カテゴリー「 ┗不退転の男(Side:アノニム)」の記事一覧
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不退転の男(Side:アノニム) 5
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不退転の男(Side:アノニム) 4
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不退転の男(Side:アノニム) 3
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不退転の男(Side:アノニム) 2
- 2024.05.30
不退転の男(Side:アノニム) 1
不退転の男(Side:アノニム) 5
翌日にはタンジェリンが目覚めた。
しばらくは黒曜とサナギが出入りしていて、俺はその間昏睡するパーシィを眺めていた。
<ホーリーライト>の連発でエネルギーをほとんど使い切ったところに、タンジェリンへ治癒の奇跡を使ったことで完全に燃料切れになったらしい。サナギが言うには「貧血みたいなもの」だそうだ。俺は貧血とやらになったことがないからよく分からねえが、サナギは特に深刻そうな表情をしていなかったので、たぶん問題はないんだろう。
<ホーリーライト>の連発でエネルギーをほとんど使い切ったところに、タンジェリンへ治癒の奇跡を使ったことで完全に燃料切れになったらしい。サナギが言うには「貧血みたいなもの」だそうだ。俺は貧血とやらになったことがないからよく分からねえが、サナギは特に深刻そうな表情をしていなかったので、たぶん問題はないんだろう。
――黒曜とサナギが席を外したタイミングを見計らって、俺はタンジェリンに文句を言いに行った。
「ふざけるなよ」
とりあえず開口一番タンジェリンにそう告げると、上体を起こして鉄アレイを上下していたタンジェリンは鬱陶しそうに顔を歪めた。
「なんだよ。何がだ?」
「勝手に納得して死ぬんじゃねぇ」
「死んでねえだろうが」
死ぬところだった、ということに気付いていないのか、気付いていても気にしていないのか、どちらにしても腹が立つ。
「お前も、あの女も、………自分のことしか考えてねぇ、腹が立つ、死んだら終わりだ」
思ってもいなかったが、自然と口からそう零れた。タンジェリンは訝しげに、
「はぁ?」
と、正直な反応を返した。俺は吐き捨てた。
「勝ち筋があろうが、てめぇが死んだら終わりだっつってんだよ」
「勝ち筋……」
タンジェリンはしばらくして、
「てめぇが腑抜けてたからだろうが!?」
まったくもって心外、というような顔でデカい声を出した。まったくもって心外なのは俺のほうだ。
「あの場で一番勝ち筋があったのは、一旦退いて応援を呼んでくることだった。なのにてめぇは退きもしねえ話を聞きもしねえ!」
「応援呼んでる間に黒曜とパーシィごとどっかに逃げられたらどうすんだよ!!」
「追う手段なんざいくらでもあるだろうが!! 死んだら終わりなんだぞ!!」
俺が怒鳴り返す。タンジェリンはいよいよもってイライラしたという様子で、
「俺が死んでもてめぇが何とかしただろ!!」
「死んだら終わりだっつってんだろうが!!」
「てめぇがいるなら何も終わらねぇだろ!!」
「終わるんだよ!! てめぇが!!」
ベッドサイドの小さなテーブルを叩いた。乗っていた水挿しがガチャンと音を立てる。
「……終わりなんだよ。この死にたがりがよ……!!」
今まで山ほど見てきたから、知っている。
身をもって知っているのだ。
俺のすぐ隣にある死という終わり。
それはきっと、タンジェリンの横にも何食わぬ顔で佇んでいる。
「誰が死にたがりだよ! 勘違いしてほしくねえな。俺はあれが最善だと思ったからやったんだ」
