カンテラテンカ

ニセパーシエル騒動 3

 月明かりがいやに似合う男なのである。
 パーシィのことだ。黒曜も緑玉もサナギも揃って美形なのだが、男前、という感じの黒曜や緑玉と、可憐、という感じのサナギとはまた雰囲気が違う。
 パーシィはごくシンプルに、端正、という感じの美形だ。
 だがその顔面の刺青が、たぶんけっこう、第一印象を損なっていると思う。俺はその刺青の理由を聞いたこともなかった。他人の顔面を気にするたちじゃなかったし、復讐が目的で目下強くなることに夢中だった俺には、仲間の顔面にある刺青の理由などめちゃくちゃに優先度が低かったのである。
 パーシィは宿から出てきた俺に気付きこちらを見た。パーシィが素手で出て行ったので、俺も斧は持ってきていないが、
「まあ、殴り合いでいいよな? 斧だと怪我させるかもしれねえしよ」
 と言うと、パーシィは目を瞬かせたあと、思わずといった様子で破顔した。
「はは! 俺と殴り合い? どうして?」
「あ? 怒ったんじゃねえのか?」
「怒った? 俺が? なぜ?」
「わりと失礼なことを言った自覚があるぜ」
 あるんだ、とパーシィはひとしきり笑った。
 それから首を横に振って、
「怒ったわけじゃない。きみに聞きたいことがあるんだ。あの場じゃ聞きづらかった」
「え? ……なんだ、そうかよ」
 俺は構えた拳を下げた。
 ひと気のまったくない大通り。夕食時にはあれだけ混雑していたこの宿も、夜になればこんなに静かなものか。
「タンジェは、ヒトを食いたくはならないのか?」
 パーシィにそう聞かれて、俺は怒ろうか呆れようか、それともすぐにぶん殴ってやろうか迷った末、どれもできずに微妙な顔になった。
「てめぇよ……ケンカ売ってるか?」
「いや、……気を悪くしたならすまない」
 浅い謝罪だ。俺のルーツにも人間性にもヒトとしての倫理にも関わる、相当な質問だったぞ、今のは。
「オーガというのは、ヒトを食うものだろ? だから食人鬼なんて異名がある」
「……そうだな」
 俺の遥か昔の先祖も、『エサ』である『ヒト』に恋したのだと叔父が言っていた。オーガがヒトを食う点に疑問を差し挟む余地はない。
「その血がきみに食人をさせないのは何故だろうか?」
「知らねえよ……」
 産まれてこの方、食人衝動のようなものが湧いたことは一度もないし、これからもないだろう。と、思いたい。
「ただ、俺がヒトに育てられたことと無関係ではねえかもな。おふくろは美味い飯を食わせてくれたし」
「そうか。美味しいごはんは、業やサガを忘れさせてくれるよな。俺も大好きだ」
 俺の言いたいこととはズレて伝わっている気がするが、パーシィは勝手に納得して頷いた。少しの沈黙。
 パーシィはぽつりと呟いた。
「……食人なんだよ」
「あ?」
「俺が天界を追放されたのは、ヒトを食ったからなんだ」
 俺は息を呑んだ。
 無意識に一歩、片足を引いていた。食人? 天使が!?
「軽蔑したかい?」
「……何か、理由があったんだろ?」
「ないよ」
 パーシィは緩くかぶりを振った。
「本当に、理由なんか……ないんだ」
「……」
 俺は言うべき言葉を見失った。少しの沈黙。やがて口から出た言葉は、
「……そりゃ、堕天もするよな」
 だった。
 パーシィは反応に困ったような顔をして笑い、
「この刺青も、その罪によるものさ。髪の色も目の色も、今では昔の面影がないな……」
 そうだったのか。知らなかった。
 こいつはカンバラの里でシェイプシフターがヒトを食ったと知ったとき、相当の精神的ショックを受けた様子だった。言葉の調子とは裏腹に、きっと重い罪と受け止めているんだろう、とは思う。
 だが、許されざる罪だ。ヒトを食ったと語るギャジに抱いた気持ちを、俺はこいつにも平等に抱かなくちゃいけない。
 それでも、こいつはすでに罰を受けている。俺の気持ちとは別に――それで贖いきれるならば――俺からの私刑は必要ない、と思いたかった。
「この罪のことは」
 と、パーシィは言った。
「堕天したのちの俺を救ってくれた女性、マリスという名だが、彼女にも、アノニムにも言っていない」
 その二人の名を挙げたのは、きっとパーシィの人生にとって重要な人物だということなんだろう。マリスという女のことは知らないが、アノニムがパーシィにとって特別な存在であろうことは何となく分かる。だが、
「その二人を差し置いて、なんで俺に話した?」
「……」
 パーシィは天を仰いだ。
「……きみは復讐をしたかったんだよな」
「……ああ」
「でも、しなかった」
 ゆっくりとパーシィの視線が俺へと戻る。パーシィの端正な顔立ちは真剣で、でもそこから感情は窺えなかった。
「復讐というのは、怒りの発露だよな」
「そうだろうな」
「かつてのきみは憤怒の咎を背負っていた、と言える」
「……」
 ちょっと大袈裟じゃねえか、とは思ったが、言わなかった。
「でもきみはそれを乗り越えた。きみは今、復讐に囚われてはいない」
「……まあ、そうだな」
 乗り越えた、と言えるのかは、はっきりしない。だが復讐から解放されたのはそのとおりだ。頷いた。
「きみは強い男だと思う。だから……」
 パーシィは、身勝手だとは思うけれど、と間に挟んで、それからこう言った。
「きみから赦されることが、救いになる気がした」
 ざ、と風が俺たちを撫でていった。
「人を懺悔室代わりにするんじゃねえよ」
 俺の率直な感想だった。
「許すとか許さねえとか、そんなの俺が決めることじゃねえだろ」
 パーシィは微笑んだ。
「そうだな。きみが正しいと思う。ありがとう」
「……」
 少し冷えるな、部屋に戻ろう、とパーシィは言った。

