カンテラテンカ

時計塔の決戦 2

 時計塔まで一直線に駆けていく。途中で出会う悪魔は難なく両断する。
 時計塔周りはいやに静かで、内部への入り口がわずかに開いているのが分かる。駆け寄れば、風に煽られた扉は、俺を誘うように大きく開いた。
「……」
 俺は内部に入り、吹き抜けになっている巨大ならせん階段を見上げる。上るのは骨だが、この先にいるのがラヒズならその価値も、意味もある。
 黙々と階段を上っていく。
 数分ほど上り続けた。ようやくたどり着いた頂上では巨大な歯車がゆっくりと回り、刻一刻と時を刻む時計塔の文字盤を動かしている。数メートルはあろうかという文字盤は半透明で、外の景色が少しだけ見える。そこから透けて、傾き始めた日が時計塔の頂上に光を落としていた。
 その逆光の中に、ラヒズがいた。
「やあ。きみが来ましたか」
「ラヒズ……!」
 俺は斧を握りしめた。ここに来るまで階段を上ってきた疲労なんてあっという間に吹き飛ぶ。
「一応言っとく。<天界墜とし>を終わらせろ」
「ふふ。断られると分かっていて提案するとは、健気ですねえ」
「なら、ぶちのめす!」
 斧を構えて走り出す。ラヒズのいつもの鎖が虚空から飛び出し、俺を拘束しようとする。斧で跳ね飛ばした。数秒駆ければ俺の間合いだ。
「おや、やりますね」
 ちょっとだけ驚いた様子のラヒズが、俺の振った斧を、それでも難なく回避する。
「私と出会ったときより練度が上がっている。人間の成長は早いですね。おっと、きみはオーガでしたか」
 安い挑発だ。後方から迫る鎖を避け、右手側から絡まろうとする鎖を弾き返し、正面から叩きつけられる鎖を斧で受けた。
 踏み込んで横薙ぎにした斧は、ラヒズの目の前に一瞬で集まった鎖の束に阻まれる。金属同士が触れる音がして、俺の腕に痺れが走る。押し切れるかもしれない、そう思って鎖をぶち破ろうと斧に力を込めてみたが、アノニムでも破れない鎖だ。今の俺では無理だとすぐに悟る。背後から鎖が迫るのに気付き、仕方なく一旦退いた。
 鎖を回避し、あるいは弾きながら、何度かラヒズに攻撃を仕掛けようと試みるものの、やはり自由自在の鎖が鬱陶しい。
 何度目かの肉薄、だが不意打ちで足元を蛇のように滑った鎖に気を取られた。鎖がまず一本、利き腕の右手に絡みついて俺を引き倒し、それからうつ伏せになった俺を何本かの鎖が床に叩き付けた。
「ちっ……!」
 鎖から逃れようとしてみるが、抑えつけられた身体は持ち上がりもしなかった。
 ラヒズは相変わらず笑っている。
 ここまで来て、このザマかよ――!
 恐怖はない。ただひたすらに悔しい。ラヒズが地に這いつくばる俺に、一歩近付く。
 そのときだった。
 巨大な文字盤が、青い瞬きを放った。いや、文字盤が発光したのではない。外だ。
 明らかに陽光ではない、青い光が外を包んでいた。
 先ほどまで穏やかな西日に包まれていた時計塔の中が、青く染まる。
「送還術式ですか」
 光に照らされたラヒズの横顔はやっぱり薄ら笑っていて、そこからは怒りも悲しみも焦りもいっさい伺えない。
「送還術式!? サナギ――成功させたのか!」
「そのようですね。残念です」
 ラヒズは肩を竦めた。
「そもそもあの写本をサナギくんに渡したのは、あれを見たらもしかしたら<天界墜とし>を成功させることに興味が向くかと思ってのことなのですよ」
「はっ。アテが外れて残念だったな!」
「ええ。そうですね」
 ラヒズは相変わらず余裕の笑顔で、背で手を組んで佇んでいる。
 そうか。無事に、やったか。じゃあ、もうこれで終わりだな。

 ――んなわけあるか!