タンジェリンは隣に死があっても、何も気にせず話すのだ。視界に入っても、恐れることも怯えることもない。
死と俺が口にするたび、タンジェリンの瞳に情熱が宿る。それはやはり恐怖でも悲嘆でもなく、きっと、ただひたすらにまっすぐ前を向く意地、執念、そして不屈だった。
「後悔だけはごめんだ。後悔しながら生きるくらいなら、俺は俺が思う最善で死ぬことなんざ怖くねえ」
俺は隣にいる死がいつ俺に牙を剥くかを考える。答えは決まっていて、それは俺が負けたときだ。
だがタンジェリンは、不意にその死が目の前に回り込んできたとて、怯むことはない。
本当にそれが嫌だった。腹が立つ。ムカついた。
タンジェリンが死ぬことが怖いんじゃない。
きっと俺は、俺が今まで守り抜いてきたこの命を否定されるのが嫌なのだ。
あるいは何を犠牲にしてでも守り抜いてきたこの命は、俺にとっては誇りそのものだった。
誰だってそうだ。生き抜くためにはそれ相応の戦いがあり、それに勝ったから命はここにある。
それをこいつは、大事なもののために捨てることは惜しくない、と言う。
きっとタンジェリンは、今まで何を犠牲にして生を勝ち取ってきたのか、そんなことを考えもしないのだ。
だからそんなフウに、死を前にしたとて退かずに前を向くのだ。
「アノニム」
タンジェリンは言った。
「でも、結局てめぇが何とかしたんだろ。その……」
そっぽを向く。
「た、助かったぜ。ありがとうよ……」
てめぇなんかに。
仲間を助けるための最善を、そのためなら命を賭してでも、なんて馬鹿げたことを考えているてめぇなんかに。
そんなことを言われたところで、俺は嬉しくも何ともない。
俺とタンジェリンは相容れない。同じ世界に生きていて、たまに交わる線の上にいて、交わった途端に喧嘩になる。
こいつに殴り合いで負けることはない。
だがこのままだと、タンジェリンはいつか勝ち逃げをする。それはきっと摂理の歪んだ、死を伴う勝利だ。エリゼリカがそうだったように。
俺がそうして負けたとき、命より先に誇りが死ぬ。
この不退転の男に、俺の誇りは容易く脅かされる。
「言いたくもねえ礼をしたってのに無視かよ」
タンジェリンが吐き捨てる。
俺だって、言われたくもねえ礼だ。
【不退転の男(Side:アノニム) 了】
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不退転の男(Side:アノニム) 4
きっと、今だった。
俺は遺跡の出入り口に向けていた足をパーシィに向けた。駆け込んでいく。
勝てるなら逃げる理由もない。
パーシィはああ見えてメイスの腕も相当だが、それでも肉弾戦となれば俺のほうがはるかに有利だった。
俺に気付いてパーシィが振り返る。メイスを振り下ろしたところを躱し、俺はパーシィの左手を取る。素早く手刀でメイスをたたき落とし、そのままパーシィを遺跡の壁に向かってぶん投げた。
パーシィが壁に追突するのは見届けず、ハンプティに迫った。ハンプティは目を白黒させていたが、
「あのままなら、アノニムは逃げると思ったのにな」
ぺろっと舌を出した。
無視して棍棒を振り上げる。
「待って待って、降参、降参だってば! ボクは搦め手とかに特化した悪魔で殴り合いは無理なんだって!!」
ハンプティは両手を挙げて降参の意を示した。関係ない。負けたら死ぬのが道理だ。棍棒を振り下ろした。
ハンプティはかろうじてそれをかわしたが、
「容赦ないよね……! 今も<魅了>をかけてるのに、なんで効かないんだろ……!?」
「知らねえよ。死ね」
もう一回、今度こそ脳天を潰そうとしたとき、後ろからパーシィが俺を羽交い締めにした。
「……っち! まだ効果切れてねえのか!」
「とはいえもう潮時かな! じゃあね~!」
俺がパーシィを引き剥がしているうちに、ハンプティはあっという間に駆け出し、遺跡の出入り口で俺のことを振り返った。