 部屋に戻れば、黒曜とサナギはまだ起きていて、黒曜は青龍刀の手入れを、サナギは本を読んでいた。緑玉は一足先にベッドに入ったらしい。
 二人に声をかけてから俺もベッドに入った。確かに少しだけ身体が冷えたようだ。布団があたたかい。 
 布団の中でぼんやりと思う。パーシィは『パーシエルの罪を知っていたなら、気軽に名乗れる名ではない』と言っていた。罪状を聞けば、確かにそのとおりだ。明日の調査で何か分かるのだろうか。
 分かったとして、パーシィにとってそれが何を意味するのか、俺は知らない。
 でも、今度は知りたくないとは思わなかった。

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ニセパーシエル騒動 2

「この町の人々は、騙されてると思う」
 部屋に戻って開口一番、パーシィが言った。
「天使との結婚のこと?」
 すぐに察したサナギが聞き返せば、パーシィは頷いた。
「蘇生の奇跡とやらは相当に胡散臭い話だ。はっきり言う。ありえない。天使はそんな施しを人間には、犬にも、しない」
「それは分かるけどよ」
 天使だろうが何だろうが、蘇生なんてものができるわけがない。だが、
「少なくとも町の奴らにそう信じ込ませる何かしらは起きたってことだろ」
 パーシィはしばし考え込んだが、答えは沸いてこないようだった。サナギが横から、
「まあ、そうっぽく見せるとすれば、自作自演か、仮死状態のものを蘇生させたように見せる医療術か治癒術というところかな。人間が騙っているとして……自作自演だとすればその猟師に話を聞けば何か分かるかもね」
 その言葉はもっともだ。
 だが、依頼でもなし、こんなところの結婚話に首を突っ込む理由がない。
「俺は興味ねえよ。もう寝ようぜ、明日の朝には出発だろ?」
 パーシィは少し躊躇った様子を見せたあと、意を決した、というような顔でこう言った。
「俺が天界から堕天し地上に堕とされた元天使だということは、ずいぶん前に話したとおりだ」
「ああ……」
 ベルベルント防衛戦において、パーシィは自身が天使であることを身をもって証明した。元とは言え、あの姿と戦いぶりが天使でなかったら何なのか。俺はそこでふと思い付いて尋ねた。
「もしかして、知り合いか?」
 パーシィは難しい顔をした。
「知り合いどころの話じゃない。俺の名なんだ。天界にいた頃の俺の天使としての名が……パーシエルというんだよ」
「……」
 俺たちは顔を見合わせた。
「たまたま同じ名前ってことは」
「それはない。ヒトと違って、天使は別個体で同じ名を授かることはない」
 そうなのか。そんなこと考えもしなかった。
「つまり、この町にいるという天使パーシエルは、その名を騙るニセモノ、ということだね」
 サナギが簡潔にまとめた。でもよ、と俺は思わず言う。
「それが何だってんだ? 別に天使を騙って結婚するくらい、まあ……ろくでもねえ野郎だとは思うが、大したことじゃねえだろ」
「……」
 そりゃ勝手に名を使われて気分が悪いのは分かるが、と言うと、パーシィはぽつんと呟いた。
「パーシエルを"知っている"ならば、その名を使うはずはないんだ……」
 どういうことだ、と、俺が尋ねると、パーシィは俯いてしまった。
