テ・アモは言わずとも 2
星数えの夜会に戻って、娘さんに話を聞いてみることにする。娘さんの色恋沙汰は聞かないが、彼女は冒険者宿にいるだけあって情報のセンサーがかなりいい。交友関係も広そうだし、噂話も好きだ。彼女から何か手がかりが得られれば……。
「タンジェ!」
賑わう大通りで聞き慣れた声がした。周囲を見回すと、うずたかく積まれた箱を抱えた誰かがいる。箱で見えないから「誰か」と表現したが、実際のところ、声でパーシィだと分かっていた。
「何やってんだ」
前も見えないほどの箱を抱えている……だけではなく、腕には紙袋を何個も提げていた。パーシィはひょこっと箱の横から顔の半分を出して、
「すまない、運ぶのを手伝ってくれないか?」
「嫌だ。俺は忙しい。じゃあな」
「なんて人でなしなんだ!」
前サナギにも言われたような記憶がある。元よりタンジェは自分を優しいとは思っていない。
その場を立ち去ろうとすると、パーシィに1人の女が駆け寄っていった。
「パーシィさん!」
「ああ、えっと――」
「この間はありがとうございました!! それでその、お礼で……」
赤い顔をした女は小綺麗に包装された箱を差し出す。パーシィが見えていないのだろうか? どう考えても、差し出された箱を受け取れる状態ではない。
「ありがとう。受け取りたいんだけど……ああ……そこの赤毛の彼に渡してくれるかな!」
うわ、とタンジェは顔を歪めた。のんびり見てるんじゃなかった。
女は訝しげな顔でタンジェをじろじろ見て、それからパーシィに向き直り、
「パーシィさんが受け取ってくれなくちゃイヤ」
と言い出した。タンジェはもうすでにこの女のことが嫌いなのだが、女嫌いの気性に起因するというより、状況が見えておらずただ自分だけがよければいいという性根が気にくわない。パーシィは両手が既に塞がっているのだ。
「いやぁ……俺も受け取ってあげたいんだけど……ちょっと重量オーバーかな、はは……あとで必ず、彼から受け取るから」
「イヤ! それじゃアタシからじゃなくてこの男からみたいじゃない!!」
タンジェは深いため息をついて、パーシィの荷物を少し持ってやった。半分くらい持ったが、箱自体は嵩張るだけで重くはない。甘い香りが箱から漂ってきて、この箱全てがチョコだと察した。顔は確かに美形だし、一見、人当たりもいいのだが、パーシィとの付き合いが多少ともあれば、まずもって惚れられるような人格者ではないと分かる。彼のどこがいいのか、タンジェにはよく分からない。
半分荷物が減ったことで、パーシィのほうも受け取る余裕ができたようだ。まず先に俺に礼を言ったあと、女に、
「この上に載せてもらえるかい?」
と、箱の上を示した。
女はそれでも直接手で受け取ってほしい、というようなことを言っていたが、パーシィが「それじゃ受け取れないよ」と受け取り拒否しようとすると手のひらを返した。
「パーシィさんが受け取ってくれればそれでいいんです!」
タンジェはまたため息をついたが、この女がタンジェの一挙一動を意に介するはずもないことはもうすでに分かる。パーシィの荷物の上に箱を載せると、満足げな顔をした。
「ありがとう。それじゃあ……行こうかタンジェ。持ってもらってすまない」
「いや……重くはないしいいけどよ……てめぇ、来年からはバレンタインに出歩くんじゃねえよ……」
パーシィはキョトンとしたあと、にっこり笑った。
「来年もずっと仲間なのかい? タンジェは異動する気だったって聞いたよ」
「……誰から?」
「娘さんがそう言って心配していた」
娘さんなら察していてもおかしくはないか。
「いや……異動はしねえよ。気が変わったんでな……」
「そうか! それならよかったよ」
そんな会話をしながら歩いていたのだが、さっきパーシィに箱を渡した女がついてきている。
「……なんだよ?」
タンジェが振り向いて女を睨むと、女は睨み返してきて、
「その顔面でよくパーシィさんと親しく話せるわよね。あんたこそなんなの」
「はあ?」
心底呆れた。顔面に関してはどうでもいい話なので別に何とも思わないが、パーシィの荷物を持ってやっているのだから、行き先は同じで当たり前だ。
「まだ何か用かい?」
さすがのパーシィもタンジェでは相手にならないことを悟ったらしく女に声をかけた。女はパッと顔を明るくして、赤らんだ頬を両手で包みながら、
「あの、あの、アタシがさっき渡したチョコ、食べてほしいなって」
「……」
どう考えても今は無理だ。パーシィの笑顔も引きつり気味である。
「……宿に着いたら食べるよ」
「はい! それまで一緒にいますね!」
タンジェはパーシィに耳打ちした。
「なんだよ、この女? 誰だ?」
「それが、俺も分からなくて……」
「この間の礼とか言ってたろ? 心当たりもねえのか?」
「人助けは積極的にしているから、心当たりしかないよ。どの件のことだかさっぱり分からないんだ」
これ以上の会話は無駄だと悟り、タンジェは黙って荷物を運ぶことに集中した。こういうとき、大通りを大きく外れる星数えの夜会の立地が不便に感じる。それを超えて利点が多いので、もちろんタンジェは、星数えの夜会が好きだ。なので、
「えっ……何ここ、なんか暗いし汚い」
女がそう呟いたときにはさすがにキレそうだった。今までキレずにいたこと、今もまだかろうじてキレてはいないことを褒めてほしいくらいである。
パーシィもタンジェも両手が塞がっているというのに、女は扉を開けてやろうという気もないらしく、値踏みするように星数えの夜会をじろじろと見上げている。
ノックのしようもなく、仕方なく荷物を一時的に下ろすかと考えていると、偶然中から娘さんが出てきた。
「あっ」
「あらっ」
山のような荷物のタンジェたちを見て、娘さんはすぐにいろいろと察したらしく、
「モテますね!」
と笑顔になり、扉を開けっ放しのまま支えた。娘さんに礼を言って星数えの夜会の中に入り、食堂の空いているテーブルにようやく荷物を下ろす。
「何? あの女」
女が娘さんを指して言うので、「この宿の娘さんだよ」とパーシィが答えた。
ふうん、と女はしばらく不機嫌そうな顔をしていたが、ふと思い出したように、
「これ! これ私からの! 早く食べてくださいよ」
と、自分が差し出したばかりの箱を拾い上げパーシィに改めて押しつけた。
「あー、分かった、分かったよ。それじゃあいただこうかな……」
苦笑いのパーシィが包装紙を丁寧に破る。ハートの形をした黒みの強いチョコレートが1粒だけ。それほど大きくもない。パーシィがそれを摘まんで口に入れるのを、タンジェはぼんやり眺めていたが、
――突然、稲妻が身体を駆け抜けたように、閃いた。
「待て!!」
タンジェは椅子を蹴立てて立ち上がり、パーシィがチョコを口に入れる直前、その腕を掴んで止めた。パーシィがきょとんとしてタンジェを見上げる。そちらを見ず、女のほうを睨んで、
「惚れ薬か?」
単刀直入に尋ねた。
女は赤くなったり青くなったりしていたが、タンジェがしたのと同じように椅子を蹴立てて立ち上がり、ばっと身を翻して走り出した。星数えの夜会を飛び出していく。
「待ちやがれ!! パーシィ、それ絶対食うんじゃねえぞ!!」
「ええ……」
困惑するパーシィを置き去りにして、タンジェは女を追って駆け出した。