- 2024.08.09
ニセパーシエル騒動 7
- 2024.08.09
ニセパーシエル騒動 6
- 2024.08.09
ニセパーシエル騒動 5
- 2024.08.09
ニセパーシエル騒動 4
- 2024.08.09
ニセパーシエル騒動 3
ニセパーシエル騒動 7
天使パーシエルが消えたことは、まだソレルの町では知られていない様子だった。これから結婚式の準備を進めるにつれ、行方をくらましたことが知れて、大騒ぎになるだろう。そのパニックに付き合う義理はない。黒曜一行は知らん顔のまま予定通り昼の馬車に乗った。
しばらく結婚詐欺師パーシエルの噂は流れるかもしれない。だが、その悪評は、天界から堕ちたパーシィを飢えさせうるものではない。
今ここにいる堕天使パーシィは、そういう意味では、何も変わらない。
「タンジェにお礼を言わなくちゃいけないな」
馬車の中でパーシィがぽつりと呟く。面倒に思い、「いらねえよ」と言ったが、無視してパーシィはタンジェに頭を下げた。
「ありがとう」
この調査は――アルフとの邂逅は、パーシィにとってどんな意味があったのだろうか。言ってしまえば罪を糾弾され、二度と許しが得られないと知れただけの出来事だ。
だがパーシィにナイフは突き立てられなかった。
パーシィはアルフの感情をどう受け止めたのだろう? 知りたくないわけではなかったが、聞くのはやめた。パーシィが自ら語らないのなら、タンジェに礼を言った、それがすべてだ。
タンジェは復讐に対して肯定も否定もしたくはない。善いとか悪いとかで判断したくも、されたくもない。
加害者を許せ、とも言わない。タンジェはオーガ共を許せたわけじゃないし、アルフだってパーシィを許すことはないはずだ。
ただ、すべての罪人がその罪に向き合うばかりではない。性根の腐った極悪人も、逃げ続ける臆病者もいる。
その中で、いろいろな感情や出来事にもみくちゃにされながら必死に前に進もうとするやつらくらい、互いに、法に、あるいは神に許されなくても、少しでも救われはしないかと、タンジェは思うのだ。
ニセパーシエル騒動 6
けれどもナイフがパーシィに辿り着く前に、アルフの腕はアノニムの片手で抑えつけられていた。アノニムからすればあんな突進など止まって見えただろう。一同にとって素人のアルフ1人の制圧は容易い。
「アノニム、彼の怒りは正当だ」
パーシィは言った。
「刺されてやろうと思う」
アルフの顔がみるみる真っ赤になった。
「お前は傲慢なんだよ!! 今も昔も……!! 『刺されてやろうと思う』!? ふざけるな!! 馬鹿にするなーっ!!」
アルフはアノニムの拘束から逃れようと暴れたが、一般人がアノニムに万に一つも敵うわけがない。
アノニムは掴んでいたアルフをそのまま組み伏せ、地面に叩きつける。それから倒れたアルフに馬乗りになり、その首に手をかけた。
「アノニム!!」
パーシィが名を呼ぶが、アノニムは無視した。アルフが震えた声で叫ぶ。
「ぼ、僕を殺すのか? パーシエルの仲間も所詮は邪悪だ!! 最低だ!! クズ共め!!」
「大事なもののために武器を取る。てめぇにその覚悟があるなら、こうされる覚悟もあったんだろうが?」
アノニムに怒りも憐憫もない。
「てめぇが復讐でパーシィを刺すのは構わねえ。だが、それならその復讐で俺はてめぇを殺す。だったら先にてめぇを殺しても同じだ」
アルフの表情が徐々に怯えに変わる。アノニムが本気なことが分かったのだろう。アルフの目算は正しい。アノニムは躊躇いなくそうする。
それでもタンジェにとって、口を挟まねば納得できない部分は、確かにあった。
「それはてめぇらの理屈だろうが。大事な人を食い殺されて、相手が天使だから、はいそうですかってわけにはいかねえだろ!」
