ベルベルント防衛戦 2
<天界墜とし>だろうとサナギは呟いた。
今まさにベルベルントを取り囲み、侵攻を進めている悪魔の量は、100や200ではきかないという話であった。星数えの夜会に出入りする情報通が駆け込んできて真っ青な顔で告げたことだ。
「<天界墜とし>でもなければ、そんな量の悪魔がまとめて召喚できるはずはない」
「成功、したってことなのか?」
「いや……。成功というには、悪魔の数が少なすぎる。本当に成功したならごっそり天界がこっちに来るんだよ。となれば悪魔の数はベルベルントを即刻陥落させるくらいの量いたっておかしくはない」
「……はっ。聞いても仕方ねえことだな」
サナギに短絡的な答えを求めてしまったことを自覚して、タンジェは自嘲した。
「今俺たちがするべきなのは、あの侵略者どもを全員ぶちのめして、ベルベルントを守ること――それだけだ」
長い間平和を保ってきたベルベルントには、こういった緊急時の指示系統はまともに定められていない。災害時の避難経路くらいは整っているはずだが、それを実際の危機時に使える者がどれだけいるかは疑問だ。人々は騎士団には従うだろうが、その騎士団の初動が遅れれば多くの死人が出るだろう。
地響きのような音が時折聞こえてくる。地面が揺れる。
すでに悪魔からの攻撃は始まっていた。
たまたま星数えの夜会にいた数人の客と、親父さんと娘さんは戦う手段を持っていない。夜会にいるタンジェを含めた冒険者が、入り口と裏口を警戒している。
だが、いつまでもこうしているつもりかというと、そうではない。
一同はパーシィの帰りを待っていた。
昨晩から「嫌な気配がする」と言って眠れない様相だったパーシィは、聖ミゼリカ教会の尖塔が攻撃を受けたとき真っ先に飛び出していった。止める間もない。だが、行き先が聖ミゼリカ教会であることは分かっていたので、状況が分かったら戻るようにとだけ大声で伝えた。それからここで待機している。パーシィに情報を持ち帰ってもらおうというわけだ。
「……」
大急ぎで走ってきたのだろう、それから10分もすればパーシィは返ってきた。
「どうだった、聖ミゼリカ教会と通りのほうは……」
親父さんが神妙な顔で尋ねる。
「避難が始まっていて、そこに悪魔の攻撃も重なってる。大騒ぎだ」
パーシィは言った。
「しかし、ベルベルントは完全に悪魔の群れに囲まれている。ベルベルントを離れるのは無理だな……」
「そんなに大量の悪魔が取り囲むまで感知できなかったのかよ?」
言ったあとすぐ、問い詰める形になってしまったことを自覚し、再度恥じる。
「悪い」
「いや、タンジェの言う通りだ。察知するべきだった」
そうではない。パーシィの責任ではない。先のハンプティの件で、パーシィにだって感知できない危機はあると学んだばかりだ。だいたい、この数の軍勢が集まると知ったとて、パーシィ1人に何ができたというのか。
これはかつてのサナギの責任――それも違う。これはラヒズと敵対し何度でも殺すタイミングと意思があって、にも関わらず毎回逃げられ野放しにしてきた、ほかならぬタンジェの責任なのだ。
パーシィの表情からは特別、怒哀の感情は伺えない。ただひたすらに真剣な表情で、淡々と言った。
「聖ミゼリカ教会が避難所として開放されている。救護基地もそこだそうだ」
「最初に尖塔が破壊されてんだろ。避難所にして大丈夫なのかよ?」
そこで初めて、パーシィは何とも言えない、呆れたような顔になった。
「……人々が、勝手に集まってしまったんだよ。破壊されてなお。侵略者が悪魔の軍勢だと知った者から聖ミゼリカ教会に駆け込み、そのまま大多数が集まってしまった。攻撃も始まっている今、そこから恐慌状態の人間を移動させるのは無理だ」
「その心理は分からんでもないよ。神にも縋りたかろう」
人の信仰心を責めるのはやめなさい、と親父さんは穏やかに言った。
「うん。……俺はまた聖ミゼリカ教会に行くつもりだ。救護基地もそこだから、役に立てると思うし……」
「そうか……」
黒曜は頷いた。
「それがいいだろう。パーティ単位にこだわる必要はない」
「親父、てめぇらも避難しとけ」
アノニムが声をかけると、親父さんは頷いた。
「そうだな。ここは今は静かだが、いつまでも安全じゃない」
娘さんにすぐに避難の準備を始めるように、それから、夜会に来ていた客も一緒に行くように指示を出した。青い顔の客たちが、それでも親父さんの冷静さに助けられ、荷物を整え始める。
「俺たちはどうする?」
それにはサナギが真っ先に声を上げた。
「これが<天界墜とし>であるという前提の話だけど……<天界墜とし>は結局のところは大規模なトランスファー。つまり、召喚されたものは召喚主にしか還せない」
「……不死性がないことを祈って、1体ずつ殺していくしかねえか」
タンジェが結論を焦ると、サナギは「それももちろん大事だけど」と言って続けた。
「この召喚術式は、そもそも過去の俺が書いたものだ。この写本に載っている術式がそのまま使われているとしたら、俺にも悪魔たちを天界へ送還できるかもしれない」
「本当か」
黒曜の言葉に頷くサナギ。
「けど、ここから誤差やアレンジを想定して術式を完成させるのは時間がかかる。俺はここに残ろうと思う。参考資料なんかも加味すると俺の研究室が一番捗る」
それから親父さんを向いて、
「構わない?」
「もちろん構わんよ。ただ、この夜会が攻撃を受けて崩れるときには、どうか逃げてくれよ」
「引き際は心得てるつもり」
そこで、非戦闘員の避難準備が一応整った。娘さんが心配そうな顔で、
「アノニムはどうするの?」
「よければついてきてくれないか。ところどころで戦闘が始まっているから、いてくれたら心強い」
パーシィが言うので、アノニムは黙ってパーシィの横に立った。頷いたパーシィが親父さんたち非戦闘員を避難所へと先導していく。サナギは黒曜と小声で何かを話し合い、すぐに研究室へと向かった。その背中を見て、
「緑玉、ここでサナギを護衛できるか」
「俺が……?」
黒曜の言葉に、緑玉は一瞬だけ戸惑う様子を見せたが、最終的には頷いた。
「分かった。やるよ」
その言葉に、黒曜も頷き返す。
「俺は何をすればいい、黒曜」
パーティ単位で動く必要はない、とは言っていたが、一応リーダーの黒曜の指示を仰ぐべきだろう。
黒曜はタンジェをまっすぐに見て、淀みなくこう言った。
「盗賊ギルドで情報収集しつつベルベルント各所の仲間たちに情報を逐次報告。随時悪魔との交戦があれば、勝利しろ」
タンジェは口端を上げた。
「任せろ!」