堕天使の望郷 2
気付けばパーシエルは木々の茂る林の中にいて、布1枚を羽織った状態で彷徨っていた。
波の音がどこかから聞こえる。おそらく、人間界にある"海"というものだろう。パーシエルが加護を与えていた村には海がなかったから、それだけで知らぬ土地に追放されたことが知れた。
「何故、私がこんな目に……!」
とにかく空腹だった。ヒトに堕ちた身では、生命維持に食事が必要なのだ。
不意に、林の木々の中から気配がして、振り返る。背に籠のようなものを背負った老婆がいた。
「こんなところに若い方がいるのは珍しいですね」
老婆は別に驚いた様子もなくそう言った。
「……食事がとりたい」
パーシエルは老婆に告げた。
「もし何か持っているなら、私に捧げよ」
「ええ、構いませんよ」
老婆は迷わず答えて、背の籠を降ろした。何か作物が入っているのかと思ったら、中にいたのはビチビチと跳ね回る魚だった。
「とはいえ生で差し上げるのもなんですから、私が何かお作りしましょう」
「ふむ。許可しよう」
老婆は「では」と言って、パーシエルに籠を手渡した。魚がビチビチ跳ね回っている籠を。
「お持ちになって」
「何だと……!? わ、私に持たせるのか!?」
「この老いた婆の代わりに魚を運んでも、罰は当たりませんよ。さあ行きましょう」
天使相手に罰うんぬんを語るとは! 淡々と告げた老婆に、パーシエルに対する畏れはなさそうだ。
もっとも、ヒトに堕ちた身である以上、天使の威光は限りなくないのは事実である。老婆は本当にパーシエルに籠を渡したまま歩き出した。
まさか、人間にこんなものを持たされる日が来るなんて。屈辱的だが、腹は減っている。パーシエルは仕方なく老婆について林を抜けた。
ほどなくついた村は小さく、海に近い。
老婆は村人数人とすれ違い、あいさつされては返している。その村人たちはパーシエルの姿を見るときょとんとして目を瞬かせた。だが深く追求する者はいない。あまり深いことを気にしない村柄のようだ。
老婆の邸宅につくと、老婆はパーシエルから籠を受け取り、テーブルにかけるよう言った。老婆は水瓶から汲んだ水を出し、「おつかれさまでした」と言った。
「無警戒なことだな」
パーシエルは水を遠慮なく飲み干してから、
「私がどこの誰かも知らんだろうに」
「そうですねえ」
てきぱきと魚を運び、キッチンで調理を始める老婆。動きに危なっかしいところはない。
「もし強盗なら、それはそれで構いませんよ。どうぞこの婆が後ろを向いている間に、家探しでもなさってくださいな」
「私は強盗ではない! そんな下品な真似はせん!」
「ならいいじゃありませんか」
調子が狂う。真意の読めない老婆だ。
「……料理はまだなのか?」
尋ねると、老婆は、
「そんなにすぐにはできませんよ」
そうなのか。料理は、そんなにすぐにできるものではないのか。
今までは食べたいときに捧げられたものを食せていたというのに……本当に、面倒なことになった。
「何故、私がこんな目に」
もう一度、思わず呟いてしまった。老婆に聞こえたかは知れない。
★・・・・
ヒトの時間感覚に慣れないパーシエルにとって、わずか45分がどれほど長かったことか。天使でいた折には、2ヶ月も瞬く間だったというのに。
腹の音が鳴るのを聞くのも、空腹に口数が減るのも初めてだった。よほどこの家から出て行こうかとも思ったが、かといってほかに食事のとれる場所に心当たりはない。
老婆はようやくパーシエルの座るテーブルに料理を置いた。魚の頭が四方に整然と突き出たパイだった。
「……何だこれは?」
「スターゲイジーパイという料理ですよ」
中央に星型の焼き色がついていて、見た目は愛らしい。
老婆は私の前でパイを切り、小皿に取り分けてくれた。いい香りがする。初めて見る料理で戸惑いはあったが、香りがいいなら食べられるはずだ。
