モントランの蒐集家 6
「入れ替わり?」
緑玉が小声で誰にともなく尋ねると、
「いや、これはおそらく『憑依』だな……!」
おそらく、と言いつつ、ほとんど確信を持った様子のパーシィが答えた。
「あら、そこまで分かるものなの? 聡明な男って、わたくし、好きよ。お顔もとってもわたくし好みなの!」
グラクシアは高らかに笑った。
「氷漬けにしてわたくしのコレクションに加えるわ! そのために人里に下りて来たのだから!」
それ以外は死ね、とばかりに、空中に一瞬で氷柱が形成され、その矛先がタンジェたちに向く。風に押し出されるようにして射出される氷柱を、視界が悪い中でかろうじて避けた。
「こっち、丸腰なんだけど……」
と、実に面倒そうな声色の緑玉がぼやいた。そういえばそうだ。さすがに正装に武器は持ってこれなかった。
「おい、パーシィ! その憑依とやらは……危ねッ!」
会話の最中でも容赦なく襲い来る氷柱のひとつが、危うくタンジェに突き刺さるところだった。なんとか回避は間に合ったが、教会内はどんどん気温が下がり、氷点下とすら思える極寒だ。このままでは氷柱に貫かれなくても凍死する。
「憑依とやらは、てめぇの力で何とかできるのか!」
「できなくはないと思うが、どちらかというと東洋の神職が得意とするジャンルだな! 『祓い』というやつだ」
「じゃあなんで今、喧嘩売ったんだよ!」
と言いつつ、タンジェにパーシィを責める気はさほどなかった。タンジェもせっかちな性分なので、正体が分かった瞬間に斬りかかる気持ちはよく分かる。
「だがもちろん、やってみる! 少し時間をくれ!」
パーシィを標的にした攻撃こそほとんどなかったが、グラクシアの宣言通り、パーシィは冷たい息吹を浴びて氷漬けになりかけていた。足元は氷に覆われていたし、前髪と指先、先端から徐々に凍り付き始めている。それでもいっさい怯んだ様子はなく、まっすぐにグラクシアを見据えている。
「素敵……!」
グラクシアはうっとりと目を細めた。
「ぜひその表情のまま凍ってほしいわ! どうか最期まで、戦意喪失しないでちょうだいね!」
部屋の温度は下がる一方で、足元には雪が積もり重なっている。サナギは早々にチャーチベンチの裏に隠れていたし――だが、現状それが最善だということも分かる――寒さに弱い黒曜たちの動きもやや悪い。回避で精一杯だ。
「おい」
と、アノニムがタンジェに小声で声をかけてきた。
「あ?」
「てめぇ、……あの女の気を引けるか」
「……あ?」
同じ言葉を繰り返して聞き返したタンジェに、アノニムはまた舌打ちして、
「囮になれっつってんだよ。てめぇの得意技だろうが?」
「ああ!? んなわけねえだろ!」
と否定しつつ、言われる心当たりはなくもない。それに、アノニムからのこういう提案は本当に珍しいので、タンジェは、
「ちっ、やってやらねえこともねえ。何か考えがあるんだな?」
「……」
アノニムは特段、そうだとも言わなかったし、改めてタンジェに頼み込み、あるいは激励するようなこともなかったが、黙ってタンジェの顔を見た。はっ、俺しか声をかける相手がいねえってか。提案されたのは囮だが、案外気分は悪くない。
「グラ……なんとかの気を引きゃいいんだな、すぐにやる!」
アノニムの目算は間違っていない。この極寒の中でまともに動けるのはタンジェだけだ。それでも凍えるタンジェの身体はかじかみ、身体は寒さに震えていたが、闘志だけは屈しない。
「行くぜ!」
だが、気を引けるような話術は持っていないのである。タンジェは真っ向からグラクシアに向かって駆け出した。
「あら中の中」
と、グラクシアは嗤った。
「残念ながらあなたはぜんぜん好みじゃないの。顔もだし……それに、勝ち目がないのに向かってくる無謀さも、熱血も嫌いよ」
空中で構成された氷柱が数本向かってくる。ほとんど反射で跳ねのければ、タンジェの馬鹿力で氷柱は粉砕されて、氷の粒になって霧散する。グラクシアの顔色が少し変わり、今度は跳ねのけづらいようにか、小さな氷柱が先ほどの倍ほどの数作られて、吹き荒れる吹雪の中でタンジェに降り注いだ。さすがに払いきれなかった氷柱は全身に次々突き刺さる。が、もうほとんど感覚のない身体は痛みすらなかったし、傷口はたちまち凍り出血もない。タンジェは気にせず向かっていく。
が、タンジェがグラクシアに肉薄する前に、完全にタンジェに気を取られていたグラクシアの背後からアノニムが躍りかかり、グラクシアの首根っこを掴んで床に勢いよく引き倒した。
「っ!」
グラクシアは無防備に倒れ、驚いた拍子にか吹雪が止まる。雪まみれの床に仰向けになったグラクシアの首に、アノニムが大きな手をかける。タンジェは肩で息をしながら、アノニムの真意をすぐに察した。グラクシアをフロイナの身体ごと殺す気だ。
「ふ、ふふ、いいの? わたくしはこの女に憑依しているだけよ? フロイナを殺――」
無意味な言葉だ。アノニムがフロイナに配慮するわけがない。アノニムの手がかかった首がみしりと鳴り、
「ひっ」
息を呑んだような、あるいは吐いたのか、グラクシアはすぐにアノニムが本気であることに気付いたらしい、彼女の喉が怯えたような音を立てた。迷わず首を折る――ところで、フロイナの身体から白い塊が飛び出した。
「ほ、本気か、こいつ!」
と言いながら間合いを取った白い塊は、恐らくグラクシアの本体であろう。フロイナとともに殺されるくらいなら、自ら憑依を解くことを選んだらしい。一見すれば全身真っ白の小柄な女に見えたが、服は着ていないし、それによる弊害もない。赤い瞳に、のっぺりとした起伏のない身体で、教科書に載っている精霊のような様相だった。それが見えたのも吹雪が止んだためである。
「くっ……!」
グラクシアは背を向け逃げようとしたが、
「<プロテクション>……!」
一瞬だけ張られたパーシィの光の壁に行く手を阻まれ、その隙に、
「<パニッシュメント>!」
続けて放たれた光に包まれて、叫び声すら上げず、光が収まったときにはもう、影も形も存在していなかった。