カテゴリー「 ┣テ・アモは言わずとも」の記事一覧
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テ・アモは言わずとも 5
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テ・アモは言わずとも 4
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テ・アモは言わずとも 3
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テ・アモは言わずとも 2
- 2024.02.13
テ・アモは言わずとも 1
テ・アモは言わずとも 5
星数えの夜会に戻ると、相変わらずパーシィは山積みの箱の前に座っていた。
「おかえりタンジェ」
「あの女は?」
さっき帰ったよ、とパーシィは言った。
「チョコも持って帰ったけど……なんだったんだ? 彼女」
自己紹介をしただろうに、結局パーシィのほうはまったくピンときていないらしい。
そうか、あの女はパーシィにチョコを食わせるのは諦めたか。冷静に考えてみて、自分の身のほうが可愛かったというわけだ。
「それに、あのチョコ、タンジェは惚れ薬かと聞いていたよな」
「あ? ああ……」
俺は生返事をした。パーシィが俺の手にある小箱に気付き「それは?」と話を変える。
「て、てめぇには関係ねえ。それより黒曜は?」
「黒曜なら……」
パーシィが言いかけたところで、階段から黒曜が降りてきた。今日一日は部屋でのんびりしていたのだろうか。
俺は黒曜に駆け寄り、肩を掴んで反対方向――今降りてきたばかりの階段のほう――を向かせ、背中を押して階段を上らせた。
「タンジェ? なんだ?」
「いいから!! 部屋行くぞ!!」
階段を上りきり、無理やり俺の部屋に押し込もうとすると、黒曜はぴたりと立ち止まり、
「俺の部屋でもいいか?」
と尋ねた。
「なんッ……いや、ま、まあいいが? 行ってやっても?」
動揺して上から目線になってしまう。
あくまで訓練等の目的がある以外で、黒曜に部屋に誘われたのは初めてだ。もっとも、俺は人目を避けただけで、やましい気持ちはなく……! とにかく俺は黒曜と共に彼の部屋へ入った。
「それで、どうした? 俺に何か用か?」
黒曜が尋ねながら俺に椅子を勧める。俺は突っ立ったまま、少し悩んだが、思い切って手に持っていた包みを黒曜に差し出した。
「? 俺に?」
黒曜は不思議そうな顔をしたが、俺が頷くと素直に受け取ってくれた。
さっそく包みを開ける黒曜。
中には、ピアスが入っている。
上品な金色をしたシンプルなやつだ。高かった。これを買うのに、俺は何としても今日、仕事をこなして金を作りたかったのだ。
惚れ薬なんざ要らないし、そもそも最初から俺の頭にはルーレアをとっ捕まえてブルースに引き渡すことしかなかった。
ルーレアはあのあと抵抗したが、まあ……たかが占い師の女が俺に勝てる道理もなく。簡単に組み伏せて盗賊ギルドへ連行した。
黒曜に好かれてるか好かれてないか、そんな悩みは俺が黒曜を好きなこととは関係がない。好かれてないとしたら、俺にはそれだけの魅力がないってだけだ。逆を言えば、好いてほしいなら俺が好かれるだけの男になればいい。
そのために、というと即物的すぎるが、俺のほうはそちらが好きだ、というアピールのために、バレンタインに合わせてピアスを買った。
何かアクセサリーを贈りたいと思ったときに、黒曜がしている飾りといえばピアスしか思いつかなかった。
黒曜の好みはよく分からないので――恋人なのによ!――とりあえず無難に、今つけているものと似通ったデザインにした。
さて、黒曜の反応はと言えば、
「これは……」
驚いたように少しだけ固まっていたが、ふ、と口元が緩んで「ありがとう」と言った。
俺はそれだけで満足した。
「よ、用はそれだけだ。じゃあな」
満足と同時に照れが来て、急いで立ち去ろうとしたが、腕を黒曜に掴まれる。
