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- 2024.02.13
テ・アモは言わずとも 4
- 2024.02.13
テ・アモは言わずとも 3
- 2024.02.13
テ・アモは言わずとも 2
- 2024.02.13
テ・アモは言わずとも 1
テ・アモは言わずとも 4
星数えの夜会に戻ると、相変わらずパーシィは山積みの箱の前に座っていた。
「おかえりタンジェ。あの少女は?」
「あ? ……知らねえ。こっちが聞きてえよ。ここには戻らなかったのか?」
いや、一度戻ってきて、すぐ帰ったよ、とパーシィは言った。
「戻ってきたのも、チョコを回収しに来たって感じだったけど……なんだったんだ? 彼女」
そうか、あの女はパーシィにチョコを食わせるのは諦めたか。冷静に考えてみて、自分の身のほうが可愛かったというわけだ。
「それに、あのチョコ、タンジェは惚れ薬かと聞いていたよな」
「あ? ああ……」
タンジェは生返事をした。パーシィがタンジェの手にある小箱に気付き「それは?」と話を変える。
「て、てめぇには関係ねえ。それより黒曜は?」
「黒曜なら……」
パーシィが言いかけたところで、階段から黒曜が降りてきた。今日1日は部屋でのんびりしていたのかもしれない。
タンジェは黒曜に駆け寄り、肩を掴んで反対方向――今降りてきたばかりの階段のほう――を向かせ、背中を押して階段を上らせた。
「タンジェ? なんだ?」
「いいから! 部屋行くぞ!」
階段を上りきり、無理やりタンジェの部屋に押し込もうとすると、黒曜はぴたりと立ち止まり、
「俺の部屋でもいいか?」
と尋ねた。
「なんッ……いや、ま、まあいいが? 行ってやっても?」
動揺して上から目線になってしまった。
あくまで訓練等の目的がある以外で――要するに私用で――黒曜に部屋に誘われたのは初めてだ。もっとも、タンジェは人目を避けようとしただけで他意はない。タンジェは黒曜と共に彼の部屋へ入った。
「俺に何か用だったか」
黒曜が尋ねながらタンジェに椅子を勧める。無視したわけではないのだが、タンジェは突っ立ったまま、少し悩み……思い切って手に持っていた包みを黒曜に差し出した。
「? 俺に?」
黒曜は不思議そうな顔をしたが、タンジェが頷くと素直に受け取ってくれた。
さっそく包みを開ける黒曜。
中には、ピアスが入っている。
上品な金色をしたシンプルなものだ。高かった。これを買うのに、タンジェは何としても今日、仕事をこなして金を作りたかったのだ。
惚れ薬なんざ要らないし、そもそも最初からタンジェの頭にはルーレアをとっ捕まえてブルースに引き渡すことしかなかった。
ルーレアはあのあとそこそこ抵抗したが、たかが占い師の女がタンジェに勝てるわけもない。簡単に組み伏せて盗賊ギルドへ連行した。
黒曜に好かれているか好かれていないか、そんな悩みはタンジェが黒曜を好きなこととは関係がない。好かれてないとしたら、タンジェにはそれだけの魅力がないというだけだ。逆を言えば、好いてほしいならタンジェが好かれるだけの男になればいいのである。
そのために、というと即物的すぎるが、タンジェのほうはそちらが好きだ、というアピールをしようと考えた。そのためにこのバレンタイン時期に合わせてピアスを買ったのだ。
何かアクセサリーを贈りたいと思ったときに、黒曜がしている飾りといえばピアスしか思いつかなかった。
黒曜の好みはよく分からないので――恋人なのによ!――とりあえず無難に、今つけているものと似通ったデザインにした。同じようなデザインのアクセサリーが2個あっても意味がないのではと気付いたのは買ったあとのことで、もともと華美を好まないタンジェにそこまで気は回らなかったのである。
さて、黒曜の反応はと言えば、まず無表情でピアスを見下ろしていたが、やがて、ふ、と口元が緩んで「ありがとう」と言った。
タンジェはそれだけで満足した。
「よ、用はそれだけだ。じゃあな」
満足と同時に照れが来て、急いで立ち去ろうとしたが、腕を黒曜に掴まれる。
「おわ! な、何だよ!?」
黒曜はタンジェのことを留めておいて、机の上に置いてあった包みを拾い上げ差し出した。