これもまた初めて食べるものである。そのパイは素晴らしく美味だった。
「美味だ!」
パーシエルは老婆の顔を見て思いがけず大きな声を出した。
「そうですか」
老婆は微笑み、
「貴方が運んでくれたニシンで作ったのですよ」
とだけ告げた。
パーシエルは変な顔になった。なぜ今、その話をしたのだろう? 味に影響する情報ではない。けれども何故か気分は悪くはなかった。
無心でスターゲイジーパイを食べ切るパーシエルを、老婆はずっと微笑んだまま眺めていた。
「老婆よ、褒めてやろう。名は?」
「マリスと申します」
「私はパーシエル」
聞き覚えは? と尋ねると、
「ありません」
と、淀みなく答え、立ち上がった。
「さあパーシエル、片付けをしますよ。お皿をお運びなさい」
「ん? ……ん!?」
キッチンに向かうマリスの背を見て、
「私がか!? 何故!?」
尋ねると、マリスは振り返り、
「働かぬ者に与える寝床はありませんので」
容赦なく言った。
ヒトはこれを一宿一飯の恩、と呼ぶのだろう。確かに行くあてのないパーシエルにとって、腰を落ち着ける寝床は必要だった。
マリスに従いながら慣れない皿洗いを始め、パーシエルは水を張ったタライに自分の顔が映ったことに気付いた。同時に、自身が青ざめたのも分かった。顔面に、刺青が施されている。口を模した醜悪な刺青だ。口の意匠――すなわち暴食の罪を表しているのだろう。悪趣味な、とパーシエルは顔を歪めた。
この刺青は、天界に還れれば消せるものだろうか? 髪の色も目の色も、まるで血を吸ったかのようにくすんでいる。
水タライの中の自分と見つめ合っていても、マリスは特に急かすことなく湯を焚いたり寝床を整えたりした。おそらく通常マリスがかけるであろう時間の倍以上の時間をかけて、ようやくパーシエルが皿を洗い終えると、マリスは湯に入るよう促した。そこでパーシエルはまた自身の体中にも刺青があるのを見て、少なからず気落ちした。
天界から堕とされた身であることが知れたら、パーシエルにとってそれ以上の汚名と屈辱はない。
天使であることを秘匿しながら、なんとか天界へ戻る方法を探さねばならない。
そして堕天を撤回させなくては。そのためには……。
そのためには、どうしたらいい?
それでも、夜は来る。ヒトには睡眠が要る。天使であった頃は想像もできなかった布団というものの存在、これがヒトの身にはあたたかいと、初めて知った。
堕天使の望郷 1
かつてパーシィが豊穣を司る天使であったことに、名実、嘘はない。
天使であった頃のパーシィの名は”パーシエル"といった。豊穣の天使パーシエル。今でもそう名乗ることを禁じられているわけではないが、不要な名だと思っている。今の彼はパーシィだし、彼の愛する人びとはみんなそう呼ぶ。
潮の香り、波の音、青い海、五感で海を感じると、ふるさとを思い出す。天界のことではない。パーシィがこの地に堕とされて、初めて訪れた小さな漁村のことだ。アイグリンズ領にあるへリーン村といった。
その村で過ごした2年ほどの期間は、今でも明瞭に思い出せる。
★・・・・
――豊穣の天使であるパーシエルは、民からの信仰心を一手に集めている。
豊穣の天使たるパーシエルの加護があるゆえ、ヒトは作物を収穫し、魚や肉を狩り、日々飢えることなく過ごせる。愚かなヒトでも誰もが知っている、当然の理屈で、純然たる摂理だ。
天使という高位存在に、生命維持のための食事は必要ない。だが、パーシエルは人間が感謝の贈り物として捧げてくる食物を食すのがいっとう好きであった。
味というものをわざわざ感じる天使というものはあまりいない。食事なんてそんな俗っぽいことをと口さがない天使もいるが、そんな奴らを歯牙にかける必要もない。豊穣の天使であるパーシエルにのみ許された特権なのだ。ほかの天使がこの喜びを知ろうはずもない。
