creepy sleepy 5
熟睡している人々を飛び越えてサナギの研究室に向かう。
サナギは変わらずぐっすり眠っていた。タンジェはパーシィから預かった星飾りを取り出し、サナギを見て、また星飾りを見た。
「どうやって使うんだよ……!」
たとえば『魔力を流し込んで起動』とかだと、タンジェには無理だ。何故ならタンジェには魔力がいっさい、ない。別に珍しいことではなく、世の中には魔力がある人間とない人間が半々くらいだ。タンジェは魔力がなくて困ったことは一度もないが、もし魔力がない人間が魔術を使いたいなら、先日のトリカのように、スクロールを使う方法がある。あれは魔力がない人間のためにこそ作られたものだ。
さて、この星飾りは『魔力がない人間のため』に作られているだろうか? タンジェは星飾りを裏返したり振ったりしてみた。しかし星飾りは沈黙している。どうすりゃいいんだよ、と半ばヤケになり、寝こけるサナギの頬にぺちと押し付けた。
突然、星飾りのほのかな光が強さを増してまたたく。まぶしい。とっさに目を閉じて、光が収まるころに目を開いた。
サナギが眠っている。
それだけなら先ほどと何も変わりない。――が、実際はそれだけではなかった。サナギは眠っていたのだが、人数が異常だった。2、3人程度ならまだいい――いや、よくはないが――そこには10人近いサナギが、床に転がり、壁に寄りかかり、机に突っ伏して眠っていた。
サナギの夢に入れたのだろうか? だとすれば、これがサナギの夢?
わけのわからねえ夢を見やがって、と思うタンジェに、
「やあタンジェ」
声がかかった。
たった一人だけ起きているサナギがいて、何かよく分からないガラクタの上に腰かけていた。サナギはタンジェを見て、のんきに、
「迎えに来てくれたの?」
と、首を傾けた。タンジェは呆れる。サナギはここが夢だと、そして起きるべきだと、とっくに分かっているのだ。
「夢だと分かってて、自分でどうにか起きようって根性ねえのかよ」
タンジェが吐き捨てる。対してサナギは、けらけら笑った。
「きみはきっと、自分でどうにか起きたんだろうね。根性で」
「……」
その通りなので何も言えなかった。思わず舌打ちする。
サナギは自分の尻に敷いたガラクタから延びるヒモのようなものを手で弄んだ。少しの沈黙。
「俺でいいのかな、って考えてたんだ」
「あ?」
サナギは別に、深く悩んでいるようでも、悲しそうでもなかったが、かといって明るいいつもの調子という感じでもなかった。意図を図りかねる。
周囲の眠り続けるサナギたちを見回したサナギは、
「見れば分かるとおり、サナギはたくさんいて、その中で俺だけこうして意識があるけど……」
そう言って、肩を竦めた。
「もしかして、『今の代』のサナギは『俺』じゃないのかもしれない」
「わけわかんねえ」
タンジェはそういう哲学的なことを考えるのは苦手だ。サナギの考えることを理解しようとも思わない。
「どのサナギが今の代だろうと、今意識があるてめぇが『サナギ』でいいだろ」
ぱちぱち、と目を瞬かせたサナギが、タンジェを見て笑う。
「タンジェってすごいよなあ」
「はあ?」
「まっすぐというか……単純というか」
「悪口じゃねえか」
「まさか! 褒めてるよ。これ以上ないくらいにさ」
さて、と言って、サナギががらくたから降りて、ぽんぽんと尻の埃を払った。それから、
「それじゃ、行こっか。現実にさ」
「おう」
タンジェはサナギの正面に立って、サナギの両肩を両手それぞれで掴んだ。
「なんで俺の両肩を掴むのかな」
「目ェ覚ますんだろ。歯ぁ食いしばりやがれ」
「本気で言ってる?」
何か言っていたが無視して、思いきり頭を振りかぶる。
「待って待って、痛いのはヤなん……へぶっ!!」
額をサナギの額に叩きつけた。
もちろん夢の中のことなので、タンジェの額は割れてもいないし痛みもしない。それでも何となく違和を感じて額を撫でるが、こぶにもなっていない。
目の前のサナギも、上体を起こしてタンジェと同じように額を撫でている。
「頭突きはひどいよ」
そうは思わない。タンジェ自身も起きられるよう、どちらにも衝撃がある方法をとっただけだ。
「まあ、結果として起きられたから、いいか。ありがとう」
返事の代わりにひらひらと手を振った。別に照れてるわけじゃない。そもそもタンジェの手柄ではない、パーシィの手柄だ。
「それで……何が起きてるの?」
「俺にもよく分からねえが……」
そう前置きして、ベルベルント中のほとんどの人が眠ってしまっていること、パーシィが言うには、おそらくサナギの盗まれた術式が悪魔に改変され邪法と化したのであろうこと、だからパーシィや一部の聖別されたものを身に着けた人は無事だということを、なんとか説明した。
「それでパーシィは、このロザリオの神聖力を拡散する術式をてめぇに書けとさ」