「赤毛のお前は話が分かるか!!」
アノニムの下からアルフが叫んだ。
「この男を止めてくれ!! パーシエルには断罪が必要だ!!」
「うるせぇ! てめぇ、自分が詐欺師だってこと忘れんなよ!」
怒鳴り返すと、アルフは「お、お前、僕の味方じゃないのか!?」と驚愕した。
「ああ!? なんで俺がてめぇの味方なんざしなくちゃならねえんだよ!」
アルフは目を白黒させている。アルフの復讐心は真っ当だと思うし、境遇に同情できる部分はあるが、アルフのことを守ってやるつもりはタンジェにはいっさいない。ただ、タンジェはパーシィとアノニム、そしてアルフの双方の言い分を聞いた上で、とにかく納得ができないだけだ。
アルフは「で、でもだって詐欺は……パーシエルへの復讐には必要だったから……」とか何とか言い訳している。タンジェは無視し、パーシィに声をかけた。
「パーシィ、刺される覚悟はあるんだな?」
「あ、ああ……もちろんだ」
パーシィは頷いた。タンジェは殴られたきりずっと地面に倒れ込んでいたパーシィに手を貸し、立たせた。
「よし、アノニム、どきやがれ」
「ああ?」
「アルフに刺させようぜ」
「それをされたら俺はこいつを殺すが?」
「ああ。そうしたら殺しちまえ」
アノニムは眉を上げ、珍しく訝しそうにタンジェを見た。だがゆっくりアルフから退く。たぶん、今までだったらアノニムがタンジェの言うことに応じ、殺すべき目標からみすみす離れるなんてことはなかっただろう。アノニムからのある程度の信頼を得られるようにはなった、ということか。
それはともかく。タンジェはアルフも立たせて、ナイフを構えさせた。
「思う存分刺せ!」
アルフの背中を叩いて鼓舞する。アルフは戸惑った顔をしていたが、パーシィに向かい、そしていよいよナイフを腹に突き立てようとして、だがアルフは、そこで止まった。
「……」
「……」
数秒の沈黙。焦れたらしいパーシィがナイフの刃を掴み、
「刺すんだ」
パーシィの手袋越しにナイフが指を切っている。みるみるうちに白手袋が血で染まっていくのを見て、アルフは顔色を悪くした。
タンジェには分かっていた。
刺せないだろう、と。
アノニムやパーシィ、黒曜、緑玉、それにたぶんサナギが容易にそうできるようには、普通に育った普通の人間は、人を殺せない。
もちろん、カッとなって咄嗟に人を殺す人間はいくらでもいる。感情的にナイフを振り回し、容易に加害はできる。アルフがさっきパーシィに突っ込んでいったとき、あのときなら、アノニムに阻まれさえしなければ、アルフはたぶん、パーシィにナイフを突き立てることができた。
だがいざ冷静になって、さぁどうぞという相手にナイフを刺せるか、となったとき、そう簡単には刺せるものではないはずだ。だってアルフは、決して快楽殺人鬼ではない。
「……刺せねえよな」
タンジェは言った。
「さ、刺せるさ……!! 僕には覚悟があるんだ!!」
「だったらそもそもパーシエルの名前で結婚詐欺なんかしねえで、強盗殺人とかやってんだよ。パーシエルの名前に泥を塗るのも目的だったんだろ?」
「そ……それは……」
アルフに覚悟がないとは言わない。ただ、アルフの覚悟はきっと、アルフ自身の殺人を容易く許可しない。彼は結婚詐欺に躊躇いのないクソ野郎ではあるが、恋人を殺されて嘆き悲しみ、再び大事な人を失うことを恐れる、ごく臆病な"普通の人"なのだ。
だからこそアルフは結婚詐欺なんて方法で復讐をしようと――自分は復讐をしていると、思い込みたかったのだ。
「悔しいよな」
気付けば、声になっていた。
「自分はなんで殺せねえのか、正当性だって、覚悟だってあるつもりなのによ……」