「まあまあ楽しめたよ!」
それからしばらく駆けていく音がして、俺は――パーシィを振りほどくのは簡単だったし、追う気になれば追えたが、そうはしなかった。ハンプティの気配が消えたタイミングでパーシィの腕を取ると、パーシィと目が合った。
「あ、あれ……?」
正気に戻ったらしい。
さっそくで悪いが、とタンジェリンのことを指し示す。腹に黒曜の青龍刀が突き刺さったまま気を失っている。凄まじい光景だ。
「もうひと踏ん張りいけるか?」
「うわ、タンジェ……! す、すぐに治癒をするよ」
言っているパーシィも足元が覚束なくふらついている。ほぼ崩れ落ちるようにしてタンジェリンの横に跪く。
「アノニム、青龍刀を抜いてくれないか。一気に抜くと出血するから、なるべく緩やかに。抜きながら治癒をかけてくよ」
それでも俺への指示は明瞭だった。俺は黙って従った。青龍刀を慎重に抜く。パーシィが治癒の奇跡で傷を癒していく。出血はほどほどあったが、何もせずに抜いたときよりははるかにマシだっただろう。血まみれの青龍刀が抜けきり、出血が止まる。傷跡は残っていたが、きっと今のパーシィにはこれが限界なのだろう。
大きな傷はこれと脇腹のものだ。パーシィは脇腹のほうにも手を翳した。パーシィの顔色は治癒の術をかける時間に比例して悪くなっていき、治癒の光もなんだかまばらに見える。それでもかろうじてタンジェリンの傷の出血を止めると、パーシィもまた昏倒した。
俺は背にタンジェリンを乗せて、両脇に黒曜とパーシィを抱えると、そのまま星数えの夜会への帰路についた。重くはない。なんてことはない。
早足で進みながら、俺は考える。
俺はどこまで正しかったのか?
いや、俺は――最初から最後まで正しかったはずだ。
そうでなければ、何かが少しでも間違っていれば、俺とタンジェリンは死んでいた。
★・・・・
宿に帰る頃には夕方になっていたが、タンジェリンの傷も塞がってはおり、死の危険がないと分かればそこまで急ぎはしなかった。
夜会に辿り着くまでに奇異の目で見られたがそれも関係ない。
パーシィと黒曜をいったん下ろして夜会の扉を開ける。夕食時が近く賑わう夜会の食事処で、俺たちを待っていたらしいサナギが目を丸くして駆け寄ってきた。
「ど、どうしたの!? 何があった!?」
「いいから手ェ貸せ。部屋に担ぎ込むからよ」
サナギの後ろから来た緑玉もサッと顔を青くする。黒曜の横に膝をつき、
「こ、黒曜……!? 黒曜!!」
ゆさゆさ揺すってるが、
「そいつは頭突きで昏倒しただけだ」
「ど、どういうこと……!?」
とにかく、事情はあとで話すから今はこいつらを部屋に運んでくれ、と言った。よく考えたらサナギはそういうのの役には立たねえ。サナギが翠玉を呼んできて、俺たちは手分けしてパーシィたちを部屋のベッドへと運んだ。
俺はふと、今朝方この場所でしたやりとりを思い出した。パーシィの「おまじない」。俺に<魅了>とやらが効かなかったのは、もしかすると――だが当のパーシィには効いてるしな――ハッキリしたことは分からない。
サナギと緑玉に、あったことを話す。
不退転の男(Side:アノニム) 3
勝てない。
脳裏を過ったその可能性を、俺は努めて冷静に考えてみる。
離れていればパーシィの遠距離攻撃が来る。普段なら様々な理由でセーブしているそれだが、今の状態で手加減を期待するのは愚かだろう。あのペースなら遠くないうちにエネルギー切れを起こすはずだが、普段のパーシィは決してそんなことにはならないので、やつの体内のエネルギー残量は正確には把握できない。数時間、いや数十分でも保たれたら俺たちは躱しきれずに焼き殺される。
