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共犯者とワルツ 2
「どうだった?」
親父さんが俺に気付いて声をかけたので「大丈夫そうだった」と答えた。
「お使いを頼まれた」
「そうか、寒いし行ってやれ」
「親父さん、サナギに甘くねえか?」
何とはなしに言うと「サナギはきちんと自室と研究室の部屋代を払ってるからな」と言った。
俺は苦い顔になったと思う。今月分の部屋代をまだ払っていない。親父さんは催促しないが、だからといって滞納はできない。となると、手にした紙幣と貨幣が俄然、意味を帯びてくる。サナギのお使いをこなせばとりあえず部屋代は支払えるだろうか? 異動しようとしても宿代もままならない今では夢のまた夢だ。
俺の収入が低いだけで、ここの宿代は決して高くない。飯も美味いし、狭くも汚くもない、客層も悪くない、と、条件はかなりいい。強いてマイナス点を言うなら、目抜き通りから大きく外れていることくらいだろうか。歩くことが苦にならない俺にとっては深刻な問題ではない。ここ以上の条件を探すと、宿代は倍になるだろう。黒曜との日課の戦闘訓練だって、ここに所属しているからこそできているのだ。
俺はこの頃、異動を考えなくなってきている自分に気付いた。
もう戦士役じゃなくてもいいんじゃないか――少なくとも、今のところ盗賊役としては、冒険はやれている。
それはリーダーの黒曜が俺たちの技術の習熟度を理解し、依頼を的確に選んでいるからに他ならないのだが、俺としてはゆっくりとした歩みでも技術向上に手応えがある今の環境は悪くなかった。
「どうした? 心配しなくても出て行けなんて言わんよ」
親父さんが急にそう言い出すので、俺は黙ったきりになってしまったことを自覚した。俺はあまり社交的なほうではないから、親父さんや娘さんが気さくで話しやすいのも利点だな、と思いながら「部屋代は必ず払う」と言った。
「お前さんは真面目だな」
「特別、真面目ってことはないだろ」
宿代を払うなんて当たり前のことだ。
「黒曜だって緑玉だって、パーシィやアノニムだって払ってんだろ?」
親父さんは顎に手を当てて「ふむ」と言った。
「おおむね払ってもらってるが……。アノニムについては受け取ってはいないな」
払っていない、ではなく、受け取っていない? 俺の訝しげな顔に気付いた親父さんは、
「アノニムは昔、この宿のゴミ漁りをしていたところを、娘が拾ったんだ。それから弟のように面倒をみるもんだから、ワシも愛着が湧いてなあ。まあ、息子みたいなもんだ」
聞けば見世物小屋で戦わされて、働くなんて技術も知識もないってんだ、そんなやつからまで金を取ろうとは思わんよ、と。
「タンジェ、お前さんも生活が厳しければ別に宿代なんざ滞納してもいい。それよりワシは、金ほしさに無茶な依頼を受けようとしないか心配でならんよ」
俺は黙って聞いていた。
親父さんの言葉に甘えるのは簡単だ。だが、俺はそんな好意に寄りかかって怠惰に暮らすようにはできていない。
「サナギのお使いで少し金ができるはずだ。今月の宿代はそれから払う」
「まあ、払ってくれるならそりゃありがたいが……」
俺は先ほどまで食っていた朝食をかきこんで、ごちそうさん、と言った。
黒曜を探せば、すぐにその黒ずくめの姿が目に入る。普段は緑玉たちと食事を取っていることが多いが、今日は窓側の席に一人でいて、何をしているかと言えば、特に何もしていなかった。
冬のわずかな日が差す席で、ただ目を細めていた。頭の上の耳も相まって、ひなたぼっこをする猫みたいだ。
「黒曜」
声をかけると、耳だけがピクッと反応してこちらを向いた。視線は動かさなかったが、聞いている、ということだろう。
「サナギから使いを頼まれたんだが……メモが読めなくてよ。黒曜なら読めるから連れてけとさ」
黒曜はゆっくりとこちらを見て、眠そうに瞬きした。面倒そうな仕草、なのかもしれないが、実際のところは分からない。
俺がサナギからのメモを見せると、黒曜は黙って眺めていたが「魔法雑貨店で揃うだろう」と呟いた。本当に読めるらしい。
「特殊な言語か?」
メモを改めて見ても、俺にはまったく読めない。
「いや、サナギの癖字だ」
やっぱただ字が汚いだけかよ。
黒曜はしばらく、サナギのメモを見るしかめっ面の俺を眺めていたが、「出よう」と声をかけて立ち上がった。
「ああ、待て」
「なんだ」
「上着をとってくる。お前も何か着てけよ。外は寒いぜ」
薄着の黒曜にそう言い自室に戻って適当に外套を羽織り、また階下の食堂に戻ったが黒曜は棒立ちしていた。
「おい。珍しくモタつくじゃねえか。そのままじゃ風邪引くぞ」
「……この上から着る服を持っていない」
「はあ?」
こいつ、冬支度してねえのか? 出会ったのは初夏頃だったから気付かなかったが、黒曜は確かにこの時期になっても防寒らしい防寒をしていないように見える。緑玉もだが……。
黒曜たちの生まれ故郷に冬がないのか、それとも単にベルベルントに来てから冬物を買っていないだけなのか知らないが、俺はおおいに呆れた。
