カンテラテンカ

鏡裡を砕く 3

 夕方まで時間があるので、短期バイトを探すことにした。星数えの夜会に来る依頼は数が多くないし、残念ながら今日は即日終わる簡単なお使いのような依頼もない。冒険者大国のベルベルントでは、冒険者が所属宿以外の依頼を受けることはマナー違反とされている。もし宿の外で小遣い稼ぎをしたいなら、常連の店の手伝いなどの、宿を通さない方法を探すしかない。
 行きつけの道具屋はあるものの、常連というほどではない。あの道具屋にはタンジェより懇意にしているような冒険者もたくさんいるはずだ。仕事をもらえる見込みはまずないだろう。
 ただ、タンジェにはひとつ、"盗賊役"だからこそのツテがある。すなわち、"盗賊ギルド"だ。
 盗賊役――あるいは本職の盗賊――などの裏社会に生きる者が集まり、情報を交換したり売り買いしている場だ。実際はもっと後ろ暗いこともやっていると思うが、まだタンジェがそれを目の当たりにしたことはないし、わざわざ首を突っ込むことでもないと思っている。
 本来ならタンジェなど縁もゆかりもない場所なのだが、どの冒険者パーティであれ、盗賊役はほとんどが盗賊ギルドに出入りする。ここでのコネは冒険者パーティの情報収集に寄与するので、タンジェも盗賊役になることを決めてすぐ盗賊ギルドへ向かった。タンジェの盗賊役としての師匠もここで見つけた。この師がごくたまにタンジェに簡単な仕事をよこしてくれるのだ。

 盗賊ギルドは普通の宿に比べれば酔っ払いや団体がいない分、静かな場所だ。タンジェはいつも師がいる奥のテーブル席へ顔を出した。
 酒瓶から酒を注いで飲み干した男が、タンジェに気付いてグラスを置く。
「タンジェか」
 名をブルースという。本名なのか偽名なのかは知らないし興味もない。こいつが、ズブの素人のタンジェに、金と引き換えに盗賊技術を叩き込んでくれている男である。
 青い髪に無精ヒゲ、いつもぼろ切れを着た痩せ型の男で、ギャンブル好きがたたっていつもスカンピンだ。そのくせ酒好きでいつも飲んだくれている。おまけに冒険に出る勇気のない根性なしだが、技術だけは確かである。
「模擬錠か? この前買ってったばっかだろ」
 無精ヒゲををさすったブルースが首を傾げた。模擬錠は、初心者の盗賊役が解錠の訓練に使う鍵の模型だ。一般的な家鍵から複雑なトラップ錠までありとあらゆる鍵種が網羅されている。タンジェはようやく「特によく見かける」といわれる鍵種を半分くらい攻略したところで、まだまだ先は長い。もっとも、まずもって黒曜はタンジェの手に余る鍵が出てくるような依頼は受けないので、今のところは問題ない。もちろん、盗賊役としてパーティにいる以上は、いずれはマスターするつもりである――やらされている盗賊役だとしても、タンジェは負けず嫌いのたちなのだ。
 ともあれ、ブルースの言うとおりタンジェは模擬錠は買ったばかりであった。要件はそれではない。
「いや。なんか仕事ねえか? 一日で終わる簡単なやつ」
「ああ? ……お前に任せられるような仕事ねえ……」
 だいたいブルースがタンジェに寄越すのは、盗賊ギルドの備蓄の食料を買ってくるとか、ギルド内の掃除とかだ。タンジェは盗賊役としても冒険者としても限りなく素人に近い初心者という段階である。ブルースはタンジェの仕事の遂行能力をまったく信用していなかった。まあ、タンジェからしても、過剰な期待をかけられて手に余る仕事を渡されるよりよほどいい。とはいえ、
「酒も食料も足りてるし、掃除もしたばっか。毒薬の調合はお前にはまだ早いし……今はねえなあ……」
 聞けば聞くほど自分の盗賊役としての未熟を痛感し、タンジェは顔を歪めた。「そんな顔されたってしょうがねえだろお」とブルースは唇を尖らせる。おっさんのそんな仕草を見ても気持ち悪いだけだ。仕方なく帰ろうとしたそのとき、
「なんだ、お前、仕事を探しているのか?」
 急に声をかけられた。見れば、金髪をなでつけ、同じ色のヒゲをしっかり整えた、恰幅のいい男がいる。初めて見る顔だ。宝石がついたテカテカ光る上等そうな衣服に、金ピカの柄に入った剣を携えている。
「あ? ……誰だ?」
「口の利き方を知らんガキだな。フレンチェカ領には私を知らん者はおらんのだがね。やはりこんな汚い底辺の集まりはいかん」
 タンジェは面倒に思い、ブルースを見た。ブルースは肩を竦めている。
「私はナリン伯爵家の嫡子、ピエールである。"宝石眼"を、探しているのだよ」
「宝石眼?」
「だからぁ……ピエールさんとやら。宝石眼はとっくの昔に狩り尽くされて、生き残りはおらんって話ですぜ。ちょっと調べれば分かることでしょう」
 ブルースもまた面倒そうに、手元のグラスを撫でながら言った。
「なんだよ、その宝石眼ってのは」
「東の町にごく少数いた民族がもつ、稀少な魔眼だよ。宝石眼の目玉は魔術的価値もあれば金銭的価値も高い」
「その眼はこの世のものとは思えぬほど美しくまばゆく輝く、名の通りの"珠玉"なのだ!」
 ピエールはブルースの言葉に鼻息荒く割り込んだ。
「世のコレクターなら、喉から手が出るほど欲しい代物よ。私はその宝石眼をもつ者を、このベルベルントで見たという情報を入手したのだ」
「じゃあその情報提供者に聞けよ」
「聞ければこんな薄汚いところには来ない。その情報提供者は死におったのだ。せめてもっと具体的な情報をよこしてから死ねばいいものを!」
「はあ」
「だから仕方なく、こうして高貴な私が、卑しいやつらに頭を下げて情報収集しているのではないか」
「頭のてっぺん見えてねえけどな」
 タンジェ、とブルースに窘められた。「一応、貴族なのはマジっぽいから、下手に出とけって」と、小声で。タンジェは舌打ちする。
 幸い、ピエールはタンジェの言葉の意味は分からなかったらしく、
「とにかく、お前、仕事が欲しいなら私を手伝え。宝石眼を探し出すのだ。仕留めるのはもちろん、私がやる。狩りの一番楽しいところだからな」
「断る。よそを当たれ」
 間髪入れずタンジェは答えた。ブルースが額を抑える。ピエールはたちまち不機嫌になり、
「なんだ、盗賊ギルドだかなんだか知らんが、情報もなければ肉体労働もせん、とんだ役立たずの集まりではないか」
 手が出そうになったところを、慌てて立ち上がったブルースにほとんど羽交い締めにされ止められた。本気で暴れればブルースを振りほどくくらい何てことないが、それをしたら一応円満な師弟関係にヒビが入りかねない。タンジェはおとなしくピエールをぶん殴ることを諦める。
 ピエールはしばらくぶつくさ文句を言っていたが、やがて盗賊ギルドを出て行った。
「なんだったんだ」
 タンジェがぼやくと、
「お前、あんまヒヤヒヤさせんなよ。ここで揉めたら出禁だぞ」
「……それは困る」
「だろ? ほら、仕事はねえから、今日はもう行け」
 言われなくても、今はもう盗賊ギルドに用はない。タンジェは素直に盗賊ギルドを出た。