「おわっ! な、何だよ!?」
黒曜は俺のことを留めておいて、机の上に置いてあった包みを拾い上げ俺に差し出した。
「俺からも……受け取ってほしい」
俺とは正反対で、黒曜は照れた様子がない。俺は黒曜の手の包みと黒曜の顔面を何度か見比べて、ようやくその包みを受け取った。
恐る恐る開けてみると、こちらもピアスだった。
丸くて小さな、朱色のピアス。
「タンジェリンクオーツという石だそうだ」
黒曜が優しい声色で言った。
俺は嬉しさと照れと困惑がないまぜになり「お、おう」とか「同じ名前だな」とか言っていたが、ふと気付いて、
「ピアスあけねえとな……」
と呟いた。
今までピアスを着けると考えたことすらなかったので、俺の耳には穴があいていない。さすがの俺でも、ピアスを着けるのには穴が要ることくらいは知っている。
ふふ、と息が漏れるような微かな笑い声が聞こえたので、顔を上げると、黒曜が小さく笑っている。
「な、何だよ?」
「ふふ……着けてくれるのか、と思って」
「そりゃ、好きなヤツにもらったら着けるだろ?」
俺が本気で困惑していると、黒曜は俺の前に立ち、突然俺の耳に触れた。驚いて固まっていると、
「俺があけてもいいか?」
「な、何を?」
「ピアス」
よく分からないまま俺は頷いた。
「そ、そうだな、自分であけるより経験あるヤツがあけたほうが確実だしな」
「ああ。針を用意しよう」
黒曜がそう言って準備を始めたので、俺はその背中に言った。
「ピアス……ありがとうよ。嬉しい」
黒曜はまた笑ったようだった。
生まれて初めてあけたピアスは、別に大して痛くはなかったが。
テ・アモは言わずとも 4
ウグイス通りのデズモンド・ベーカリー……ここか。女に言われた通りの場所には程なく着いた。特に難しい道のりでもなく、妨害する者もいないので当たり前だ。
デズモンド・ベーカリーの横が件の占いの館ルーレア……。確かに、やっているのかいないのかも分からない小さな建物がある。扉は、俺の身長でも軽く屈まなくてはいけないくらい小さい。俺はノックをしてから中に入った。
「ようこそ」
出迎えたのは、黒いローブ姿の女だった。長い銀髪に紫の目をしている。突然の来客にも驚いた様子もない。
「あなたが来ることは分かっていました」
なるほど、伊達に占い師じゃねえってわけか。
「なら要件も分かってんだろ? 惚れ薬入りのチョコを売ってるのはてめぇだな?」
俺が尋ねると、女――ルーレアは頷く。
「ええ」
「じゃあお縄に付けよ。大人しくついてくるなら手加減するぜ」
ルーレアは少し考えるような仕草をしたあと、
「捕まるのは困りますね……ですが、未来は我が手中に」
ぽつりと呟いた。
それから俺のほうを見て、
「取引をしませんか?」
と、にっこり笑って言った。
聞き耳を持つ気はない。
「大人しくついてくる気はねえってことか?」
「あなたは不安に思っていますね? 恋人が本当に自分を好きなのか」
聞き耳を持つ気はなかった、そのはずなのに、俺はその言葉に反応してしまった。
「……何が言いてえ」
「私は商才はともかく、本業の――占いのほうは自信がありましてね。特に不安や悩みはかなり細かく分かります」
ルーレアは自信たっぷりに続ける。
「どうでしょう? 惚れ薬チョコレート、試してみませんか? 無料で差し上げますよ、あなたが私を見逃してくれるならね」
黒曜と恋仲になってから一ヶ月が過ぎようとしていた。さて、俺は本当に黒曜に好かれているのか? 分からない。なんだか照れくさくて手も繋いでいないし、会話が増えたわけでもない。黒曜のほうも特に意識している様子はなく、依頼が無いときはいつも通りの淡白な表情でひなたぼっこをしている。
ぐつぐつと大鍋の中で煮えるチョコレート。
それを指し示したルーレアが笑う。
テ・アモは言わずとも 3
女はスカートを翻して、星数えの夜会から大通りまでの小道を駆け抜けていく。この小道は砂利も多く走りにくい。慣れた俺のほうが圧倒的に速く、女はすぐさま捕まった。
「は、離して!!」