「俺からも……受け取ってほしい」
タンジェとはまるで正反対に、黒曜は照れた様子がない。タンジェは黒曜の手の包みと黒曜の顔面を何度か見比べて、ようやくその包みを受け取った。
恐る恐る開けてみると、こちらもピアスだった。丸くて小さな朱色のピアス。
「タンジェリンクオーツという石だそうだ」
嬉しさと照れと困惑がないまぜになりタンジェはしばらく「お、おう」とか「同じ名前だな」とか言っていたが、ふと気付いて、
「ピアスあけねえとな……」
と呟いた。さっきも言ったが、華美を好まない性質だ。今までピアスを着けると考えたことすらなかった。それでもさすがのタンジェでも、ピアスを着けるのには穴が要ることくらいは知っている。
ふふ、と息が漏れるような微かな笑い声が聞こえたので、顔を上げると、黒曜が小さく笑っている。
「な、何だよ?」
「あけてくれるのか。ピアス」
「そりゃ、好きなヤツにもらったら着けるだろ?」
大真面目に言った。アクセサリーをもらって着けない選択肢があるのかとタンジェが難しい顔をしていると、黒曜はタンジェに2歩ばかり急接近し、不意にタンジェの耳に触れた。思わず固まる。
「俺があけてもいいか?」
「な、何を?」
「ピアス」
状況が呑み込めないままタンジェは浅く何度か頷いた。
「そ、そうだな、自分であけるより経験あるヤツがあけたほうが確実だしな」
「ああ。針を用意しよう」
黒曜がそう言って準備を始める。しばしぼんやり眺めていたが、ふと、大事なことを言っていなかったことに気付いた。タンジェは黒曜の背中に言った。
「ありがとな。大事にするからよ」
黒曜はまた笑ったようだった。
生まれて初めてあけたピアスは、別に大して痛くはなかったが。
痛みよりもはるかに、幸せは長く続きそうだ。
テ・アモは言わずとも 3
女はスカートを翻して、星数えの夜会から大通りまでの小道を駆け抜けていく。この小道は砂利も多く走りにくい。慣れたタンジェのほうが圧倒的に速く、女はすぐさま捕まった。
「は、離して!!」
「逃げたっつーことは、間違いねえな?」
凄んでみせると、女は青くなった顔を歪めて、
「あ、アタシ、牢屋に捕まる?」
と、急にしおらしくなった。惚れ薬の違法性を知っているのだ。
「……てめぇが売ってたわけではねえんだよな?」
「そ、そうよ! アタシは買っただけ!」
「そうかよ……はっきりとは言えねえが……」
正直、こういうルートで手がかりが見つかると思っていなかったので、買った側がどういった罰を受けるのかは分からない。
だがこれは好機とばかり、タンジェは付け焼刃の知識で適当を言ってみることにした。
「買った側ももしかしたら罪に問われるかもな……惚れ薬は国を挙げて警戒してるからな」
「そ、そんなの困る……!」
「おとなしく協力すりゃ、万が一のとき、協力してくれたって口添えしてやるよ」
「ほ、本当に……?」
助けてやると断言したわけではないので、嘘にはならないだろう。実際のところ、タンジェなんかの口添えがどのくらい効果を発揮するのかは知らない。タンジェはその手の駆け引きは苦手だし、今だってなんとかうまく口が回ったものの、この女じゃなきゃ効果がなかったかもしれない程度のハッタリだ。
「じゃあ……協力する……何を話せばいい?」
「どこであのチョコを買ったのかが知りてえ」
女は大人しく頷いて、
「あれはね、占いの館ルーレアってとこで買ったの」
「占いの館?」
「本当にたまたま……占いの館を通りかかって、そのときアタシ、恋に悩んでて……パーシィさんへのなんだけどね、えへ……」
そこはどうでもいい。
「恋の相談をしようと思ってそこに入ったの……そしたらルーレアって占い師が全部ビシバシ言い当ててね……本物だ!! って思ったの」
「その占い師が惚れ薬を?」
「うん。惚れ薬入りのチョコが鍋で煮えてて、カップに掬ったチョコに、指をほんの少しだけ切って血を混ぜて……固めてできあがり!」
「血……」
想像してしまった。げんなりしたタンジェに、女は問う。
「なんであれが惚れ薬入りだって分かったの?」
はっきり言って、ほとんど勘だ。だが一応、眺めていて何となく閃いたことを素直に告げた。