「……」
「ははあ」
 サナギがパーシィの顔を覗き込む。
「きみは堕天使だ。天界から追放された、その際の罪状を俺たちは知らないけれど、つまり、よほどのことをやらかしたというわけだね」
 パーシィは黙っていたが、ほとんどそれは肯定だった。
「パーシエルを知っているならその罪も知っているはず、というわけだ」
「あの罪を知っているのなら、気軽に名乗れる名じゃないんだ!」
 パーシィは急にデカい声を出した。パーシィは過去のことになると少し感情的になるよな。カンバラの里で古い友人とやらに化けたシェイプシフターを見たときもえらく動揺していた。
「つまり……どうしたいんだ? パーシィ」
 黒曜が結論を尋ねると、
「俺は少しここに残りたい。パーシエルを名乗っているのが何者なのか、何の意図があって名乗っているのかを確かめなければ、俺はベルベルントに戻れない」
 パーシィは言って、続けた。
「ニセパーシエルは有名なようだし、そこまで時間も手間もかからないだろうから、みんなは明日、先に馬車に乗って戻ってくれ」
 黒曜は頷いた。
「分かった。そういうことなら、俺たちは明日の昼の乗合馬車で出よう」
「……え?」
「昼までに解決すればそれでよし。それ以上掛かるなら、お前の言うとおり俺たちは先に戻る」
 ……そうなるか。
「いや、しかし、朝に出発の予定だったじゃないか。そこまで付き合わせるのは悪いよ」
 パーシィが遠慮するので、そんなこと言えるんだなこいつ、と内心で思いながら、俺は言い添えた。
「エスパルタに行ったとき、俺も気持ちの整理を付けるのにみんなに一日付き合ってもらった。俺は構わねえ」
 本音だ。パーシィの過去に興味はないが、やつにとって必要な時間だというならそのくらい待ってやっていいと思う。
 サナギは目を輝かせている。
「俺は猟犬を蘇生したという術が気になっていたんだ。ニセパーシエルを調べるうちに分かるはずだよ」
「……」
 その横で、心底「早く帰りたい」って顔してるのは緑玉だ。エスパルタのときもこの調子だったな。
「明日の昼までだ、耐えろ」
 緑玉が何かを言う前に黒曜が先回りしたので、緑玉は緩慢に頷いた。
 アノニムはすでにベッドに横になっていたが、「話聞いてたか?」と俺が尋ねれば、「出発は明日の昼」と短く返ってきた。聞いていたらしい。
「みんな……すまない、ありがとう」
 パーシィは丁寧に頭を下げた。よせよ、と俺は言った。
「てめぇがそんな殊勝な所作してるの、気味が悪いからよ」
「……」
 パーシィは俺を見つめて無言を返す。さすがに怒ったか、と思ったら、パーシィは突然こう言い出した。
「タンジェ、少し夜風に当たらないか?」
「は?」
 本気で意味が分からず聞き返す。あ、怒ったのか、表に出てタイマンしようぜってことか、と思い至り、
「ああいいぜ、受けて立つ」
 と言って返した。パーシィは不思議そうな顔をしたが、それはありがとう、と言って、立ち上がって廊下に出た。俺も続こうとして、黒曜の視線に気付いた。
「心配すんな、怪我はしねえしさせねえよ。負けるつもりもねえ」
 黒曜は「そういうことではないと思うが」と小さく呟いたが、俺のことを止めはしなかった。