「あとはてめぇをぶっ倒すだけだ!!」
 俺は吼えた。初めてオーガに変じたあのときと同じ、でも決定的に何かが違う感覚。
 燃え滾る塊に手を伸ばせば、すぐに触れて、俺の身は焼かれるように熱くなる。けれどもこれは、俺の憎悪や復讐心で燃える炎じゃない。今度の激情は、使命感と義憤とでも呼ぶべきもの。すべての決着をつける――そのためのもの。
 繊維が切れる音。俺の身体が膨張して服を破く音。何倍も太くなった両腕を、あのときと同じく払えば簡単に鎖は千切れ飛ぶ。オーガ化! 俺は怒鳴るように叫んだ。
「ラヒズ!! 決着をつけようぜ!!」
 ラヒズは笑顔で応じた。
「いいでしょう。これで最後にしましょうか」
 尋常じゃない量の鎖が、けたたましい音を立てて時計塔を這い回る。次々絡み付く鎖は一本ずつなら難なく千切れる。量が増えて、腕の一振りで払えなくなっても、俺は全身に纏わり付いた鎖を引き摺るようにしてラヒズに突進した。前進する俺の勢いに負けた鎖が弾けて砕ける。
 ラヒズに体当たりし、そのままやつの背後にあった文字盤へ突っ込んだ。
 時計塔の文字盤は粉々に砕け散り、俺とラヒズは外へ飛び出していた。遥か下方にある地面に叩きつければラヒズだって死ぬだろう。俺も一緒に落ちる羽目になるが――まあ、オーガ化しているし、もしかしたら生き延びられるかもしれない。
 落下。
 この期に及んでワープで逃走なんかさせるものか。俺はラヒズを掴んだまま、重力に身を任せて落ちていく。
「きみも死にますよ」
 ラヒズは平気な顔で言った。
「はっ。俺はな、ラヒズ。俺の思う最善で死ぬことなんざ、怖くねえんだよ」
 てめぇはどうなんだ、と、聞いても仕方のないことを言った。
「私ですか? そうですねえ――」
 あれだけ遠かった地面がもう直前だ。
「――別に怖くはありませんね。それにまあまあ、満足していますよ」
 地面に、追突する。

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時計塔の決戦 1

 戦いはずいぶん長引いていた。
 俺――タンジェリン・タンゴ――は、盗賊ギルドと各門を往復したり、その途中でアノニムに会ったり、サナギに会ってガキ二人を押し付けられたりと忙しく駆け回っていた。侵攻する悪魔の練度は高くなく、ほとんどの冒険者が対応できている。だが、悪魔の数が、減らない。
 次から次へとやってくる悪魔たちは、ベルベルントを破壊し、冒険者と戦い、そして死んでいく。そしてまた次にやってきた悪魔が、ベルベルントを破壊し、冒険者と戦い――。
 ああもう、キリがねえ!
 サナギの送還術式はまだ完成しねえのか? このままじゃジリ貧だ。怪我こそ増えてきたが、俺はまだ余裕がある。しかしベルベルント各所を回っていると消耗している冒険者を何度も見る羽目になる。傷は癒せても疲労はどうしようもない。
 もう戦い始めてから2時間以上が経っている。冒険者は戦闘慣れはしているが、長い戦いをぶっ通しでするようにはできていない。
 サナギに任されたガキ二人をミゼリカ教会に送り届けたとき、教会上空ではパーシィがほとんど一人で悪魔を迎え撃っており、侵攻の心配こそなさそうだったが――傷ついた冒険者が次々に運び込まれて、医療班は目を回す寸前、という感じだった。
 限界は近い。一度どこかが決壊したら終わってしまう。