タンジェはサナギに、パーシィから託されたロザリオを手渡した。サナギは何度か軽く頷いて、「なるほどね」と言った。彼が事の次第をスムーズに理解したのは、タンジェの説明の巧拙の問題ではなく、サナギの理解力の賜物であろう。
「悪魔による改変か……。さすがにそこまでは予想してなかったな」
「パーシィは犯人の悪魔を探しに行ったぜ」
「そっか。それじゃあ、そっちは任せよう。幸い、力の拡散については、古い日記を漁っているときに見かけたばかりだ。ほどなくできると思うよ」
「そうかよ」
「少し待っていて。その間、タンジェは……自由にしていていいよ」
サナギは立ち上がると、すぐさま机に向かった。
タンジェは手元近くに落ちていた星飾りを見る。まだ淡く光を放つそれは、確かあと1回使えるはずだ。もっとも、使うアテはない。落ちたまま放っておくのも気持ちが悪いので拾い上げて、サナギの邪魔にならないように研究室を出た。
静まり返った星数えの夜会の食堂で術式の完成を待つことにする。
筋トレでもしようか、だとすれば自室のほうがいいか……考えながら食堂を見回すと、黒曜が目に入る。足が動いて、タンジェは黒曜の横に立った。無防備に眠る黒曜の横顔……を、眺める自分に呆れた。何をしてるんだ、俺は? 我ながら、いくらなんでもキモすぎる。
すぐに離れようと思ったが、その前に黒曜の前髪に何か、糸くずのようなものがついているのが見えた。ほとんど無意識にそれを払おうとして黒曜の前髪に触れていた。
その瞬間、左手に持っていた星飾りが輝きだす。
「あ――?」
マジックアイテムが発動した、と理解したときにはすでに、タンジェは星数えの夜会から離れて、黒曜の夢の中にいた。
creepy sleepy 4
今度は聖ミゼリカ教会に走っていく。ベルベルントの街中を走り抜けるくらいなんてことはないが、徐々に日が落ちかけているのが気にかかった。点灯夫も寝ているなら、街灯にも火が入らず暗いままだろう。動きにくくなる。
聖ミゼリカ教会にはほどなく到着した。教会の扉を開けると、シスターや修道士が数人、戸惑った様子で何か話し合っている。――起きている! その中にパーシィもいた。
「タンジェ!」
扉が開いたのに気付いてすぐパーシィがタンジェに駆け寄ってきた。
「パーシィ」
まさか本当に起きているとは。ブルースの言っていたことは本当なのだろうか?
「タンジェ、よく無事だったな!?」
「一回は寝たが……無理やり起きた」
ブルースに言ったのと同じことを言うと「すごく助かるよ」とパーシィは頷いた。
「助かる? どういうことだ? 何か知ってるのか?」
タンジェの質問に、パーシィはちらと背後で話し合いを続ける修道士たちを見やったあと、俺に耳打ちした。
「悪魔の仕業だよ」
「はあ?」
思わず大きな声が出た。パーシィは気にせず続ける。
「元とはいえ俺は天使だから分かる」
「それじゃあ……盗まれたサナギの術式じゃねえのか?」
「サナギの術式?」
「<眠りへのいざない>とかいう、生物を眠らせる術が盗まれたって言ってたんだ。使った本人も寝ちまうとかいう話だったが……」
「ああ、どおりで悪魔の気配の底に無機質な力を感じたよ。たぶん、ベースがそれなんだろうな」
「どういうことだ?」
パーシィは少しだけ考え、タンジェにも分かるように言葉を選んだらしく、
「たぶんだが、サナギの術式に悪魔が手を加えたんだろう。使い手まで寝てしまう欠陥を直しているかまでは分からないが、だから俺には、術は効かない」
なるほど分からない話ではなかった。タンジェは悪魔なんてものにお目にかかったことはない。しかし、タンジェの少ない知識で想像し得る悪魔は、悪辣で悪趣味だ。今回のあの悪夢が悪魔の仕業だとすれば納得がいった。
サナギは例の術式について悪夢を見せるものだとは言っていなかったから、あの悪夢は<眠りへのいざない>に最初から付随していた効果ではない。術を盗んだ挙句、そのように改造したのが悪魔だというわけか。
「しかし、他にも無事な奴らが数人いるぞ?」
パーシィに合わせて小声で尋ねると、
「たぶん、きちんとした聖別を受けた何かしらを身につけてる」
「あ? 信者はみんな聖別したものを身につけてるんじゃねえのか?」
ベルベルントにも聖ミゼリカ教徒はごまんといるはずだが、外で起きている者は見かけなかった。パーシィは、
「聖別にも個体差がある。やはり実力のある聖職者に聖別されたもののほうが、聖なる力が強い」
「……そんなもんか」
それもまあ納得がいく。実力ある聖職者に聖別されたロザリオは、値段や入手難度も高いのかもしれない。一般人に広く流通しているロザリオは、つまり、所詮その程度だということだろう。なんだか世知辛い話だ。