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ニセパーシエル騒動 1

「ベルベルントがこんなことになっているとは、露ほども思いませんでしたよ」
 商人はしきりに、参った参った、と言って、汗を拭いている。
「いつも頼りにしている冒険者が捕まらなくてねえ。仕方なくこちらに依頼を出したわけです、はい」
 仕方なく、の部分は要るのか。問い詰めようかと思ったが、やめた。些細なことだ、と、俺――タンジェリン・タンゴ――は自分に言い聞かせた。

 先の悪魔との戦争が終わり、ベルベルントは復興を進めている。それに際し、お使いや手伝い程度の依頼は激増していた。ベルベルント中の冒険者が、あれをどこに届けてくれだの、ここを直すのを手伝ってくれだの、そういう依頼で忙しくしている。
 比較的損傷が少なく、すでにほとんど元通りの星数えの夜会はといえば、ほかより比較的落ち着いていて、パーティもフルメンバーが揃っていた。
 だからこうして遠出の必要がある依頼が舞い込んだのだ。
 内容は要するに荷馬車の護衛。
 商人の所有する馬車に揺られて、三日の道中。提示された依頼料の金額は多くも少なくもない相場通りの値段だ。親父さんが夜会は心配ないから行ってこい、と言うので、小遣い稼ぎも兼ねて行くことにした。

 街道沿いに進み、一山を越える。三日後に目的の街に無事に到着し、依頼はここまで。依頼料を受け取り、俺たちはすぐにベルベルントに戻ることする。先にも述べたとおり、ベルベルントは忙しい。俺たちが空いていたのはたまたまで、帰ればまたいろいろな軽作業が待っているだろう。