ところが200年近くも同じ村に豊穣をもたらしてやっていると、捧げられるもののレパートリーにも飽きてきた。パーシエルは思いついて、村長にこう命じた。
――この村でもっとも尊く、もっとも価値が高く、もっとも稀少なものを捧げよ。
村長はたっぷり2ヶ月は長考した。永く生きるパーシエルには些細な時間で、彼はただ、捧げられるものは何なのか、期待していた。
そうしてやがて捧げられたのは、肉である。だが、牛でも豚でもない。鳥でも羊でもウサギでもなかった。
村でもっとも美しい娘です、朝に殺したばかりです、と、村長は言った。
なるほどこれは初めて食べるものである。その肉は、素晴らしく美味だった。
パーシエルの犯した"食人"の禁忌は間もなく天界に知れ渡り、間もなく、天界にある審判所でパーシエルは審判にかけられることとなった。
「私は出されたものを食しただけだ」
審判の場でパーシエルは言った。
「もしもそれが禁忌だと言うなら、出してきた人間が悪いではないか」
「よくも言えたものですね」
審判官の天使が声を張り上げる。
「調べはついていますよ。この200年近く、貴方があの村から搾取していた事実。天使とは与えるもの。それが奪うとは何事ですか」
「どうやら審判官殿は人間の世界をよく分かっておられないようだ」
と、パーシエルは応答した。
「いいか、人間というのは、等価交換で文明を成り立たせている。私は人間の目線に立ち、人間に寄り添い、私の与えた分、人間から返礼を受けたまで。それで何故、私が審判にかけられねばならない?」
「貴方は人間界には詳しいようですが、それが長く続いたため、天使としての役務を見失ったようですね」
審判官は深くため息をつき、審判長に指示を仰いだ。
「豊穣の天使パーシエルを、追放刑に処する。
この判決をもってパーシエルは天界から堕天し、堕天使となる。罪状は――」
――"暴食"の罪である。
神降ろしの里<後編> 9
カンバラの里の神降ろしも、今日で最終日だ。
昨日と同様に屋台が出て、外は賑わっているようだった。
身支度を整えていると、らけるが宝刀を抱えて窓辺にいることに気付いた。タンジェに気付いていないようだったので、別にその必要もなかったのだが、声をかけた。
「らける」
「わあ! あ、タンジェ、おはよ!」
「……おはよう」
昨日はとうとう寝る直前までラケルタだったので、真実を――帰れないと知ったあとのらけると対面するのは初めてだ。
タンジェはらけるの横に座って、
「帰りの護衛もしっかりやるぜ」
言った後に、少し考えて、こう付け足した。
「依頼だからな」
「うん……」
らけるは気のない返事をした。
会話は終わったと判断し、タンジェはすぐに立ち上がろうとした。
「タンジェさ……」
声がかかる。タンジェは中腰の状態でらけるを見た。
「ご両親亡くなってるんだって?」
「……」
「もしかしてさ……タンジェが会った仏……シェイプシフターって、ご両親だった?」
「ああ」
タンジェの両親のことは――親父さんにでも聞いたのかもしれない。そこから推察すれば、確かにあのときタンジェが追いかけた2人の仏が両親であっただろうことは分かるだろう。タンジェは頷いた。
「その……これからずっと家族に会えないってさ……」
らけるの声が震える。
「結構きついよね……」
「……」
突然家族と引き離され、もう二度と会えない。その辛苦をタンジェも知っている。
らけるは、途中で不安に押し潰されても、絶望に挫けてもおかしくはなかった。それでも彼が折れずにここまで来られたのは、本人のポジティブさと希望があったからに他ならないのではないか。なら、それがなくなったなら?