「逃げたっつーことは、間違いねえな?」
凄んで見せると、女は青くなった顔を逸らして、
「あ、アタシ、牢屋に捕まる?」
と、急にしおらしくなった。
「え? いや……てめぇが売ってたわけではねえんだよな?」
「そ、そうよ! アタシは買っただけ!」
「そうかよ……はっきりとは言えねえが……」
正直、こういうルートで手がかりが見つかると思っていなかったので、買った側がどういった罰を受けるのかは分からない。
だがこれは好機とばかり、俺は適当を言ってみることにした。
「買った側ももしかしたら罪に問われるかもな……惚れ薬は国を挙げて警戒してるからな」
「そ、そんなの困る……!」
「おとなしく協力すりゃ、万が一のとき、協力してくれたって口添えしてやるよ」
「ほ、本当に……?」
実際に俺の口添えがどのくらい効果を発揮するのかは知らない。まあ、別に助けてやると断言したわけじゃないので、嘘にはならないだろう。
「じゃあ……協力する……何を話せばいい?」
「どこであのチョコを買ったのかが知りてえ」
女は大人しく頷いて、
「あれはね、占いの館ルーレアってとこで買ったの」
「占いの館?」
「本当にたまたま……占いの館を通りかかって、そのときアタシ、恋に悩んでて……パーシィさんへのなんだけどね、ウフ……」
そこはどうでもいい。
「恋の相談をしようと思ってそこに入ったの……そしたらルーレアって占い師が全部ビシバシ言い当ててね……本物だ!! って思ったの」
「その占い師が惚れ薬を?」
「うん。惚れ薬入りのチョコが鍋で煮えてて、カップに掬ったチョコに、指をほんの少しだけ切って血を混ぜて……固めて出来上がり」
「血……」
想像してしまった。げんなりした俺に、女は問う。
「なんであれが惚れ薬入りだって分かったの?」
「……半分はカマだ」
俺は素直に伝えた。
「あとは……しっかり包装してあんのに、中が大してデカくもねえチョコ一粒ってのがな……確実にパーシィだけの口に入るように、だろ。あるいは高くてあれだけしか買えなかったか?」
「……」
女は項垂れた。
「……まあ、何でもいい。それより、ルーレアってのの場所を教えろ」
「ウグイス通りを南に……。デズモンド・ベーカリーってパン屋さんの横よ。パン屋さんは看板が出てるから分かると思う。占いの館のほうは暗くて小さい」
「分かった」
俺は女に礼を言い、すぐさまウグイス通りに向かおうとして――女に言った。
「パーシィには名前覚えてもらうとこから始めたほうがいいんじゃねえのか」
「名前?」
「あいつ、てめぇのこと知らねえぞ」
「そ、そうなの!? 自己紹介しなきゃ……!!」
テ・アモは言わずとも 2
星数えの夜会に戻って、娘さんに話を聞いてみるか。娘さんの色恋沙汰は聞かないが、彼女は冒険者宿にいるだけあって情報のセンサーがかなりいい。交友関係も広そうだし、噂話も好きだ。彼女から何か手がかりが得られれば……。
「タンジェ!」
賑わう大通りで聞き慣れた声がした。周囲を見回すと、うずたかく積まれた箱を抱えた誰かがいる。箱で見えないから「誰か」と表現したが、実際のところ、声でパーシィだと分かっていた。
「何やってんだ」
前も見えないほどの箱を抱えている……だけではなく、腕には紙袋を何個も提げていた。パーシィはひょこっと箱の横から顔の半分を出して、
「すまない、運ぶのを手伝ってくれないか?」
「嫌だ。俺は忙しい。じゃあな」
「なんて人でなしなんだ!」
前サナギにも言われたな……。俺は自分が優しいとは思っていないので何も感じないが。
その場を立ち去ろうとすると、パーシィに一人の女が駆け寄っていった。
「パーシィさん!」
「ああ、えっと――」
「この間はありがとうございました!! それでその、お礼で……」
赤い顔をした女は小綺麗に包装された箱を差し出す。おいおい、パーシィが見えてねえのか? どう考えても、差し出された箱を受け取れる状態じゃない。
「ありがとう。受け取りたいんだけど……ああ……そこの赤毛の彼に渡してくれるかな!」
うわっ。のんびり見てるんじゃなかった。