 さて、俺たちは乗合馬車に乗って宿場町ソレルまでたどり着いた。これで道程は半分。いったんここで馬車を乗り換えねばならない。
 日は既に落ちており今日はこれ以降の馬車はないから、俺たちは町の大通りにある食堂兼宿屋に部屋をとった。大部屋を一部屋。着いてすぐ、めいめい荷物を降ろした。
 夕食は有料だったが宿泊客には優しい値段だったので、俺たちは満場一致で食事をつけてもらった。
 さっそくそれを食べに階下の食堂に降りる。大通りの一等地にある宿だからか、大繁盛といった様子だ。いや、いくらなんでもこんなに混むもんか? 小さなテーブルに男が六人もつけばぎゅうぎゅうだったが、席はそこしか空いていなかった。
「ごめんなさいね! 狭いところで!」
 周囲の喧騒に負けないよう、大きな声で給仕をしていた少女が言った。以前行ったエスパルタの『情熱の靴音亭』が脳裏をよぎる。まるっきり似た様相だな。だが今は聖誕祭などのイベントの時期ではない。
「気にしないでくれ! メニューをもらえるかな?」
 パーシィが大きな声で言って返すと、にかっと笑った少女が手書きのメニューを持ってくる。くるくるよく働く娘で、また別の村人に呼ばれてそちらへと駆けていった。
「すごい盛況ぶりだな。お祭りかと思ったよ」
 メニューを見ながらパーシィが言うと、
「週末というわけでもないし、もしかして町独自の祝日とかかな? 見てよあのテーブル。あれはニワトリだね。丸焼きにしてるよ」
 サナギが応答して、視線だけ中央のテーブルに向けた。豪勢なごちそうが並んでいて、男も女もみな嬉しそうに酒を飲んだり食事をしたりしている。
 アノニムが、
「俺もあれが食いてぇ」
 と言い出すので、パーシィはぱらぱらメニューをめくった。
「メニューにはなさそうだが……」
 首を傾げる。
 黒曜もアノニムも意外に緑玉も肉食なので、丸焼きに完全に魅入られていた。
「聞いてみれば案外出てくるかもよ」
 と笑ったのはサナギだが、俺は、
「メニューにねえのに、あんないいもんをよそ者に出すかよ」
 と思わず口に出した。たぶん、あの丸焼きがある席にいるのは町の人々だ。この騒々しさからして、町に何かいいことがあって、それの祝いに出ている特別なメニューだと思ったのだ。
「聞いてみなければ分からないじゃないか。ぜひ食べたいし」
 とパーシィが軽く手を挙げて給仕の娘を呼んだ。何でも食うが、こいつも大概肉食だ。
「はいはいっ! 注文お決まりですかー!?」
「あのテーブルにあるニワトリを焼いたもの、あれと同じものを俺たちにも出せるかい?」
 渋られるかと思ったが、給仕の娘はあっけらかんと言った。
「出せますよー! めでたい日ですから、うんと用意してあるんです!」
 すぐにお持ちしますね! と給仕の娘は各々が個人で頼んだものをメモして厨房に消えていった。
「……聞いてみるもんだな」
 意外に思った俺が思わず呟くと、
「よかったねえ。めでたい日と言ってたけど、何があるんだろう?」
 好奇心旺盛なサナギがそわ、と落ち着きを無くした。飲み物を運んできた給仕の娘に、
「今日は何かのお祭りの日なのかな?」
 と尋ねると、娘は天真爛漫に笑う。
「前夜祭ですよ! 町長の娘さんが明日、ご結婚なさるんです!」
「おや、それはめでたいね。おめでとう」
 思ったような好奇心を刺激される出来事ではなかったようだが、さりとて態度を崩すわけでもなくサナギは応答した。
「ただの結婚じゃないんですよ! なんと……」
 言いたくて仕方ない、という様子で娘は身体を乗り出す。
「天使様と結婚なさるんです!」
「へえ? この町には天使がいるのかい?」
「はい。一ヶ月ほど前にいらした、それはそれは立派な天使様なんですよ!」
 思わずパーシィを見ると、彼は曖昧に笑う。パーシィは誤魔化すように、運ばれてきた水を飲みながら、
「に、人間界に降りてきて、さらに人間を見初めて娶るというのは、珍しい話だね。えーと、なんという名前の天使なのかな?」
「パーシエル様です!」
 パーシィが水を吹き出した。思わず飛び退く。
「なんだよ汚えな!」
「……どこかで聞いたような名前」
 喧騒に消えそうな緑玉の声が端的に感想を漏らす。
 パーシエル様はとても素晴らしいお方なんです、と給仕の娘はうっとりと言った。
「金の長髪に青い瞳……、心優しくたくましく、まさに天使! というお方で! 町長の娘さん、ローラさんというんですけれども、もう美男美女で、お似合いなんですよ!」
 そ、そうなんだ……と、パーシィが咳き込みながら、引き攣った笑みを浮かべた。
「ちなみに、その……パーシエルさんは、どんな奇跡をもってして、きみたちに天使たることを証明したのかな?」
 その聞き方は失礼じゃねえのか、と思ったが、娘は気を悪くした様子もなく答えた。
「それがすごいんです! 猟師さんのところの猟犬が、最近熊にやられてしまって、死んでしまったのですけど……パーシエル様は、天使の奇跡をもってその猟犬を蘇らせたのです!」
 これにはサナギが振り返った。
「蘇生? とんでもないね。それなら本物かもしれないね」
「ええ、まさに! 本当の奇跡ですよ!」
 そ、そんな馬鹿な、とパーシィが小声で呟く。喧噪に紛れて娘には聞こえなかったようだったが、それは幸いだっただろう。
「蘇生術? 地上で? そんな高位の天使がこんな片田舎に降りてくるなんてことあり得るか? そもそもそんなことは神の御意思なしでは……」
「何をブツブツ言ってる、パーシィ。うるせえぞ」
 隣の席のアノニムに小突かれたパーシィに、娘が目を丸くする。
「まあ! パーシィさんとおっしゃるんですか? パーシエル様とお名前が似ておられますね。これも天使様のお導きかもしれませんね!」
「アハハハハ……」
 パーシィは青い顔で笑った。