しかしそうなるとブルースの持っていた盗品のロザリオはそれなりの逸品だということになる。どこから盗ってきたのだろうか……我が師ながら手癖の悪い男だ。
「本来はただの眠りの術でしかなかったものが、悪魔が手を加えたことで邪法になり果てたんだろう。それしか考えられない。きみはかなりイレギュラーだ」
真剣な表情のパーシィにはかなり説得力があって、タンジェは、そうかよ、しか言えなくなる。
「タンジェ、頼みがあるんだ。俺はこれから元凶の悪魔を探す。その間、サナギに神聖力の効果範囲をベルベルント全体に広げる術式を書いてほしいんだ」
「それはいいけどよ、サナギも寝ちまってるぜ?」
「これを渡しておくよ」
パーシィから手渡されたのは、星の形をしたアミュレットだった。
身に付けるには大きく、壁などに掛けるには小さい。手のひらサイズのアミュレットは、ほんのり光を放っている。
「ここ最近、悪夢を見るって人間が多いという話をしたろ? その人たちのケアのために作られたマジックアイテムなんだけど、人の夢の中に精神を飛ばして入り込むことができるんだよ」
理屈は分からないが、パーシィの言いたいことは分かった。つまり、
「これでサナギの夢の中に入って、叩き起こしてこいって?」
「そういうことさ」
本当なら5回は使えるんだけど、今日もケアをしたから使えるとしてあと2回ってところかな、とパーシィは言った。
「あと2回……」
「それからこれ」
と、パーシィは自身のロザリオを外してタンジェに託した。
「おい、これ無えとてめぇも寝ちまうんじゃねえのか」
「元とはいえ天使だ、ロザリオくらいなくても、このくらいの邪法なら耐えられる」
パーシィは「このロザリオを目覚めたサナギに渡してくれ」と続けた。
「このロザリオなら、たぶん広域化の術式を組んで神聖力を拡散させられると思う」
「そ、そうかよ」
こちらも理屈はよく分からないが、サナギにそのまま言えば、やつなら分かる、ということだろう。タンジェが頷いたのを確認してから、
「じゃあよろしく頼むよ!」
「おい、パーシィ!」
思わず呼び止めた。教会から飛び出していく最中だったパーシィは立ち止まり、律儀にタンジェを見た。
悪魔を探すアテはあるのかよ、とか、気をつけろよ、とか、言うべきことは頭によぎるのだが、どれも言葉に出すのは憚られた。そんな気遣いを自然に口に出せるなら、タンジェは今よりもう少し友人が多いだろう。
口ごもるタンジェに、パーシィが首を傾げるので、せめて何か言わないとと思い、結局、
「た、助かる」
と、礼にも満たない言葉が出た。
パーシィは特に気にした様子もなく笑って教会を出て行った。
タンジェもパーシィに続いて急いで教会から離れる。目的地は再び、星数えの夜会だ。
creepy sleepy 3
気付けば雪はやんでいた。パーシィが教会へと向かってから、タンジェも外に出ることにする。筋トレもいいが、もう少ししっかり身体を動かしたい。
気温は低いが雲はすっかり別の場所へ移動したらしい。今日これからは、雨や雪に悩まされることはなさそうだ。
聖誕祭を祝う準備だろう、店先にはカラフルな菓子が並んでいる。それらを横目で見ながら、森林公園までジョギングをした。
ストレッチをしてから、休憩しようとベンチの雪を払う。木のベンチは水分を吸ってしっとりしていたので、首にかけてきたタオルを敷いて腰かけた。吐く息は白かったが、走ってきた身体は汗ばんで体温が上がっている。
日の当たるベンチはこの時期にしてはあたたかく、ぼんやりしていると眠ってしまいそうだ。……
「!」
ハッと目覚めた、ということは、寝ていたらしい。
慌てて周囲を見回したが、まだ空は青く、日も少しだけ傾いた程度のようだった。寝ていたとしても10分か20分といったところだろう。ジョギングしてのんきに寝落ちなんて、笑えない。今までトレーニング中に眠気に襲われたことすらなかったのに、あまりに急な寝落ちだった。疲れていたのだろうか? 自覚症状はないのだが。
宿に帰る前に武器屋にでも寄るか、と思いながらベンチから立ち上がる。一歩踏み出したところで違和感に気付いた。
――森林公園じゃない。
振り返り見下ろせば、タンジェが寝ていたのも、ベンチではない。横倒しになった大きな丸太だった。
ザクリと足を踏み鳴らした地面で、ここが森にほど近いところだと分かった。辺りを見回すと、見慣れた場所である。
タンジェのふるさと、ペケニヨ村だった。
「……」
夢だとすぐに分かった。
妙な現実感を伴って、ひどく気味が悪い。
まるで過去に戻ってきたような、今ここにタンジェがいることが何もおかしくないみたいな顔をして、ペケニヨ村は、そこにあった。
燃えてもいない、オーガの群れに襲われてもいない、村人たちが普通に生活を営み、平和に毎日を過ごす、それ。
