- 2025.10.09
モントランの蒐集家 8
- 2025.10.09
モントランの蒐集家 7
- 2025.10.09
モントランの蒐集家 6
- 2025.10.09
モントランの蒐集家 5
- 2025.10.09
モントランの蒐集家 4
モントランの蒐集家 8
モントランから発つ頃になっても、まだフロイナは目覚めてもいなかったが、会う必要性は薄いだろう。一同は午後の早い時間の馬車に合わせて出発することにした。
馬車の停留所に向かう途中で、サナギはしっかり『テイクファイブ』でメープルティーの茶葉を買った。馬車を待つ一同のもとに、息を切らせたミスティが走ってきて、
「みなさーん!」
「あれ、ミスティ。どうしたの?」
肩で息をしていたミスティは、応じたサナギに小さな紙袋を差し出した。
「これは、私からのお詫びとお礼です」
「お詫び?」
「私が皆さんを巻き込んだので……」
ミスティは俯き、やがてそのまま頭を下げ、
「申し訳ありませんでした」
「いいんだよ、顔を上げて」
と、一行を代表してサナギが言った。
「メープルティー、とても美味しかったよ。帰って淹れるのが楽しみ」
顔を上げたミスティはくしゃと少しだけ顔を歪め、一瞬泣きそうな顔をしたが、
「お嬢様を助けてくださって……ありがとうございました!」
それを隠すようにまた大きく頭を下げた。
馬の蹄の音がする。
★・・・・
「ミスティからの袋、中身は何だったんだい?」
「どれ……あ、これ、スパイスだ。最初にミスティがお使いでベルベルントで買ったやつの一部かな」
紙袋の中身を検めたサナギが言うのに、
「ベルベルントだと価値が下がるんだろ?」
と、身も蓋もないことを返すパーシィ。サナギは、
「それでも高価なものに違いはないよ。少なくとも夜会にはストックがない。親父さんたちにあげようか。料理のレパートリーが増えるかもしれないよ」
「それはいいな!」
タンジェは、てめぇは料理の味なんか分からねえだろ、と言ってやろうかと思ったが、やめた。わざわざ言葉にすることでもないだろう。
「おい」
と身を乗り出したアノニムが不意に言った。
「パーシィ。二度と誰かとケッコンなんて考えんな」
ああ、とパーシィはすぐに応じた。
「今回ですっかり懲りたよ。確かに結婚なんてろくなもんじゃないな」
苦笑いするパーシィの顔をしばらく見ていたアノニムは、やがて一つ頷いた。
「それでいい」
そんな会話を聞きながら、タンジェはぼんやりとなんだそりゃ、と思っていたが、
「ヤキモチでは?」
とサナギが言ったのには、さすがに彼に視線を移した。
「はあ?」
「はあ?」
「はあ?」
タンジェだけでなく、パーシィと緑玉までが同じような反応をしたのが可笑しかったらしく、サナギはけらけらと笑った。
「アノニムだってそういう感情があってもおかしくないと思うよ」
「そうなのか?」
パーシィが尋ねたが、アノニムの反応はといえば、
「うるせえ、知るか」
だった。
――あのアノニムがヤキモチだぁ? ……パーシィに?