タンジェを見たアルフの顔は、ほとんど泣きそうになっていた。タンジェはパーシィにナイフを放すように声をかけた。
「……」
パーシィはまっすぐにアルフを見ていたが、タンジェのほうを見ているアルフとは視線が合わない。やがて目を伏せて、ナイフをゆっくりと手放した。
自由になったナイフを持ったまま、アルフは2、3歩、よろけるように後退した。
「なんで刺せないんだ……! 僕の覚悟は、そんなに生半可なものだったのか……!?」
「別にてめぇの覚悟をどうこう言うつもりはねえよ。だがパーシィを刺せないなら、ああ、"その程度"だ」
タンジェは無慈悲に言い切り、
「だが、てめぇには救いがある。パーシィはすでに罰を受けてるってことだ。てめぇがその生半可な覚悟でもって、無理やり断罪なんざしなくてもな……とっくにこいつは、たぶん、後悔をしてる。こいつに後悔を気付かせた誰かがいて、その誰かはこいつが復讐されることは望んじゃいねえ」
もちろん、そんなことはタンジェの想像だ。続けた。
「そんなことでてめぇの婚約者が戻るわけじゃねえ。だから復讐をやめろと言うつもりもねえ。だが、パーシエルなんて天使はもうどこにもいやしねぇんだ。そもそもてめぇは復讐には向いてねえよ」
タンジェにはパーシィを許してやることはできない。昨晩、パーシィに甘えるなと言ったのは誰でもない、タンジェ自身だ。
だがタンジェたちは、パーシィに下されようとしている私刑を止めることくらいはしてもいいはずだった。仲間だから。
だとすれば、復讐に身をやつした"人間"の、対等な相手は自分だと、タンジェは思っている。
「お前は……」
黙ったままだったアルフが、ぽつりと言った。
「お前は、何なんだ? 急に場を仕切って、……分かったような顔をして……」
「てめぇと同じ根性なしだ。復讐を志して冒険者になったが、……俺も、斧を振り下ろせなかった」
アルフはタンジェを見た。アルフの顔が歪んでいき、
「怖いさ……ああ怖いさ!! 人を殺すのが怖くて、パーシエルの名誉を傷付けようと思ったときも、だから人を殺そうなんて思えなかった!!」
「ああ」
「なのにこいつは、こいつは平気でゼータを、僕の婚約者を殺させて、食ったんだ!! こいつは人を殺すのなんて何とも思ってない、卑怯じゃないか……! そんなの、ずるいじゃないか!! 一方的すぎるじゃないか!!」
「ああ」
「じゃあ僕の気持ちはどうすればいいんだよ!!」
アルフは崩れ落ちた。泣いていた。
「そんなことはてめぇが決めるんだよ!」
タンジェは怒鳴りつけた。アルフは喚き散らす。
「分かんないよ! だって僕は、復讐がしたかった!」
「……」
「どうすればいいんだよ、どこにこの気持ちを置けばいいんだよ!」
タンジェはその答えを知っている。
逡巡した。
だが、ここまできたら言わなきゃいけないだろう。覚悟を決める。
「愛だよ!!」
タンジェのデカい声が山に響き渡った。音量を間違えた。
「……へ?」
言われたアルフのほうは、唖然としている。
いや、分かっている。恥ずかしいことを言ったと。タンジェは咳払いをした。全身が真っ赤になっている。 羞恥に挫けそうにはなったものの、不屈のメンタルで気を取り直し、
「て、てめぇは言ったよな。婚約者とは別の女で……村に恋人がいると。お前はその女が急にいなくなるのが怖くて先に村から出たと言ってたが……好きだったことに間違いはねえんだろ」
アルフは困惑したまま、視線だけでタンジェの言葉を肯定した。
「なら、村に戻れよ。お前は詐欺師だしろくでもない野郎だが、誰も殺しちゃいねえ。まだ胸張って生きていける」
「……で、でも……彼女の前から急に消えた僕を、彼女はまだ……愛しているだろうか……?」
「知らねえよ! そんなことに責任を持つ気もねえ」
