密やかなる羊たちの聖餐 9
晩の食事、それから入浴やらを済ませて、ようやく俺たちは会話できるタイミングを見つけた。
黒曜のメモ通りにサナギを連れて巡礼者に用意された部屋へ。こちらは寄宿舎とは違い礼拝堂の近くで、この時間には他にまったく人通りはない。
俺とサナギはつつがなく巡礼者用の部屋に訪れることができた。
「お疲れさま」
中に入ると、パーシィが茶を用意してくれていた。
「やあ、ありがとう。そちらもお疲れさま」
サナギが素直にカップを受け取る。あたたかい茶は、夜にはぐっと冷えるこの時期にはありがたい。
「祈りだ何だで、気が狂いそうだぜ……」
「はは、大袈裟だな」
茶を飲みながら愚痴ると、パーシィが、
「信仰心が芽生えるかもしれないぞ?」
俺は思いっきり顔をしかめてやった。それを見てひとしきり笑っていたパーシィだったが、不意に真剣な顔になって尋ねる。
「調子はどうだい?」
「ん〜……」
サナギは曖昧な返事をした。
「もう少し、なんだけれどね」
「もう少し?」
もう少し、ってなんだ? 俺も聞いてないぞ。
「今日、ハーブ園で、麻薬の精製に使う器具を一通り見つけたんだ。もちろん隠すように置いてあったよ。ただ、誰の持ち物なのかは調査中だ」
「……!」
これはかなり大きい情報だ。あとはサナギがそれを見張っていれば犯人はいずれやってくる。
「そっか、俺たちはいらなかったかもしれないな」
パーシィはサナギの調査の成果を喜びながらも、少し寂しそうな顔をした。
「そんなことはないよ、心強いよ」
「うーん、それが、心強く思われるような事態でもないんだ」
どういうことだ? と俺が尋ねると、パーシィは答えた。
「実は、思ったより獣人への対応がよくなくてね……泊まれて、今日一日ってところかな……」
「マジかよ……!」
やっぱろくでもねえな、と思わず本音が漏れる。
パーシィはまたなんてことないフウに笑うかと思ったが、真剣な顔で、
「獣人へのあの警戒は、ちょっと普通じゃないな。だからさ、俺は、かなり怪しいと思う」
「怪しいって?」
「獣人は五感が人間より優れていることが多いだろ? 要するに、獣人に長くいられちゃ困る理由があるんじゃないかってね」
俺は少なからず驚く。
「待てよ。てめぇらの受け入れを判断するのは、この修道院でそれなりの決定権を持ってるやつだろ。そいつが獣人を忌避してるなら、つまり……」
言った言葉を、黒曜が引き継いだ。
「修道院の上部が麻薬取引を黙認している、あるいは指示している……下手をするとこの修道院全体が、麻薬取引の母体になっているかもしれないな」
俺は絶句した。
「さすがに、全員が関わってるってことはねえだろ?」
「どうだろう」
サナギは口元に指を当てて何やら考えている素振りを見せながら言う。
「獣人の巡礼者には厳しいわりに、俺たちのときはやけにガードが緩かったろ? 人間なんかいざとなれば麻薬で何とかなる……そう思っているのかも」
「食事に麻薬が混入されていたりはしなかったかい?」
「おいおい……!」
思わず俺がドン引きすると、黒曜が「食事にその手の臭いはなかった」と呟く。
それなら安心だが、さすがにこの施設全体がグルで麻薬を作ってるなんてのは……いや、ありえる、のか? 俺はドートたちのことを思い浮かべた。だが実際に俺に隠れて何かをしているかもしれない。他人の心はまったく分からないのだ。
「……警戒するに越したことはねえな」
結局、そう結論付ける。
「ああ」
それから、パーシィとサナギはもう少し話すというので、俺は先に寄宿舎に戻ることにした。あまり巡礼者の部屋に長居してもいいことはないだろう。
俺が廊下に出ると、見送りのつもりか黒曜が一緒に扉の外に出てきた。ふと声をかける。
「やけに真剣に祈っていたじゃねえか?」
「……?」
さっきの晩課でだよ、隣だったろ……そう言うと、黒曜は納得のような、肯定のような、中途半端な浅い首肯をした。
「懺悔するようなことがあるのかよ?」
いつもすました顔をしている黒曜に、そんなことがあるなら聞いてみたかった。半分くらいは嫌味のつもりだったが。
「お前は人を殺したことがあるか」
予想外の言葉に、俺は一瞬答えに窮したが、数秒してようやく声が出た。
「まだねえよ。冒険者やってりゃ、必要になることもあるだろうが」
必要な殺人、か、と黒曜は呟いた。それから、
「復讐は『必要な殺人』だと思うか?」
「望んだなら」
今度はすんなりと言葉になった。
「黒曜も……復讐を?」
言ったあとに少し後悔した。「も」はいらなかった。黒曜は特に突っ込まず、
「復讐……より近い言葉を敢えて探すなら、けじめだ」
いつも通りの石のような目は、俺のほうを見てもいなかった。
何を考えているのか分からないこの男も、きっと何か、人生を、感情を、賭けてしまうに値する憎悪に身をやつして、そして、実際に……やり遂げたのかもしれなかった。俺は、復讐に後悔はないはずだと信じている。
「けじめをつけるための、祈りか?」
「違うな……ただ、考えていただけだ。過去を振り返るのに、最適な時間だった」
否定してくれて、俺は心のどこかで安心した。復讐相手に祈ることなんてあってはいけないのだ。
俺は黒曜に、見送る必要はなかったが、話が聞けてよかった、と呟いた。
黒曜は真顔でこちらを見て、ついと小さく首を傾げたが、
「なんでもねえよ」
と俺は言って、そのまま廊下を歩き出した。黒曜もそれを見届けて部屋に戻ったようだった。
寄宿舎への道を途中の地図を見ながら辛うじて進んでいると、T字路で向かって左手から歩いてくる人影が見えた。ひと気のあるところには近付いてきたらしい。
人影はレンヤだった。
「やあ、タンジェリンさん」
「おう」
俺は違和感を覚えた。
レンヤが歩いてきたそっち側には、何がある? ここを右手に曲がれば寄宿舎や談話室があるほうに向かうことは分かっている。なぜこいつはその反対側から歩いてきた?