――戦闘中に、俺に囮を頼み込んできたのだって奇跡みてえなもんだ。
――まあ……そういうこともあるのかもしれねえな。
思いつつ、乗合馬車の窓から外を眺めながら、タンジェは無言を通した。10月の大雪山が遠ざかっていく。
【モントランの蒐集家 了】
モントランの蒐集家 7
雪景色に染まった教会から出るのには本当に時間がかかった。タンジェはまだ動けるほうだ。出血が凍り付いているためだったが、それを指摘するような余力は誰にもなかった。パーシィは半身が凍り付いていたし、黒曜と緑玉、サナギは凍えて足が動かず、アノニムも膝をついていた。
身体を引きずってかろうじて教会の外に出たタンジェが、心配そうに教会の外で待機していた領主たちにとにかくお湯を用意するよう頼み、やがて領主と神父、複数のメイドたちが用意した大量のお湯で身体を温めて、それでようやく一同は何とか動けるようになった。
教会の外も寒かったが、教会の吹雪を経験したあとではいっそ暖かく思える。領主は急いで屋敷の客間の暖炉に火を入れさせ、お湯も追加で沸かさせた。一同を引き連れ屋敷に戻る際には、もちろん、倒れたフロイナを抱き上げて一緒に連れ帰った。
ようやく一同が口をきけるようになったところで、「で?」と口火を切ったのは本当に意外なことにアノニムで、
「何か言い訳があるんだろうが?」
と続けて言ったのに、領主はがっくりと肩を落とした。
「本当に申し訳ありません……」
「謝罪は聞いてねえ」
領主はゆるゆると顔を上げて、
「娘……フロイナに、大雪山の雪女グラクシアが憑依してしまったのは、ふた月ほど前のことでした。グラクシアは結婚したばかりのフロイナの夫を氷漬けにし、その氷像を地下の空き貯蔵庫に安置していました。それから彼女は、彼女の眼鏡にかなった美しい男性の旅人ばかりを選んで氷漬けにし、貯蔵庫に蒐集するようになったのです……今回、本来結婚するはずだった本当のエスクスも、同じ目に遭いました」
緑玉がオエ、という顔をした。
「それ、何が楽しいの……」
「わ、私には皆目なんとも。このことを知っているのは屋敷の者と、教会の神父だけです。本当に恐ろしい……グラクシアはフロイナの肉体を人質にしていましたし、逆らいようもありませんでした。何より彼女は強い力を持っている。人をたちまち氷漬けにするのですから……」
権力を持っているとはいえ、領主は妖魔に対しては無力だ。恐ろしいだろう。娘を人質にされて逆らえなかったのも無理はない。だが、
「だからって、わざわざベルベルントから生贄を選ぶとはな」
タンジェは吐き捨てるように言った。ミスティを使ってパーシィを連れてこさせたのは、パーシィをグラクシアの生贄にするためだったのだろうと思っての発言だったが、領主は必死に首を横に振った。
「ち、違うのです! 私はミスティに、『グラクシアを退治できるような腕利きの冒険者を連れてくるように』と命じたのです。それも、グラクシアに見初められ、グラクシアも疑似結婚を呑むような、見目麗しい男性で。それが……」
一同は何とはなしにパーシィを見た。パーシィは焼きたての温かいスコーンをマイペースに食んでいたが、視線に気づいてようやく顔を上げ、
「それなら事情を説明してくれてもよかったんじゃないか」
と、ごく真っ当なことを言った。
「すみません……この屋敷内では、どこからグラクシアに話が漏れるか……それに、こう言っては何ですが、真実をお話して、皆さん引き受けてくださいましたか?」
「妖魔退治を断ることなんてそうはないんだけどな……」
サナギはミスティが淹れてくれたメープルティーを飲みつつ苦笑いした。と言いつつ、実力差がある相手との戦いは黒曜もアノニムも避けたがるので、確かに、断らない保証があるわけでもないのだった。
「信用していなかったわけではないのですが……いや、本当に、申し訳ない」
「うーん、まあいいよ。結果として、みんな生きていたしな」
パーシィは気軽な様子で言った。全員、結構な凍傷を負ったり、タンジェは氷柱に穴だらけにされたりしたのだが、すべてパーシィが癒しの奇跡で回復させたので、功労者にそう言われては誰も重ねて文句は言えないのだった。