近づけば黒曜の青龍刀とやり合うことになる。あいつの剣技の腕前は相当なものだ。剣技と言ってもお上品にまとまっているわけでもない、単なる剣術の域をはるかに超えた戦闘技術。やつは俺が生きるために身につけた暴力程度は容易く対応してくる。人を殺すことに躊躇いがない。そういう剣をしている。さっきも言ったとおり、取っ組み合いの力比べなら勝てるだろうが、そこまで持っていくのにどれだけの犠牲が必要か。腕の1本は要るだろう。そうなればこちらの腕力はシンプルに半分だ。それで取っ組み合えても何も意味がない。
「アノニム、とにかくハンプティをやる! 一気に行くぞ! 何なら俺を囮にしやがれ!」
タンジェリンは戦う気だ。見れば分かる。こいつは何も考えちゃいない。俺から言わせりゃ愚行だ。
「……アノニム?」
「……」
「おい、何とか言いやがれ!」
俺は遺跡の出入り口を見た。幸い、どこも崩壊しておらず、逃げることは難しくないだろう。
「……逃げる気かよ!?」
さすがのタンジェリンでも悟ったらしかった。
「勝てねえ」
俺は考えたことをそのまま口に出す。
「あ……!?」
「黒曜とパーシィが本気でかかってきたら、勝てねえ。見りゃ分かるだろ」
あの二人と俺たちでは相性が悪すぎる。そんなことも分からねえのか、こいつ。
「だからって置いて逃げんのか……!?」
「……」
そうだ。俺は言った。
「負けたら終わりだ。死ぬぞ」
「……!」
死、という言葉を向けられて、タンジェリンの瞳に浮かぶのは恐怖や悲嘆なんかじゃなかった。遺跡を照らす燭台の明かりの下で、やつの朱色の目が確かに何らかの情熱にギラつくのを見た。それが何なのかは知れない。怒り、あるいは俺への失望か?
「てめぇはエスパルタで俺に大事なもののために命を賭けろと言ったじゃねえか!!」
何言ってんだこいつ、という感情を覚えた。たぶん、人が言うところの「戸惑い」というのが一番近いと思う。
確かに俺は、命を懸けろと言った。だがそれは大事なもののために命を投げ出せなんてことじゃねえ。
大事なものを守るために武器を取る。それで守り抜いて、ようやく、初めて命を懸けたと胸を張れる。それが大事なもののために命を懸けるってことだろうが?
なんでこいつはそれを、大事なもののために命を賭すなんて勘違いをしてやがるんだ?
死んじまったら何もかもおしまいだ。
ふざけてんじゃねえぞ、とタンジェリンは言った。俺からすりゃ、ふざけてるのはそっちのほうだ。
「俺たちが逃げたら黒曜とパーシィがどうなるか分かんねえんだぞ!?」
だからだ。
ここで俺たちが死ぬわけにはいかない。死んだら黒曜とパーシィの現状をサナギと緑玉に伝える方法がなくなる。どう考えても、いったん退いて、サナギと緑玉と四人で戦闘に備えるべきだ。それが一番、勝ちに近い、そのはずだ。
俺は間違っちゃいねえ。逃げるべきだ。
「とりあえずボクの従者にしよっかなー。二人ともかっこいいしね! でもボクの好みはタンジェなんだけども」
「言ってろ……! ぶっ潰してやる!」
だが、止める間もなかった。
タンジェリンは俺より弱い。負けるだろう。それでもこいつは負けることが――死ぬことが、何も怖くないみたいだ。
タンジェリンの背中を初めて見た気がした。俺を追いかけ回して何かと勝負を挑んでくる男。あるいは俺が正面から勝負を挑む男。何故挑むか? 俺はタンジェリンには負けないことを知っているからだ。
――あなたみたいに力を誇示することでしか強さを見出せない人には分からないのよ!
ずっと昔の、エリゼリカの言葉だ。
勝てる勝負しかしない。それが俺にとって生きる方法だった。あるいは、負けるかもしれない勝負に際して、何をしてでも負けないことが俺の処世術だった。負ければ死ぬ、それが当然の世界にいて、俺の処世術は何よりも「正しい」。
誰かのために戦うならなおさらだ。俺が死んじまったら何も残らない。何の意味もない。
なのにタンジェリンは、どうしてこうも容易く、あの豪雨のような光弾に飛び込み、ひどく冷えた刃に肉薄することができるのだ?
