カンテラテンカ

きっと失われぬもの 3

 パーシィと別れてエスパルタの中央に行くと、巨大な闘技場がある。
 コロッセオである。世界的にも有名だ。闘技でももちろん名を馳せてはいるが、それよりはるかに知名度が高いのは『闘牛』だろう。怒れる猛牛と生身の人間が闘う競技で、熱狂的なファンも多い。真っ赤な布を翻す闘牛士は憧れの的で、危険な職だが華がある。
 残酷だからという理由で闘牛の廃止を求める団体もあるらしいが、エスパルタ側はどこ吹く風。今日も今日とて、コロッセオでは闘牛が開催され、凄まじい歓声を浴びている。
 当日分のチケットは完売だそうで買えなかった。ただ、立ち見席は出入り自由らしいので、せっかくなので見ることにした。立ち見席は無料だがとうの闘牛が遠くてよく見えないので、観光客には人気がない。雰囲気を楽しみたいやつ向けだ。
 スリバチ状の闘技場の中央で、ムレータを踊るように操る闘牛士が、荒れ狂う猛牛をいなしている。一挙一動に盛り上がる観客。聖誕祭も重なっているからすごい人出だ。
 ふと横を見ると、数人跨いだ先でアノニムが闘牛を眺めていた。
 その必要はないだろうに、気付けばタンジェは、人混みを軽くかきわけてわざわざ隣まで行き声をかけていた。
「よう」
「あ?」
 アノニムが振り返る。
「なんだてめぇか」
 周囲のガヤが騒がしくてもアノニムの張りのある低音はよく聞こえた。タンジェはほとんど無意識で、アノニムにトゥロンを差し出した。遠慮なくひょいと摘まみ上げたアノニムは、それを一口で頬張る。
「闘牛なんざ見に来てるとはな」
 意外だったぜ、とタンジェが言うと、アノニムは別になんてことはなさそうに言った。
「同業を見に来ただけだ。もっとも、俺は『元』だが」
「同業?」
「闘いを見世物にされてんだろ」
 タンジェの肝が一瞬、冷えた。アノニムが過去に見世物小屋にいて剣闘奴隷であったことは、彼にとって嫌な記憶なのではないかとタンジェは勝手に想像していて、だからなるべく触れないようにしていた部分だった。タンジェが気遣っても、アノニムのほうはこうして平気で話題に乗せる。
 アノニムに特段の悲壮や、闘牛に対する嫌悪らしいものは一貫して、ない。視線は闘牛に向けたまま、
「あの牛、勝ったら生きられんのか」
 タンジェは少し黙ったが、
「俺も詳しくはねえが、いずれは殺される」
 知っていることをそのまま話した。
「闘牛士は牛に殺される以外で負けることは滅多にねえよ。相手が牛ってだけの、そういう筋書きの舞台のようなもんだ。闘牛は殺されて、バラされて観客に振る舞われる」
「そうか」
 アノニムはあっさり頷いた。どういう感情でその事実を受け取ったのかは分からない。
 続ける言葉も思い浮かばず、タンジェも闘牛に目を落とした。槍が突き刺されて暴れ狂う闘牛を、闘牛士がかわすところだった。より熱を帯びる歓声。ひどく騒がしい。アノニムはこんなものは聞き慣れているのだろうか。
「終わりだな」
 まだ闘牛は死んでいなかったが、アノニムは最初の傷で見限ったらしかった。それだけ言って、立ち去っていく。
 アノニムの後ろ姿を見送ったタンジェは、闘牛がトドメを刺される瞬間を見ることができなかった。

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