タンジェは吐き捨て、けれど続けて、思ったことを言った。
「だがその女にとっては、てめぇは急に消えたんだ。それはてめぇが味わったのと同じだろ」
「……!!」
アルフが息を呑む。
「だったら、相手の気持ちが逸れることくらい覚悟しろってんだ」
タンジェからすれば、余計なことを考えて、失うことを恐れて逃げ出したアルフが悪いのだ。……いや、もちろん、そもそもはアルフの最初の恋人を食ったパーシィが悪いのだが。それでも新しく惚れた相手ができたのなら、アルフはそいつのために全力になればよかった。
復讐心を愛で上書きできる、とか、そんなことを言うつもりはない。タンジェだってまだ自分の復讐に思うところはある。ただ、復讐にかける情熱を、アルフは、タンジェ自身も、きっともっと前向きな何かに変えていける。そうしてくれるだけの誰かが隣にいるのなら。
「……村に……」
アルフは言った。
「戻るよ……。ベティが……待っててくれてるかもしれないから……」
アルフはパーシィの血で汚れたナイフをそっと折りたたんだ。それを懐に入れ直し、ゆっくりと立ち上がる。アルフがパーシィに視線すら寄越すことは、もう二度となかった。
パーシィは黙ってアルフを見つめていた。背中が見えなくなるまで、長いこと、見送っていた。
ニセパーシエル騒動 5
かなり歩きやすい山だ。整備されているわけではないが、獣道があったし、狩猟の痕跡がところどころにある。それとは別に真新しい足跡があって、確かに誰かが――ニセパーシエルが、ということになるだろう――通ったのが分かった。
「足跡を追うぜ。といっても、素直に獣道を進んでるみてえだな」
山でのそういった痕跡なら、ペケニヨ村で木こりをやっていた頃に身につけた知識と経験で見つけられるし、追える。何なら得意分野だ。
視線を感じたので振り返るとみんながまじまじと俺を見つめているので、狼狽えた。
「な、なんだよ」
「タンジェは自分を盗賊役に向いてないと言うけど、なかなかどうして。様になってるよ」
「う、うるせぇ!」
素直な賞賛を正面から受け取れるほど素直な気質ではないのだ。タンジェはぶっきらぼうに、
「とにかく行くぞ!」
言って、足跡を追いながらみんなを先導する。
程なくして人影に追い付いた。長い金髪を結った後ろ姿を見てパーシエルだと知れる。タンジェたちの足音を聞いて振り返った彼は、ぎょっとした顔をしてこちらをまじまじと眺めた。
「な、なんだ!? もう追っ手が出たのか!?」
しかし、すぐに、
「い、いや……ソレルの町人じゃないな? 誰だ? 僕に何か用か?」
確かに綺麗な顔立ちの男だった。金髪に青い目、すらりとして背も高く、天使と言われればまあ、そうかもしれない、という感じだ。
「パーシエルだな?」
タンジェが尋ねると、
「あ、ああ。そうだが?」
こちらの目的を窺っている様子ではあったが、素直に答えた。
「目的を聞きに来たんだ」
パーシィが一歩、パーシエルに近付いた。
「何故、パーシエルの名を名乗っているのか、理由が知りたい。きみが何者で、何の目的があるのか……」
パーシエルはパーシィを凝視していた。それから「うそだろ」「そんなまさか」と何度か口の中で繰り返して、
「お前――パーシエル!? 豊穣の天使パーシエルか!?」
大きな声を上げた。
「あ、ああ……」
パーシィのほうが驚いたようで、目を丸くしながら応じた。パーシエルは、
「お前のその顔……忘れるはずない! そんな刺青をしたり、髪色や髪型を変えたりしたところで、分からないわけないだろ!!」
叫んで、突如パーシィに掴みかかった。思わず引き剥がそうとしたが、胸倉を掴まれているとうのパーシィが、手の仕草でタンジェを制止した。
「きみは、いったい……」