「しっかり包装してあんのに、中が大してデカくもねえチョコ1粒ってのがな……確実にパーシィ"だけ”の口に入るようにじゃねえのか。あるいは高くてあれだけしか買えなかったか?」
「……」
女は項垂れた。
「……まあ、何でもいい。それより、ルーレアってのの場所を教えろ」
「ウグイス通りを南に……。デズモンド・ベーカリーってパン屋さんの横よ。パン屋さんは看板が出てるから分かると思う。占いの館のほうは暗くて小さい」
「分かった」
この女の身元の確認は……、どうでもいいか。面倒だし、ルーレアとやらが捕まりさえすればタンジェの仕事は達成できる。タンジェはウグイス通りへと急いだ。
★・・・・
ウグイス通りのデズモンド・ベーカリーはすぐに見つかった。街中のことなので、きちんと確認しながら探せば見つかって当然である。
デズモンド・ベーカリーの横が件の占いの館ルーレア……。確かに、やっているのかいないのかも分からない小さな建物がある。扉は、さほど高くないタンジェの身長でも軽く屈まなくてはいけないくらい小さい。タンジェはノックをしてから中に入った。
「ようこそ」
出迎えたのは、黒いローブ姿の女だった。長い銀髪に紫の目をしている。突然の来客にも驚いた様子もない。
「あなたが来ることは分かっていました」
なるほど、伊達に占い師ではないというわけか。
「なら要件も分かってんだろ? 惚れ薬入りのチョコを売ってるのはてめぇだな?」
俺が尋ねると、女――ルーレアは頷く。
「ええ」
「じゃあお縄に付けよ。大人しくついてくるなら手加減するぜ」
ルーレアは少し考えるような仕草をしたあと、
「捕まるのは困りますね……」
ぽつりと呟いた。それからタンジェのほうを見て、
「取引をしませんか?」
と、にっこり笑って言った。聞き耳を持つ気はない。
「大人しくついてくる気はねえってことか?」
「あなたは不安に思っていますね? 恋人が本当に自分を好きなのか」
聞き耳を持つ気はなかった、のだが。タンジェはその言葉にぴくりと眉を上げた。
「……何が言いてえ」
「私は商才はともかく、本業の――占いのほうは自信がありましてね。特に不安や悩みはかなり細かく分かります」
ルーレアは自信たっぷりに続ける。
「どうでしょう? 惚れ薬チョコレート、試してみませんか? 無料で差し上げますよ、あなたが私を見逃してくれるならね」
黒曜と恋仲になってから1ヶ月が過ぎようとしていた。さて、タンジェは本当に黒曜に好かれているのか? 分からない。なんだか照れくさくて手も繋いでいないし、会話が増えたわけでもない。黒曜のほうも特に意識している様子はなく、依頼がないときはいつも通りの淡白な表情でひなたぼっこをしている。
ぐつぐつと大鍋の中で煮えるチョコレート。
それを指し示したルーレアが笑う。
「素っ気ない恋人に、愛を伝えてもらいたいと思いませんか?」
テ・アモは言わずとも 2
星数えの夜会に戻って、娘さんに話を聞いてみることにする。娘さんの色恋沙汰は聞かないが、彼女は冒険者宿にいるだけあって情報のセンサーがかなりいい。交友関係も広そうだし、噂話も好きだ。彼女から何か手がかりが得られれば……。
「タンジェ!」
賑わう大通りで聞き慣れた声がした。周囲を見回すと、うずたかく積まれた箱を抱えた誰かがいる。箱で見えないから「誰か」と表現したが、実際のところ、声でパーシィだと分かっていた。
「何やってんだ」
前も見えないほどの箱を抱えている……だけではなく、腕には紙袋を何個も提げていた。パーシィはひょこっと箱の横から顔の半分を出して、
「すまない、運ぶのを手伝ってくれないか?」
「嫌だ。俺は忙しい。じゃあな」
「なんて人でなしなんだ!」
前サナギにも言われたような記憶がある。元よりタンジェは自分を優しいとは思っていない。
その場を立ち去ろうとすると、パーシィに1人の女が駆け寄っていった。
「パーシィさん!」
「ああ、えっと――」
「この間はありがとうございました!! それでその、お礼で……」
赤い顔をした女は小綺麗に包装された箱を差し出す。パーシィが見えていないのだろうか? どう考えても、差し出された箱を受け取れる状態ではない。
「ありがとう。受け取りたいんだけど……ああ……そこの赤毛の彼に渡してくれるかな!」