ペケニヨ村の夢を見ることは珍しくない。
だが、タンジェが見る故郷の夢は決まって、滅びている最中か滅びたあとだった。
こんなふうに生活感のあるペケニヨ村を夢に見たことは、復讐を志してから今まで一度だってない。
「タンジェ」
覚えのある声がタンジェを呼んだ。
振り向くと、そこにはタンジェの家があって。
両親が、立っていた。
「……!」
息を呑む。
「休憩にしましょう。クッキーを焼いたわ」
いつの間にかタンジェは手に斧を持っている。足元に目を落とすと薪があった。薪割りの途中だったとでもいうように。
「寒いだろう、早く中にお入り」
まるで現実が夢で。
この夢が現実であるみたいに。
「どうしたんだい、タンジェ」
「お茶も淹れるわ。だから……」
父と母は、こう告げる。
「復讐なんて、やめたらいいわ」
「ずっとここにいるといいよ」
タンジェは吼えた。
「ふざけんじゃねぇーッ!」
これは夢だ。それは、間違いない。
それでいて、ただの夢じゃない。一見、優しい夢だ。だがその実、恐ろしく悪趣味で、最悪な夢だ。
両親がその死に際に、復讐を望んだか否かは、分からないことだ。今後も絶対に、把握できないことだ。
それでも死者は、意思を持たない。
復讐をしろ、と亡き両親に言われたら、それだって嘘だ。
それとまったく同様に、「復讐なんてやめろ」とも、言うはずはない。
「親父とおふくろの見た目で……分かったようなクチをきくな!」
怒鳴り散らす。
それでも両親は、にこにこと微笑んでいる。激昂するタンジェを、諫めもしなければ、怯えも、怒りもしない。
ふざけるな。ふざけるな!
こんな悪夢の舞台装置みたいにして、親父とおふくろを侮辱するな!
まるでこれが二人の真意であるかのように、復讐の否定を演じさせるな!
――それでも夢と分かっているならば、享受して今は亡き両親に甘えるのは簡単だ。
だがこんな夢、受け入れられるわけがない。
今更、こんな偽物の平和を受け入れられるなら、復讐なんか志していない!
タンジェは肩で息をしながら、パーシィが言っていた『悪夢に悩まされる人々』のことを思い出す。
きっと、自分が見ているこれもまた、ちまたを騒がす悪夢のひとつなのだろう。
ここにいてはいけない。この悪趣味な、一見、優しげな甘い悪夢は、受け入れてしまった瞬間、タンジェの心を蝕んで、深い深い夢の底まで引きずりこむかもしれない。
だが、みすみすこんな夢に呑まれる気はなかった。こんなくだらない、ムカつく夢に屈しはしない。
夢から目覚める方法なんて決まっている。タンジェは迷わなかった。
持っていた手斧を、左腕に叩き付ける。
目覚めると、今度こそ森林公園だった。
左腕がじんじんする。タンジェは眠りながらも、夢の中と同様に、握った右手を強く左腕に叩き付けたようだった。夢で突き立てられた斧は当然ながら現実にはない。タンジェの馬鹿力にかかれば、腕くらい折れてもおかしくなかったが、殴られたほうの左腕だって頑丈なタンジェの一部だ、無事だった。痛みも徐々に引いていく。
タンジェは空を仰いだ。――最悪な夢だった。
反芻したせいで、叫び出しそうな怒りに包まれる。だが、森林公園でいきなり吼えたら不審者だ。タンジェは耐えたが、
「……っち!」
むしゃくしゃして、舌打ちをして小石を蹴る。
小石が転がった先に、人が倒れていた。突然で唐突だったので、一瞬、判断が遅れたが、
「……おい!」
駆け寄り呼吸を確かめる。なんてことはない、生きている。心臓は正常に動いているし、呼吸も……寝息のそれだった。タンジェの素人目に見れば、ただ眠っているだけだと思われた。
とはいえこんな道端で寝落ちしているのはあまりに不自然だ。タンジェは周囲を見回した。森林公園にいた市民たちが――タンジェと同じように――みんな、眠っている。異常事態だということは、すぐに分かった。
タンジェは数瞬、どうするべきかを考えた。ひとまず、足元で寝こけている市民に何度か声をかけ、できるかぎりの手加減をして頬をぺちぺちと叩いてみたが、起きる気配はまったくない。
タンジェは結論を出した。これ以上、自分だけでできることは何もない。
誰かの意見を仰ぐべきだ。リーダーの黒曜、あるいは参謀のサナギ。ならば行く場所は決まっている。星数えの夜会だ。
夜会へ戻る途中、何人も倒れ伏して眠る人びとを見た。起きているやつは一人もいない。
まだ日も高いのに、街の全てが眠りについたように、ひどく静かだった。
★・・・・
星数えの夜会に飛び込むと、まずカウンターに突っ伏して寝ている親父さんが目に付いた。それからテーブル横のソファで娘さんも。あのあと歓談していたらしい黒曜と、その相手だったのだろう緑玉、翠玉の三人も眠っている。
「おい!」
声をかけて揺り起こそうとしても、まったく反応がない。そのうち勝手に起きるだろうか?