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エピローグ

 ベルベルントに残った戦火の爪痕は深い。
 俺――タンジェリン・タンゴ――たちのパーティの中での一番の重傷者は右腕が折れた黒曜だった。俺もズタボロにはなっていたが、致命傷は一つもない。それどころかオーガ化したときに傷が癒えたようだ。結果だけ見れば、限りなく最低限の負傷だと言えるだろう。それはともかく、あの野郎、黙っているのでしばらく気付かなかった。よく見たら右腕を使わないのでそれと知れて、問答無用でパーシィの前に引き摺っていった。治療を受ければ、ずいぶん綺麗に折れていたらしい腕はほどなく治り、俺たちはそれで、元通りになった。
 だが、この戦いにおいて、冒険者生命を絶たれるような大怪我をした冒険者も少なくない。市民にも、冒険者にも、犠牲は出た。
 サナギはそれに対して、自分が責任を負うべきだろうと言った。そうだろうか。あまり深刻に考えるな、と言うと、
「右腕が潰れた冒険者に、義手を贈ろうと思うんだ。ビームとか出せたらかっこよくない?」
 あんまり懲りてはいない様子だった。
 パーシィは、あの戦いのあとのモテようが本当にすごかった。街を歩けば黄色い悲鳴が上がり、山ほどのプレゼントを抱えて戻ってきて、星数えの夜会には出待ちの女がいる始末。さすがに本人も苦笑いしていたが、ほとぼりが冷めるのには時間がかかりそうだ。
 アノニムは、何も変わらないように見えて、実は一番変わったのかもしれない。ある日、夜会に赤ん坊を抱えて戻ってきたので俺はひっくり返った。聞けば幼馴染みの忘れ形見らしく、いつもは花通りで面倒をみているのだとか。このときはたまたま花通りが忙しいので預かってきただけらしい。俺はものすごく安心した。てめぇの子かと思ったぞ。
 数日して、見た顔のガキが二人、まだボロボロの星数えの夜会を訪ねてきた。俺がサナギに頼まれてミゼリカ教会に送り届けたあの双子だ。俺とサナギに礼を言ったあと二人が緑玉を探すので、呼んできてやれば、緑玉は何とも言えない苦い顔をするのだった。双子は緑玉にも礼を言ったが「礼を言われる覚え、ないんだけど」と素っ気ない。それでも双子が緑玉を見つめれば、緑玉は複雑そうな表情で、それでも確かに口端を僅かに上げた。緑玉が笑うのを初めて見た。こいつ笑顔下手だな。

 俺は、というと。
 あのあとヒトの姿に戻り、服を拝借してすぐ、ラヒズの落下地点に様子を見に行った。
 時計塔の下は粉々になった文字盤の欠片でいっぱいで、その中に青い血溜まりがある。一匹の蛇が死んでいて、それがラヒズだと、知れた。
 俺の見ている前で、それもどろどろに溶けて、そして消えていった。
 思えば、サナギの研究に始まった<天界墜とし>は、170年の因果の果てにここに来た。その鎖は途中で俺のルーツを巻き込み、散々引きずり回したあと、今ここでようやく、ほどけたのだった。

 ベルベルントの復興は、少しずつ、でも確実に進んでいく。
 人々の営みは、また元通りに戻っていく。やがて癒える傷と同じく。聖ミゼリカ教の癒しの奇跡のように、瞬く間に、とはいかないけれど。
 人々が支え合い励まし合い、見る間に家も、人も、物も、元に戻っていくさまは、まるで奇跡だった。いや、きっとそうなのだろう。誰しも使える奇跡があるのだろう。

 そしてじきに、俺たちは日常へと戻っていく。

 白昼のまどろみの中で、人々は、俺たちも、何もない日々を<退屈>と呼んでいる。
 あの戦火の中では眠っていたそれが、平和と名を変え、ようやく目覚めたのだろう、と思った。
 けれども俺たちは冒険者。次の冒険に出かけるそのときに、<退屈>は寝かしつけて置いていく。
 おやすみ、<退屈>。そう声をかけて。