 どうしたものか、夜会に戻って皿洗いでも手伝うか、いやガキじゃあるまいし、などと考えながら通りを行く。盗賊ギルドは路地裏の片隅にひっそりあって、表通りに戻るには複雑な路地を歩かなくてはならない。まだ日も高いのに路地裏は薄暗く、湿っぽい。
 路地裏には無法者やトラブルがつきもので、タンジェも初めてここに訪れた際にはチンピラに絡まれたものだ。怪力に任せてぶん投げて以来、囲まれることはなくなったが、相変わらず治安は表よりずっと悪い。
 ひと気のない路地の角で、
「だ、誰か助けて……!」
 と、女の声が聞こえた。
「……」
 日常茶飯事である。無視しようかと思ったが、……仕方ない。タンジェは女子供が嫌いであるから、正義感で助けようというのではない。ただ、放っておいて、事件にでもなったら寝覚めが悪い。
 タンジェは声の聞こえた角に向かって足早に近づく。角を曲がった瞬間、視界に女が入った。
 だが予想に反して女は一人。暴漢に襲われている様子もなければ、トラブルで怪我をしているということもなさそうだ。女はタンジェの目の前で何か本のようなものを開いていて、
「<万物を戒めよ。闇に沈め。地に伏せよ>!」
「……!?」
 瞬間、タンジェの身体がぎしりと軋み、痺れたように力が抜ける。足が立たない。続けて強烈なめまいがきた。たちまちタンジェの身体は崩れ落ち、冷たい石畳の上に転がる。
 目も開けていられなくなり、「や……やった……!?」女の声が聞こえたのが最後、タンジェの意識はそこで途切れた。

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