 この戦争を終わらせる方法は、二つ。
 サナギの送還術式を待つ。
 あるいはラヒズを見つけてぶちのめし、<天界墜とし>を終了させる。

 ベルベルントを回っている間に、サナギが無事に騎士団詰所に到着しているのは聞いていた。だからうまくすればじきにサナギは送還術式を完成させるはずだ――そう、思いたい。だが、いつになるか分からない。送還が成功するかも、分からない。
 俺からすれば、後者の方法のほうが手っ取り早く、確実に思えた。しかし問題が一つ。とうのラヒズの居場所が分からない。
 だが朗報は唐突に訪れた。それは本日何回目かの盗賊ギルドを訪れたとき、各所の情報とともにブルースからもたらされた。
「そうだ。ラヒズを見かけた、という情報があったぞ」
「何だと!!」
 俺は身を乗り出した。
「どこにいるって!?」
「と、時計塔だ。入っていくのを見たってやつがいる」
 俺の剣幕に押されてブルースが若干引いている。
 時計塔! ベルベルントの中央に建つ、聖ミゼリカ教会の尖塔と対をなす巨大建築だ。
「よし! ありがとよ!!」
「お、おい。お前、一人で行くのか?」
 すぐさま出ていこうとする俺に、ブルースの声がかかる。俺は振り向いた。
「当たり前だろ! 時計塔の中なんざ大して広くねえ。複数人で行っても仕方ねえよ」
「……」
 ブルースは少し、何を言うか悩んでいる様子だったが、結局口から出たのはありきたりな、
「気をつけろよ」
 という言葉だった。俺は頷いて、盗賊ギルドを飛び出す。

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<<【星数えの夜会の戦い】

星数えの夜会の戦い 5

 俺――黒曜――は、サナギとの取り決め通り、緑玉に勝算が見込めない相手が現れた場合の対応を遂行した。
 敵対する悪魔の名はサブリナ。身長は目算で195cm、武器のヒールは5cm。俺より体格はよいがその割に素早い。
 俺の役目は緑玉とサナギが無事に騎士団詰所まで逃げる時間を稼ぐこと。可能であれば勝利する。
「またいいオトコが現れたじゃない! テンション上がっちゃう!」
 サブリナの発言。
「名乗りなさいな! 戦いの前には必要よ」
「黒曜」
 応答。
 青龍刀の横薙ぎ。回避。サブリナの上段蹴り。青龍刀での防御。弾いて、返す刃で突き。回避。
 同時に踏み込み、ハイヒールと青龍刀が打ち合う。一撃、二撃、――三撃目で互いに間合いを取り直す。
 外からの喧騒と気配。下級悪魔が数体、星数えの夜会の扉を蹴破って侵入してくる。
「アタシたちの戦いの邪魔はさせないわよ。とはいえ、こいつらまともに言葉も通じないのよね――」