うわ、とタンジェは顔を歪めた。のんびり見てるんじゃなかった。
女は訝しげな顔でタンジェをじろじろ見て、それからパーシィに向き直り、
「パーシィさんが受け取ってくれなくちゃイヤ」
と言い出した。タンジェはもうすでにこの女のことが嫌いなのだが、女嫌いの気性に起因するというより、状況が見えておらずただ自分だけがよければいいという性根が気にくわない。パーシィは両手が既に塞がっているのだ。
「いやぁ……俺も受け取ってあげたいんだけど……ちょっと重量オーバーかな、はは……あとで必ず、彼から受け取るから」
「イヤ! それじゃアタシからじゃなくてこの男からみたいじゃない!!」
タンジェは深いため息をついて、パーシィの荷物を少し持ってやった。半分くらい持ったが、箱自体は嵩張るだけで重くはない。甘い香りが箱から漂ってきて、この箱全てがチョコだと察した。顔は確かに美形だし、一見、人当たりもいいのだが、パーシィとの付き合いが多少ともあれば、まずもって惚れられるような人格者ではないと分かる。彼のどこがいいのか、タンジェにはよく分からない。
半分荷物が減ったことで、パーシィのほうも受け取る余裕ができたようだ。まず先に俺に礼を言ったあと、女に、
「この上に載せてもらえるかい?」
と、箱の上を示した。
女はそれでも直接手で受け取ってほしい、というようなことを言っていたが、パーシィが「それじゃ受け取れないよ」と受け取り拒否しようとすると手のひらを返した。
「パーシィさんが受け取ってくれればそれでいいんです!」
タンジェはまたため息をついたが、この女がタンジェの一挙一動を意に介するはずもないことはもうすでに分かる。パーシィの荷物の上に箱を載せると、満足げな顔をした。
「ありがとう。それじゃあ……行こうかタンジェ。持ってもらってすまない」
「いや……重くはないしいいけどよ……てめぇ、来年からはバレンタインに出歩くんじゃねえよ……」
パーシィはキョトンとしたあと、にっこり笑った。
「来年もずっと仲間なのかい? タンジェは異動する気だったって聞いたよ」
「……誰から?」
「娘さんがそう言って心配していた」
娘さんなら察していてもおかしくはないか。
「いや……異動はしねえよ。気が変わったんでな……」
「そうか! それならよかったよ」
そんな会話をしながら歩いていたのだが、さっきパーシィに箱を渡した女がついてきている。
「……なんだよ?」
タンジェが振り向いて女を睨むと、女は睨み返してきて、
「その顔面でよくパーシィさんと親しく話せるわよね。あんたこそなんなの」
「はあ?」
心底呆れた。顔面に関してはどうでもいい話なので別に何とも思わないが、パーシィの荷物を持ってやっているのだから、行き先は同じで当たり前だ。
「まだ何か用かい?」
さすがのパーシィもタンジェでは相手にならないことを悟ったらしく女に声をかけた。女はパッと顔を明るくして、赤らんだ頬を両手で包みながら、
「あの、あの、アタシがさっき渡したチョコ、食べてほしいなって」
「……」
どう考えても今は無理だ。パーシィの笑顔も引きつり気味である。
「……宿に着いたら食べるよ」
「はい! それまで一緒にいますね!」
タンジェはパーシィに耳打ちした。
「なんだよ、この女? 誰だ?」
「それが、俺も分からなくて……」
「この間の礼とか言ってたろ? 心当たりもねえのか?」
「人助けは積極的にしているから、心当たりしかないよ。どの件のことだかさっぱり分からないんだ」
これ以上の会話は無駄だと悟り、タンジェは黙って荷物を運ぶことに集中した。こういうとき、大通りを大きく外れる星数えの夜会の立地が不便に感じる。それを超えて利点が多いので、もちろんタンジェは、星数えの夜会が好きだ。なので、
「えっ……何ここ、なんか暗いし汚い」
女がそう呟いたときにはさすがにキレそうだった。今までキレずにいたこと、今もまだかろうじてキレてはいないことを褒めてほしいくらいである。
パーシィもタンジェも両手が塞がっているというのに、女は扉を開けてやろうという気もないらしく、値踏みするように星数えの夜会をじろじろと見上げている。
ノックのしようもなく、仕方なく荷物を一時的に下ろすかと考えていると、偶然中から娘さんが出てきた。
