エセンシア ２

　六日間馬車に揺られてもサナギはよく喋っていたし、パーシィとラヒズは宗教について何かを語り合っていた。けれどもさすがにエスパルタからストリャ村の山中においては、いつもは賑やかなサナギもすっかり黙ってしまった。

　エスパルタの周囲の山は思いのほか険しい。一応、道はあるのだが、ただでさえパーティの中では体力がないサナギだ。山道は厳しいだろうなと思う。

　アノニムは体力はやたらあるし、黒曜と緑玉も平気そうな顔をしている。パーシィもさほど堪えていない様子である。俺はもちろん余裕だ。

「休憩するか？」

　黒曜がサナギに声をかけると、サナギは、

「そうだなぁ……あとどのくらいかな？」

　と、汗を拭って尋ねた。答えたのはラヒズだ。

「もうすぐそこですよ。あと十五分もすればつきます」

　ひょろ長い体型なので、俺はラヒズも大して体力がないだろうと思い込んでいたが、実際は涼しい顔をしている。

「そっか。なら休憩より、到着してしまったほうが楽そうだ」

　確かにそうだ。軽く水分だけ取って、俺たちは再び山森の中を進む。

　数分も進めば、森の中にも人が頻繁に踏み込んでいるのだろう形跡があったし、にわかに生活感が出てきた。獣を捕る罠や、焚き火の跡。俺にとっては見慣れたものだ。

　ほのかに何かが香ってくる。少し煙たい。

　急に世界がぐるっとひっくり返

　突然　頭が　い　たい

　気分がわるい、胃がひっくり返った。吐いたのがわかる。　目が　か　すむ、なんだ？

　な　にが　起き　……。

★・･･･

　目覚めた、らしかった。

　たぶん、……いや、どうやら、俺は眠っていた？　……気を失っていた、のか？　少し、頭が痛い。

　冷たい岩の上に横になっているらしい。俺はなんとか上半身を起こした。

　ジャラリ、と重い金属の音がした。目を手足に下ろすと、両手足に枷が嵌められ、鎖に繋がれている。

「……？　なんで、俺は繋がれてんだ……？」

　他に何か、もっと危機感のある感想を抱くべきなのかもしれない。だが、あまりに唐突すぎて、何故、何が、という言葉が頭をぐるぐる回るだけだ。

　思考が空回りしているので、せめて身体のほうを動かそうと周囲を見回した。洞窟の中らしい。焚き火があってパチパチと音を立てている。それのおかげで、暗くもないし寒くもない。

　何が起きた？　なんで俺は洞窟にいる？

「目が覚めましたか」

　焚き火の奥にラヒズがいる。だが、それ以外は誰もいない。

「……何が起きた？　他の奴らは？」

「何が起きたか、ですか」

　ラヒズは笑っている。

「予定通りのことが起きた、という感じでしょうか」

「予定通り、だと？」

　俺はラヒズが鎖に繋がれていないことに気付いた。それでラヒズのせいでこうなったらしいことを理解する。

「てめぇ!!」

　俺の脳は突然覚醒して、ラヒズが敵だと認識した。飛びかかって殴ろうとしたが、鎖がしっかりと杭に繋がれて動けない。

「何のつもりだ!!　何者だ!?」

「話すと長くなりますねえ」

　足を組み、頬杖をついたラヒズは、余裕たっぷりに言った。どこから話しましょうかね、と俺の背後に声をかけた。誰か、いるのか？　俺の他に？

　振り向くのは鎖で阻まれた。だが、俺の背後から何かが近付き、横にどっかりと座った。

　オーガだった。

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エセンシア １

「護衛依頼」

　と、黒曜がラヒズの言葉を復唱した。

「はい」

　にこやかに頷くラヒズは、星数えの夜会に数日泊まっていただけの客だ。

　親父さん曰く、きちんと宿代も払い、問題も起こさないまっとうな人間だそうだが、俺たちにとっては他人も他人。優先して依頼を受けてやる義理はないが、特に今は立て込んでもいない。

　たぶん、この依頼は受けることになるだろうな、と、俺――タンジェリン・タンゴ――は思った。

　ラヒズは言う。

「私は宣教師でして。新興宗教の布教を目的にして世界を巡っているのですが……」

　その言葉にパーシィの笑顔が引き攣った。なるほど、どおりでパーシィが嫌がる雰囲気を持ってるわけだ。

「ベルベルントに来た際も、行きずりの冒険者に護衛を頼んだのですが。彼らの目的地はさらに南らしく、すでにベルベルントを発ってしまい、新しく雇う冒険者を探していたのですよ」