「父ちゃんにも母ちゃんにも姉ちゃんにも、もう会えないんだ……」
らけるの目が潤んだ。
「急すぎるじゃん……お別れも言えてないし……。きっとみんな俺のこと探すよね……ずっと、探すんだ……」
ニッポンにいもしない俺を、と、らけるは言った。
「……」
親を殺された立場からなら、どうとでも言えるかもしれなかった。だが何を言って慰めても、今のらけるの深い悲しみの前では浅く、陳腐だ。
タンジェは素っ気なく言った。
「50年、待てばいいじゃねえか」
「え?」
「50年で30%、結構じゃねえか。サナギを使い倒してやれよ」
「……」
らけるは目をぱちぱち、と瞬かせてタンジェを見つめたあと、くしゃくしゃの笑顔になった。
「タンジェ、あの話聞いてたのかよ!? てかそれ、俺、爺さんになってんじゃん!」
「25年で15%まではいくかもしれねえぞ」
「そんな単純な話じゃないと思うなー! でも、ワンチャンある!?」
らけるはげらげらと、涙が出るほど笑っていた。
帰りの14日の航海はやはり長く、退屈は人を殺すかもしれない、とタンジェはまた思う。
けれど、本当に人を殺すのは、剣だし、鈍器だし、銃だし、きっと悲しみだし、絶望だ。
らけるがそれに殺されないように、タンジェたちが、そしてあるいはラケルタが、きっと守ってやらなければならないのだろう。
石竜子らけるは弱く、ちっぽけで、でも――『いいヤツ』だからだ。
久しぶりのベルベルントはとても寒い。
暖炉で爆ぜる火を見ていると、数日経ったというのにまだカンバラの里のことを思い出す。
「タンジェ!」
「あ?」
らけるがホットチョコレートを持ってきた。ご丁寧にタンジェの分まである。甘いものはそこまで好きというわけではない。だが、らけるの好意だと思ったので、受け取ってやることにした。
さっそく口をつけようとしたが、思ったより熱い。ふうふうと冷ましていると、
「なあタンジェ、俺、冒険者になろうと思う!」
「……あ?」
らけるは目を輝かせて身を乗り出し、ご機嫌で続けた。
「ラケルタがいれば俺でもいけるんじゃないかと思うんだよね、冒険者! 結構船旅も楽しかったしさあ! 怖い目にも遭ったけど……でも冒険者になって、強い男になって、翠玉さんとお近づきになる……めっちゃいい作戦じゃね!?」
なるほど――タンジェは察した。こいつ、大人しくしてる気、全然ねえ!
「なあタンジェ、もっちろん、応援してくれるよな!」
ラケルタや俺の気も知らねえで、という思いが、なくはない。けれども、
「チッ……仕方ねえな。まあ、応援してやってもいいぜ。協力はしねえがな」
「やったー! ありがと! タンジェ、大好きー!!」
「抱き着くんじゃねえ! 気持ち悪ぃんだよ!」
タンジェはらけるをひっぱたいた。それから素っ気ない態度で、さっさとホットチョコレートを飲み干して席を立とうする。が、まだまだ熱い。飲み干すどころか一口さえ飲み下すのに苦労する始末だ。
らけるが不意に「マシュマロ入れたら美味そうじゃね!? 親父さんにマシュマロないか聞いてくる! タンジェもいるだろ?」と言い出し、返事を待たずに暖炉から離れていく。
その背中を見て、思う。
絶望は人を殺す。だが、それを超えるポジティブは、絶望を殺すらしい、と。
タンジェに守られるまでもなく、らけるは強い男だ。絶望に勝てる人間なんてそうはいない。誰も恨まず、誰にも怒らず、らけるは笑ってタンジェと肩を組む。まあ……それは鬱陶しいので払うが。
タンジェは、まるで反対だ。恨み、怒り、復讐を動力に動いてきた。誰と肩を組むこともない。もちろん今は、それでなくても動けることは知っている。それでもタンジェは、きっとらけるのようにはなれない。他人にもホットチョコレートを淹れてきて、マシュマロがあればもっと美味しいはずだと立ち上がるようには。
けれど、それでいいのだろう。憧れる意味はないし、そのつもりもない。そんなふうになる必要もない。
ただ、らけるのような友人が、一人くらいいてもいい。
絶対にそんなことを、本人に言ってはやらないが。