「あっ」
「あらっ」
山のような荷物のタンジェたちを見て、娘さんはすぐにいろいろと察したらしく、
「モテますね!」
と笑顔になり、扉を開けっ放しのまま支えた。娘さんに礼を言って星数えの夜会の中に入り、食堂の空いているテーブルにようやく荷物を下ろす。
「何? あの女」
女が娘さんを指して言うので、「この宿の娘さんだよ」とパーシィが答えた。
ふうん、と女はしばらく不機嫌そうな顔をしていたが、ふと思い出したように、
「これ! これ私からの! 早く食べてくださいよ」
と、自分が差し出したばかりの箱を拾い上げパーシィに改めて押しつけた。
「あー、分かった、分かったよ。それじゃあいただこうかな……」
苦笑いのパーシィが包装紙を丁寧に破る。ハートの形をした黒みの強いチョコレートが1粒だけ。それほど大きくもない。パーシィがそれを摘まんで口に入れるのを、タンジェはぼんやり眺めていたが、
――突然、稲妻が身体を駆け抜けたように、閃いた。
「待て!!」
タンジェは椅子を蹴立てて立ち上がり、パーシィがチョコを口に入れる直前、その腕を掴んで止めた。パーシィがきょとんとしてタンジェを見上げる。そちらを見ず、女のほうを睨んで、
「惚れ薬か?」
単刀直入に尋ねた。
女は赤くなったり青くなったりしていたが、タンジェがしたのと同じように椅子を蹴立てて立ち上がり、ばっと身を翻して走り出した。星数えの夜会を飛び出していく。
「待ちやがれ!! パーシィ、それ絶対食うんじゃねえぞ!!」
「ええ……」
困惑するパーシィを置き去りにして、タンジェは女を追って駆け出した。
テ・アモは言わずとも 1
入り口を見張る盗賊ギルドの幹部も、最近は顔パスだ。タンジェがベルベルントに来てから8ヶ月が経とうとしていた。
聖誕祭が終わってこっち、少しずつ落ち着きを取り戻していた街が、またにわかに浮つき始めている。理由は明白、バレンタインが近いからだ。
故郷エスパルタでは世話になった女に贈り物をする日だったが、ベルベルントでは少し趣が異なる。女から――別に男からでもいいが――気のある相手にチョコレートなどのプレゼントを贈る日だそうだ。
タンジェがこの盗賊ギルドに来た理由も、遡ればそのバレンタインに関することなのだが、今は割愛しておく。
奥の個室で相変わらず飲んだくれている師、ブルースに声をかけた。
「ブルース」
「ようタンジェ」
だいたいブルースはいつもテーブルに突っ伏して、酔い潰れて寝たふりをしている。これはヤツなりの処世術らしく、声をかけられるまでは周囲の気配を伺ったり聞き耳を立てたりして決して動かない。名を直接呼ぶものがあれば、こうして顔を上げる。
タンジェがブルースを訪ねるのは、技術のレクチャーを頼むときか、情報が欲しいときか、あるいは、
「なんか仕事ねぇか」
盗賊ギルドでできる仕事について尋ねるときである。
「仕事ねぇ」
ブルースは無精ヒゲをさすった。
少し前までは、タンジェがブルースからもらえる仕事なんて、盗賊ギルド運営に際して発生する買い出しや掃除といった雑事ばかりだった。盗賊ギルドに持ち込まれる仕事は大半が「汚い仕事」だ。そうでなければこんな薄暗く後ろ暗いところに依頼を持ち込む理由がない。ベルベルントにはたくさんの冒険者宿があり、質も料金もピンキリなので、表に出せるなら自分の予算に合った冒険者宿を選べばいい。
表に出せない理由はいくつかある。たとえば、殺しだ。タンジェは受けたことがない。というか、ブルースがタンジェに紹介しない。これは今もだ。別に"人殺しをさせたくない"とかそんな甘い理由じゃなく、単にタンジェの腕が信用されていないためである。
それでもようやく、タンジェでもできる簡単な仕事は回してもらえるようになっていて、たとえば荷運びの手伝い、金庫の警備、"縄張り"の見回りなどをごくたまに引き受けている。今日もなるべく割のいい仕事をもらいたかった。ブルースが口を開く。
「何でもいいか?」
「何でもいい」
即答で頷く。ブルースはテーブルの隅にあったにあった羊皮紙を引き寄せた。
「ちょうど、悪くねえのがあるぜ」
「本当かよ! 詳細を聞かせてくれ」
タンジェはブルースの向かいに座った。
「今の時期はバレンタインだろ。それで街が賑わってる」