いや、と、タンジェはすぐさま否定した。
自分が見た悪夢のことを考える。今までに見たことがないタイプの悪夢だった。誰かの悪意すら感じたのだ。
これは人為的な出来事なんじゃないか――そう考えたところで思い至った。
サナギが言っていた、盗まれたという術式。
だいたいサナギは研究室にいる。急いで駆けつけノックしたが、返答がない。嫌な予感を覚えながらドアを開けると、混沌とした部屋の中に、やっぱりか、サナギが寝こけていた。
「勘弁しろよ……!」
サナギの元まで移動してぺちぺちと頬を叩くが、「うーん」とのんきな呻き声を上げただけで、サナギはすやすや眠っている。悪夢にうなされているという様子ではなかったが、起きそうもない。
「どうしろってんだよ……!」
あのあと解除術式が完成したという話は聞かない。だがサナギのことだ、未完成のまま放置ということもないだろう。サナギのことを叩き起こせば、解除術式とやらでみんなを起こせるかもしれない。だがそのサナギを起こすために、何をどうしたらいいのか。タンジェは考える。
冒険者として、少しずつ経験は積み重なってきている。自分ができることとできないことも、今なら冷静に分析し、判断できるはずだ。タンジェが今できること――盗賊役としての役割の遂行。すなわち、情報を集めることだ。
そうなると、行く場所も絞れる。情報なら、盗賊ギルドだ。
タンジェは夜会を出て、足早に盗賊ギルドに向かった。道中、無事な人がいないかを確認するが、起きている人間は一人としていなかった。人間どころか、犬も猫も眠っている。
間もなく辿りついた盗賊ギルドでも、出入りを管理しているギルド幹部までが眠っていた。不安が募る。もうこの街に、自分以外に起きているものはいないんじゃないか――タンジェは首を横に振る。そんなことを決めつけるのはまだ早い。
横たわった幹部の身体を跨いで、暗くて狭い盗賊ギルドの中に踏み込んだ。
盗賊ギルドはそもそも静かな場所だが、静寂がいつにも増す。タンジェは奥のテーブル席へ顔を出した。ブルースの定位置だ。
人影が動く。テーブルに突っ伏していたバンダナ頭がこっちを向いた。
「……! タンジェ!」
「起きてやがったか!」
お互いに驚く。タンジェはブルースのもとへ駆け寄った。
正直、ほんの少しだけ途方に暮れていたので、知り合いが目覚めていたのは朗報だった。しかしそのことは表面に出さず、タンジェは尋ねる。
「なんでてめぇは無事なんだ?」
ブルースは「知らねえよ」と顔を歪ませた。
「なんでこんな状況になっちまったのかも分からねえんだ」
そうだな、とタンジェも頷いた。ただ、一応、心当たりだけは告げておく。
「……俺のパーティの参謀役が作った術式とやらが盗まれたんだとよ。その中に広範囲に眠りをもたらす術があったらしいぜ」
ブルースに隠し立てする意味はないし、今は解決策を探す段階で、頭を捻る人間は少しでも多いほうがいいだろう。ブルースは難しい顔で首を捻った。
「何だと……? じゃあ、それが原因か……? 盗まれたのが最近だってんなら、タイミング的にも可能性は高そうだが……」
「ああ。同じやつが最近、それの解除術式とかいうのを作ってたんだが……そいつも寝ちまってるんだよ」
ブルースは少し悩んだあと、それはそれとして、と言い、
「タンジェこそよく無事だったな」
「一回は寝たんだ、無理やり起きた」
「さすがの根性だな」
賞賛と呆れが半々という感じで言ったあと、ブルースはごそごそと懐を漁って小綺麗なロザリオを取り出した。
「俺が無事だったのは、神サマの加護かもしれねえな」
「はあ? ……てめぇ、聖ミゼリカ教徒だったのかよ?」
「んなわけねえだろ。盗品だよ」
タンジェの顔こそ、呆れに歪んだ。ブルースは悪びれることなく、
「でも、これが助かった要因だとすれば、聖ミゼリカ教徒は全員無事って理屈になるよなァ」
「聖ミゼリカ教徒……」
パーシィの顔が脳裏に浮かぶ。なるほど次の行き先としては悪くない。
「聖ミゼリカ教会に行ってくる」
「なんだい、慌ただしいねえ」
「てめぇと話してても得るものがなさそうだからな」
「おーい、助かったのがロザリオのおかげだって可能性、見つけたの俺だからな?」
