Over Night - High Roller 11
シャルマンは派手に燃え落ちた。死傷者は数十名に上る。死者の中には、フレンチェカ領の貴族ピエール・ナリンが含まれていたらしい――風の噂だ。それでタンジェは思い出した。緑玉を巡って長いことサナギと競っていたあの男、あいつは数か月前に盗賊ギルドで見かけたいけ好かない貴族だ。宝石眼を求めていたが、緑玉がそうと知って競り落とそうとしたのだろうか? 今となっては知る由もないし、どうでもいいことだ。
客も運営の黒服も、そしてテントも失い、シャルマンは跡形もなく消え去った。それで終わりだ。
もちろん、ベルベルントの治安隊は放火犯を捜している。黒曜と翠玉は相当上手くやったらしい。姿を黒服に目撃されていた黒曜がいてなお夜会に疑いがかからないということは、あのときの黒服は全員、もう証言はできないのだろう。
タンジェは以前見た夢の中を思い出す。屋敷に火をつけて翠玉と緑玉を救い出す黒曜。彼は、手間がなくていい、と言った。
何もかも燃やし尽くしたら、確かに楽なのかもしれない。ただ、タンジェが何日、首を捻って唸ったところで、きっと放火には辿り着かないだろうとも思う。だからいいとか悪いとか言うつもりはない。要するに、タンジェには覚悟が足りていないのだ。
精神面での未熟さは痛感している。――俺はこのままでいいのか?
「いいんだ」
背後から急に声をかけられて、タンジェは座っていた自室の椅子から2cmほど飛び上がった。振り返れば黒曜がいる。
「お前はそのままでいい」
「……声に出てたか?」
「タンジェ。冒険者だからと汚くある必要はない。お前が潔白であることは、お前の誇りだ」
「……」
黒曜は、タンジェが悩みを口にしていたかどうかはとうとう言わなかった。
自分が潔白であると、タンジェは思っていない。害獣、妖魔、タンジェは多くの生き物を殺してきたし、そしてこれからも手にかける。それを悲観してはいない。潔白の冒険者なんかいるはずはないのだ。タンジェもまた、然り。それだけだ。
本当の潔白というのは、親父さんや娘さんのことだ。2人のことをそこまで深く理解しているわけじゃないが、きっとそうだ。
ただ、自分は中途半端だ、とタンジェは思う。
復讐を志し冒険者になったのに、成し遂げないままくすぶり、仲間を助けるのに何かを犠牲にしようという覚悟もない。
目を閉じれば、まだテントの炎が闇夜を舐めるあの情景が思い出せる。
「タンジェ」
「うお、まだいたのか」
タンジェの背後にまだ突っ立っていたらしい黒曜が、不意に言った。
「緑玉を助けてくれてありがとう」
「……」
「見ていた。鳥籠の鍵を外す手際――見事だった。俺や翠玉ではああはいかない。……お前がいてくれてよかった」
誰かを助けるための放火なんて発想は、タンジェには出てこない。
復讐も半ばで持ち帰り、敵と分かっている相手にも毎回逃げられる始末。オマケに盗賊役には向いてない。
けれど、この拙い手で、握っているのが斧でなくても、仲間を、黒曜の大事なものを救うことができた。それならあそこにいたことに、盗賊役を引き受けたことにも、その甲斐があった。
「はっ、礼を言われるようなことじゃねえよ」
「……そうか」
「それよりてめぇ、黙って出てってんじゃねぇよ! 3日も顔出さねえで翠玉と2人行動しやがって!」
「……心配したか?」
「当たり前だろ!」
「当たり前、か」
黒曜は決して謝りはしなかった。きっと、謝る理由が、彼にはない。最善を尽くしたと確信しているのだ。
だが、黒曜にとっての最善があの放火だったというなら、タンジェはそれを更新してやるつもりだ。そういう方法じゃないことも、今ならできるのだ、と。
サナギは賢い男だし、パーシィがいれば戦略の幅は広がる。アノニムがいれば真っ向からの戦闘は怖くない。……そこまで考えて、偉そうなことを言っても結局パーティメンバー頼りか、と、自分に呆れる。
自分には何ができるだろう? 盗賊役としてもまだ未熟だ。タンジェがパーティに貢献できることは多くない。
できることを脳内で探し、難しい顔で腕を組むタンジェ。その様子を見つめていた黒曜は、
「ただいま、タンジェ」
「あ? ああ……おかえり」
ふ、と笑った。黒曜がごくまれに見せる、淡い笑顔。何故、このタイミングで言われたのかは分からなかったが、まあ笑顔が伴うなら好意的な意味があるのだろう。それに、黒曜の笑顔は希少だ。それが見れただけで得をした気分になる。
「昼飯はまだか?」
黒曜は話を変えた。
「一緒にどうだ」
「おっおう、お、まあまだだが」
急に誘われたので、タンジェは挙動不審になった。それでもなんとか応じ、
「ま、まあどうせ食うしな、一緒に、おう、一緒に食おうぜ」
黒曜は目を細めて、また笑った。
カジノだの、闇オークションだの、派手なだけで汚くて後ろ暗い、ろくでもない世界だった。その中にもリカルドのような協力者がいて、黒曜や翠玉のような、悪辣な世界に立ち向かう者もいる。
彼らと肩を並べて戦えるくらい、いやそれ以上に、強くなりたい。強ければ、黒曜がすべてを燃やすことを決断する前に、俺がなんとかしてやると胸を張れたはずだった。もちろんそれだけのためじゃない。タンジェの中途半端な心持ちと立場は、強さが解決してくれるはずだ。もしかしたら、覚悟すらも。
ただ、まだ遠い。もしまだ背中しか見えないのなら、追いかけて、追いつき、追い越すのに、タンジェは何をどのくらい積み重ねればいいのだろう?
一夜のうちに大金を賭け、莫大なリターンを得る、ハイ・ローラーの生きざまもあるだろう。
ぼーっとしているうちに必要なものが手に入るようなイカサマもある。
けれど、今回限りで充分だ。タンジェはそんなもの望まないし、頼らない。
鍛錬を積み重ねることだ。経験を積むことだ。それがタンジェが前へと進む方法だ。結局、そんなシンプルな答えになる。
この歩みの先に、本当に"強い自分"がいるのかは分からない。タンジェの強さには限界があるかもしれない。けれど黒曜とならどこまでも強くなれると思った、あの日の自分に嘘はない。
タンジェは自分に賭けるしかないのだ。不明瞭な未来に、それでも昨日より強い自分を信じて。
でもそれに悲観することはない。だってきっと、一発逆転を狙うギャンブルなんかではないはずだ。