　皆さんなら心強い、とラヒズは続けた。

「話に聞けば、先日のベルベルント全体が眠りに落ちたあの事件、皆さんが解決したそうじゃないですか？」

　一同の視線がサナギとパーシィに向く。だいたいこいつらの手柄だ。

「特に断る理由はないが……どこまで行く？」

　視線をラヒズに戻し、黒曜が問う。ラヒズは依頼の受諾だと判断したのか、機嫌よく頷いた。

「エスパルタのストリャという村です」

「エスパルタ!?」

　思わず口に出てしまった。

「ええ……何か？」

「……いや。ただ、馴染みのある場所でな」

　俺は必死に動揺を隠した。エスパルタといえば俺のふるさとだ。大きな国家エスパルタの周囲に小さな村が点々とあり、その中の一つが俺の故郷のペケニヨ村だ。

「馴染みがある、ですか？」

「……出身がエスパルタなんでな。ストリャ村も知ってる」

　別に隠してるわけじゃない。俺は素直に言った。ラヒズがほう、と好奇の目でこちらを見る。

「あの小さなストリャ村をご存じとは。失礼ですが、近隣の村のご出身ですか？」

「……」

　こんなタイミングで言う羽目になるとは思わなかったが、ここで黙るのも変だ。

「ペケニヨ村だ」

「ペケニヨ!?　生き残りがいたのですか!?」

　言ったあとに、ハッとラヒズが自身の口を押さえる。

「失礼しました……」

「……」

　先手で謝られたが、俺はラヒズを思いっきり睨んだ。

「どういうことだ？」

　よせばいいのにパーシィが詳細を聞きたがる。

「ペケニヨ村は……少し前に、オーガの群れに襲撃されて、壊滅したと聞いていたので……」

　睨む俺に頭を下げたラヒズが、

「申し訳ありません。不用意な発言でした」

「いや……もういい」

　言っちまったもんは仕方ない。言葉は出したら無かったことにはできない。

「てめぇの言うとおり、俺はペケニヨ村の唯一の生き残りだ。冒険者になったのは復讐のためだ」

　黒曜の視線を感じた。そちらを向くと、無表情の黒曜がやはりこちらを見ていた。

　なんだよ……。睨み返したが、

「タンジェリンはエスパルタに詳しいのか」

　と、ごく平坦な声で尋ねてくる。

「ストリャ村は、ペケニヨのすぐ南にある村だからな。行くこともあったさ。ただ、知り合いって仲のやつはいねえが……」

「ご安心を。ストリャ村は、私の宗教活動の拠点ですので」

　ラヒズが微笑む。

　よそ者――ラヒズの身なりを見れば、エスパルタとは違う国から来たヤツだとすぐに分かる――が俺よりエスパルタに詳しい口ぶりなのにカッとなった。

「宣教師だかなんだか知らねえが、エスパルタはミゼリカ教国家だぜ。怪しい宗教が流行る余地はねえよ」

「存じております。ただ、ストリャ村には協力者がおりまして」

　はぁ、とパーシィがため息をついた。

「嘆かわしいな。こんな怪しげな宗教の協力なんて」

「エスパルタでは宗教の自由は保障されておりますよ。ただミゼリカ教徒が少し多いだけで」

「納得いかないな。教義から教えてもらわないことには……」

　パーシィが詰め寄ろうとするのを、はいはい、とサナギが止める。

「宗教論争はエスパルタ行きの道中でしてもらうとして。さて、エスパルタまでは馬車を乗り継いで六日ってところだけど、どうする？　黒曜」

「受けよう」

　黒曜は頷いた。

「ありがとうございます」

　心強いです、と、ラヒズは笑った。

　エスパルタ。帰るのは久しぶりだ。ペケニヨ村がオーガの群れに滅ぼされて、復讐のために冒険者になろうと志し発ってから、一度も帰っていない。

　――今なら俺は、オーガを少しでも殺せるんじゃないのか？

　ストリャ村までラヒズを送り届けたら、ペケニヨ村の周囲を探索してオーガのねぐらを突き止めて、殺す。その機会が突然現れたことに昂揚した。

「出発は？」

「明日の昼には発ちたいですね」

　明日の昼。エスパルタには絶好のコンディションで着きたい。しっかり食って、しっかり寝よう。

　六日の旅は意外と長い。俺はエスパルタからベルベルントに来たので知っている。

　久しぶりの帰郷。俺はこの機会に、あのオーガ共と決着をつける。

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