恩着せがましい。面倒に思い無視した。
creepy sleepy 2
結局、触られたほうが覚えがいいだろうと思ったはずなのに、後半は頭が真っ白だった。
変な汗をかいていたタンジェは自室に戻ってタオルで拭いて、それから階下に戻って食堂のカウンターに腰掛けた。
そこで、そもそも飲み物を目的に階下に下りてきたことを思い出す。
扉の開く音がする。パーシィだった。外から帰った彼は珍しく難しい顔をしている。カウンターにいるタンジェの横に座りながら、
「人間ってのはこれだから!」
と言い出す。
人間の俺の前でよくそれが言えたもんだとタンジェは思う。別に気にはしないが……。
「なんだなんだ」
親父さんがカウンターに顔を出した。
「人間はどうしてこう、神の奇跡を気軽に賜れると思ってるんだろう? 大した信仰心もないのに、自分勝手な話だよな!」
手袋を嵌めた指がトントンとカウンターテーブルを叩く。普段、あまりしない仕草だった。苛立っているのかもしれない。タンジェは聞き流しながら「親父さん、なんか飲み物くれ」と言った。
「おう、キャロットジュースがあるぞ」
「じゃあ、それを頼む」
「俺ももらう!」
便乗してキャロットジュースを頼んだパーシィは、
「今、聖ミゼリカ教会がえらいことになってるんだよ」
と、聞いてもいないのにしゃべり出した。
「人でごった返してるんだ。信者もいるけど、そうでない人もいる。別にそれで差別をしたりはしないさ、でも……」
親父さんがキャロットジュースをタンジェとパーシィの前に置く。パーシィはグイッとそれを一気に飲み干した。
「でも?」
合いの手を入れた親父さんに、パーシィは改めて向き直って、
「信仰心がないのに、ミゼリカ教の奇跡には頼ろうなんて、都合がいい話じゃないか!?」
キャロットジュースを飲みながら、タンジェは苦い顔をした。タンジェだって聖ミゼリカ教なんて信じていないが、パーシィの聖なる力には散々世話になっていた。
「そんなこと言ったって、社会奉仕はミゼリカ教の教義のうちだろう」
親父さんはパーシィの前のグラスを引き上げ洗いながら、なんてことはないように言う。
「信仰心の有無で救う人を選ぶのは、本意ではなかろう?」
「目の前で怪我してれば、分け隔てなく助けることはやぶさかじゃないさ。でも、睡眠の質を上げるのが教会の仕事かい!?」
「睡眠の質だぁ?」
あまり考えたことがない。疲れてるときにはたまに悪い夢を見たりもするが、基本的に自分は睡眠の悩みはないほうだと思っている。親父さんも目を瞬かせて、
「どういうことなんだ? パーシィ」
と、続きを催促した。
「つまりさ、あまりにも悪夢を見るから、ミゼリカ教の奇跡でなんとかしてくれって人が大勢押しかけてきてるんだよ」
冒険者の俺が駆り出されるくらいに! と、パーシィは力説する。
「確かに、精神安定の法術は存在するさ。俺も使える、比較的低級な術だ。でもそれで個人が見てる悪夢が改善するかなんて、そんなのこっちの知ったことじゃないだろ!?」
「まあ……確かにな……」
「信仰の場だから俺の力は確かに強くなるけど……低級な術だってエネルギーは使うし、改善しなかったら文句を言うし、数もすごいし、しかも連日で参るよ!」
さすがに同情した。そういえばここ数日、パーシィは出かけていることが多く、あまり姿を見かけなかった。そういう事情だったらしい。
「しかも無償奉仕だぞ!」
「そりゃ、納得いかねえな」
「元天使が見返りなんて求めるもんじゃないぞ」
と、親父さんが笑うので、
「だから『元』なんだろ」
タンジェが適当に思ったことを言うと、パーシィは耳の痛そうな顔をした。思いがけず図星だったらしい。
「それはそれとして、最近、嫌な空気感なんだよ」
露骨に話を変えた。
「ふわっとしてんな。なんだよ、嫌な空気感って」
「空気が悪いというか……とにかく、嫌な感じがするんだ」
元天使なりに何か感じるものがあるのだろうか? タンジェには聖誕祭を目前に控えた平和な街にしか見えない。もっとも、どうやらその実、悪夢を見るだ何だで落ち着かない界隈もあるようだが。
そのとき、
