カンテラテンカ

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creepy sleepy 2

 結局、触られたほうが覚えがいいだろうと思ったはずなのに、後半は頭が真っ白だった。変な汗をかいていた俺は自室に戻ってタオルで拭いて、それから階下に戻って食堂のカウンターに腰掛けた。そういやそもそも飲み物を目的に階下に下りてきたのだ、ということを忘れていた。
 扉の開く音がする。パーシィだった。外から帰った彼は珍しく難しい顔をしている。カウンターにいる俺の横に椅子を引いて座りながら、
「人間ってのはこれだから!」
 と言い出した。
 人間の俺の前でよくそれが言えたもんだ。別に気にしねえけどよ……。
「なんだなんだ」
 親父さんがカウンターに顔を出し、パーシィに声をかける。
「人間はどうしてこう、神の奇跡を気軽に賜れると思ってるんだろう? 大した信仰心もないのに、自分勝手な話だよな!」
 手袋を嵌めた指がトントンとカウンターテーブルを叩く。苛立っているときにする仕草だ。俺は聞き流しながら「親父さん、なんか飲み物くれ」と言った。
「おう、キャロットジュースがあるぞ」
「じゃあ、それを頼む」
「俺ももらう!」
 便乗してキャロットジュースを頼んだパーシィは、
「今、聖ミゼリカ教会がえらいことになってるんだよ」
 と、聞いてもいないのにしゃべり出した。
「人でごった返してるんだ。信者もいるけど、そうでない人もいる。別にそれで差別をしたりはしないさ、でも……」
 親父さんがキャロットジュースを俺とパーシィの前に置く。パーシィはグイッとそれを一気に飲み干した。
「でも?」
 合いの手を入れた親父さんに、パーシィは改めて向き直って、
「信仰心がないのに、ミゼリカ教の奇跡には頼ろうなんて、都合がいい話じゃないか!?」
 キャロットジュースを飲みながら、俺は苦い顔をしたと思う。俺だってミゼリカ教なんざ信じちゃいないが、パーシィの聖なるちからには散々世話になっている。
「そんなこと言ったって、社会奉仕はミゼリカ教の教義のうちだろう」
 親父さんはパーシィの前のグラスを引き上げ洗いながら、なんてことはないように言う。
「信仰心の有無で救う人を選ぶのは、本意ではなかろう?」
「目の前で怪我してれば、分け隔てなく助けることはやぶさかじゃないさ。でも、睡眠の質を上げるのが教会の仕事かい!?」
「睡眠の質ぅ?」
 あまり考えたことがない。疲れてるときにはたまに悪い夢を見たりもするが、基本的に俺は睡眠の悩みはないほうだと思っている。親父さんも目を瞬かせて、
「どういうことなんだ? パーシィ」
 と、続きを催促した。
「つまりさ、あまりにも悪夢を見るから、ミゼリカ教の奇跡でなんとかしてくれって人が大勢押しかけてきてるんだよ」
 冒険者の俺が駆り出されるくらいに! と、パーシィは力説する。
「確かに、精神安定の法術は存在するよ。俺も使える、比較的低級な術だ。でもそれで個人が見てる悪夢が改善するかなんて、そんなのこっちの知ったことじゃないだろ!?」
「まあ……確かにな……」
