カテゴリー「 ┣共犯者とワルツ」の記事一覧
- 2023.11.23
共犯者とワルツ 7
- 2023.11.23
共犯者とワルツ 6
- 2023.11.23
共犯者とワルツ 5
- 2023.11.23
共犯者とワルツ 4
- 2023.11.23
共犯者とワルツ 3
共犯者とワルツ 7
半年近く前、俺は故郷のペケニヨ村をオーガの群れに滅ぼされ、復讐を志し冒険者になることを考えた。オーガを殺せる職業で真っ先に思い付いたのが冒険者だったのだ。ペケニヨ村には頻度こそ少ないが稀に冒険者がやってくることがあって、そんなとき刺激の少ない村の子供たちは冒険譚を聞きたがった。俺もその一人だ。冒険者は俺にとって、強大な妖魔ともやり合えるような強さの象徴だった。
俺はペケニヨ村では木こりだった。まだガキだったが、それなりに仕事はできたつもりだ。だが剣を持ったこともない俺は、木こりの使う手斧と戦斧の区別もついていなくて、愛用の手斧とほとんど身一つでベルベルントにやってきた。
もちろん、獣を狩るのがせいぜいで、戦闘知識の一つもない俺がいきなり冒険者になれるわけがない。いや、名乗るだけなら誰でもなれるのだが、形ばかり冒険者になっても意味がない。
俺はそれで、かろうじて残っていた路銀で、戦闘を教えてくれる師を探した。
間もなく見つかった男は、確か……クアッド、という名前だったかと思う。なんでそんなフウにあやふやなのかというと、結局俺はそいつから戦闘を教わることがなかったからだ。
クアッドとの約束の時間、約束の場所に訪れたときには、クアッドは死んでいた。
肩から脇腹までを袈裟斬りにされて派手に血を撒き散らした死体だった。嫌なことに、オーガによるペケニヨ村の蹂躙で死体を見慣れてしまったばかりの俺は、思いのほか動揺しなかった。
だが、間が悪かった。
その場所にはクアッドの死体のほかに、その死体を作ったばかりの加害者がいたのである。
それが黒曜だった。
つまり俺は、黒曜がクアッドを殺した現場に居合わせたのだ。
何故黒曜があのときクアッドを殺害していたのかは未だに知らない。ただ、あとから聞いたところによればクアッドはずいぶん評判の悪い悪徳冒険者だったようだ。つまり……もしかしたら俺は、助けられた形になるのかもしれない。
だがそんなことも知らない俺は、目の前の殺人者に食ってかかった。
「俺はそいつから戦闘訓練を受ける予定だったんだぞ! 金だって払ったんだ!」
「……見られたか」
黒曜はゆっくりと振り返り、血まみれの青龍刀を俺に向けた。
「俺も吹聴されては些か困る……今、ここでお前を殺すのは簡単だ」
「ふざけんな……!」
今思えば脅しだった。だが当時の俺は、ようやく見つけた戦闘の師のあてを失い、相当キレていた。
だからだ、こんな提案をしたのは。
「だったらどうだ、俺は今ここで見たことを誰にも言わねえ。その代わりてめぇが俺に戦闘を教えやがれ!」
教えを乞う予定だった相手を殺したのなら、黒曜のほうが強いのだろう。より強い相手に教えてもらったほうがいいに決まっている。
黒曜はしばし黙ったが、やがて了承した。
よく考えれば、黒曜としては俺を殺せば済んだ話だ。何のメリットを感じて了承したのかは分からない。分からないことばかりだ。
すでに星数えの夜会を常宿にしていた黒曜を追うように、俺も星数えの夜会を根城にして、黒曜と戦闘訓練を始めた。知っての通りそれは今も続いている――。
★・・・・
ターニンの死体が発見された、という一報はその日の夕刊に載り、一般市民たちは一安心と胸を撫で下ろした。親父さんも「不審死ではあるが、死刑囚がうろつく心配がなくなってよかったのかねえ」と難しい顔をしていた。黒曜が殺したなんて思ってもいない顔だ。
俺と黒曜は誰にも言わずにターニンの捕縛に向かったから、そもそも疑われる要素も特にない。
パーシィは、
「どうせ捕縛したって後に処刑されるんだろ? だったらいつ死んでも同じでは?」
と身も蓋もないことを言っていた。
コーヒーを飲んでいたサナギが、
「騎士団の面子が立たないからねぇ」
「騎士団は面子のために人を殺すのかい?」
パーシィに言われて苦笑いしたのは、ブラックコーヒーが苦かったからではないだろう。
「解除術式とやらは完成したのかよ?」
何とはなしにサナギに問うと、サナギは頷いた。
「大体はね。キリがいいところまでできたから、ちょっと休憩してるところ」
聞いたもののそれほど興味のある話題ではなかったので、そうか、とだけ言って俺は黙った。サナギに<マジックバリア>の鈴の礼を言おうかと思ったが、改めて言うタイミングとしてはあまりよろしくない気がした。余計なことを言ってターニン殺害の関与を疑われたくはない。
夜は昼よりずっと冷え込む。暖炉が爆ぜる音がする。夕食のグラタンは頬張るには熱すぎるが、身体の芯まで温まる感じがする。美味い。
黒曜のことを考える。あいつは殺人を犯してはいる。だが、あいつが殺す相手はきっと、無辜の人間ってわけじゃない。
すました顔で他人を害せる黒曜の姿を、俺は軽蔑とも憧憬ともつかない気持ちで受け止めている。だが、復讐に身をやつすなら、俺だって黒曜のようにありたい。そうあらなくてはいけない。だから……憧憬のほうに、少し軍配が上がる。俺の相手はヒトではないとはいえ、いざというときに斧を振れなきゃ意味がない。
俺と黒曜は、先のクアッド、そしてターニン殺害において、共犯者、と言えるかもしれない。だがきっと黒曜にとって俺は見上げるほど浅いところにいる。
たとえばワルツを踊れるほど近くに、とまでは言わない。それでももっと深いところまでいければ、俺は黒曜のようになれるかもしれない。あの凪のような、鋼のような心持ちは、俺の目指すそれだ。
だって、そうだろ。いくら黒曜が飛び抜けた美形とはいえ、至近距離に顔面があっただけで心を乱されてちゃ、とてもそんなの、凪じゃない!