「ぼ、僕が分からないのか!? いったいどこまで人をコケにすれば……!!」
パーシエルの顔が歪む。軽蔑と怒り、といった様相だった。
「お前が生贄に捧げさせて食った女はな!! 僕の婚約者だったんだよ!!」
ヒュッとパーシィの喉が鳴った。
「お前はとっくに忘れてるかもしれないけどなあ!!」
止める間もない。パーシエルはパーシィを殴りつけた。避けられたと思うが、パーシィは甘んじてそれを受け入れ、地面に倒れた。緩慢に身体を起こし、
「そうか……」
パーシィは呟くように言った。
「そう、だったのか……」
パーシエルは怒鳴り散らす。
「お前が地上に来てるとは知らなかったよ!! 天界から追い出されたのか!? はは、その汚いナリを見れば分かるってもんだ!!」
「……」
何も口を挟めずにいると、不意にサナギが尋ねた。
「きみの……本当の名前は、なんというの?」
「……アルフだ」
パーシエル、いや、アルフは答えた。
「最初から説明してくれるかい? 何故、きみはパーシエルを名乗って結婚詐欺なんかしたの?」
アルフは地面に転がったままのパーシィから視線を外さなかったが、
「こいつに婚約者が食い殺されてから、僕は失意のドン底にいたよ。村の守護天使はいつの間にかこいつから別の天使に代わっちまって、復讐する機会すらなかった。それで、……村の別の女が優しくしてくれて、その女と恋人になった。でも……またいついなくなるかと思うと怖くて、僕はそいつを置いて村から出たんだ」
アルフは続けた。
「僕の手元にある旅費はほとんど、その女がくれた金品で……それで思ったんだよ。ここから先、外で生きていくときに……お金を稼ぐなら、これじゃないか? って。それも、それをパーシエルの名前を使って繰り返すんだ! 僕は儲かるし、パーシエルの名は地に落ちるだろ。いい作戦だと思った。……調べたんだぜ、天使ってのは人々の信仰心で生きてんだろ? パーシエルの評判を落とせば落とすほどお前は餓えて苦しむってわけだ!」
アルフは懐からナイフを取り出した。折りたたみ式のバタフライナイフ。パチンと音を立ててそれを開くと、
「お前がこっちに来てるなんて知らなかったから、そんな回りくどい方法でしか復讐できなかった!! 知ってたらとっくにこうしていたさ!!」
アルフが拙い構えでパーシィに突っ込んでいく。あんなもの容易に避けられるだろうが、パーシィは避けないであろうことを、タンジェたちはたぶん全員知っていた。
ニセパーシエル騒動 4
翌日になり簡単に朝食を済ませた黒曜一行は、給仕の娘に天使パーシエルの居場所を尋ねた。
「パーシエル様は、今は町外れのお屋敷に住んでおられるはずです」
娘はテーブルを拭きながら答えた。
「ローラさんとの結婚式後、そこで新婚生活を送られるんですって! 素敵ですよね!」
「結婚式はいつなの?」
「今日の夕方からです。昨日よりさらに町が盛り上がると思いますよ!」
一同は顔を見合わせた。早めにケリを付けたほうがよさそうだな。
「ああ、それと……奇跡で生き返ったという猟犬の……飼い主の猟師の家はどこかな?」
「山の近くです。パーシエル様のお屋敷とご近所ですよ」
地図を描きましょうか、と言うので、ありがたく受け取ることにした。
娘が描いてくれた地図はかなり簡略化されていたが、最低限の体裁は整っている。これならすぐに着けるだろう。
「ありがとう」
サナギが礼を言うと、娘は笑って「どういたしまして!」と答えた。
一同はパーシエルの屋敷に行ったが折り悪く不在だった。 まだ昼まで時間があるので、先に猟師のほうに話を聞いてまた来よう、ということになる。しかし、
「かなり早い時間だが、どこに行っているのだろうか」
「結婚式の打ち合わせとかかな?」
パーシィの疑問に、サナギが無難なことを言った。