「本当に……本当に、ありがとうございました」
領主は深く、深く頭を下げた。
「フロイナさんの予後がよいといいですね」
サナギがそう気遣うと、領主は頭を下げたまま「はい」と短く答えた。感極まったらしく、声は少し震えていた。ようやく声を上げた領主は、
「そ、それで、報酬なのですが」
「そういや、報酬に糸目はつけないとか言ってたな」
「もちろんです!」
タンジェの言葉に大きく頷き、
「相場が分からないのですが……6,000Gldお出しします」
「おお、妖魔退治には破格ですよ。いいんですか?」
「もちろんです。娘と町の危機を救ってくださったんですから……」
それから、と領主は続けた。
「パーシィさん、フロイナを嫁に貰ってくれませんか?」
「ゲホッ! ゴホッ!」
のんきにスコーンを喰い続けていたパーシィが噎せた。
「いや、……それは、すまない。辞退させていただく」
「もしや、心に決めた方がおられる?」
「そういうことにしておく」
と、パーシィは言った。妙な言い方なので、タンジェは不審に思って眉を上げたが、まあ、拒否には無難だしマイルドなほうだろう。
「それなのに、神の前で偽の結婚を誓わせて……申し訳ありません」
「え? ああ、別にあんな些末な儀式、神はいちいち見ておられないから……」
相変わらずの調子のパーシィの口を塞いだサナギが、
「大丈夫です。冒険者には時に、そういうことが必要なこともある」
無難なことを言って返した。
「そうですか……それなら、いいのですが」
サナギの様子を不思議そうに見ていた領主は、それでも最終的にはそう納得した。
モントランの蒐集家 6
「入れ替わり?」
緑玉が小声で誰にともなく尋ねると、
「いや、これはおそらく『憑依』だな……!」
おそらく、と言いつつ、ほとんど確信を持った様子のパーシィが答えた。
「あら、そこまで分かるものなの? 聡明な男って、わたくし、好きよ。お顔もとってもわたくし好みなの!」
グラクシアは高らかに笑った。
「氷漬けにしてわたくしのコレクションに加えるわ! そのために人里に下りて来たのだから!」
それ以外は死ね、とばかりに、空中に一瞬で氷柱が形成され、その矛先がタンジェたちに向く。風に押し出されるようにして射出される氷柱を、視界が悪い中でかろうじて避けた。
「こっち、丸腰なんだけど……」
と、実に面倒そうな声色の緑玉がぼやいた。そういえばそうだ。さすがに正装に武器は持ってこれなかった。
「おい、パーシィ! その憑依とやらは……危ねッ!」
会話の最中でも容赦なく襲い来る氷柱のひとつが、危うくタンジェに突き刺さるところだった。なんとか回避は間に合ったが、教会内はどんどん気温が下がり、氷点下とすら思える極寒だ。このままでは氷柱に貫かれなくても凍死する。
「憑依とやらは、てめぇの力で何とかできるのか!」
「できなくはないと思うが、どちらかというと東洋の神職が得意とするジャンルだな! 『祓い』というやつだ」
「じゃあなんで今、喧嘩売ったんだよ!」
と言いつつ、タンジェにパーシィを責める気はさほどなかった。タンジェもせっかちな性分なので、正体が分かった瞬間に斬りかかる気持ちはよく分かる。
「だがもちろん、やってみる! 少し時間をくれ!」
パーシィを標的にした攻撃こそほとんどなかったが、グラクシアの宣言通り、パーシィは冷たい息吹を浴びて氷漬けになりかけていた。足元は氷に覆われていたし、前髪と指先、先端から徐々に凍り付き始めている。それでもいっさい怯んだ様子はなく、まっすぐにグラクシアを見据えている。
「素敵……!」
グラクシアはうっとりと目を細めた。
「ぜひその表情のまま凍ってほしいわ! どうか最期まで、戦意喪失しないでちょうだいね!」
部屋の温度は下がる一方で、足元には雪が積もり重なっている。サナギは早々にチャーチベンチの裏に隠れていたし――だが、現状それが最善だということも分かる――寒さに弱い黒曜たちの動きもやや悪い。回避で精一杯だ。
「おい」
と、アノニムがタンジェに小声で声をかけてきた。
「あ?」
「てめぇ、……あの女の気を引けるか」
「……あ?」
同じ言葉を繰り返して聞き返したタンジェに、アノニムはまた舌打ちして、
