カンテラテンカ

花通りの戦い 3

 閃きと同時に決断、そして決断と同時に、アノニムは手に持っていた棍棒を、ハンプティに向かってぶん投げていた。
 狙いは正確に。だが一瞬の時間もかけず。
 アノニムの人並み外れた怪力から繰り出された棍棒は、恐ろしく凄まじい速度で、まっすぐにハンプティの腹に突き刺さった。
 人間相手だったら棍棒はきっと骨を粉々に砕き、肉をひしゃげさせただろう。しかし見た目は少年でもさすがは悪魔といったところか、ハンプティは勢いよくゴムまりみたいに跳ねて階段を転げ落ちてきただけで、意識も失ってはいなかった。
 だがハンプティが階段を落ちている間、アノニムは迷わず娼婦の手からカミソリを叩き落とし、足を払って床に倒した。ハンプティが階段の下で顔を上げるまで実に十数秒、アノニムはあっという間に娼婦全員のカミソリを奪い遠くに捨て、突っ立つ娼婦を全員組み伏せていた。
「――やっ、て、くれたね……!」
 ハンプティが血反吐を吐いて心底苦い顔をした。
 ホックラー遺跡で相対したとき、アノニムが遠距離攻撃や投擲の類を扱わなかったので、まるっきり油断していたのだろう。
 アノニムは見世物小屋の奴隷剣闘において、どんな手を使ってでも勝利と生をもぎ取ってきた。あらゆる手段、武器、戦法――精通とまでは言わないが、一通りは経験がある。わざわざ所持することはないのだが、簡易な弓や投石程度は扱えるつもりだ。
 ただ、それらが手元にないときに遠距離攻撃が必要になったとしても、手持ちの武器を投擲することは即ちその後の武器を失うということで、だいたいの場合、アノニムにとっては"負け筋"だった。今回も無意識にそう判断してしまい、思考にも上がってこなかったのだろう。
「よりにもよって、閃いたのがあいつのおかげってのは気に食わねえが……」
 タンジェリンが聞いたらなんと言うだろうか。タンジェリンのことを何も知らないので特段思い当たらないが、もしかして「はっ、礼のひとつでも言ったらどうだ?」とか言ってくるのだろうか。やはりまったく気に食わない。
 ハンプティはよろよろと立ち上がり、
「アルベーヌ! アノニムを取り押さえて!」
 叫んだ。はっとした。やはりアルベーヌも<魅了>にかかって――
「え……?」
 ――いなかった。
 アルベーヌはすやすや眠るベルギアを抱いたまま、アノニムとハンプティの顔を戸惑いがちに交互に見て、それから数歩下がった。むしろアノニムから離れるように。
「効、かない……!? なんで!? なんでさ!!」
 駄々を捏ねるようにハンプティが怒鳴る。「そんなことを言われても」と、アルベーヌが困った顔をする。
「てめぇ、何か……まじないでも受けてるのか?」
「まじない……?」
 アノニムの問いに、アルベーヌは首を傾げた。
「あたしはそんなもの受けちゃいないよ。でも、ベルギアには、落ち着いてから<祝福>をしてもらったね……」
「<祝福>?」
「あんたの仲間のあの優男にさ」
 パーシィのことだ。いつの間に。
「何なんだ、<祝福>って」
「聖ミゼリカ教のちょっとした加護だよ。ふつう新生児にかけるもので、魔を払うって言われているんだ」
 それなら、ずっとベルギアを抱きしめていたアルベーヌが無事な理由が分かる。
「しゅ……<祝福>……?」
 ハンプティが呆然と呟いた。
「な……なんでそんなものを……? まさか、ボクの能力を警戒して……!?」
 その言葉に、アルベーヌは何を言っているんだ、という顔を向けた。
「<祝福>は健やかな成長を願うおまじないだよ。我が子のように大事な娘から産まれた子なんだ。<祝福>してもらうのは当然のことだろう?」
 分からないのだ。
 悪魔のハンプティには、分からないのだ。
 ヒトが抱く、ヒトに対するその感情が。アノニムですら、今なら少しは、分かるというのに。
 もはやこれ以上、戦いを長引かせる理由はなかった。アノニムはハンプティまで足早に近づく。ハンプティはアノニムに<魅了>を使ったかもしれない。だが、それがアノニムの身体のコントロールを、意識を奪うより先に、アノニムはハンプティの横に転がっていた棍棒を拾って、ハンプティの頭を叩き割っていた。

 ハンプティの身体が靄に包まれて、徐々に縮んでいく。靄が晴れたとき、そこには、1匹のコウモリがいた。
 これがハンプティの本当の姿なのだろうか。コウモリは動かない。死んでいる。

「や……やったのかい……?」
 アルベーヌが尋ねる。アノニムは頷いた。
「ああ」
「よ、よかった……ああ、よかった……!」
 アルベーヌがその場にへなへなとへたり込む。
「おい。これから教会に移動だ。そんなところで腰抜かしてんじゃねえ」
「……誰も傷つかずに済んだね。アノニムのおかげだよ……。でも、あの子にはなんだか、可哀想なことをしたね」
 アルベーヌが床に落ちたコウモリに同情的な顔を向けるので、アノニムは呆れてしまった。
「娼婦たちを人質に取ったのを見ただろうが」
「何も知らないという感じだったじゃないか……。生まれ変わったら、今度は仲良くなりたいもんだね」
 生まれ変わりなんてあるものか。死んだら終わりだ。パーシィだってそう言っていた。
 周りの娼婦たちが意識を取り戻して身を起こし始める。何が起きたか分からない、という様子の娼婦たちに説明を――するのは、アルベーヌに任せた。
 アルベーヌに抱きしめられたベルギアは、いつの間にか目覚めていた。
 アノニムの親友に<祝福>を受けた、アノニムの幼馴染が遺した誇りが、のんきに機嫌よく笑っている。

【花通りの戦い 了】
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