女は訝しげな顔で俺をじろじろ見て、それからパーシィに向き直り、
「パーシィさんが受け取ってくれなくちゃイヤ」
と言い出した。俺はそもそも女嫌いなのでかなり苛立つ。パーシィは両手が既に塞がってんだろうが。
「いやぁ……俺も受け取ってあげたいんだけど……ちょっと重量オーバーかな、はは……あとで必ず、彼から受け取るから」
「イヤ! それじゃアタシからじゃなくてこの男からみたいじゃない!!」
俺は深いため息をついて、パーシィの荷物を少し持ってやった。半分くらい持ったが、箱自体は嵩張るだけで重くはない。甘い香りが箱から漂ってきて、この箱全てがチョコだと察した。全部パーシィ宛だとして……こいつのどこがいいのか、俺にはよく分からない。
半分荷物が減ったことで、パーシィのほうも受け取る余裕ができたようだ。まず先に俺に礼を言ったあと、女に、
「この上に載せてもらえるかい?」
と、箱の上を示した。
女はそれでも直接手で受け取ってほしい、というようなことを言っていたが、パーシィが「それじゃ受け取れないよ」と受け取り拒否しようとすると手のひらを返した。
「パーシィさんが受け取ってくれればそれでいいんです!」
俺はまたため息をついたが、女がそんなことを意に介するはずもない。パーシィの荷物の上に箱を載せると、満足げな顔をした。
「ありがとう。それじゃあ……行こうかタンジェ。持ってもらってすまない」
「いや……重くはないしいいけどよ……てめぇ、来年からはバレンタインに出歩くんじゃねえよ……」
パーシィはキョトンとしたあと、にっこり笑った。
「来年もずっと仲間なのかい? タンジェは異動する気だったって聞いたよ」
「……誰から?」
「娘さんがそう言って心配していた」
娘さんなら察していてもおかしくはないか。
「いや……異動はしねえよ。気が変わったんでな……」
「そうか! それならよかったよ」
そんな会話をしながら歩いていたのだが、さっきパーシィに箱を渡した女がついてきている。
「……なんだよ?」
俺が振り向いて女を睨むと、女は睨み返してきて、
「パーシィさんと親しく話さないで。あんたこそなんなの」
「はぁ?」
心底呆れた。パーシィの荷物を持ってやってるんだろうが。行き先が同じなことくらい分かれよ……。
「まだ何か用かい?」
さすがのパーシィも、俺では相手にならないことを悟ったらしく女に声をかけた。女はパッと顔を明るくして、赤らんだ頬を両手で包みながら、
「あの、あの、アタシがさっき渡したチョコ、食べてほしいなって」
「……」
どう考えても今は無理だろ。パーシィの笑顔も引きつり気味だ。
「……宿に着いたら食べるよ」
「はい! それまで一緒にいますね!」
俺はパーシィに耳打ちした。
「なんだよ、この女? 誰だ?」
「それが、俺も分からなくて……」
分からねえのかよ。
「この間の礼とか言ってたろ? 心当たりもねえのか?」
「人助けは積極的にしているから、心当たりしかないよ。どの件のことだかさっぱり分からないんだ」
これ以上の会話は無駄だ。俺は黙って荷物を運ぶことに集中した。こういうとき、大通りを大きく外れる星数えの夜会の立地が不便に感じる。それを超えて利点が多いので、もちろん俺は、星数えの夜会が好きだ。なので、
「えっ……何ここ、なんか暗いし汚い」
女がそう呟いたときにはさすがにキレそうだった。
今までキレずにいたこと、今もまだかろうじてキレてはいないことを褒めてほしいくらいだ。
パーシィも俺も両手が塞がっているというのに、女は扉を開けてやろうという気もないらしく、値踏みするように星数えの夜会を見上げている。
ノックのしようもなく、仕方なく荷物を一時的に下ろすかと考えていると、偶然中から娘さんが出てきた。
「あっ」
「あらっ」
山のような荷物の俺たちを見て、娘さんはすぐにいろいろと察したらしく、
「モテますね!」
と笑顔になり、扉を開けっ放しのまま支えた。娘さんに礼を言って星数えの夜会の中に入り、食堂の空いているテーブルにようやく荷物を下ろす。