タンジェリンは<ホーリーライト>に全身を叩き潰されても怯まず、ハンプティに突っ込んでいく。
「くたばりやがれ!!」
だがその距離は黒曜の間合いだ。
タンジェリンの斧術は、確かに最初の頃よりはマシになってはきている。だが、俺からすりゃ黒曜なんかに比べるべくもない。かろうじて素人から脱却して、一般的な戦闘で使えるかどうか、ってレベルだ。やつの技術は、そもそも人を斬るためのものじゃない。俺でもありありと分かる。
だがタンジェリンはその斧術でもって、何度か黒曜と打ち合う。
俺は、今のタイミングで逃げるかどうか逡巡した。
パーシィの<ホーリーライト>は先にタンジェリンに放った分で、もしかしたら――かなり楽観的に見て――打ち止めかもしれなかった。だが見誤ったら死が近付く。油断はできねえ。
黒曜の青龍刀がタンジェリンの斧をすり抜ける。タンジェリンの脇腹を抉る。返す刃が腹を貫く。血の臭い。
――終わりだ。
タンジェリンの負けだ。そして、これからやつは死ぬ。
こうなれば次の標的は俺だ。俺は遺跡の入り口へ移動しようとする。
だが、その前にタンジェリンは吼えた。
「俺はまだ……諦めてねぇぞ‼」
青龍刀の先にある黒曜の腕を掴んだタンジェリンは、黒曜を思い切り引き寄せると、そのまま大きく頭を振りかぶった。それから音がするほど強く、自分の額を黒曜のそれに叩きつけた。
「は」
俺の口から息が漏れる。ハンプティの口も半開きになる。黒曜はそのまま昏倒した。
腹に青龍刀が突き刺さったままのタンジェリンはよろよろとハンプティに近づく。なんとか斧を振り上げ――その背後に、パーシィが立った。メイスを叩きつけられて、タンジェリンもまた倒れる。
あの距離からわざわざタンジェリンにメイスでトドメを刺しにいった。
不退転の男(Side:アノニム) 2
星数えの夜会に帰る頃には昼近くになっていた。
「ただいま」
声をかけると、親父たちが次々にあいさつを返してきた。俺に気付いてつかつかと歩み寄ってきたタンジェリンが「依頼だ」と俺をとっ捕まえ、テーブル席に座らせる。
テーブル席にはガキが一人座っている。こいつが依頼人らしい。名前はハンプティ。
いつも話を聞きながら何かメモしているサナギは、緑玉と出かけているそうだ。まあ、話はどうせ黒曜が聞いている。俺はガキの話を聞き流した。
俺が話を聞いていなかったと見て、のちにパーシィが声をかけてきた。要するに遺跡に行ってガキの両親を探す、それだけの依頼らしい。分かりやすくていい。
「ラヒズの気配がするから気を付けろよ」
パーシィは説明ついでにそう付け足した。気を付けろと言われても、俺にできることは殴るだけだ。しかし、6人でかかってもうまくいなされる相手だ。4人で何とかなるかは分からねえ。
だが今回の依頼で気を付けるべきはラヒズではなかった。気付いたときには手遅れで、俺たちは一瞬で危機に立たされていた。
★・・・・
★・・・・
――遺跡の最奥で、依頼人の両親どころか誰ひとりいないことを確認したタンジェリンがこちらを振り向く前に、
「タンジェ!! ――かわせ!!」
黒曜が突如、青龍刀を抜いてタンジェリンに躍りかかった。
先の注意が功を奏したらしく、タンジェリンが間一髪でそれを避けたのも見えた。――何が起きた?
「……何の冗談だ?」
「やられた……! 身体が動かん……! 何とか避けろ、タンジェ!」
「ふざけんなてめぇ! どうなってやがるんだ!?」
二人が何故戦闘を始めたのかは分からない、黒曜とタンジェリンのどちらに加勢するべきかも測りかねる。だが、二人の会話から察するにどうやら異常事態が起きているのは黒曜のほうらしい。俺は少しだけ逡巡した。――黒曜を相手にはしたくねえ。
パーティを組むとなったとき黒曜に歯向かって、容易く床に転がされた経験があった。できれば戦いたくはない相手だ。だが、タンジェリンのほうに集中している今なら――?