「囮になれっつってんだよ。てめぇの得意技だろうが?」
「ああ!? んなわけねえだろ!」
と否定しつつ、言われる心当たりはなくもない。それに、アノニムからのこういう提案は本当に珍しいので、タンジェは、
「ちっ、やってやらねえこともねえ。何か考えがあるんだな?」
「……」
アノニムは特段、そうだとも言わなかったし、改めてタンジェに頼み込み、あるいは激励するようなこともなかったが、黙ってタンジェの顔を見た。はっ、俺しか声をかける相手がいねえってか。提案されたのは囮だが、案外気分は悪くない。
「グラ……なんとかの気を引きゃいいんだな、すぐにやる!」
アノニムの目算は間違っていない。この極寒の中でまともに動けるのはタンジェだけだ。それでも凍えるタンジェの身体はかじかみ、身体は寒さに震えていたが、闘志だけは屈しない。
「行くぜ!」
だが、気を引けるような話術は持っていないのである。タンジェは真っ向からグラクシアに向かって駆け出した。
「あら中の中」
と、グラクシアは嗤った。
「残念ながらあなたはぜんぜん好みじゃないの。顔もだし……それに、勝ち目がないのに向かってくる無謀さも、熱血も嫌いよ」
空中で構成された氷柱が数本向かってくる。ほとんど反射で跳ねのければ、タンジェの馬鹿力で氷柱は粉砕されて、氷の粒になって霧散する。グラクシアの顔色が少し変わり、今度は跳ねのけづらいようにか、小さな氷柱が先ほどの倍ほどの数作られて、吹き荒れる吹雪の中でタンジェに降り注いだ。さすがに払いきれなかった氷柱は全身に次々突き刺さる。が、もうほとんど感覚のない身体は痛みすらなかったし、傷口はたちまち凍り出血もない。タンジェは気にせず向かっていく。
が、タンジェがグラクシアに肉薄する前に、完全にタンジェに気を取られていたグラクシアの背後からアノニムが躍りかかり、グラクシアの首根っこを掴んで床に勢いよく引き倒した。
「っ!」
グラクシアは無防備に倒れ、驚いた拍子にか吹雪が止まる。雪まみれの床に仰向けになったグラクシアの首に、アノニムが大きな手をかける。タンジェは肩で息をしながら、アノニムの真意をすぐに察した。グラクシアをフロイナの身体ごと殺す気だ。
「ふ、ふふ、いいの? わたくしはこの女に憑依しているだけよ? フロイナを殺――」
無意味な言葉だ。アノニムがフロイナに配慮するわけがない。アノニムの手がかかった首がみしりと鳴り、
「ひっ」
息を呑んだような、あるいは吐いたのか、グラクシアはすぐにアノニムが本気であることに気付いたらしい、彼女の喉が怯えたような音を立てた。迷わず首を折る――ところで、フロイナの身体から白い塊が飛び出した。
「ほ、本気か、こいつ!」
と言いながら間合いを取った白い塊は、恐らくグラクシアの本体であろう。フロイナとともに殺されるくらいなら、自ら憑依を解くことを選んだらしい。一見すれば全身真っ白の小柄な女に見えたが、服は着ていないし、それによる弊害もない。赤い瞳に、のっぺりとした起伏のない身体で、教科書に載っている精霊のような様相だった。それが見えたのも吹雪が止んだためである。
「くっ……!」
グラクシアは背を向け逃げようとしたが、
「<プロテクション>……!」
一瞬だけ張られたパーシィの光の壁に行く手を阻まれ、その隙に、
「<パニッシュメント>!」
続けて放たれた光に包まれて、叫び声すら上げず、光が収まったときにはもう、影も形も存在していなかった。
モントランの蒐集家 5
モントランの聖ミゼリカ教会で、結婚式が始まる。とはいえ、タンジェがフロイナに言い放った言葉に嘘偽りはなく、これはとんだ茶番だ。
それでもタンジェはごく真面目に、領主から貸し出された正装に身を包んで、結婚式の招待客の一人として教会のチャーチベンチに座っている。獣人の黒曜、緑玉、アノニムだが、モントランではそこまで気にされるほどの特徴ではないらしく、獣耳などは出したまま参列していた。見慣れぬタンジェたちが、教会の最後列とはいえ領主の娘の結婚式に参列している様子は、町人たちにとっては奇妙であろう。ただ、不思議そうな顔を向ける町人こそ散見されたものの、そこを突き悪態をつくような人の悪い者はいないらしかった。