「何してたんだ?」
俺が尋ねると、
「そちらこそ。礼拝堂で何かしていたのか?」
そうか、寄宿舎とは別の方向から歩いてきた……俺も同じ立場か。俺は「まあな」と適当に返した。
「こんな夜更けに、あまりうろうろするものではないぞ」
夜更けってほどの時間じゃないが、と俺は思ったが、この修道院では、確かにもう遅い時間だ。
俺の前を、まっすぐ通り過ぎていくレンヤ。
俺はそのとき、レンヤの衣服から、何かの植物らしき匂いが香ったのに気付いた。
「……」
レンヤは言いたいことは言ったのか、そのまま右手の寄宿舎側へと立ち去っていく。その後ろ姿が見えなくなったのを見届けると、俺は左手へ足早に向かった。レンヤが来たほうだ。
長い廊下をなるべく足音を立てずに進んでいくと、途中で扉を見つけた。少し観察し、脳内でなんとか修道院の地図を展開すると、中庭に出る扉かもしれない、と見当が付いた。
しかもこの位置は、もしかしたら俺が今朝方見つけたあのぼうぼうの草が生えていたあたりかもしれない。
扉を開けようとしたが、鍵がかかっている。
俺は解錠道具を取り出そうとして、風呂上がりのため寝間着であることを思い出した。
しかし、俺だって盗賊役だ。むざむざ自分から全部の装備を外したりはしない。俺はいつもしているヘアピンを髪から一本抜くと、それを使って解錠を試みた。
古い鍵だからだろう、かなり造りは単純で、ヘアピン一本で簡単にピッキングできた。俺はヘアピンを髪に戻し、静かに扉を開けた。
外の冷たい空気に当たる。
案の定、背の高い雑草が生えて、奥に今朝は入れなかった廃屋が見えた。俺は草を掻き分けてそちらに向かった。檻にも鍵がかかっていたが、こちらも難なく解錠する。
廃屋に侵入した。暗かったが天井が崩れているため月明かりで視界は確保できた。
「これは……!」
廃屋の奥に、花が咲いている。
それらの花からは甘い香りがして、それはレンヤの衣服から香ったのと同じものだった。
俺は植物に特別詳しいわけではない。だがサナギがここに来る前、いくつか見当を付けていた麻薬があったはずだ。絵を見せてくれたその中に、確かにこの花があった。確か名前は――。
「イリーマリー」
背後から突然声が聞こえたと思ったら、パッと視界が明るくなる。振り向くと、備え付けのランプに火を灯したレンヤがこちらを見ていた。
「イリーマリーだよ、それは」
淡々と言ったあと、
「タンジェリンさん。なぜ寄宿舎に戻らなかった?」
レンヤは、怒っているフウでも、焦っているフウでもなかった。
「……」
俺は沈黙を返した。
「貴様、最初からイリーマリーの調査に来ていたのか?」
「……」
まあいい、とレンヤは言った。
「どちらにせよ、私に尾行されるようでは、あまり探索の才能はないようだな」
ぴく、と俺の眉が動く。レンヤは鼻で笑って、
「この廃屋はこの修道院の修道士たちは関心を寄せないのでね。麻薬を栽培するのにちょうどよかったわけだ」
聞いてもいないのにべらべら喋った。
つまり、この麻薬――イリーマリーは、あくまでレンヤが独断で栽培しているということか? 俺が思考を巡らせているうちに、レンヤは壁に立てかけてあった枝切りバサミを手に取った。
「見つけてしまった貴様は、不幸だが、ここで死んでもらおう。麻薬の肥料になるがいい」
ぶん、と枝切りバサミを振り回すレンヤ。
だが先ほど視界も明るくなったことだし、特に俺に不利な要素はなかった。素人丸出しの大振りな攻撃を難なくかわすと、俺は一歩でレンヤに間合いを詰めた。
「探索に向いてねぇって?」
それから、
「あいにく、こっちの方が得意でな!」
レンヤの顔面に拳を叩き込んだ。
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