 俺はタンジェリン・タンゴ。ペケニヨ村でヒトに愛され育った、オーガの子。ベルベルントにある『星数えの夜会』で、リーダーの黒曜、戦士役のアノニム、聖職者のパーシィ、遊撃手の緑玉、参謀のサナギとパーティを組む冒険者。
 担当役職は盗賊役で、今も昔も向いてない。それでも俺はこの街で、このパーティで、これから先もずっと、盗賊役をやっていく。

【エピローグ 了】
【おやすみヴェルヴェルント 完】

時計塔の決戦 3

 追突したと、思った。
 だが実際俺は、地面から思いのほか離れたところで、空中に浮いていた。地面を見れば、俺の腕からすり抜けていったラヒズだけが地面にぶつかり、ぶつかったところから青い血を広げて、もうピクリとも動かなかった。
「――無茶をする!」
 俺の頭上から声が聞こえた。顔を上げるとパーシィの苦い顔が俺を覗き込んでいる。
 よく見れば、俺のオーガの巨大な身体は、翼で羽ばたくパーシィに支えられてかろうじて空を飛んでいた。
 あの状況下で、落下する俺たちを見て駆けつけ……いや、飛びつけたのだろう。
「あの高さから落ちたら、いくらオーガだって死んでいたぞ!」
「はは……」
 気が抜けてしまって、思わず笑みが出た。
「助かったぜ、パーシィ」
「笑いごとか……!」
 しばらくパーシィはらしくなく怒った様子だったが、
「なあ、悪魔たちはどうなった?」
「青い光を見なかったか? 巨大な魔法陣がベルベルント中を包んで――それが消えたら、悪魔たちもそっくりみんな、消えていたよ。死体も、血すら残っていない」
 そうか。やったな、サナギ。俺もやったぞ、みんな。
 パーシィは俺を抱えたまま空を旋回するように羽ばたく。
 ミゼリカ教会の広場で前線を守っていたアノニムが、俺のことを見上げている。目が合ったのが分かる。
 アノニムは呆れたような顔をして、でも、拳を軽く上に突き上げた。俺は驚いたが――同じように拳を突き返した。
 遠くを見れば、騎士団詰所から複数の騎士団員に紛れて、黒曜とサナギと緑玉の姿が見える。
 さすがに表情は見えなかったが、俺は突き上げた拳をそのまま振ってみせた。黒曜と緑玉は小さく、サナギは大きく手を振って応じた。
 再び眼下を目を落とす。ミゼリカ教会の広場にいた人々が何事かと空を見上げ、異形の俺を見て目を丸くしているのが分かった。急に恥ずかしくなってきた。
「おいパーシィ、もういい、下ろせ。見られてる」
「何故だい? 元凶の悪魔を倒した英雄だというのに」
「馬鹿! 今の俺はオーガだろうが!」
 パーシィは笑い、そんなことは関係ないよ、と言った。
「人間も獣人も元天使だって、力を合わせて悪魔と戦ったじゃないか」
「それにしたってオーガなんざ妖魔だろうが! 人間にとっちゃ敵寄りだ……おい、そうだ。下ろすなら服屋の近くに下ろしてくれ」
「服屋?」
「オーガ化したとき服が千切れ飛んだんだよ!」
 『店のものは戦いに役立てる限り自由に使っていい』んだったよな。この場合、その条件に当てはまると言っていいのかは疑問だが――まあ、多少は甘く見てもらおう。

 遅れて状況を理解したのか、人々が歓声を上げている。泣いて笑って、決着を喜んでいる。オーガの俺を見てもなお。
 あのおびただしい鎖を引き摺り走るのに、時計塔をぶち破るのに、ヒトでは足りなかった。俺がオーガであることはきっと大したことじゃなくて、でもこんなにも意味がある。

 ――しかし、そろそろマジで下ろしてくれねえかな。
 戦いで流れた汗が冷えて、春の夕刻という時間も相まり、少し寒い。全裸なのだからなおさらだ。

【時計塔の決戦 了】

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【エピローグ】>>

プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
※BL要素を含みます※

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