「ああ……そうだな」
「それで売り買いされるものの中に、惚れ薬が紛れてるってんだ」
「惚れ薬ィ?」
拍子抜けした。ブルースは「おいおい」とタンジェを嗜める。
「馬鹿にしちゃいけねえよ。今までも惚れ薬なんてのはいくらでもあったが、どれもがキッチリ処分されてんだ。何故か分かるか? 危険だからだよ」
ブルースは熱弁した。
「考えてもみろ。国の要人なんかを骨抜きにしたら、戦争だっておっ始められる」
「なるほど……まあ、考えてみりゃそうかもしれねえな」
「人心操作に関する研究は規制も厳しいし、だいたい国の管理下よ」
「それなのに、なんで惚れ薬なんざ出回るんだ?」
ブルースが「そりゃ、簡単」と人差し指を突き出した。
「儲かるからよ」
「……まあ、儲かるだろうが」
「で、だ。そういうわけだから国も惚れ薬なんかの規制にはしっかり金をかける。つまり……これは国からの依頼なのさ」
「国から!? 盗賊ギルドに!?」
タンジェは思わず大声を出した。ブルースは咎めなかったが、突き出した人差し指を口元に持っていって「シー」と言った。
「別に珍しいことじゃねえよ。国から直接盗賊ギルドに下ろされる依頼は割とある。でも、だいたいは後ろ暗い仕事だ……だから表の冒険者宿には出さねえ」
「今回の依頼も後ろ暗いのかよ?」
「国から表立って依頼したら惚れ薬なんかが出回ってるのを公に認めることになるからな。国のイメージダウンだろ」
そういうもんか、と言うと「国はだいたい、表に出したくねえもんは盗賊ギルドに放り込めばいいと思ってるからな」とブルースがぼやいた。
「まあ、金払いは確実だし割もいい。今回のはかなりいい仕事だと思うね」
「で、結局、その惚れ薬とやらを見つけて、売ってるヤツをぶん殴ればいいのか?」
「おっちゃんな、脳筋は盗賊に向いてねえと思うんだ……」
そんなのタンジェが一番よく分かっている。
「まあ、惚れ薬を見つけるところまでは合ってる。そしたら作ってるヤツを何としてでも捕縛しろ。で、国に引き渡す」
「なるほどな……」
盗賊というのは、だいたいそこまで対人戦闘が得意ではない。だからこんないい依頼が残っているのだ。暗殺術には長けていても、取っ組み合いになったら力負けする盗賊は多いだろう――その点で言えば、馬鹿力が売りのタンジェに向いている仕事と言える。暴れる人間を取り押さえるのは得意分野だ。
「分かった。受けるぜ」
「よし。じゃあ事前情報だが、まず……惚れ薬は、どうやらチョコレートに紛れているらしい」
「チョコを売ってるところを片っ端から見ていくしかねえか……」
「足を使うのも盗賊の仕事だぜ。ましてや冒険者なんだから情報収集は得意だろ」
本来、冒険者パーティにおける盗賊役というのは情報収集の担い手でもある。ところがタンジェは別に適性があって盗賊になったわけではないので、情報収集ものみならず交渉など口を使う仕事は基本的に不得手だった。
しかし師にそう言われてしまったら仕方がない。それに依頼は受けると言った、やるしかない。
「そもそも、惚れ薬が出回ってるなんてどう判明したんだよ?」
「噂だよ、若い子たちの。どっかに惚れ薬入りのチョコが売ってるってな」
「噂で動いてんのか、国」
「噂でも無視できないんだよ、国」
だから盗賊ギルドに依頼下ろしてんの、と言われれば、それもそうかという気もしてくる。
つまり、チョコを買っている若い奴らから話を聞けば噂の手がかりもあるか。タンジェは立ち上がった。
「よろしく頼むぜ、タンジェ。捕縛したら一度盗賊ギルドに連れてきな。俺から国に引き渡してやる」
「分かった」
立ち去ろうとすると、話だけして何も注文しなかったことが気に食わないのか、カウンターのバーテンがジトリとこちらを見ている。盗賊ギルドもボランティアで成り立っているわけではない。とはいえ、タンジェの拠点はここではないので、ここが万が一潰れてもさほど困りはしないのだが……今後も盗賊役として長い付き合いになるだろう。ここを拠点としているヤツらに悪印象を持たれるとやりづらい。
仕方なく「ブルースに」と告げて安酒を一杯注文した。
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