【共犯者とワルツ 了】
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共犯者とワルツ 6
ターニンの身体が崩れ落ちるのを、俺は呆然と眺めていた。恐怖はなかった。今の一瞬で起きたことの整理がつかず、結局、俺の口から出たのは、
「ほ、捕縛しろって話じゃなかったか?」
という、間抜けな問いだった。
「……」
黒曜は青龍刀の血を払い、
「話が変わった」
俺のほうを向かずに言った。
「何が、起きたんだよ?」
答えるかは分からないな、と思った。黒曜は俺にも、たぶんパーティのほとんどの奴らにも話していないことがたくさんあって、それは意図して秘密にしているのだろうと、今さっきの様子を見て思ったからだった。
だが黒曜は、
「俺の瞳は……特殊なものだ。魔術的価値もあれば、金銭的価値も高い。普段は隠蔽魔法で隠している」
俺の考えに反して、淡々と答える。
「それがやつの<魔法解除>で剥がれた。知られたからには生かしてはおけない」
黒曜はさっきターニンに言ったのと同じことを言った。
ということは、だ。
「俺も殺すわけか……?」
そもそも黒曜の隠蔽魔法とやらが剥がされたのは、<マジックバリア>の解除に巻き込まれたからだ。こんなことになると予想できなかったとはいえ、俺のせいだと言える。そうでなくても、知った相手を全員殺すのであれば、俺だってその内のはずだった。
俺は自分の声が震えていなくてよかった、と思った。自分の胆力に人知れず感謝する。これで震えていたらダサすぎる。
黒曜の返事を待った。殺すと言われてハイそうですかというわけにはいかないが、意思くらいは聞いておきたいと思った。
「……いや」
黒曜は言った。
「……お前を殺すのは惜しい」
小さな声だったが、確かにそう聞こえた。それから、こちらは普通の声量で、
「お前は口外しないだろう」
黒曜がゆっくり振り返る。
「それに……」
「それに?」
「俺たちの秘密が一つ増えるだけだ」
それは、その通りだった。
黒曜が人を殺すのを見たのは、初めてではない。俺はそれを口外しないことと引き替えに、黒曜に戦闘訓練を引き受けてもらっているのだから。
「そうか、そうだな」
俺は頷いた。
「だがよ……その目、どうすんだ? このままずっとここにはいられねえぞ」
「隠蔽魔法をかけ直すマジックアイテムがある。すぐに終わる。少し待っていろ」
俺は拍子抜けした。なんだ、そんな便利なもんがあるのか。それなら黒曜が術をかけ直すのを待とう。
ターニンの死体を見る。話によれば悪人で、死刑囚だ。ターニン自身に同情の余地はないが、騎士団側はきちんと捕まえて然るべき手続きのあと処刑をしたかっただろう。どっちにしろ死ぬことに変わりはないのだが。
「……ん?」
不意に入り口のほうから足音が聞こえた。誰か来る! 黒曜も同時に気付いたらしい、隠蔽魔法はまだかけ直せていないようだ。まずい。見られたら死体が増えるぞ。
「……!」
俺と黒曜は同時に、思わず木箱と木箱の間に滑り込み、身を潜めた。おい……思ったより狭いぞ!