タンジェは聖ミゼリカ教会の、いわゆる教会式の結婚式に参加するのは初めてだ。故郷ペケニヨ村に教会はなく、結婚式は集会所で行われるのが常だったし、そもそも小さな村で村民の数が少なく、結婚式そのものの回数が多くない。サナギは「別に周囲に合わせておけば大丈夫だよ」と気軽な調子だったし、緊張するたちではないが、偽装結婚式なのだからボロが出る可能性はないに越したことはない。タンジェは周囲のことを、彼なりによく観察しつつ、結婚式の進行を待った。
神父が結婚式の開式の宣言をする。それから間もなく、新郎――パーシィが入場するのを、参列者が拍手で出迎えた。タンジェも合わせて拍手する。
パーシィは祭壇の前で立ち止まる。実に堂々としたいでたちだ。あいつにも緊張の概念はないのかもしれない、とタンジェは思う。タキシード姿のパーシィは、普段は上げている前髪を下ろし、七三に分けて流していて、ちょっと雰囲気が違った。顔の刺青は化粧か何かで隠しているらしい。――目立つからな。
それから、
「新婦の入場です。参列者はご起立ください」
という声に伴い、一同は立ち上がる。
オルガンの音とともにバージンロードを領主とともに歩いてくる、ヴェールに顔の隠されたフロイナ。フロイナは新郎の横まで進み、領主からフロイナの手を託されたパーシィは、それを受け取った。そしてともに祭壇の前へと進む。
それから一同は促され着席し、神父は聖書から一節、何がしかの説法をした。タンジェにはまるで意味も分からず退屈な時間だったが、ほどなく終わる。
「エスクスさん、フロイナさん」
神父は新郎新婦に語りかけた。エスクスというのは、本来フロイナと結婚するはずだった旅人の名だ。町人への結婚式の報せにすでにその名を使っていたので、今回、パーシィはそいつのふりをする。
「お二人は神の前で結婚の意志を、聖なるしるしによって固めていただくためにおいでになりました。お二人の愛は神の祝福で深められ、神はお二人に結婚の秘跡によって恵みを与えてくださいます。……」
それから、誓約に入る。
「エスクスさん、フロイナさん。お二人は自らすすみ、この結婚を望んでいますか」
「はい」
と、パーシィは済ました顔で大嘘をついた。
「はい」
フロイナも呟く。
「互いに愛し合い、尊敬し合い、愛と忠実をもって、結婚の誓約を守り抜く決意をもっていますか」
「はい」
「エスクスさん、フロイナさん、あなたは順境にあっても逆境にあっても、病めるときも健やかなるときも、生涯、愛と忠実を尽くすことを誓いますか」
「はい、誓います」
つつがなく嘘をつき終えて、神父は新郎新婦を向かい合わせ、
「それでは教会を代表し、わたくしがお二人の結婚が成立したことを宣言いたします。お二人が交わした誓約を、神ご自身が固めてくださり、祝福で満たしてくださいますように。神が結ばれたものを、人が分けることはできません」
そして、
「それではヴェールを上げて、誓いの口づけを」
そこまでやるのか? タンジェが思うのと同時に小さな舌打ちが聞こえてきたので、視線だけそちらに向けた。結婚式だというのに腕を組んでチャーチベンチに不遜に寄りかかる、不機嫌な様子のアノニムであった。こんな茶番に付き合わされて、苛立つ気持ちも分からないではないので、タンジェは視線を新郎新婦に戻した。
パーシィはフロイナのヴェールを上げ、しばしフロイナと見つめ合った。そして、
「――<ホーリーライト>ッ!」
突如、聖なる力の発露を新婦に向けた。
「!」
「うわ!」
迸る閃光に目の眩んだ参列者たちがざわつく。タンジェたちは即座に異常を察知し立ち上がり、バージンロードを駆け抜けパーシィに駆け寄った。
「どうしたッ!」
「――妖魔だ!」
パーシィは鋭く応答した。光が収まれば、至近距離で聖なる光を浴びたフロイナが蹲っている。
「何をおっしゃるのかしら……」
フロイナは俯いたまま呟いた。
「わたくしを、妖魔だとおっしゃったの?」
「間違いなく今、その気配がした。殺気にも近い。ただの旅人だと侮ったな」
「――」
ざわめきが広がる教会内。
「せっかくの結婚式なのに。こう台無しにされては、困ったものだわ……」