神降ろしの里<後編> 8
息をつく。何度か地面に転がったタンジェは全身泥まみれで、殴打された箇所がじんじんと痛んだ。だが、シェイプシフターは殺すことができたようだ。死んだシェイプシフターはどろどろに溶けて、地面へと溶けるように消えていった。
見れば黒曜たちも多かれ少なかれ消耗しているようだ。だが、深刻な怪我はない。足をやられた者もおらず、移動に差支えはないだろう。カンバラの里に戻ったら光蓮に報告し、それで依頼は完了だ。食われた人々は戻ってこない。
「らける……ラケルタ」
タンジェがラケルタを呼ぶと、剣を鞘に戻していたラケルタがこちらを見た。
「なんで来た? 俺はらけるに、光蓮の家に行ってろと言ったはずだぜ」
ラケルタは肩を竦めた。
「だが、らけるの目的は死者に会うことだ。死者に会った様相の貴殿らを無視して自分だけは大人しく待機、あとは報告を聞いてそれを信じるしかない――というのは、酷だろう。らけるだって、自分の目と耳で真実を知りたい」
「てめえが唆したのか」
「いや、らけるの判断だ。私は手伝ったまで」
ラケルタはそう言って剣に視線を下ろした。
「きちんと光蓮には話をしたし、光蓮はらけると私にこれを託した。光蓮の家にあった聖憐教の宝刀だそうだ」
「宝刀か……よくよそ者に渡したなぁ」
パーシィがいつの間にか立ち上がって横にいるので、タンジェは驚いて彼を見た。
「てめぇ、大丈夫なのかよ? 様子がおかしかったぞ」
「ああ……すまない、心配かけたな」
オールバックは崩れていて、髪の房がいくつか額に落ちていたが、パーシィはいつものように気の抜けた笑顔を浮かべた。月の下での判断になるが、顔色ももう悪くはない。
「古い友人を侮辱されたようで、頭に血が上ってしまったんだ」
「……まあ、そんな感じだったな」
パーシィの言葉と、尋常ならざる様子は矛盾しない。古い友人とやらに興味があるわけでも、パーシィの過去を追及したいわけでもない。タンジェはすぐに納得して話を切り上げた。
「戻ろう。もうカンバラの里は安全だろう」
黒曜の判断に一同は頷く。夜の山は本当に恐ろしい。この人数だし、月も高いから心強いが、タンジェたちは慎重にカンバラの里へと戻った。
カンバラの里は、マイリ踊りも終わったらしく、人はまばらだった。それでも広場の中央では変わらず火が焚かれている。丸太でできたベンチに腰かけて酒を飲んでいる数人がタンジェたちに気付いたが、特に何も言ってはこなかった。
家の前で光蓮が黒曜一行を待っていた。
胸の前で手を組んで祈る様子だった光蓮は、タンジェたちに気付くと明るい顔になり、労いながら家へと上げてくれた。
「ずいぶん心配いたしました」
戦いのあとに天井がある場所に来ると安心するものだ。光蓮に感謝の意を伝えながら、タンジェたちは各々、板間でリラックスさせてもらった。
「それで、……どうなったのですか?」
麦茶を出しながらの質問に、サナギと黒曜が応じている。
「シェイプシフターという変身能力を持つ妖魔の仕業だったよ」
「しぇいぷしふたぁ、ですか」
「悪魔が裏についていた。その悪魔に、人心を読む能力を与えられて、シェイプシフターはカンバラの人々を山へと連れ去った」
「連れ去られた人は……?」
「殺されていた」
光蓮がはっと息をのむ。変に濁すよりも親切だろう。最大限の配慮として、食されていたことは、さすがに誰も言い添えなかった。
光蓮はまた胸の前で手を組み「神よ」と呟いた。
「慰めになるかは分からないが、シェイプシフターは退治したよ。もうマイリ踊りで本当に仏が現れることはないだろう」
サナギが伝えると、光蓮は頷き、
「ありがとうございました」
と、深々と頭を下げた。
差し出されたペンダント――約束の報酬品だ――と引き換えるようにして、ラケルタが宝刀を光蓮に渡そうとした。
「光蓮。これを返す」
「ああ……」
黒曜がペンダントを受け取り、荷物袋に入れている間たっぷり沈黙した光蓮は、やがてにこりと笑って言った。
「あなたに差し上げます」
「え!?」