「親父さん、借りてもいい外套あるか」
尋ねると、キッチンを忙しなく動いていた親父さんが「裏の勝手口にある外套を使っていいぞ。古くてすまんがな」と返事をした。
俺は礼を言って、勝手口から手早く黒くて少し重たい外套を持ってくると、黒曜に無理やり羽織らせた。
長身の黒曜に着せると少し丈が短いが、古風なデザインの黒外套はやけに似合う。
「悪くねえな」
黒曜の外套の襟を正面に正してやって、俺は満足した。
「そうか。あたたかい。礼を言う」
無表情のままだったが、黒曜は軽く頭を下げた。
「親父さんからの借り物だ。礼なら親父さんに言え」
俺は素っ気なく答えたが、内心では悪い気はしなかった。黒曜が親父さんに改めて礼を言うのを見届けて、それから俺たちは外に出た。
共犯者とワルツ 1
どん、と大きい音がしたので、俺――タンジェリン・タンゴ――は、咄嗟にそちらのほうを見た。
音はサナギが日頃籠もっている半地下の倉庫、通称「研究室」からで、そこには何やら怪しげな実験器具やら大量の本やらが置いてあることを、俺だけでなく星数えの夜会のほとんどの者が知っている。
病院みたいな臭いがするので入りたくない部屋だし、そもそも日常、サナギとは関わり合いになりたくない。目の前にある朝食に視線を戻すと、今度は「うわー」というサナギの気の抜けた叫び声と共にバタバタと本が崩れ落ちる音がした。
「タンジェ」
嫌な予感がしたので無視したが、俺を呼んだ親父さんは容赦なく続けた。
「見てきてやれ」
本当に、朝からツイてない。
俺は溜め息をついて、朝食を置いたまま席を立った。
暖炉のついた食堂から奥の廊下に出ると、空気は底冷えして寒い。半地下にある研究室はサナギの自室とは別にあるが、サナギはほとんど自室には戻らずここで過ごしている。
「おい」
ノックをして呼んでみる。
「サナギ、でけぇ音したが、無事かよ?」
「あー」
部屋の中から返事があった。
「タンジェ? 来てくれて助かるよ、ちょっと手伝ってくれる?」
「嫌だ。無事ならそれでいい。じゃあな」
「ははは、なかなか人でなしだねぇ! お礼はするから頼むよ」
俺は少し扉の前で逡巡したが、まあ礼があるならと扉を開けた。
すぐに開けたことを後悔する。
研究室は散らかり放題で、床が見えないほど紙やら本やら得体の知れない何かが入った箱やらが積まれていて、手伝いというのがこれの片付けなら御免被りたいところだった。とうのサナギは姿が見えず、混沌とした研究室の奥の壁際から「おーい」と声だけがする。
「こっちこっち」
よく見ると、山のように積み重なった紙束や本の中からサナギの細腕が出て、手招きしているのが分かった。僅かな床の合間を縫って近づくと、どうやら壁側の本棚からほぼすべての本が落ちたらしかった。その雪崩に巻き込まれたのであろうサナギが、埃だらけの頭をひょっこりと出して、俺に笑いかけた。
「探しものをしていてね。古い日記を漁っていたらこのざまさ」
「古い日記ねぇ……」
言っておくが、この本の山からそんなものを探すのに付き合いたくはない。本棚に戻せというならまだしも、と言おうとすると、サナギは俺の前にメモを差し出した。
「お使いを頼まれてほしいんだよ。これ」
「お使い?」
俺は目を瞬かせた。
「古い日記を探してるんだろ?」
「それは俺がやるよ」
「部屋の片付けは?」
「そんなのどうでもいいよ」
どうでもいいのか? 俺は研究室の惨状を見渡し、まあ確かにこの本の山を放置したところで大して今までと変わらないのだろうと納得した。
「とにかく、ベルベルントの商店街で揃うものだからさ。手が離せないから、買ってきてほしいんだよ。もちろんお金は俺が出すから」
俺はしぶしぶメモを受け取った。
そしてそのメモのミミズがのたくったような字に、溜め息とも苦笑ともつかない息を漏らした。
「汚え字だな。俺に言われるんだから、相当だぜ」
サナギは几帳面に見えて、部屋といい字といい雑で大雑把なところがある、と改めて知った。サナギは「読めない?」と首を傾げた。ああ読めねえな、と俺がメモを突っ返そうとすると、サナギはそれを手で制し、
「じゃあ黒曜を連れてって。彼は読めると思うから」
「はあ?」
「前にお使いを頼んだとき、彼は俺のメモから一つのミスもなく買い物を済ませてきたからね」
「じゃあ、俺いらねえじゃねえか」
「荷物持ちくらいにはなるよ」
露骨に嫌な顔をしてみせると「おつりはあげるから頼んだよ」と問答無用で手にくしゃくしゃの紙幣と貨幣を渡されてしまった。礼って、それか? 金を突っ返すのもなんだか気持ちが悪いので、仕方なく従う。メモは読めないので、俺は食堂に戻って黒曜を探すことにした。
食堂は相変わらず暖炉の火で暖かい。そういえばサナギの研究室もそんなに寒くはなかったので、あいつもちゃんと暖を取っているのだなと何故か安心した。
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