きっと失われぬもの 2
エスパルタの中央通りでは、聖誕祭の間、特別なマーケットが開かれていて、飲食物や土産物などが並んでいる。この時期にしか食べられないようなものもあって、観光に来た人々はみんな思い思いに飲み食いして、思い出にしていく。
タンジェは、聖誕祭に訪れた過去の自分が両親に何を買ってもらったか思い出そうとした。10年近く前の記憶だが、あまり物欲のない子供だった自覚がある。たぶん土産物や工芸品ではないだろう。食べ物だったのではないか……。
マーケットを眺めて歩いているとアーモンドの香ばしい香りがして、それでハッと思い出した。トゥロンである。ローストしたアーモンドやはちみつでできた菓子だ。昔のタンジェが両親に買ってもらって食べたのはこれに違いない。
思わず一袋買ってしまった。
マーケットでは食べ歩きしている者も多い。タンジェもトゥロンを食べながらマーケットを歩いた。そこまで甘いものを好んではいないが、なんとなく特別な菓子という気がして、美味く感じる。我ながら単純だ。
人混みの流れに逆らわず進んでいくと、聖ミゼリカ教会に行き当たる。
普通に開放されているようだったので入り口を何気なく見ると、パーシィがいた。小さな子供が親に手を引かれて立ち去るのを、笑顔で見送っている。
「何してんだ」
「やあタンジェ。なんだい、それ? 美味しそうだな」
あいさつもそこそこにトゥロンに食いつくパーシィ。仕方ないから一本くれてやった。
礼を言ってさっそく頬張りポリポリとアーモンドの食感を楽しんでいるパーシィに、
「こんなとこで何してんだ」
再度尋ねる。
「聖ミゼリカ教会前でこんなところとはよく言えたな」
言葉のわりにまったく気にした様子もなく、パーシィはからからと笑った。
「たまたま通りがかりに、転んで膝を擦りむいたという女の子がいてね。治療したのさ」
「そうかよ……」
余計なこととは分かりつつも、タンジェは続けて言った。
「ガキなんざ、怪我しながら生活するもんだろ。余計な世話じゃねえのか」
「そうだなあ、これから先、生きていくうえで負う全部の怪我に癒やしの奇跡を使っていくのは無理だしな」
あっさり頷いたパーシィは、トゥロンを飲み込んでパンパンと両手を軽く叩き、トゥロンにまぶされていた砂糖を落とした。
「でも、親御さんは安心していたよ。女の子も笑顔になった」
それでいいじゃないか、と。
「てめぇ……たまにちゃんと、天使っぽくなるよな。本当に天使なのかは知らねえけどよ」
「ま、まだ疑ってるのかい!? 失礼だな! ラヒズにもちゃんと警戒されていたろ!?」
それを根拠にするのはどうなんだとタンジェが呆れる。それからパーシィは急に真面目な顔になった。
「ラヒズといえば……天使もそうだが、悪魔には『格』があってね。あいつはかなり格が高そうだ」
「強いってことか?」
「そうなる。そして、悪魔としての才が高い」
「悪魔としての、才?」
復唱すると、パーシィは少し考えたあと、
「要するに、『悪魔っぽいことが上手い』ってことさ」
タンジェが経験した一連の出来事は、タンジェにとってはまるで地獄のようなものだった。悪魔や地獄なんてのは教科書の中の話だと思っていたが、確かに実在する悪魔に見せられた地獄……。怒りが先に来るかと思ったが、我ながら意外なことに、まずタンジェはげんなりした。
そんなタンジェの顔を見るにつけ、パーシィは、
「だからな、タンジェ。アドバイスをしておくけど……『悪魔の言葉は信じるな』」
「あ?」
タンジェは眉を寄せた。
「てめぇも見ただろ? ラヒズの言ってることに嘘はねえ。俺は……、……オーガだったじゃねえか」
言葉に少し詰まったが、最終的には自分で自分の姿を認めた。タンジェにとってはかなり覚悟のいる発言だったが、パーシィはまったく頓着せず、
「悪魔が嘘をついているってことじゃない。俺が言いたいのは、悪魔の思惑通りに動いては駄目だってことさ」
そう言った。
「ラヒズの思惑……何だよ? それって」
「悪魔が何を考えているかなんて知ったこっちゃないよ」
そっちから話を始めたくせに、最終的にはこれだ。だが、まずもって悪魔と天使なんてのは不仲なものだろう。タンジェはよく知らないまま、ほとんど確信をもってそう結論付けた。パーシィは続ける。
「ただ、意図的にきみの元気を無くそうとしてたのは分かる。あいつ、たぶん人を追い詰めるのが好きなんだよな。悪魔らしいよ」
それは……つまり。
「俺に、元気を出せってことか?」
パーシィはにっこり笑った。