NEMESIS 1
日が差す星数えの夜会の1階テーブル席で、不意にサナギがこう言った。
「俺からの依頼を受ける気はない?」
タンジェだけでなく、パーティ一同がサナギを見た。
「どういうことだ」
黒曜が尋ねると、サナギは「大したことではないんだよ」と前置きしてからこう続ける。
「俺がホムンクルスを造って、死ぬ前に意識や記憶を次代に継いでいってることは伝えたよね?」
聞いた話だ。理解を遥かに越えてはいるので、あまり考えないようにしているが……。
「それで、何代か前まで俺はスーゼヒェッテという街にいたんだけど、そっちに家が残ってるんだよね」
軽く相槌を打ち、黒曜が続きを促す。
「何かの役に立つかもしれないし、家を引き払うつもりはないんだけどさ。定期的に掃除しないと保つものも保たないでしょ。要するに、俺の古い家の掃除を手伝ってほしいのさ」
家の掃除か。大した労働ではなさそうだ。タンジェ個人としては悪くないと思う。他の依頼も抱えていないし、宿でダラダラしているよりよほど建設的だ。
サナギは、
「依頼料として、俺の個人的なお金をパーティ用の金庫に入れておくよ」
と。移動カジノ・シャルマンのときも思ったが、サナギは意外と自由に使える金を持っているようだ。もっとも、何代分も生きているのだから、多少の貯金は当たり前なのかもしれないが。
黒曜はしばし考えているようだったが、
「何日くらいかかる?」
「馬車を乗り継いで5日、向こうでの掃除は3日もあれば終わるかな。それから帰ってまた5日。まあ、多めに見て2週間あれば。旅費は俺が出すよ」
観光ついでと思ってくれたらいいよ、とサナギは言った。頷く黒曜。
「分かった、受けよう」
それで黒曜一行は、急ではあるが、スーゼヒェッテに向かうことになった。
★・・・・
タンジェは国の地理や政治なんかには詳しくないのだが、スーゼヒェッテはエスパルタからそう離れてはいないのでまったく知らないわけでもない。ペケニヨ村の私塾でそういう街があることは教わった。ただ、行ったことはない。
馬車に揺られながら街道をゆく。
馬車の中で退屈しのぎに――というわけではないだろうが、サナギは先日のハンプティとの戦いについて話し出した。正確には、戦いのことというよりその後のことについてだ。
「精神操作の類について対策をしておくべきだと思うね」
黒曜は静かに頷いたし、パーシィは苦い顔をした。アノニムは馬車の外を眺めている。緑玉は黙ってクッキーを食んでいた。
ハンプティとの戦いはタンジェたちに結構な傷を残したけれども、致命傷というわけでもない。タンジェの腹には傷跡が残ってはいるが、もう痛みは引いている。動くのに支障もまったくない。元気そのものだ。
タンジェは腹の傷を服の上から軽くさすったあと、サナギを見た。
「対策も何も。あれ以来、破魔のちからとやらについていろいろ調べてんだろ」
タンジェのピアスが<魅了>を破ったのは、黒曜の故郷の<まじない>がかかっていたからだ。アノニムのほうも――これはのちに知れたことだが――パーシィによる<おまじない>とやらがかかっていたらしい。サナギによれば、こちらも目下研究中だそうだ。
「うん。それで思ったんだけど、もしかしたらスーゼヒェッテの家にも似たような研究資料がないかなあ、って」
なるほど。長い研究生活の中で、そういうものがあってもおかしくねえか。
「そっちが本命ではないのか」
黒曜は鉄面皮だから、その表情からは特別な感情は読み取れない。それでも責任を重く感じているらしく、サナギの調査に付き添って遅くまで起きていることが増えていた。健康のためにさっさと寝てほしいので、調査が進むのは大歓迎だ。
「正直、そういう研究はやった記憶がなくてさ。だから、あんまりアテにはできないんだ。本当にあったらいいな、程度で」
「はは、結局、本題は掃除か」
苦い顔をしていたパーシィが顔を綻ばせる。
そういえば――昏睡から目覚めたパーシィがいやに深刻な表情でタンジェを訪ねたので、何かと思えば謝罪だった。「俺がもう少ししっかり気配を探れていれば、きみにそんな怪我はさせなかった」だの「全部俺の神聖力の不足が招いた結果だ。本当にすまなかった」だの、らしくなくかなり落ち込んでいたので、タンジェは面食らった。「別に誰も悪くねえ」と黒曜に言ったのと同じことを言ったが、あまり心には響かなかったらしく、最終的には肩を落としたまま退室していった。まあ、翌日になったらすっかり元の調子に戻っていたが……。それはそれで切り替え早すぎるだろと思わないでもないが、ずっと落ち込まれていても鬱陶しい。
馬の蹄が鳴る。馬車は進む。外を眺めているアノニムは会話に割り込んでこない。先日、急に現れたアノニムと怒鳴り合ったが、どちらかといえばそっちのほうが例外で、本来タンジェとアノニムはろくに会話もしない。最終的に喧嘩のようにはなったものの、感謝しているのは嘘ではない。アノニムのおかげでみんな助かったようなものだ。黒曜はタンジェを功労者だと言ったが、実際のところはアノニムのほうがそれに相応しいのかもしれない。
しかし、黒曜とパーシィを見捨てて逃げようとしたことを忘れてはいない。結果としては助かったのだが、タンジェの中では釈然としない思いは未だにある。感情的になるアノニムは初めて見た。何か考えや信念があったのだろうとは思うが、たぶんそれはタンジェと相容れるものではないのだろう。
「もうじきベルベルント領を抜けるね」
緑玉がぽつりと言った。うん、とサナギが応じる。
「大丈夫だとは思うけど、妖魔と野盗には気を付けるとしようか」