声を上げたのはパーシィだ。
「聖憐教の宝刀だと聞いたよ。らけるもラケルタも教徒じゃない、それを譲るのは――」
「ですが、私には不要ですもの」
光蓮は平気な顔で言った。
「あっても文字通り、宝の持ち腐れですわ」
ラケルタはまじまじと光蓮の顔を見たあと、宝刀を握り、
「……いい刀だとは思っていた。もらえるなら、幸甚だ」
「喜んでいただけるなら、お譲りする甲斐があるというものですわ」
パーシィはしばらく、いやそれはさすがに、とか、ちょっと考えたほうが、とかごちゃごちゃ言っていたが、
「信仰のことは分からねえが、別にその武器があるから信仰が強いとか弱いとか、そういう話じゃねえんだろ」
とアノニムが言うのに、目をまんまるにして彼を見た。
「じゃあ誰のところにあったって同じじゃねえのか」
「……その通りだ」
パーシィは呻くように呟いて、頷いた。
「若干釈然としないけど……アノニムの言葉は正しい。うん……」
納得はしたようだ。
「今日はぜひここに泊まっていってください。狭いですが……。この村には宿はありませんし、今から山を下りるのは不可能です」
ありがたいことだ。一同は光蓮の言葉に甘えて、一泊することにした。
光蓮は湯とタオルを準備してくれた。順番に湯を浴びてさっぱりして、光蓮の家で横になり、目を閉じれば、セミの鳴く声が鳴り響く。
うるさくはあるが、懐かしい気もする。タンジェは山の中が好きだ。虫の声、焚かれる火の爆ぜる音、木の匂いのする床――。
神降ろしの里<後編> 7
ラヒズが頬についた傷から一筋、血の粒が流れるのをぬぐい、くつくつと笑った。
「いい不意打ちでした」
「チッ……」
タンジェのナイフは投擲を意図して用意されたものではない。あれは冒険に使う、ごく平凡なサバイバルキットの内容物の一つだ。複数は持っていない。
「ではさようなら、ご一行。また会う日まで」
ラヒズは背を向けて木から飛び降り、山の奥へと立ち去ろうとする。
「待ちやがれ!」
タンジェはラヒズを追って走り出そうとしたが、シェイプシフターがそれを阻止した。
とはいえ、シェイプシフターは3体だ。先ほどタンジェが両断したやつは、ほかの2体より体が小さくなっているし、こちらのほうが圧倒的に数が多い。手分けすればラヒズを追うことはできるはずだ。
「ここは任せたぜ!」
シェイプシフターをアノニムたちに押し付けて、ラヒズを追おうとすると、
「だめだタンジェ、さすがに遭難する!」
サナギが引き留めた。
「……くそ!」
サナギの言っていることは正しい。山の怖さはよく知っている。知らない山で、おまけに夜だ。山歩きに慣れているタンジェだろうが関係なしに、山はたちまち呑み込むだろう。
「ここはこのシェイプシフターを仕留めて、満足とするべきだよ」
ぐにゃぐにゃと踊るようにくねるシェイプシフター。仕方なく、タンジェは手近なシェイプシフターの一体に斧を叩きつけた。
弾力。船で戦ったクラーケンといい、斬撃が通りづらい相手は戦いづらい。
シェイプシフターはぐにぐに動いていたかと思うと、タンジェの前でたちまち巨大に伸びあがった。また何かに変身するのか? タンジェの記憶を読み取る、ということは――。
――オーガだった。それも、たぶん、シェイプシフターが読んだタンジェの記憶は、叔父とのそれだった。
「……舐めやがって!!」
一度殺せていないことを知って叔父の姿を取ったのかもしれないが、状況が違いすぎる。偽物だと分かっていれば両親だって斬れるのだ、ましてやオーガ、迷わず殺せる。
「清々するくらいだってんだよッ!」
斧を振り下ろす。斧の刃がシェイプシフターの腕を容易く両断した。吹き飛んだ腕が地面に転がる。血は出ない。シェイプシフターはまったく意に介した様子もなく、残った腕をぶんと大きく振った。斧で受け止めようとするが、思ったよりはるかに強い馬鹿力で横殴りにされて防御に回した斧ごと吹き飛ばされた。
「ぐ……!」
シェイプシフターにあの馬鹿力があるのか? それともオーガに変身したことでその能力まで真似ることができるのか?
