カンテラテンカ

不退転の男 8

 タンジェリンが目覚めてしばらくは、彼の部屋に黒曜とサナギが出入りしていて、アノニムはその間、昏睡するパーシィを眺めていた。<ホーリーライト>の連発でエネルギーをほとんど使い切ったところに、タンジェリンへ治癒の奇跡を使ったことで完全に燃料が底を尽きたのだ。サナギが言うには「貧血みたいなもの」だそうだ。アノニムは貧血とやらになったことがないからよく分からないが、サナギは特に深刻そうな表情をしていなかったので、たぶん生死に関わるような問題ではないのだろう。
 パーシィの寝顔を見て、ぼんやりとパーシィの<おまじない>のことを思い出す。アノニムに<魅了>とやらが効かなかったのは、もしかすると――ハッキリしたことは分からない。分からないことを考えるより、パーシィに直接聞いてみたほうが建設的だ。
 そのパーシィはそのうち目覚めるだろうが、とはいえ、それまでずっとここでぼーっと顔面を眺めているのも不毛だし、無意味だ。だからというわけではないのだが、⁠黒曜とサナギが席を外したタイミングを見計らって、アノニムはタンジェリンに文句を言いに行った。

「ふざけるなよ」
 とりあえず開口一番タンジェリンにそう告げると、上体を起こして鉄アレイを上下していたタンジェリンは鬱陶しそうに顔を歪めた。
「なんだよ。何がだ?」
「勝手に納得して死ぬんじゃねぇ」
「死んでねえだろうが」
 死ぬところだった、ということに気付いていないのか、気付いていても気にしていないのか、どちらにしても腹が立つ。
「お前も、あの女も、………自分のことしか考えてねぇ、腹が立つ、死んだら終わりだ」
 思ってもいなかったが、自然と口からそう零れた。タンジェリンは訝しげに、
「はぁ?」
 と、正直な反応を返した。アノニムは吐き捨てる。
「勝ち筋があろうが、てめぇが死んだら終わりだっつってんだよ」
「勝ち筋……」
 タンジェリンはしばらくして、
「てめぇが腑抜けてたからだろうが!?」
 まったくもって心外、というような顔でデカい声を出した。だがまったくもって心外なのはアノニムのほうである。
「あの場で一番勝ち筋があったのは、一旦退いて応援を呼んでくることだった。なのにてめぇは退きもしねえ話を聞きもしねえ!」
「応援呼んでる間に黒曜とパーシィごとどっかに逃げられたらどうすんだよ!!」
「追う手段なんざいくらでもあるだろうが!! 死んだら終わりなんだぞ!!」
 タンジェリンはいよいよもってイライラしたという様子で、
「俺が死んでもてめぇが何とかしただろ!!」
「死んだら終わりだっつってんだろうが!!」
「てめぇがいるなら何も終わらねぇだろ!!」
「終わるんだよ!! てめぇが!!」
 ベッドサイドの小さなテーブルを叩いた。乗っていた水挿しがガチャンと音を立てる。
「……終わりなんだよ。この死にたがりがよ……!!」
 今まで山ほど見てきたから、知っている。身をもって知っているのだ。
 アノニムのすぐ隣にある死という終わり。それはきっとタンジェリンの横にも何食わぬ顔で佇んでいる。
「誰が死にたがりだよ! 勘違いすんじゃねえ。俺はあれが最善だと思ったからやったんだ」
 タンジェリンは隣に死があったとして、それを気に留めることはない。視界に入っても、恐れることも怯えることもない。
 "死"をアノニムが口にするたび、タンジェリンの瞳に情熱が宿る。何度見てもそれはやはり恐怖でも悲嘆でもない。きっと、ただひたすらにまっすぐ前を向く意地、執念、そして不屈。
 朱色の瞳がアノニムを見返す。口を開く。
「後悔だけはごめんだ。後悔しながら生きるくらいなら、俺は俺が思う最善で死ぬことなんざ怖くねえ」
 アノニムは隣にいる死がいつ自身に牙を剥くかを考える。答えは決まっていて、それはアノニムが負けたときだ。
 だがタンジェリンは、不意にその死が目の前に回り込んできたとて、怯むことはない。恐怖もない。
 本当にそれが嫌だった。腹が立つ。ムカついた。
 タンジェリンが死ぬことが怖いのではない。
 きっとアノニムは、自分が今まで守り抜いてきたこの命を否定されるのが嫌なのだ。
 あるいは何を犠牲にしてでも守り抜いてきたこの命は、アノニムにとっては誇りそのものだった。誰しも、生き抜くためにはそれ相応の戦いをして、それに勝ったから命はここにある。
 それをこいつは、大事なもののために捨てることは惜しくない、と言う。
 きっとタンジェリンは、今まで何を犠牲にして生を勝ち取ってきたのか、そんなことを考えもしないのだ。
 だからそんなふうに、死を前にしたとて退かずに前を向くのだ。
 
「アノニム」
 タンジェリンは言った。
「だがよ、結局てめぇが何とかしたんだろ。その……」
 そっぽを向く。
「た、助かったぜ。礼は言っとく……」
 こんな男に。
 仲間を助けるための最善を、そのためなら命を賭してでも、なんて馬鹿げたことを考えているこの男なんかに。
 そんなことを言われたところで、アノニムは嬉しくも何ともない。

 アノニムとタンジェリンは相容れない。同じ世界に生きていて、たまに交わる線の上にいて、交わった途端に喧嘩になる。
 タンジェリンに殴り合いで負けることはない。
 だがこのままだと、タンジェリンはいつか勝ち逃げをする。それはきっと摂理の歪んだ、死を伴う勝利だ。エリゼリカがそうだったように。
 
 アノニムがそうして負けたとき、命より先に誇りが死ぬ。
 この不退転の男に、アノニムの誇りは容易く脅かされる。

「言いたくもねえ礼をしたってのに無視かよ」
 タンジェリンが吐き捨てる。
 アノニムにとってだって、言われたくもない礼だ。

【不退転の男 了】
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