 サブリナが突如、攻撃目標を下級悪魔に変更し頭を蹴り潰す。一騎打ちの維持のため、下級悪魔の掃討を優先したと判断する。俺に攻撃照準を向けた槍持ちの悪魔は、その槍を回避し首をはねる。
 ハイヒールが三体目の悪魔の顔面を蹴り抜き消し飛ばす。青龍刀が最後の悪魔の剣を弾いて脳天から両断する。
 それからサブリナの攻撃目標は、流れるように下級悪魔から俺へ戻る。上段回し蹴りを屈んで回避。
 対象の足の切断を目的に青龍刀を捻り込む。素早い回避。掠った。だが痛手ではない。サブリナの足から一筋だけ流血。青い血。
「やるわね!」
 サブリナの発言。
「自分の血を見たのなんて何年ぶりかしら。この色だから、見られるとやりづらいのよね」
 この世界は、人間以外はすべからく生きづらい。
「アンタもそう?」
 短く首肯。
「そ。でも今は、関係ないわね」
 踏み込みからの素早い蹴り。頭部を狙ったもの。回避して青龍刀を回し斬りする。サブリナの装飾品を一つ持っていった。
 サブリナのヒールが頬を掠る。素早い二撃目は腹部に。大きく下がり衝撃を受け流す。浅い。一瞬で足を入れ替え、俺が下がった分だけ踏み込み、続けて三撃目。ほぼ同じ個所、みぞおちを狙った連続攻撃。青龍刀で受け止めて弾く。浮いた足をそのまま回転させ回し蹴りに変える。振り払ったあとの青龍刀が戻らない位置だ。止むを得ない。右腕を犠牲にする。できる限り綺麗に折れるように位置と角度を調整し、蹴りを受ける。折れた。
 だが持ってかれるだけでは済まさない。
 素早く戻ろうとする足を両断する目算で斬る。思ったより戻りが早く両断はできなかったが、深い。人体ならば大腿動脈の位置だ。青い血が噴き出す。
 悪魔に痛覚はあるか。不明だ。だが裂傷を負ったほうの足は軸足にはできない。片手でも対応可能と判断する。
 攻める。青龍刀で首元を狙う。下がって回避。返す刃で狙うのは再び首。これは屈んで回避。
 俺の足元を狙う回し蹴り。跳んで回避。
 サブリナの屈んだ体勢は一瞬だ。サブリナが上体を起こしながら半歩下がる。だが、着地した俺の踏み込みのほうが僅かに迅い。 
 切り裂く。
 届いた。
 サブリナは青い血を噴き出す傷口を抑えて、その場に膝をつく。
「すごく――」
 サブリナの発言。
「――楽しかったわ!」
 笑う。首をはねる。
 落ちた首と身体が靄に包まれて、数秒。靄が晴れれば、そこにはクモが一匹、死んでいる。
 ジョロウグモ。
 窓が割れ、扉が破られ、ボロボロの星数えの夜会に吹いた風が、ジョロウグモの死体を外へ運んでいく。
 転がっていった死体は、二度と戻らなかった。
 この世界は、人間以外はすべからく生きづらい。
 だが、俺のような男にも、大事なものはある。
 