「嫌な感じ、ですか。あまり出歩かないほうがいいですかねえ」
突然背後から声が聞こえてきた。
顔だけ傾け振り返ると、背の高い人影が立っている。
片眼鏡をかけた柔和な物腰の男だ。10月の終わり頃にタンジェがこの宿に案内して以降、星数えの夜会に泊まっている。そのあと名前も聞いたのだが、何といったか、確か……。
「よう、ラヒズ。キャロットジュースがあるが、飲むか?」
親父さんが呼んだことで、思い出す。そう、ラヒズといった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、外出するところなのですよ。出歩かないほうがいいのだろうとは思いますが、ね、パーシィくん」
ラヒズは上品な笑みを浮かべて、パーシィにそう語りかけた。
パーシィはこちらも負けず実に爽やかな笑顔で、
「いや、いいんじゃないか。所詮、俺個人の感覚だし。用を済ませてくるといい」
「そうですね。それでは。夕刻には戻ります、親父さん」
「ああ、行ってらっしゃい」
ラヒズはすたすたと去っていった。
出入り口がばたんと閉まるのをしっかり確認してから、パーシィは思いっきり眉を寄せて、
「嫌なんだよな、あの人」
と、これまた珍しいことを言った。
パーシィは人間をひっくるめて見下しているところがあるが(本人に言ったら否定するだろうが)、個人に対して好き嫌いとか、得手不得手とか、そういった個別の感情を抱くことはないタイプだと、タンジェは勝手に思っていた。
「どこが?」
別にパーシィの好き嫌いを咎めるつもりはなかったが、単純に気になったので尋ねた。
「どこと言われると困るんだけど、雰囲気が好きじゃない」
「滅多なことを言うもんじゃないぞ」
親父さんがパーシィを嗜める。
「礼儀正しいし、宿代もきちんと払ってる。揉め事も起こさん。真っ当な人間だよ」
「そうかもしれない。ただ、人間性の問題じゃなくて……。……いや、これは俺個人の感覚の話だから、忘れてくれ」
パーシィは話を切り上げ、
「それより親父さん、午後からも教会なんだ。向こうで食べられる軽食を出してもらえるかい?」
「本当に忙しいんだな。サンドイッチを作ってやるから待ってろ」
だいたい、この宿で持ち運びできる軽食を求めれば出てくるのはサンドイッチである。美味だし、バリエーションも豊富だから、文句なんて出ようはずもない。親父さんのサンドイッチを大人しく待ってる間、パーシィは行儀良く座っていた。
creepy sleepy 1
「いってぇ!」
タンジェは思わず悲鳴を上げて悶絶した。右手で上げ下げしていたダンベルが、目測を誤って膝に直撃したのだ。
「くそ!」
ダンベルをいったん置いて膝を確認する。動くし骨に影響もないだろう。しばらく痛みがあったが、それも大して長く続かず引いていった。
慣れた筋トレで今さら怪我をするなんて笑えない。だが考え事をしながらダンベルを惰性で上げ下げしていた自分が悪いのだ。
その考え事というのが、本当にくだらなくて大したものじゃないという事実が自己嫌悪に拍車をかけた。
黒曜のことだ。
黒曜がどう、というわけじゃない。ただ黒曜のことをぼんやり考えていた。
<罪の鏡>の出来事以来、タンジェが黒曜のことを考える時間は明らかに増えていたし、何より、先日の遺跡発掘の依頼でトキに言われた言葉がぐるぐると巡っている。
黒曜に何か礼をしたいとか、言いたいことがあるとか具体的なことならいいのだが、そうじゃない。ぼんやり黒曜の顔が思い浮かび、それで……それだけなのである。
こんなふうに特定の個人のことで頭がいっぱいになるのは初めてで、我に返るたびにタンジェは頭を抱えたくなる。
――くそ! なんなんだよ。
理由を考えれば、きっとトキがタンジェに、タンジェが黒曜のことを「好き」だとかなんとか言い出したのが原因で、だからタンジェは余計に腹立たしく思う。脳裏によぎる黒曜が、ではなく、そんなことを考えて筋トレで怪我をしかける自分が、である。
タンジェは筋トレを切り上げて、気分転換に飲み物でも取ってくることにした。
