げる形になる。
「てめぇは復讐をして、ケジメをつけた。だったらこんなもん見せられて、ムカつくだろうが!」
「もう、すべて終わった」
「終わってなんかいねえ!」
 ほとんど割り込むようにして、タンジェは叫んだ。
「こんなふうに、悪意をもって他人を夢に引きずり込むやつがいる。なら、終わってなんかいねえんだよ!」
「誰しもに平等に与えられた加害なら、俺個人がそれに対抗する理由がない」
「俺にはあるんだ!」
 ならば、と黒曜は無表情のまま言った。
「お前だけで目覚めればいい」
「……っ!」
 こんなものを見せられたとて、黒曜の心は、動かないのかもしれない。
 もう終わったことで、変えられないから、黒曜は平気なのかもしれない。
 だが、ふざけるな、とタンジェは思う。
 いったい、この世の誰に、黒曜の過去を辱める権利があるだろう?
 タンジェは――そこに悪意も作為もなかったとはいえ――黒曜の見る悪夢を許可を得ずに見届けてしまった。
 ならばタンジェにはもはや、この悪夢を打ち破り、目覚めてやるよりほかはない。それは、この悪夢を見せる悪意ある誰かへの抵抗で、反撃だ。
 そうでなければ、今後、黒曜に合わせる顔がない。黒曜が望んでいなかったとしても、それがタンジェにできる最大限の埋め合わせだった。
 頭突きをしよう、と思った。だが頭の高さが足りない。
「おい、屈め」
「……」
 黒曜が屈むことはなかった。突然の要求だったし、意図も分からないだろうから、当たり前だろう。
 タンジェは自身の心境の言語化が得意ではない。それでも何とか説明しようと口を開く前に、突如、ぐにゃりと世界が歪んだ。
 今までの暗転とは、違う。

 黒曜がふいと空を見上げる。
 この夢が終わるのかもしれないと、なんとなく分かった。サナギが術式を完成させたのか? あるいは、この世界は黒曜をさらなる闇へ引きずりこもうと言うのだろうか。
 歪んだ世界にヒビが入りガシャンと割れて、地面が揺れる。
 割れた世界の破片が降ってきて、タンジェは咄嗟に黒曜から離れざるを得なくなる。
 まずは数歩離れただけだったが、地面が割れて分断され、たちまち黒曜と距離ができた。
 地響きの中でも黒曜は微動だにしない。
 こちらに視線を戻し、何か言っているようにも見えたが、地面は砕けて距離は広がるばかり、がらがらと崩れる景色にも紛れて、全然聞こえない。

 タンジェはちくしょう、と思った。
 こうしてまるきり黒曜の過去を見て――それでももちろん、すべてを理解したとは思わないが――黒曜の持つ虚空のような無感動の根源を知った。
 黒曜が過去にきっと持っていたはずのすべての感情は、この町と町の人々と、あの親友だったという獣人とともに、失われてしまったのかもしれなかった。
 タンジェは、たまらなくなる。同情ではない。安い共感でもない。
 タンジェは黒曜に憧れていたのだ。
 その憧憬は黒曜の強さにあって、だからタンジェは黒曜に戦闘を師事した。
 物事に動じない様子と、その強さは、復讐のために必要だと信じていた。それは間違っていないはずだ。
 だが、無性にムカついてきた。元より悪趣味な悪夢に腹は立っていたのだが、だんだん、無感情の様子の黒曜にも腹が立ってきた。
 だって、タンジェが黒曜の言葉に心揺さぶられ、黒曜の過去に気持ちを乱されても、黒曜のほうにそんな気はいっさいないのだ!

 ――てめぇは言ったじゃねえか! もがくのが無意味なら、俺の戦闘訓練を引き受けてはいないと。俺に、強くなれと。
 ――ああ、もがいてあがいて、強くなってやるさ。
 ――そしてそのときが本当に来たなら、それを見届けるのは絶対、てめぇの役目なんだよ!

 <罪の鏡>の一件で黒曜がくれた言葉は、タンジェの心に深く残った。今朝方だってずっと黒曜のことを考えていたのだ。それで筋トレ中に怪我だってしかけた! そんなことを黒曜は知らないだろう!
 タンジェはここにきてようやく一つ、確信した。トキの言っていたことは正しかった。学者というのは馬鹿にできない――場違いにそんなことを考えて、一呼吸。
「聞こえねえなら好都合だ、黒曜、てめぇに言いたいことがある」
 苛立ち紛れの、ほとんど八つ当たりみたいなものだ。しかしもはや言わなければこの気持ちは収まらない。
 口の動きが見えたのか、黒曜はタンジェの顔を見た。
「俺はてめぇが――ぜんぜん、嫌いじゃねえんだよッ!」
 叫んでやった。もっとも、向こうの声がこちらに聞こえていないのだ。この轟音の中なら、この声量とて、こちらの言葉も向こうに聞こえはしないだろう。
 誤解のないよう言い添えておくが、恋慕ではない。タンジェは黒曜のことが、要するに、「気に入っている」のだ。愛とか恋とかがなくたって、人は別に、人を好きになっていいだろう。
「俺はてめぇを尊敬してる。憧れてる。もしかしたら、羨ましいとまで思ってるのかもしれねえ。だからよ――こんなところで眠ったままなんて許さねえからな!」
 まず黒曜の技量に惚れ込んだのは間違いない。そして憧れを取っ払った先でなおタンジェは、自分が強くなる姿を見届ける者がいるならば、それは黒曜がいい、と思った。タンジェは、黒曜がいてくれたらどこまでも強くなれる、と。
 たとえ黒曜のすべてが終わっているのだとしても、そんなことはタンジェのこの情動にとって無関係なのだった。
 黒曜の覚醒が近づき崩壊を始める世界で、この言葉が露と消えても、目覚めた先の現実世界ですべて忘れていても、タンジェはそれで、構わないと思った。
 こんな感情は復讐の役には立たない。むしろたぶん、邪魔だ。
 だったらここに置いていこう。黒曜への苛立ちも、彼への憧憬も好意だって、すべて、黒曜の過去とともに、ここに。
 瓦解する世界は原形を留めず、崩落する地面から足を踏み外し、タンジェはたちまち落下した。

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