それなら町長の家や結婚式場にいるかもしれない。この町では有名人だし目立つ男なのだろうから、聞き込みすれば居場所は掴めそうだ。
ともあれタンジェたちは猟師の家のほうに向かった。娘はご近所だと言っていたが、猟師の家は町外れのパーシエルの屋敷よりさらに山寄りで、10分ほどは歩かねばならなかった。
猟師の家はパーシエルの屋敷に比べれば遥かに小さい。が、しっかりした造りの丸太小屋にタンジェはなんとなく好感を持った。丸太小屋の前で猟犬が元気よく吠えている。こいつが例の、生き返ったとかいう……。
「どうした、ハイド。お客さん?」
吠える猟犬に応えるように、中から猟師が出てきた。思ったよりも若い。20代前半というところか。猟師はタンジェたちを見て怯んだ顔をした。
「だ、誰だい? あんたら……」
「急に大人数で押しかけてすまない。聞きたいことがあるんだ」
パーシィが一歩前に出て、尋ねる。
「天使パーシエルに蘇生させてもらったというのは、この猟犬かい?」
「あ……ああ! そうさ」
猟師は頷いた。
「そうか……」
パーシィは猟犬をちらと見た。吠えていた猟犬は不思議そうに首を傾げた。
サナギが後ろから、
「その蘇生の奇跡について調べているんだ。何、軽い好奇心さ」
猟師の顔がにわかに青くなる。
「そ、そ、蘇生の奇跡に、う、う、疑うところはないよ。間違いなくパーシエル様は、その……ハイドの蘇生をなさった」
ずいぶん動揺している。これではタンジェですら、彼の言葉がお粗末な嘘だと分かる。
「そうなんだ。ところでこちらのパーシィは本物の天使なんだけれど……」
サナギはパーシィを指して紹介した。猟師は目を剥いて「へえ!?」と変な声を出した。
「もし天使パーシエルさんの起こした奇跡に不正があったなら、大変なことだよ。パーシィが怒るかもだ」
「いや。そ、それ……は……」
説得としてはかなりの力押しだ。だが、根が気弱らしい猟師にはよく効いている。おろおろと視線を泳がせている猟師に、
「今話してくれれば、もしかしたらきみのことは見逃せるかも」
サナギがもう一押しすれば、
「す……すみませんでしたっ!!」
あっさり素直に、謝罪した。サナギはちょっと物足りないというような顔をしたが、
「自作自演? それとも、怪我を治したというだけ?」
「じ、自作自演ですらないです。嘘をつきました」
猟師は恐る恐るといった様子でパーシィの顔を窺っている。この調子でよく町人が信じたものだ。あるいは共犯であろうニセパーシエルのほうの口が上手いのかもしれない。
「なぜ?」
パーシィが尋ねると、
「ぱ、パーシエル様に頼まれました。金を山分けしてくれると言うので」
「……『山分け』?」
妙な言い方だ。まるで、これから何らかで大金が手に入るような。
サナギは早々に察したらしく、苦笑いした。なるほどね、と言ったあと、
「じゃあもう、パーシエルはあの屋敷には戻らないね」
「……はい。俺に約束通りの分、金をくれて、もう発ちました」
「おい待て、どういうことだ?」
タンジェのことを振り返ったサナギは、
「結婚詐欺だよ」
と、短く言った。
「はい、あの、察しの良いお嬢さんで……」
猟師が頷く。お嬢さん、と呼ばれたサナギは別段それには突っ込まず、
「きみはグルになってパーシエルを天使だとでっち上げたんだね?」
「……はい」
「それでローラ嬢とその家から金品を貢がせて、さも結婚するように振る舞い、そして……結婚式当日になったら、どこかへ消える。そういう手順だったわけだ」
「そうです……」
猟師はすっかり小さくなってしまった。
「わ、悪いことだとは思いました。しかし俺は……この性格だからあんまり……狩りにも向いてなくて。親父が遺した金も、もう少なくて……」