階下に下りると、朝早くに出かけた黒曜が戻ってきている。黒曜を見ても、改めて何かマイナスな、あるいはプラスな気持ちが湧くわけではないし、遭遇を回避したいという思いもない。そもそもタンジェが筋トレをしていたのは、黒曜待ちの時間潰しだった。黒曜が出かけていたので戦闘訓練が延期になっていたのだ。
「なんだよ黒曜、戻ってたなら声を……」
かけろよ、と言いかけたが、黒曜がじっとタンジェを眺めるので、思わず黙る。黒曜はほんの僅か目を細めて、二度まばたきし、それからごく平坦な声色で「今戻ったばかりだ」と言った。
「……そうかよ。何してたか知らねえが……戦闘訓練は休んでからにするか?」
「問題はないが、悪天候だな」
その言葉で初めて雪が降っていることに気付いた。結構な本降りだ。部屋での筋トレ中もカーテンは開けていたのに、まるで気が付かなかった。
「……じゃあ、今日は勉強会か?」
タンジェは少しがっかりした。身体を動かすほうが好きだ。
「そうなるな。ついてこい」
黒曜は言って、すたすたと上階へ歩いていく。タンジェは言われるままについていった。黒曜の行き先は彼の自室だった。入るのは初めてだ。座学は食堂のテーブル席ですることが多い。
黒曜は腰に提げていた青龍刀を下ろして椅子に立てかけた。ベッドと机と椅子以外に何も余計なものがない黒曜の部屋は、男が二人立つスペースは充分ある。
「今回は人体急所について学んでいく」
黒曜は言った。
「前にも勉強したじゃねえか?」
戦闘訓練が始まってわりと早い段階で学んだと記憶している。
「復習も兼ねるが……今日は実際に、触れていく。お前はそのほうが覚えが良さそうだからな」
なるほど。以前学んだときは解剖学だかなんだかの本を使った完全な座学だったが、正直あまり頭に入ってこなかった。実際に急所の位置に触れていくのは大事かもしれない。
「人体急所は複数あるが、シンプルにいこう。まずは心臓」
黒曜はタンジェの胸に手のひらを置いた。
――お前が俺の急所に触るのかよ!
黒曜には殺気も敵意もなく、手のひらからは大して温度も感じなかったが、ただその手を心臓に添えられた、というだけで、タンジェはひやりとする。心臓が急に跳ねるように脈打った。緊張、だ。黒曜にタンジェを害する気はない――分かっているのに、急所を掌握されていることは明確で、タンジェはそれだけで、ぴくりとも動けなくなった。
「鼓動が早くなったな」
黒曜は言った。
「正しい反応だ。恥じることはない」
「……はっ……。そうかよ……」
緊張をフォローされたのだろう。恥じることはないとは言うものの、落ち着かない気持ちを見透かされるのは若干恥ずかしく、悔しい。
「心臓は胸骨で守られている。狙うなら胸骨の間を通して刺せばいい」
黒曜の手は胸から腹へ。
「次はみぞおち」
「あ、ああ」
「ここに衝撃を受けると呼吸困難に陥る。打撃でも有効な急所だな」
不快というわけではないのだが、ぞわぞわする感覚がある。無防備に他人に急所を晒しているのだから落ち着かないのは当たり前だ。黒曜の手は腹からさらに下に、
「次は金的……」
「わーッ!! 待て、待ておいッ!!」
タンジェは大きな声を出した。黒曜は手を止め、無表情でタンジェを見る。
「さ、触んじゃねえッ!! そこは……言葉だけで分かるッ!」
「そうか」
ごく冷めた反応であった。タンジェが一瞬、自分の感覚のほうが間違っているんじゃないかと錯覚しかけるほどに。
――いや、しっかりしろ、俺。こればかりはさすがに黒曜が悪い。
黒曜は特に気にした様子もなく次の急所へ手を動かす。変な意識の仕方をしたせいか、胴体の一通りの急所を確認し直し、頭部の急所に触れられる頃には、タンジェは早く終わってくれとすら思っていた。
プロフィール
一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
中世洋風のファンタジー。
登場人物は男キャラ多数。
冒険者一行の連作短編です。
このブログに掲載している小説はフィクションです。
実在する人物・組織・事件等とは一切関係ありません。
また、著作権はやまかしにあります。
このブログにある画像、文章の無断転載・AI学習はしないでください。