吹き飛ばされた先でかろうじて態勢を整えたが、シェイプシフターは追ってくる。咄嗟に斧を持ち上げて二撃目も防いだ。シェイプシフターの腕とタンジェの斧が膠着状態になる。
だが不意にタンジェの視界に何かが滑りこんで、直後、横っ腹に衝撃が走った。次いでそれが痛みだと感じてすぐ、バランスを崩したタンジェをオーガが殴りつけた。
「ぐっ……!」
斧ごと地面に叩きつけられたが、追撃は地面を転がって回避する。横っ腹に攻撃してきたものが何だったのか、視線だけで確認した。シェイプシフターの腕だ、さっきタンジェが斬り落とした。びょんびょんと跳ね回っている。分断した部分も独自に動くのか。気味の悪い妖魔だ……! もしかして、斬っても斬っても増えるだけかと、タンジェは舌打ちする。
何度か咳き込みながら立ち上がる。正面のシェイプシフターを警戒しながら、こういうときの弱点看破はサナギの仕事だと周囲に視線を走らせた。シェイプシフターは黒曜と緑玉、それからアノニム、残りの1体はラケルタと相対している。3体とも姿がぐにゃぐにゃしたものではなく人型になっていて、たぶん黒曜たちの記憶を読み取って変身していた。4体いるってことは、タンジェが両断した半分が動いているんだろう。
「サナギ……!」
腹に一撃食らったばかりなので、思いのほか呻くような声になってしまった。銃を構えてラケルタをフォローしていたらしいサナギが振り返る。
「なんかこいつら、弱点ねえのかよ……!」
「切ると分裂するけど、小さい欠片には生命力は宿らないはずだ! 細切れにするのが一番いいかも……! それより大丈夫……!?」
タンジェは「大したことはねえ」と言って立ち上がった。
オーガと化したシェイプシフターはタンジェに向かって駆け込む気だったらしい、前屈みに構えていため、その頭に斧の刃が届いた。振り下ろして頭を割る。オーガの顔がひしゃげるが、飛び散るような脳や頭蓋はない。断面は黒く、グロテスクさはないがそれはそれで奇妙だった。
シェイプシフターは気にせず突っ込んでくる。引き抜いた斧を胴体に叩きつけた。痛みや恐怖はないのかもしれないが、衝撃は感じるらしく、シェイプシフターが怯んだ。
また斬り落とした腕が迫ってきたが、今度は反応できた。回避し、サナギの言った通りなるべく細かくなるよう何度も斧を叩きつける。
シェイプシフターが体勢を立て直した。形を保ちづらいのか、オーガの姿がどろどろと溶け始めている。
この巨体を細切れにするのは大変だろうし、そこまで残虐な殺し方をしたいわけでもなかったが、そうしなければ殺せないなら仕方ない。襲い掛かってきたそいつを斬り倒し、また斧を振り下ろす。体力なら自信がある。抵抗さえ許さなければ、相手が死ぬまで斬り続けるのは容易い。
プロフィール
一次創作小説、
「おやすみヴェルヴェルント」
の投稿用ブログです。
中世洋風のファンタジー。
登場人物は男キャラ多数。
冒険者一行の連作短編です。
このブログに掲載している小説はフィクションです。
実在する人物・組織・事件等とは一切関係ありません。
また、著作権はやまかしにあります。
このブログにある画像、文章の無断転載・AI学習はしないでください。