「何? あの女」
女が娘さんを指して言うので、「この宿の娘さんだよ」とパーシィが答えた。
女はしばらく不機嫌そうな顔をしていたが、ふと思い出したように、
「これ! これ私からの! 早く食べてくださいよ」
と、自分が差し出したばかりの箱を拾い上げパーシィに改めて押しつけた。
「あー、分かった、分かったよ。それじゃあいただこうかな……」
苦笑いのパーシィが包装紙を丁寧に破る。ハートの形をした黒みの強いチョコレートが一粒だけ。それほど大きくもない。パーシィがそれを摘まんで口に入れるのを、俺はぼんやり眺めていたが、
――突然、稲妻が身体を駆け抜けたように、閃いた。
「待て!!」
俺は椅子を蹴立てて立ち上がり、パーシィがチョコを口に入れる直前、その腕を掴んで止めた。パーシィがキョトンとして俺を見上げる。俺はそちらを見ず、女のほうを睨んで、
「惚れ薬か?」
単刀直入に尋ねた。
女は赤くなったり青くなったりしていたが、俺がしたのと同じように椅子を蹴立てて立ち上がり、ばっと身を翻して走り出した。星数えの夜会を飛び出していく。
「待ちやがれ!! パーシィ、それ絶対食うんじゃねえぞ!!」
「ええ……」
テ・アモは言わずとも 1
入り口を見張る盗賊ギルドの幹部も、最近は顔パスだ。俺――タンジェリン・タンゴ――がベルベルントに来てから八ヶ月が経とうとしていた。
聖誕祭が終わってこっち、少しずつ落ち着きを取り戻していた街が、またにわかに浮つき始めている。理由は明白、今日はバレンタインだからだ。
俺の故郷エスパルタでは、世話になった女に贈り物をする日だったが、ベルベルントでは少し趣が異なる。女から――別に男からでもいいが――気のある相手にチョコレートなどのプレゼントを贈る日だそうだ。
俺がこの盗賊ギルドに来た理由も、遡ればそのバレンタインに関することなのだが、今は割愛しておく。
俺は奥の個室で相変わらず飲んだくれている師、ブルースに声をかけた。
「ブルース」
「ようタンジェ」
だいたいブルースはいつもテーブルに突っ伏して、酔い潰れて寝たふりをしている。これはヤツなりの処世術らしく、声をかけられるまでは周囲の気配を伺ったり聞き耳を立てたりして決して動かない。名を直接呼ぶものがあれば、こうして顔を上げる。
俺がブルースを訪ねるのは、技術のレクチャーを頼むときか、情報が欲しいときか、あるいは、
「なんか依頼ねぇか」
盗賊ギルドに持ち込まれる依頼について尋ねるときである。
「依頼ねぇ」
ブルースは無精ヒゲをさすった。
盗賊ギルドに持ち込まれる依頼は、大半が「汚い仕事」だ。そうじゃなければ、こんな薄暗く後ろ暗いところに依頼を持ち込む理由がない。ベルベルントにはたくさんの冒険者宿があり、質も料金もピンキリなので、表に出せるなら自分の予算に合った冒険者宿を選べばいい。
表に出せない理由はいくつかある。たとえば、殺しの依頼だ。俺は受けたことがない。というか、ブルースが俺に紹介しない。別に俺に人殺しをさせたくないとかそんな甘い理由じゃなく、単にリスクが大きすぎるからだ。俺が成功しても失敗しても、依頼の出所がブルースだと知れたら何の因縁を付けられるか分かったもんじゃないからな。
ブルースは俺から盗賊ギルドの情報が漏れるという前提で常に仕事を寄越している。つまるところ、俺は信頼されてないってわけだ。
俺自身はブルースのことを別に慕ってもいないので、信頼されていないこと自体はどうでもいい。あくまで仕事の関係だしそこはドライにいきたい。
だが、今日に関してはなるべく割のいい依頼をもらう必要があった。ブルースが口を開く。
「何でもいいか?」
「何でもいい」
即答で頷く。ブルースはテーブルの隅にあったにあった羊皮紙を引き寄せた。
「ちょうど、悪くねえのがあるぜ」
「本当かよ! 詳細を聞かせてくれ」
俺はブルースの向かいに座った。
「今日はバレンタインだろ。それで街が賑わってる」
「ああ……そうだな」
「それで売り買いされるものの中に、惚れ薬が紛れてるってんだ」
「惚れ薬ィ?」
