カンテラテンカ

密やかなる羊たちの聖餐 8

 翌朝、俺はぴったり、起床時間4時に目覚めた。この手の調整は得意だ。
 俺は冒険者というのは然るべきときに必要なだけ休息を取るべきだと思っている。だから夜更かしは好きじゃないし、する必要もない。サナギはどうやら違う考えのようだが、あいつはきちんと起きただろうか。
「ふぁ……おはよ」
 むにゃむにゃ言いながらドートが起き出す。レンヤとクーシンも続けて起きてきた。
 今の時期の午前4時はまだ暗く、レンヤはろうそくに火を点ける。
 共同の洗面所に案内され、手早く身支度を整えた。水は冷たく、さっぱりして気持ちがいい。
 部屋に戻ってローブに着替え、それから朝の祈りだ。昨日の晩課と大して内容は変わらなかった。
 それから、朝食との間に少し時間があって、それは確か「聖なる読書」の時間だと聞いていた。礼拝堂からは移動せず、その場で着席して、黙々と聖書を読んでいる。正直、かなり苦痛な時間だった。あくびが出そうだ。と言っても、眠いわけじゃない。単に退屈だった。
 燭台に灯された火がゆらめく静かな礼拝堂で、視界の先にサナギの後姿を見つけたが、こっくりこっくりと舟を漕いでいる。あいつは正真正銘、眠そうだ。この時間に目が覚めただけでも上等か。
 別に、俺はサナギとそこまで親しいわけじゃないし、パーティを組んでいるって言ったって、もうすぐ四か月ってところだ。その期間で依頼をこなしてきて、サナギのことは、物知りで頭の回転も早い、まあ参謀向きの男だとは思っている。しかしどうも、根本が駄目人間というか、自堕落……とまでは言わないが、健康を犠牲に好奇心を満たすタイプなので、俺はそういうところが好きじゃない。あんだけ言ったのに、どうせあいつは夜更かしをしたに決まっているのだ。 
 礼拝堂には、聖書をめくる音だけが響いている。
 一応、ぱらぱらとめくっては見たのだが、内容は俺には理解できそうになかった。サナギに申告したとおり、ペケニヨ村の私塾に通っていた経験があるので共通語の文字の読み書きはできるが、聖書はどうも言い回しが難解だ。
 もっとも、どんなに易しい言葉にされたって、俺には聖書の言葉も、修道士たちが日々何を考えて熱心に祈っているのかも、理解できないだろうが……。

 聖なる読書の時間が終わり、朝食。それから、掃除と洗濯。さらに、朝の祈りとは別にミサとやらがあり、それからやっと午前の使徒職だ。
 ようやく日が姿を見せ始め、明るくなった中庭は、ひんやりした空気が気持ちいい。
 薪割りを指示されたので、大人しく従う。薪割りの最中、時折周囲を見回してみるのだが、不審な動きをしているやつはいない。みんな木々の枝を落としたり、畑の野菜を収穫したりと平凡な作業をしている。
 割り終えた薪は中庭にある薪置き場に運ぶ。
 薪置き場を探して中庭をうろうろしていると、草がぼうぼうに生えた一角を見つけた。背の高い雑草の奥に檻のようなもので囲われた、半壊した建物が見える。このベルティア修道院は古く広大だと聞いているのでそんな一角があっても別におかしくはないのかもしれないが、薬物になるような危険な植物をこっそり育てるならこういう場所じゃないか?
 俺は薪を抱えたまま草をかき分けてその廃墟に近づいた。
 檻に阻まれて廃墟そのものには入れない。檻に鍵がないか探しているうちに気付いたが、廃墟の入り口は反対側にあるようだ。もちろん、檻の入り口もこちら側にはない。
 どうにか入り口側に回り込めないか、さらに進んでいこうとすると、
「タンジェリンさん!」
 背後から声が聞こえた。
「薪置き場はそっちじゃあありませんよ」
 細目の修道士だ。俺は舌打ちした。仕方なくもとの場所に戻る。
「危ないですから、あまりうろうろしてはいけませんよ」
「危ない?」
 俺は眉を上げた。
「何が?」
「あなたが向かった方向に、ちょっとした倉庫があるんですが……そこは屋根が崩れていましてね」
 それで誰も立ち入らないように、檻で囲っているのです、と修道士は言った。
「万が一、檻の中にでも入ったら、私の監督不行き届きですから」
 結局自分の身が可愛いだけか、と、俺は鼻で笑いたい気分だったが、このタイミングでそんな仕草をしたら印象が悪すぎる。
 基本的に感情を押し殺すのは苦手だ。この依頼を受けてからかなり自分を抑えている。いろいろな意味でストレスが溜まっていた。だから早く依頼を終わらせたくて焦っているのかもしれない。サナギに相談もせずに怪しい場所に潜り込もうとしたのは早計だった。
「すみません」
「分かればいいのです。さあ、薪置き場はあちらですよ」
 それからは大人しく使徒職に励んだ。黒曜たちは何時ごろに着くだろうか。

 昨日俺たちが紹介されたのと同じく昼食のタイミングで、本日は巡礼の方がおいでです、と、黒曜たちが紹介された。
 パーシィ以外は深くフードをかぶっていて、獣の耳やツノなんかは一応隠れていたが、フードの不自然な盛り上がりは知っているやつが見ればすぐにそれと分かった。
「兄弟たちよ、この出会いに感謝いたします」
 笑顔のパーシィがそう言って会釈すると、ばらばらと黒曜たちも頭を下げた。受け入れる側の修道士たちも会釈を返す。
 とりあえず向こうも潜入には成功した、と見ていいだろう。
 あいてる席に案内されたパーシィたちは大人しく着席し、修道士たちはいつもどおりに食事を始める。
 食事、食休み、午後の使徒職、それから晩課……俺たちが修道院の日課に拘束され動けない間に、黒曜たちは何か手がかりを掴んだだろうか?
 晩課で礼拝堂に入ると、巡礼者組が後ろのほうで待機していたので、俺もさりげなくそれに混ざった。
 静まり返った礼拝堂の中で会話は難しい。会話できるとしたら、寝る前の団らんの時間だ。
 黒曜は俺を横目でちらと見て、そっと何か手渡してきた。手紙、というよりは、メモだった。黒曜の几帳面な字で、「夜に巡礼者用の部屋で」と走り書きされていた。場所はよく分からないが、確か構内に地図があると聞いていたので辿り着けるだろう。俺は頷いた。
 祈りが始まる。退屈で苦痛の祈りが。
 つい、横目で隣の黒曜を見る。静かに目を閉じている。熱心に祈っているな、と思う。
 黒曜が祈る神なんか、ここにはいないはずだ。そもそも黒曜が神を信じてるなんて話は聞かないが……黒曜が祈るとしたら、少なくともミゼリカの神じゃない。
 黒曜のそれがただのポーズなのか、それともここにはいない別の神へのものなのか――そんなことは分からないまま、晩課を終えた。

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