ミラー・イン・ザ・ボックス 11
さあ、あとは娘さん待ちだ。
ヒマだな、と思ったとき、俺は筋トレか、練習用の鍵を使った開錠の特訓をすることにしている。走り込みや簡単な肉体労働でもいいのだが、今は娘さんからの報酬待ちなので室内から出ないほうがいいだろう。今は練習用の鍵も切らしているので、腕立て伏せでもするか、と思う。
腕立て伏せの回数が250を超えたあたりでノックの音があった。
汗をタオルで拭きながら扉を開けると思った通り娘さんが立っていた。何となく機嫌が良さそうで、小箱に入っていたものが悪いものではなかったことを思わせる。
「中身、何だったと思います?」
娘さんの顔は、にんまりとしている。
「紙束」
俺は見たままを伝えた。
「正解なんですけど、より正確に言えば手紙です。父と母の文通の……母あての手紙でした」
娘さんの父というのは、つまり親父さんだ。娘さんの母というのは……見たことがない。聞いたこともなかった。
「母は私が幼いころ亡くなりました。馬車の事故で……。箱の中にあったのは、付き合いたてのころの文通みたい」
なぜ娘さんは笑っているのだろう、と俺は思った。
「悔しくねえのか」
「悔しい?」
問いに、娘さんはキョトンとした。
「何がですか?」
「馬車の事故がなければ、あんたの母親は生きていて、その手紙だって、あんたの手に渡ることはなかったかもしれねえ」
「そうかもしれませんけど……」
続けて尋ねる。
「復讐したいと思わねえのか」
娘さんは不思議そうな顔を崩さぬまま、首を傾げた。
「誰にです?」
「その事故の、馬車の御者だよ。そいつが母親を殺したんだろうが?」
「事故ですよ? 誰が殺したとかではないです」
それに、と娘さんは言った。
「お父さんが納得して、許したことを、今更蒸し返しませんよ」
「……」
「当時は私もまだ子供でした」
黙った俺に、言い聞かせるように娘さんは続ける。
「どうして母は帰ってこないのか、何度も父に尋ねました。もう二度と戻らないと知って悲しんで、そりゃ、御者のせいだと憎く思ったことはあります。でも……今ではそんなに淋しくないの。時間が忘れさせてくれたのかしら」
それは嘘だ、と、俺は思った。
俺の心の中には、激しく燃える怒りと憎悪がある。それは時間とやらの手には余るに違いなかった。
「タンジェさん?」
俺の顔を覗き込んだ娘さんが、少し目を見開いてから、
「あ、そんなことより報酬ですよね」
上手に話を変えた。
「はい、約束の30Gと……明日一日、ご飯タダですから。たくさん食べてくださいね!」
30Gを手渡してそう言い残すと娘さんは立ち去っていった。閉められた扉。俺は舌打ちした。自分に対してだ。
娘さんは、俺の復讐心の在り方とは何も関係がない。それなのに強引に話を振って……何がしたかったんだ、俺は?
「……くそっ」
復讐について他人がどう思うかなんて、俺には意味のないことのはずだ。娘さんにあんなことを聞いたのは、自分の心の弱さに違いなかった。
きっと、ゴースト退治の折に取り憑かれかけて、あんな記憶を共有されたから――少し、感情が乱れているのだ。あんなものに乱されるような、その程度の気持ちなのか? 俺の、胸をつんざくこの激情は。
違う。
俺はこの復讐に、命を賭けることを躊躇わない。
だが結局あの箱は、俺に自身の未熟さを突き付けるばかりだった。技術。精神。感情の在り方。
強くなりたい、と思う。強くならなければ、と思う。
あの箱の中身は、紙束なんかではない。
中にあったのは、きっと鏡だ。
俺の弱さと未熟さを映し、突き付けるそれだ。
この気持ちは、強くなることでしか晴れない。復讐がそれでしか成しえないことと同じく。それをすでに、俺は知っている。
明日もまた、朝から黒曜と戦闘訓練だ。きっとそれは、今までよりもさらに意味のあるものになる。俺はまだ強くなれるはずだ。
復讐のための希望、そんなものが、今の俺を突き動かしている。
【第一話 ミラー・イン・ザ・ボックス 了】