俺は拍子抜けした。ブルースは「おいおい」と俺を嗜める。
「馬鹿にしちゃいけねえよ。今までも惚れ薬なんてのはいくらでもあったが、どれもがキッチリ処分されてんだ。何故か分かるか? 危険だからだよ」
俺が頬杖をついて聞いていると、ブルースは熱弁した。
「考えてもみろ。国の要人なんかを骨抜きにしたら、戦争だっておっ始められる」
「なるほど……まあ、考えてみりゃそうかもしれねえな」
「人心操作に関する研究は規制も厳しいし、だいたい国の管理下よ」
「それなのに、なんで惚れ薬なんざ出回るんだ?」
ブルースが「そりゃ、簡単」と俺に人差し指を突き出した。
「儲かるからよ」
「……まあ、儲かるだろうが」
「で、だ。そういうわけだから国も惚れ薬なんかの規制にはしっかり金をかける。つまり……これは国からの依頼なのさ」
「国から!? 盗賊ギルドに!?」
俺は思わず大声を出した。ブルースは咎めなかったが、突き出した人差し指を口元に持っていって「シー」と言った。
「別に珍しいことじゃねえよ。国から直接盗賊ギルドに下ろされる依頼は割とある。でも、だいたいは後ろ暗い仕事だ……だから表の冒険者宿には出さねえ」
「今回の依頼も後ろ暗いのかよ?」
「国から表立って依頼したら惚れ薬なんかが出回ってるのを公に認めることになるからな。国のイメージダウンだろ」
そういうもんか、と言うと「国はだいたい、表に出したくねえもんは盗賊ギルドに放り込めばいいと思ってるからな」とブルースがぼやいた。
「まあ、金払いは確実だし割もいい。今回のはかなりいい仕事だと思うね」
「で、結局、その惚れ薬とやらを見つけて、売ってるヤツをぶん殴ればいいのか?」
「おっちゃんな、脳筋は盗賊に向いてねえと思うんだ……」
そんなの俺が一番よく分かっている。
「まあ、惚れ薬を見つけるところまでは合ってる。そしたら作ってるヤツを何としてでも捕縛しろ。で、国に引き渡す」
「なるほどな……」
盗賊というのは、だいたいそこまで対人戦闘が得意じゃない。だからこんないい依頼が売れ残っているのだ。暗殺術には長けていても、取っ組み合いになったら力負けする盗賊は多いだろう――その点で言えば、馬鹿力が売りの俺に向いている仕事と言える。暴れる人間を取り押さえるのは得意分野だ。
「分かった。受けるぜ」
「よし。じゃあ事前情報だが、まず……惚れ薬は、どうやらチョコレートに紛れているらしい」
「チョコを売ってるところを片っ端から見ていくしかねえか……」
「足を使うのも盗賊の仕事だぜ。ましてや冒険者なんだから情報収集は得意だろ」
本来、冒険者パーティにおける盗賊というのは情報収集の担い手でもある。ところが俺は別に適性があって盗賊になったわけではないので、情報収集ものみならず交渉など口を使う仕事は不得手だった。
しかし師にそう言われてしまったら仕方がない。それに依頼は受けると言った、やるしかないのだ。
「そもそも、惚れ薬が出回ってるなんてどう判明したんだよ?」
「噂だよ、若い子たちの。どっかに惚れ薬入りのチョコが売ってるってな」
「噂で動いてんのか、国」
「噂でも無視できないんだよ、国」
だから盗賊ギルドに依頼下ろしてんの、と言われれば、それもそうかという気もしてくる。
つまり、チョコを買っている若い奴らから話を聞けば噂の手がかりもあるか。
俺は立ち上がった。
「よろしく頼むぜ、タンジェ。捕縛したら一度盗賊ギルドに連れてきな。俺から国に引き渡してやる」
「分かった」
俺が立ち去ろうとすると、話だけして何も注文しなかったことが気に食わないのか、カウンターのバーテンがジトリとこちらを見ている。盗賊ギルドもボランティアで成り立っているわけではない。とはいえ、俺の拠点はここではないので、ここが万が一潰れても俺はさほど困らないのだが……今後も盗賊役として長い付き合いになるだろう。ここを拠点としているヤツらに悪印象を持たれるとやりづらい。
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