「く……!」
俺が逡巡している間に、パーシィがハンプティを向く。それから利き手の左手を翳し、聖句を唱えようとしたところまで確かに見えた。
「それを向ける相手は、ボクじゃないよね?」
だがハンプティの視線に射貫かれたパーシィは、躊躇うことなくタンジェリンのほうを振り返り、
「タンジェ、すまない、少し痛いと思う……! <ホーリーライト>!」
光の弾がタンジェリンに当たる。
「パーシィ、てめぇ!」
「俺の意思じゃないんだ……!」
理解した。洗脳だ。今の流れを見ていれば俺だって分かる。
「ハンプティ、てめぇだな……!?」
「あはは! 大正解ー! パパとママがいるなんて、真っ赤なウソでした!」
ハンプティが元凶だ、それを理解したとき、俺の脳裏に過ったのは、いかに黒曜と刃を合わせずにハンプティを殺るか、だった。
黒曜とパーシィは現時点で敵の駒とみなす。つまり、俺とタンジェリンは数の上ではすでに不利。
タンジェリンが黒曜とパーシィの標的であり、ハンプティもタンジェリンとの会話に集中している今なら――。
パーシィの<ホーリーライト>がタンジェリンに向かったタイミングで、まっすぐにハンプティへ駆ける。パーシィは普段は<ホーリーライト>を連打することはほぼないから、安全に仕掛けるならここだ。
だが、そこは見込みが甘かった。攻撃がパーシィの意思でないなら当たり前だ。
ハンプティが俺の間合いに入るより先、ハンプティと俺の間に光弾の雨が降り注ぐ。
「……ちっ!」
それから一瞬でタンジェリンから俺へと標的を変えた黒曜が割り込み、青龍刀を逆袈裟に振り上げた。これはかわしたが、頬に一閃、傷が入った。
ハンプティを最優先で守るように洗脳されている、と見た。
やりにくい。
黒曜が本来仲間だから、とかではない。単純に、戦闘スタイルが噛み合わず、戦いづらい。棍棒を突き出す。相当力が乗っているはずだが、青龍刀の刃で簡単に攻撃の方向を逸らされる。
取っ組み合いまで持ち込めれば負けないだろうが、武器を持った状態では分が悪い。だがそんなことは向こうも承知らしく、決して俺に不必要に近付こうとはしなかった。
俺はそれでも追い縋り、何度か棍棒を打ち付けたが、青龍刀でいなされるどころか武器を振り下ろした隙を突かれて傷をこさえる始末だった。
少なくとも俺一人じゃ無理だ。俺はタンジェリンのほうへいったん退く。
タンジェリンはハンプティとまだ何か話している。
「だからボクもさ、悪魔なんだよ、あ・く・ま!」
「てめぇが悪魔ならパーシィが見逃すはずねえだろ!」
ようやく耳に入ってきたのはそんな会話だった。
パーシィは確かに、人よりは悪魔の察知能力に優れているかもしれない。だがそもそもパーシィだってラヒズの正体を最初から見抜けていたわけじゃねえ。不快感がある程度だった、それがあんな悪魔だったもんだから、それ以来あいつは悪魔の気配を過剰に探ろうとしている。パーシィは完璧じゃない。元天使とはいえ、あいつはすでに地に堕ちている。こんな見落としが起きることくらい、俺にとっては何も不思議じゃねえ。
俺はパーシィを見る。パーシィはすでに自我が落ちているようで、虚ろな目でこちらを眺めていた。……やりづらい。
不退転の男(Side:アノニム) 1
「行ってくる」
と声をかければ、他の奴らの言うところの「親父さん」と「娘さん」が「気をつけてな」「いってらっしゃい」と応答する。
俺――アノニム――はいつも、それを聞き届けてから外出する。俺が挨拶をするのが意外らしく、初めて聞いたときのタンジェリンは目を丸くしていた。もっとも、今ここにタンジェリンはいない。親父に頼まれて買い出しに行っているらしい。
「アノニム! ちょっと待ってくれ!」
星数えの夜会の玄関を開けようとすると、バタバタと階段を降りてくる音と聞き慣れた声がする。パーシィだ。