 目的達成。これより緑玉とサナギの無事を確かめに、騎士団詰所に向かう。

【星数えの夜会の戦い 了】
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【時計塔の決戦】>>

星数えの夜会の戦い 4

「大丈夫か!?」
 俺でもサナギでもない、でも聞き慣れた声がした。大通りに駆け込んできたのはタンジェリンだった。交戦回数が少ない俺たちに比べ、ベルベルントを駆け回っているタンジェはずいぶん戦闘をこなしているらしく、血と土埃と怪我にまみれている。でも致命傷はないようでいつも通り元気そうだった。
「ああタンジェ! ちょうどいいところに」
 サナギがぱっと顔を輝かせる。
「この子たちを聖ミゼリカ教会に送り届けてくれる?」
「あ? 別に構わねえが……なんでサナギが外に出てる? 夜会が襲われたのか!?」
 タンジェリンは俺と同じく、サナギと黒曜の囮作戦は聞いていなかったみたいだ。サナギは逃げてきたことを簡単に説明した。だが黒曜が囮になったことは伏せている。確かに教えたら黒曜を助けに行きかねない。タンジェリンには悪いけど、サブリナ相手じゃ黒曜の足手まといだ。
「そうか……逃げてきたのか。それじゃあ、さっさと騎士団詰所に行けよ。てめぇには早いとこ送還術式を書いてもらわねえとな」
「うん。そのつもり。で、この子たちも放っておけないから……」
「分かった」
 頷いたタンジェリンが、双子の片割れを背中に担ぎ、無事なほうを先導してさっさと立ち去っていった。話が早いな。
 それにしても、タンジェリンは黒曜からの指示でベルベルント中を駆け回っているわけだけれど……それがたまたま今、このタイミングで通りかかるなんて。
「都合いいな……」
 思わず呟くと、
「タイミングとか流れってものは、目に見えないけど確かにあるよ。流れは俺たち人間側にあるかもね。そうだといいなあ」
 サナギは当然のような顔で俺に手を差し伸べた。
「さあ。俺を詰所まで連れて行ってくれる?」
「……」
 必要ないでしょ、と俺の口から零れるように声が漏れた。
「サナギ一人だって行けるでしょ? 俺が力不足だから……俺のことを信用してないから、黒曜を囮にして……なんて思いつくんでしょ!?」
 サナギは俺のことを見つめていて、次の言葉を待っていたみたいだったけれど、俺の言葉なんかこれ以上はない。
 じきに、サナギが口を開いた。
「余計なことを考えているね。でも、それはきみが生きているという証だね」
 俺は、それを聞いて、ゆっくり目を見開いた。
「………その言葉は……。そんな……それじゃあ、あの……」
 あの、俺に一時の安らぎをくれた老医者は。
「サナギ・シノニム・C23は、晩年、とある屋敷で医者の真似事をしていたね」
 サナギは微笑んだ。
「"思い出した"?」
 それじゃあ。
 俺の人生に"サナギ"は、いた、のか?
「もう、あの頃のきみを助けるには遅いけれど、」
 サナギは青い返り血を浴びた俺の手を取って、
「今はこうして、きみと手を繋いで走ることができるよ」
「……馬鹿だな……」
 俺の声は震えていた。
「本当に、遅すぎるよ……」
 過去の俺は、あの日から、焼けた故郷と屋敷に囚われたままだ。
 ひとりぼっちで泣いていて、痛みに震えたままだ。
 ようやく俺に差し伸べられた手はあまりに遅すぎて、でも、こんなにもあたたかい。

 サナギがその長い人生の中で負った因果応報は、きっと計り知れない数あって、その中で一番大きな<天界墜とし>が、こうして降りかかってきているけれど。
 そうして彼が紡いできたものの中に、あの地獄において俺の唯一の安らぎがあった。
 恩を返す、というわけじゃない。でも、俺は初めて、自分の意志で思った。

 俺は弱いかもしれないけれど、頼りないかもしれないけれど、
 俺の周りで勝手に何もかも決まっていくこの世界で、それでも俺が何か選べるのならば。
 サナギを守ろう。彼がそれを望んでくれる限りは。