もういいよ、とパーシィが遮った。
「そこのところを責めるつもりはない。そもそも用があるのはきみじゃないし……」
へ、と猟師が顔を上げる。怒られるとばかり思っていたのだろう。
「そういうことらしいよ。で、パーシエルがどこに向かったか分かる?」
サナギが尋ねると、
「山へ……。今からなら追いつけるかも……」
山か。山歩きなら得意だ。サナギとパーシィは猟師に礼を言った。すぐに山に入ることにする。猟師は嵐のように去っていくタンジェたちに唖然とした顔を向けていた。
ニセパーシエル騒動 3
月明かりがいやに似合う男なのである。
パーシィのことだ。黒曜も緑玉もサナギも揃って美形なのだが、男前という感じの黒曜や緑玉と、可憐という感じのサナギとはまた雰囲気が違う。
パーシィはごくシンプルに、端正という感じの美形だ。
だがその顔面の刺青が、たぶんけっこう、第一印象を損なっていると思う。タンジェはその刺青の理由を聞いたこともなかった。他人の顔面を気にするたちではないし、復讐が目的で目下強くなることに夢中だったタンジェには、仲間の顔面にある刺青の理由などめちゃくちゃに優先度が低かったのである。
パーシィは宿から出てきたタンジェに気付きこちらを見た。パーシィが素手で出て行ったので、タンジェも斧は持ってきていないが、
「まあ、殴り合いでいいよな? 斧だと怪我させるかもしれねえしよ」
と言うと、パーシィは目を瞬かせたあと、思わずといった様子で破顔した。
「はは! 俺と殴り合い? どうして?」
「あ? 怒ったんじゃねえのか?」
「怒った? 俺が? なぜ?」
「わりと失礼なことを言った自覚があるぜ」
あるんだ、とパーシィはひとしきり笑った。
それから首を横に振って、
「怒ったわけじゃない。きみに聞きたいことがあるんだ。あの場じゃ聞きづらかった」
「え? ……なんだ、そうかよ」
タンジェは構えた拳を下げた。
ひと気のまったくない大通り。夕食時にはあれだけ混雑していたこの宿も、夜になればこんなに静かなものか。
パーシィはごく何気ない様子で、タンジェに尋ねた。
「タンジェは、ヒトを食いたくはならないのか?」
瞬間、怒り、呆れ、それともすぐにぶん殴ってやろうかと、いっせいに感情と思考が湧いて、迷った末、どれもできずにタンジェは微妙な顔になった。
「てめぇよ……ケンカ売ってるか?」
「いや、……気を悪くしたならすまない」
タンジェのルーツにも人間性にも、ヒトとしての倫理にも関わる、相当な爆弾質問だった。それに対する謝罪としては浅すぎる。
が、タンジェはその質問が出た意図をはりかね、無言で、パーシィに話の続きを促した。
「オーガというのは、ヒトを食うものだろ? だから食人鬼なんて異名がある」
「……そうだな」
確かにその点に関しては疑問を差し挟む余地はない。タンジェの遥か昔の先祖も、『エサ』である『ヒト』に恋したのだと叔父が言っていた。オーガは人を食う。真実だ。そしてタンジェもまた、オーガなのである。
「その血がきみに食人をさせないのは何故だろうか?」
「知らねえよ……」
17年の人生で、食人衝動のようなものが湧いたことは一度もないし、これからもないだろう。と、思いたい。
「ただ、俺がヒトに育てられたことと無関係ではねえかもな。おふくろは美味い飯を食わせてくれたし」
「そうか。美味しいごはんは、業やサガを忘れさせてくれるよな。俺も大好きだ」
タンジェの言いたいこととはズレて伝わっている気がするが、パーシィは勝手に納得して頷いた。少しの沈黙。
パーシィはぽつりと呟いた。
「……食人なんだよ」
「あ?」
「俺が天界を追放されたのは、ヒトを食ったからなんだ」
息を呑んだ。無意識に1歩、片足を引いていた。食人? ――天使が!?