フロイナはあくまで被害者ぶるつもりだ。だが、俯いたまま隠された顔を上げようとはしない。
タンジェはパーシィに尋ねた。
「悪魔か?」
「いや。そんな上等なものじゃない。三下とまでは言わないが、一般的な妖魔だろう」
「――言ってくれるわねえ!」
パーシィに挑発の意図があったかは知らない。だが結果として激昂したフロイナは顔を上げパーシィを睨みつけた。青かったはずの瞳が赤く染まり、異様な様子だ。彼女を中心に突如として風が吹き荒れた。雪が混ざるほど冷たい風。
「参列者の方々は逃げて! 領主様、先導お願いできますかッ!」
サナギが鋭く叫ぶのに、思いのほか動揺していない領主が「あ、ああ!」とすぐに行動を開始した。こちらも比較的冷静な神父と共に、怯え、逃げ惑う参列者たちを必死にまとめ、外へと誘導していく。
「何者だ!?」
「モントランの背負う大雪山、ゴーセ山の雪女。名前を言うならグラクシアよ」
長い髪が風に靡き、巻き上げられ、逆立つようだ。
モントランの蒐集家 4
翌朝、タンジェはいつも通り早い時間に目覚めた。同室の黒曜も、朝弱いわけではないのだが、いくらなんでも寒すぎる。元より寒さに弱い黒曜のこと、布団に全身くるまって丸くなっており、その様子が猫のようなのでタンジェは微笑ましく思った。
こんな時間に無理に起こすことはない。そもそも、起きてはいるかもしれない。布団から出られないだけで。
タンジェは階下に降り、もう活動を始めているメイドに洗面所を使う許可を取り、手早く身支度を整えた。
それにしても、寒い。洗面所の手押しポンプからくみ上げた水は凍っていないのがおかしいほどで、北にある町の極寒が身に染みる。まだ10月だというのに……。
日課のランニングがてら町を見て回ろうかとも考えたが、結婚式前に汗だくになるのもどうかと思ったので、やめた。一応、新郎役のパーシィ以外に、タンジェたちも参列者として同行を求められている。
ただ、早く起きすぎて暇なので、タンジェは屋敷の中を、常識の範囲でふらふらすることにした。
厨房で慌ただしく働くメイドたち。すでに暖炉に火の入った客間。さすがに領主たちの私室側は入るのは憚られたので、そこを避けると意外と行ける場所は少なかった。タンジェのうろつける範囲の限界はせいぜい中庭までだ。その中庭の小さな噴水のふちに、女が一人腰かけていることに、タンジェは気が付いた。
白肌に長い金髪の女だ。昨日は見かけなかったし、服装からメイドでないことも分かった。件の領主の娘らしい。
結婚式前夜、見初めた男に逃げられた娘・フロイナを気遣った領主から、彼女との対面が許されたのは新郎役のパーシィだけだった。パーシィは夕食後のごく短い時間、フロイナと対面し、ごく普通に戻ってきて、それからも別に変わった様子もなく過ごしていた。
偽装結婚する相手への感想は聞けたが、これにも別に興味はなかったので聞かなかった。どうせ今回限りの縁だ。本当に結婚するわけでもなし。パーシィも特に思い入れた様子もなかったし、そもそも聞くまでもないだろう。
ふと、フロイナが視線に気づいたのか、彼女の青い目がタンジェのほうを向いた。フロイナはしばらくタンジェを上から下まで見ると、
「中の中というところね」
と、唐突に言った。意味は分からなかったが、少なくとも褒められたわけではなさそうだ。思わず、
「あ?」
「いいえ、なんでも。あなた、パーシィさんの旅人仲間?」
威嚇するような声を上げたタンジェに、さりとて怯むこともなくフロイナは、
「今日はよろしくお願いするわね」
と首を傾けて微笑んだ。
「別に、よろしくお願いされるようなことねえよ。俺たちはただの茶番の参列者なんだからな」
「あら、手厳しいのね」
フロイナは目を細め、口元に手をあて奥ゆかしく笑った。ともすれば魅力的な仕草だったが、ことタンジェに至ってそんな要素が心に響くわけもない。タンジェは特にこれ以上の会話に必要性も感じず、それでも一応、
「じゃあな」
とだけあいさつをして、中庭を離れる。
この寒いのにフロイナがネグリジェ姿で中庭に出ていたことに、とうとうタンジェが関心を向けることはなかった。