「信仰の場だから俺の力は確かに強くなるけど……低級な術だってエネルギーは使うし、改善しなかったら文句を言うし、数もすごいし、しかも連日で参るよ!」
 さすがに同情した。
 ここ数日パーシィの姿を見かけないと思っていたら、そういうことだったのか。
「しかも無償奉仕だぞ!」
「そりゃ、納得いかねえな」
「元天使が見返りなんて求めるもんじゃないぞ」
 と、親父さんが笑うので、
「だから『元』なんだろ」
 俺が適当に思ったことを言うと、パーシィは耳の痛そうな顔をした。思いがけず図星だったらしい。
「それはそれとして、最近、嫌な空気感なんだよ」
 露骨に話を変えた。
「ふわっとしてんな。なんだよ、嫌な空気感って」
「空気が悪いというか……とにかく、嫌な感じがするんだ」
 嫌な感じ、ねえ。元天使なりに何か感じるものがあるんだろうか? 俺には聖誕祭を目前に控えた平和な街にしか見えない。もっとも、どうやらその実、悪夢を見るだ何だで落ち着かない界隈もあるようだが。
 そのとき、
「嫌な感じ、ですか。あまり出歩かないほうがいいですかねえ」
 突然背後から声が聞こえてきた。
 振り返ると背の高い人影が立っている。
 片眼鏡をかけた柔和な物腰の男だ。つい先日、俺がこの宿に案内して以降、星数えの夜会に泊まっている。そのあと名前も聞いたのだが、何といったか、確か……。
「よう、ラヒズ。キャロットジュースがあるが、飲むか?」
 親父さんが呼んだことで、思い出す。そう、ラヒズといった。
「お気遣いありがとうございます。ですが、外出するところなのですよ。出歩かないほうがいいのだろうとは思いますが、ね、パーシィくん」
 ラヒズは上品な笑みを浮かべて、パーシィにそう語りかけた。
 パーシィはこちらも負けず落ち着いた笑顔で、
「いや、いいんじゃないか。所詮、俺個人の感覚だし。用を済ませてくるといい」
「そうですね。それでは。夕刻には戻ります、親父さん」
「ああ、行ってらっしゃい」
 ラヒズはすたすたと去っていった。
 出入り口がばたんと閉まるのをしっかり確認してから、パーシィは思いっきり眉を寄せて、
「嫌なんだよな、あの人」
 と、これまた珍しいことを言った。
 パーシィは人間をひっくるめて見下しているところがあるが(本人に言ったら否定するだろうが)、個人に対して好き嫌いとか、得手不得手とか、そういった個別の感情を抱くことはないタイプだと思っていた。
「どこが?」
 別にパーシィの好き嫌いを咎めるつもりはないが、単純に気になったので尋ねた。
「どこと言われると困るんだけど、雰囲気が好きじゃない」
「滅多なことを言うもんじゃないぞ」
 親父さんがパーシィを嗜めた。
「礼儀正しいし、宿代もきちんと払ってる。揉め事も起こさん。真っ当な人間だよ」
「そうかもしれない。ただ、人間性の問題じゃなくて……いや、これは俺個人の感覚の話だから、忘れてくれ」
 パーシィは話を切り上げ、
「それより親父さん、午後からも教会なんだ。向こうで食べられる軽食を出してもらえるかい?」
「本当に忙しいんだな。サンドイッチを作ってやるから待ってろ」
 だいたい、この宿で持ち運びできる軽食を求めれば出てくるのはサンドイッチだ。
 親父さんのサンドイッチを大人しく待ってる間、パーシィは行儀良く座っていた。