呼び止められた理由は分かる。俺は大人しく玄関で待って、パーシィが小走りで俺の前まで来るのを見届けた。
「こんなに早く出かけるとは思わなかったから。呼び止めてすまない」
「さっさと行ってさっさと帰る」
「そうだな、それがいい」
と言いながら、パーシィは自身の胸の前で手を組んで目を閉じた。数秒、それだけだ。顔を上げたパーシィは「それじゃあ、いってらっしゃい」と笑って俺を見送るのだ。
あれがなんなのか詳しいことは知らない。だが、パーシィは俺が一人で出かけるとき、タイミングが合えば必ずあれをする。本人曰く、ミゼリカ教のおまじないらしいのだが、俺のような不心得者にどこまで効果があるのかは謎だ。どうでもいいことだが。
★・・・・
★・・・・
娼館の並ぶ花通り。そこいらの娼館を取りまとめているアルベーヌから頼みがあると呼ばれていた。花通りでは最近、俺の幼馴染みが死んだ。たぶん、その遺品整理でもするのだろうと思っている。といっても、幼い頃に娼館に来て以来ほとんど贅沢をしなかったあの女――エリゼリカに、そこまで大層な荷物はないことを俺は知っていた。
花通りは、昼間はほとんど娼婦たちが家事に勤しんでいて、晴れた今日は洗濯を干すものでいっぱいだった。娼館に入ればすぐアルベーヌと対面し、アルベーヌは俺をエリゼリカが使っていた部屋に案内した。
小さくはあったが小綺麗な部屋だった。俺にはものの価値は分からないが、たぶんしつらえた家具の値段はそんなに高くない。小さなものばかりだ。それでも女たちでこの家具を運び出すのは骨だろう。
「どこに運び出せばいい」
俺がアルベーヌに尋ねると、アルベーヌはびっくりしたような顔をして、
「運び出す?」
「?」
俺のほうもアルベーヌを見た。
「捨てるんだろ?」
アルベーヌは、一瞬怒ったような、呆れたような、よく分からん表情になり、
「あのねぇ。ここは、ベルギアの部屋にするんだよ。ベッドに柵を取り付けてやってさ。ここならみんなもすぐ様子を見に来られるだろう」
「……」
ベルギアというのは、エリゼリカが死に際に産んだ赤子の名だった。エリゼリカがあらかじめ決めていたのを、俺も何度も聞かされていた。
「で、材料は買ってきたんだけど、柵を取り付けるのもちょっとした労働だからあんたを呼んだのさ」
確かに材木が置いてある。俺向けじゃないと一発で分かった。親父に頼まれて星数えの夜会の屋根に上り雨漏りの修繕を試みたことがあるが、ろくなことにならなかった。
「俺向けじゃねえ」
俺は素直に言った。
「他に頼れるやつもいないのよ」
適当でいいからやっちゃって、と言う。
結局あのとき雨漏りを直したのはタンジェリンだった。どうせ買い出しに出ていて交替もできねえ。そもそもアルベーヌはよく知らねえタンジェリンをここまで上げないだろう。仕方なかった。
★・・・・
★・・・・
言われたとおり適当にベッドに板を打ちつけて、それでよしとした。赤子が落ちない程度にはなっているだろう。
そもそもそこまで高さはないベッドだ。落ちたって死にはしないはずだ。
「助かったわ、アノニム」
アルベーヌが俺に言って、金を握らせた。
「ん」
受け取ったが、たかが板をベッドに打ちつける作業の礼としては袋が重い。
「エリゼリカはずいぶんお金を貯めていたわ」
不意にアルベーヌが言った。
「……その金は赤ん坊を育てるのに使え」
「もちろんそのつもりよ。でも、エリゼリカはあなたにも何か礼をしたがると思うのよ」
だからその分、半分はアタシから、とアルベーヌは言った。
死人がそんなことを思うわけがない。思えるわけがない。死は終わりだ。死者はその死後に何の主張もしない。これはアルベーヌが思い描いた単なる理想で、妄想だ。
だが、金は受け取った。
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