「軽蔑したかい?」
「……何か、理由があったんだろ?」
「ないよ」
パーシィは緩くかぶりを振った。
「本当に、理由なんか……ないんだ」
「……」
タンジェは言うべき言葉を見失った。少しの沈黙。やがて口から出た言葉は、
「……そりゃ、堕天もするよな」
だった。
パーシィは反応に困ったような顔をして笑い、
「この刺青も、その罪によるものさ。髪の色も目の色も、今では昔の面影がないな……」
彼はカンバラの里でシェイプシフターがヒトを食ったと知ったとき、相当の精神的ショックを受けた様子だった。言葉の調子とは裏腹に、きっと重い罪と受け止めているのだろう。
だが、さすがに引いた。タンジェは正直な性分なのである。感じたことに、嘘はつけない。
それでもパーシィはすでに罰を受けている。それが堕天、ということなのだろう。ただ、それで贖いきれるものなのかは知らない。
「この罪のことは」
と、パーシィは言った。
「堕天したのちの俺を救ってくれた女性、マリスという名だが、彼女にも、アノニムにも言っていない」
その2人の名を挙げたのは、きっとパーシィの人生にとって重要な人物だということなのだろう。マリスという女のことは知らないが、アノニムがパーシィにとって特別な存在であろうことは何となく分かる。だが、
「その2人を差し置いて、なんで俺に話した?」
「……」
パーシィは天を仰いだ。
「……きみは復讐をしたかったんだよな」
「ああ」
「でも、しなかった」
ゆっくりとパーシィの視線がタンジェへと戻る。パーシィの端正な顔立ちは真剣で、でもそこから何を考えているかまでは窺えなかった。
「復讐というのは、怒りの発露だよな」
「そうだろうな」
「かつてのきみは憤怒の咎を背負っていた、と言える」
「大げさじゃねえか」
「大げさじゃないさ。きみはそれを乗り越えた。きみは今、復讐に囚われてはいない」
「……まあ、そうだな」
乗り越えた、と言えるのかは、はっきりしない。だが復讐から解放されたのはそのとおりだ。頷いた。
「きみは強い男だと思う。だから……」
パーシィは、身勝手だとは思うけれど、と間に挟んで、それからこう言った。
「きみから赦されることが、救いになる気がした」
ざ、と風が2人を撫でていった。
「人を懺悔室代わりにするんじゃねえよ」
タンジェの率直な感想だった。
「許すとか許さねえとか、何も知らねえ俺がこの場で決めることじゃねえ。甘えんな」
パーシィは微笑んだ。
「そうだな。きみが正しいと思う。ありがとう」
「……」
少し冷えるな、部屋に戻ろう、とパーシィは言った。
部屋に戻れば、黒曜とサナギはまだ起きていて、黒曜は青龍刀の手入れを、サナギは本を読んでいた。緑玉は一足先にベッドに入ったらしい。
2人に声をかけてからタンジェもベッドに入った。確かに少しだけ身体が冷えたようだ。布団があたたかい。
布団の中でぼんやりと思う。パーシィは『パーシエルの罪を知っていたなら、気軽に名乗れる名ではない』と言っていた。罪状を聞けば、なるほど確かにそのとおりだ。パーシエルの名を使っているのなら、パーシエルのことを知っている。そして知っているなら、その罪のことも……。
明日の調査で真実に辿りつくだろうか。辿りついたとして、パーシィにとってそれが何を意味するのか、タンジェは知らない。
でも、今度は知りたくないとは思わなかった。