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creepy sleepy 1

「いってぇ!」
 俺――タンジェリン・タンゴ――は思わず悲鳴を上げて悶絶した。右手で上げ下げしていたダンベルが、目測を誤って膝に直撃したのだ。
「くそ!」
 ダンベルをいったん置いて膝を確認する。動くし骨に影響もないだろう。しばらく痛みがあったが、それも大して長く続かず引いていった。
 慣れた筋トレで今さら怪我をするなんざ笑えない。だが考え事をしながらダンベルを惰性で上げ下げしていた自分が悪いのだ。
 その考え事というのが、本当にくだらなくて大したものじゃないという事実が自己嫌悪に拍車をかけた。
 黒曜のことだ。
 黒曜がどう、というわけじゃない。ただ黒曜のことをぼんやり考えていた。
 どうすればあんなフウになれるのか。どうしてあんなフウになったのか。
 黒曜の人格形成に影響を与えたであろう黒曜の過去のことは、何も知らない。家族構成すら分からないのだ。
 だいたい黒曜のことをいくら考えたって、それで俺が黒曜のようになれるわけじゃない。考えたところで不毛なことだ。ましてや筋トレ中に思考を巡らすようなことではない。なのに何故、わざわざ? ……その理由を答えられない自分がいる。

 俺は筋トレを切り上げて、気分転換に飲み物でも取ってくることにした。
 階下に下りると、朝早くに出かけた黒曜が戻ってきている。黒曜を見ても、改めて何かマイナスな、あるいはプラスな気持ちが湧くわけではないし、遭遇を回避したいという思いもない。そもそも俺が筋トレをしていたのは、黒曜待ちの時間潰しだった。黒曜が出かけていたので戦闘訓練が延期になっていたのだ。
「なんだよ黒曜、戻ってたなら声を……」
 かけろよ、と言いかけたが、黒曜がじっと俺を眺めるので、思わず黙る。黒曜はほんの僅か目を細めて、二度まばたきし、それからごく平坦な声色で「今戻ったばかりだ」と言った。
「……そうかよ。何してたか知らねえが……戦闘訓練は休んでからにするか?」
「問題はないが、悪天候だな」
 俺はその言葉で初めて雪が降っていることに気付いた。結構な本降りだ。部屋での筋トレ中もカーテンは開けていたのに、まるで気が付かなかった。
「……じゃあ、今日は勉強会か?」
 俺は少しがっかりした。身体を動かすほうが好きだ。
「そうなるな。ついてこい」
 黒曜は言って、すたすたと上階へ歩いていく。俺は言われるままについていった。黒曜の行き先は彼の自室で、俺は入るのは初めてだ。座学は食堂のテーブル席ですることが多い。
 黒曜は腰に提げていた青龍刀を下ろして椅子に立てかけた。ベッドと机と椅子以外に何も余計なものがない黒曜の部屋は、男が二人立つスペースは充分ある。
「今回は人体急所について学んでいく」
 黒曜は言った。
「前にも勉強したじゃねえか?」
 戦闘訓練が始まってわりと早い段階で学んだと記憶している。
「復習も兼ねるが……今日は実際に、触れていく。お前はそのほうが覚えが良さそうだからな」
 なるほど。以前学んだときは解剖学だかなんだかの本を使った完全な座学だったが、正直あまり頭に入ってこなかった。実際に急所の位置に触れていくのは大事かもしれない。
「人体急所は複数あるが、シンプルにいこう。まずは心臓」
 黒曜は俺の胸に手のひらを置いた。
 ……お前が俺の急所に触るのかよ!
 黒曜には殺気も敵意もなく、手のひらからは大して温度も感じなかったが、ただその手を心臓に添えられた、というだけで、俺はひやりとする。心臓が急に跳ねるように脈打った。緊張、だ。黒曜に俺を害する気はないだろうとはいえ、今の俺は急所を掌握されている。
「鼓動が早くなったな」
 黒曜は言った。
「正しい反応だ。恥じることはない」
「……はっ……。そうかよ……」
 緊張をフォローされたのだろう。恥じることはないとは言うものの、落ち着かない気持ちを見透かされるのは若干恥ずかしい。
「心臓は胸骨で守られている。狙うなら胸骨の間を通して刺せばいい」
 黒曜の手は胸から腹へ。
「次はみぞおち」
「あ、ああ」
「ここに衝撃を受けると呼吸困難に陥る。打撃でも有効な急所だな」
 不快というわけではないのだが、ぞわぞわする感覚がある。無防備に他人に急所を晒しているのだから落ち着かないのは当たり前だ。黒曜の手は腹からさらに下に、
「次は金的……」
「わーッ!! 待て、待ておいッ!!」
 デカい声で黒曜を止める。黒曜は無表情で俺を見た。
「さ、触んじゃねえッ!! そこは……言葉だけで分かるッ!」
「そうか」
 あまりの冷めっぷりに俺の感覚のほうが間違っているんじゃないかと錯覚しそうだ。いや、しっかりしろ、俺。こればかりはさすがに黒曜が悪い。
 黒曜は特に気にした様子もなく次の急所へ手を動かす。変な意識の仕方をしたせいか、胴体の一通りの急所を確認し直したあと、頭部の急所に触れられる頃には早く終わってくれ、とすら思っていた。

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