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星数えの夜会の戦い 3

 騎士団の詰所の場所は南門のほうだ。俺たちは大通りを南下していく。
 言いたいことがたくさんあって、でも何もまとまらなくて、でもやることは決まっていた。俺がそうしたい・したくないに関わらず、サナギを詰所まで送り届けることが今の俺に与えられた役目だ。
 俺は今も昔も、与えられた役目に逆らえない。
 大通りはところどころ燃えていて、崩れた家の瓦礫がたくさんある。死体だっていくつかあった。俺は故郷のことを思い出して嫌な気持ちになる。
 ふと、泣き声が聞こえた。見れば、瓦礫の前に子供がいて泣いていた。足から血を流した子供がもう一人、力なく瓦礫の上にもたれている。
 サナギが立ち止まった。
「怪我をしている。それに……避難場所が分からないのかな? ミゼリカ教会に連れて行ってあげよう」
 俺は紙束を持ったままのサナギの手を引いて止めた。
「ミゼリカ教会は騎士団詰所とは逆方向だ。移動距離が伸びることはリスクでしかない。無視するべきだ」
 サナギは何度か瞬きをして俺の顔を見つめる。サナギからは特別、俺に対する感情は伺えなかった。ただ、ちょっとびっくりしているという感じだった。俺は重ねて言った。
「<天界墜とし>の送還術式を書けるのはサナギしかいないんでしょ。サナギを喪うリスクは一つでも増やしたくない」
 視線から逃げるように俺はそっぽを向いた。サナギは瓦礫の前の子供たちと俺を見比べて、
「……過去の俺の因果応報だ、俺には<天界墜とし>に対する責任がある」
「分かったら、行こ」
 俺はサナギの手を引いたけど、彼は動かなかった。
「でも俺の責任はこのベルベルントにいるすべての命から負っている」
 そして俺を見て何故か微笑むのだ。
「見捨てるわけにはいかないよ。どんなにリスクがあろうとね」
「たった二人の、しかも片方は死にかけてる、あんなちっぽけな命のために危険を負う必要はない!」
 思わず大きい声が出てしまった。サナギは俺の激昂を静かに受け止めてから、
「でも、彼らは生きているから」
 そんなの、……そんなの、サナギがその身を危険にさらす理由にはならないじゃないか。
 サナギは俺の腕を優しく振りほどくと、子供たちのほうへ向かっていった。軽く身体を屈めて「大丈夫?」と声をかけている。
「ああ……あ、弟、ぼくの弟なんです。た、たすけて……」
 子供はワッと泣き出し、血まみれの子供のほうを指し示す。瓦礫の上でぐったりしている子供の顔を見れば、二人が双子であることはすぐに分かった。
 サナギは大通りを見渡し、小走りで道具屋に駆け寄ると、ほとんど地面に散らばって割れている瓶の中から無事なものを見つけ出してきた。傷薬だろう。
 紙束を小脇に挟み、ハンカチに傷薬を染み込ませたサナギは子供の怪我をゆっくりぬぐっていき、最後に一番深い足の傷に巻き付けた。
「心配しないで。さあ、避難所に行こう」
 俺はそれをただ眺めていて、そして、たまらなくなった。
 だって、そんなの。そんなの、俺だって。

 俺だって、そうされたかった。

 優しい手で救われて、「心配しないで」って微笑みかけられたかった。
 でも現実は、俺は何もできずに捕まって痛い目に遭った。俺の人生に、"サナギ"は現れなかった。

 突然、気配がしてそちらを向けば、崩れた店と店の間から何者かが現れた。たぶん悪魔だということは一目で分かった。まっすぐに双子とサナギを狙っている。サナギは反応して銃を向け、子供がヒッと息を呑んだ。だが、悪魔の槍が届くよりも、先んじて走り出し悪魔との距離を詰めた俺のトンファーが突き刺さるほうが早かった。
「ひぃ……ッ!」
 悪魔の頭蓋が割れて血飛沫が上がるのに子供が怯える様子になる。俺はそれにもイライラした。
「ありがとう、緑玉」
 サナギは銃を下ろした。俺は何も答えなかった。サナギが子供を治療してる間、大通りを警戒するふりをして、ほんの数メートル、その場を離れた。そうするしか、俺のこの気持ちを収める方法がなかった。
 あのままサナギの顔を見ていたら、泣き喚いてサナギに当たってしまいそうだった。そんなことになったら、俺はもう自分自身に耐えられない。
 大通りの陰から数体悪魔だろう。ほんとうに多いな……。それに、みんな似たような外見だ。低級悪魔というやつか。
 むしゃくしゃついでに即、一体殴り倒す。悪魔が臨戦体勢に入るときにはもう一体、頭を潰していた。まだ三体残っている悪魔が一斉に武器を振るう。槍が腕を掠める。剣二本を続けざまにトンファーで払う。
 隙の大きい槍悪魔の懐に入り込み顎を一閃。それから剣の悪魔に回し蹴りを食らわせて吹き飛ばした。
 最後の一体と対峙した瞬間、再びの銃声。悪魔はこめかみを的確に撃ち抜かれて崩れ落ちた。
 見れば通りの向こうで、サナギが構えた銃を下ろすところだった。
「……」
「……」
 俺とサナギは数秒だけ見つめ合って、でも特に何も言わずに、俺から視線を逸らした。

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プロフィール

管理人:やまかし

一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
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