星数えの夜会の戦い 4
「大丈夫か!?」
緑玉でもサナギでもない、でも聞き慣れた声がした。大通りに駆け込んできたのはタンジェリンだった。交戦回数が少ない緑玉たちに比べ、ベルベルントを駆け回っているタンジェはずいぶん戦闘をこなしているらしく、血と土埃と怪我にまみれている。でも致命傷はないらしい。足取りもしっかりしている。
「ああタンジェ! ちょうどいいところに」
サナギがぱっと顔を輝かせた。
「この子たちを聖ミゼリカ教会に送り届けてくれる?」
「あ? 別に構わねえが……なんでサナギが外に出てる? 夜会が襲われたのか!?」
タンジェリンは緑玉と同じく、サナギと黒曜の囮作戦は聞いていなかったようだ。サナギは逃げてきたことを簡単に説明した。だが黒曜が囮になったことは伏せている。確かに教えたら黒曜を助けに行きかねない。タンジェリンには悪いが、サブリナ相手じゃ黒曜の足手まといだ。
「そうか……逃げてきたのか。それじゃあ、さっさと騎士団詰所に行けよ。てめぇには早いとこ送還術式を書いてもらわねえとな」
「うん。そのつもり。で、この子たちも放っておけないから……」
「分かった」
頷いたタンジェリンが、双子の片割れを背中に担ぎ、無事なほうを先導してさっさと立ち去っていった。あまりタンジェリンの人となりに興味のない緑玉でも、彼が子供嫌いであることは聞き及んでいたが、タンジェリンは文句の一つも言わなかった。あの男は、この緊急事態に、自分の好き嫌いで人命を選別しないのだ。
それで自分を顧みて、緑玉は顔を歪める。
それにしても、タンジェリンは黒曜からの指示でベルベルント中を駆け回っているわけだが……それがたまたま今、このタイミングで通りかかるなんて。
「都合いいな……」
思わず呟くと、
「ふふ、俺も思った。でも、タイミングとか流れってものは、目に見えないけど確かにあるよ。調子のいい考えだと思われるかもしれないけどね」
サナギは当然のような顔で緑玉に手を差し伸べた。
「さあ。俺を詰所まで連れて行ってくれる?」
「……」
必要ないでしょ、と緑玉の口から零れるように声が漏れた。
「サナギ1人だって行けるでしょ? 俺が力不足だから……俺のことを信用してないから、黒曜を囮にして……なんて思いつくんでしょ!?」
サナギは緑玉のことを見つめていて、次の言葉を待っていたみたいだったが、緑玉の言葉なんかこれ以上はない。
じきに、サナギが口を開いた。
「"余計なことを考えているね"」
そして、ごくいつも通り、にっこりと笑った。
「でも、それはきみが生きているという証だね」
緑玉の目がゆっくり見開かれて、
「………その言葉は……。そんな……それじゃあ、あのときの……"せんせい"は……」
あの、緑玉に一時の安らぎをくれた老医者は。
「サナギ・シノニム・C23は、晩年、とある屋敷で医者の真似事をしていたね」
緑玉の人生に"サナギ"は――
「"思い出した"?」
――いた、のか?
「もう、あの頃のきみを助けるには遅いけれど、」
サナギは青い返り血を浴びた緑玉の手を取って、
「今はこうして、きみと手を繋いで走ることができるよ」
「……馬鹿だな……」
緑玉の声は震えていた。
「本当に、遅すぎるよ……」
過去の緑玉は、あの日から、焼けた故郷と屋敷に囚われたままだ。
ひとりぼっちで泣いていて、痛みに震えたままだ。ようやく差し伸べられた手はあまりに遅すぎるのに、でも、こんなにもあたたかい。
サナギがその長い人生の中で負った因果応報は、きっと計り知れない数あって、その中で一番大きな<天界墜とし>が、こうして降りかかってきているけれど。
そうして彼が紡いできたものの中に、あの地獄において緑玉の唯一の安らぎがあった。
恩を返す、というわけじゃない。でも、緑玉は初めて、自分の意志で思った。
俺は弱いかもしれないけれど、頼りないかもしれないけれど、
俺の周りで勝手に何もかも決まっていくこの世界で、それでも俺が何か選べるのならば。
サナギを守ろう。彼がそれを望んでくれる限りは。