「ここ、開いてるぞ……」
「誰かいるの……? キケカ・ターニン!?」
二人組らしい。男女の声だ。
俺と黒曜は狭い木箱の間で息を潜める。
細く開いていた倉庫の扉を大きく開き――不用心なことだ――男女が倉庫に入ってくる。出で立ちからして冒険者らしい。たぶん、新聞を見て捕縛の手柄を立てようと考えたのだろう。
装備を見れば駆け出しだろうと想像が付いた。俺だってまだ四ヶ月の新米だが……。
「ちょっと見て、あれ!」
「うわ……! し、死んでる!!」
男女はターニンの死体を見て慌てふためき、逃げるように倉庫を走り去っていった。騎士団に通報するかもしれない。そうなれば騎士団はすぐにここにやってくるだろう。
「早めに離れようぜ、目は……」
俺は狭い中で何とか黒曜のほうを振り向いた。ら、目の前に黒曜の顔面があったので怯んだ。鼻先がくっつきそうなほど近距離で息が止まる。
黒曜の目はすっかりいつも通り石のような漆黒に戻っていて、俺の間抜け面が瞳に反射して見えるほどだった。
「問題ない。行こう」
ド至近距離の黒曜が言う。俺は「おう」と言った。さっき殺されるかもしれないと思ったときには平然としていた俺の声が、今回は震えていた。
共犯者とワルツ 5
数時間もすれば、朝のピーク帯だ。当然ながらそれまでに娘さんも起きてきて食堂の準備を整えており、パーティの仲間たちもちらほらと姿を見せ始めた。パーシィはこの天気だというのに日課の祈りに行く、と言って教会へと発った。サナギは普段から夜遅く朝も遅いので、起き出してくるのは昼頃だろう。
黒曜に今日の戦闘訓練はどうするかを尋ねた。天気が良ければ外での実践訓練になるが、天気が悪い日は屋内で戦闘理論なんかの座学を教えてもらっている。当然、俺は身体を動かしたい。しかし、まだ小降りとはいえ雪だ。今日は座学になるのだろうか。
黒曜は読んでいたらしい新聞をテーブルに置くと立ち上がった。
「タンジェリン。お前は妖魔相手なら問題なく戦える段階に来ている」
「ああ」
「俺が教えられることは、もうさほど多くはない。今日は実戦を行う」
「実戦?」
そりゃ、叶うなら実戦をやるほうがいいに決まっている。だが訓練ではない本気の実戦というのは、相手がいないと成り立たない。妖魔退治ですら、ベルベルントの近辺に現れるようなやつはすぐさま冒険者か騎士団に討伐されていて、機会がないのだ。
いったい誰を相手に、と言いかけて、俺は黒曜の読んでいた新聞に目を落とした。まさか――。
「脱獄囚キケカ・ターニンの捕縛」
黒曜が言った。
「それをもって、本日の戦闘訓練とする」
★・・・・
★・・・・
キケカ・ターニン。新聞によれば、一般人を魔術の実験に使って何人も殺した外道らしい。研究していた魔術も禁忌に類するもので、危険思想の持ち主ということで死刑が確定していたのだとか。潜伏先は特定されており、ベルベルントの倉庫街近くに潜んでいるとのこと。ベルベルント市民においては倉庫街に近寄らないように、という注意書きのほか、指名手配扱いになっており、捕縛した者には報奨金が出るということであった。
この書き方じゃ、金に目が眩んだ市民が捕縛に乗り出す危険がある。さっさと捕縛しちまったほうが安全だ。しかし、
「もうすでに誰か、腕に覚えのある冒険者が捕まえてるんじゃねえのか?」
倉庫街を慎重に歩きながら言うと、
「そうかもしれない。それならそれでいい。俺たちの目的は訓練なのだからな」
指導役としてついてきている黒曜がすました顔で答えた。それはそうか。
倉庫街を歩くうち、人が通った痕跡を見つけた。石畳の道の上で人間の足跡を見付けられたのは、盗賊役としての訓練ではなく、俺が故郷のペケニヨ村で木こりとして育ちながら、猟師の真似事をしていたからだろう。山の中で気配を探る相手は獣がほとんどだったが、たまに迷子になったガキを探したりもした。
野生の獣より人の痕跡のほうがはるかに分かりやすい。キケカ・ターニンは痕跡を隠すことに関しては素人なのか、抜き足差し足したような形跡はあるが、それがかえって足跡を際立たせていた。
足跡が向かっているのは立ち並ぶ倉庫の一つだ。ほとんどの倉庫には鍵が掛かっていたが、この倉庫の南京錠は何故か外れている。ターニンが外したのだろうか……。だとすればそれは盗賊役のスキルだが、盗賊役の技術を学んでいるにしては痕跡の消し方がお粗末だ。
「錠が壊されたというわけでもなさそうだ。魔法による解錠だな」
黒曜が小声で言った。なるほど、魔術師らしい。
倉庫の扉は大きく、これを開ければまず音がする。ターニンがいたとして、やつにバレずに中に入るのは無理だ。せめて魔術の的にならないよう、半身になって扉を開く。
ぎ、という耳障りな音がして、倉庫の扉が開く。人一人が入れる隙間だけを開け、中に入る。天井近くにある複数の窓から弱い光が入り、倉庫の中が見渡せた。端に寄せられた大量の木箱。倉庫の中央付近は広くスペースがある。ターニンがいるとしたら、木箱の裏にでも隠れているのだろう。
俺は戦斧を握り締め、一歩ずつ静かに進んでいく。黒曜も同時に倉庫内に入っていたが、今のところ手助けするつもりはないらしく、俺の様子を眺めていた。
魔術師の使う魔術というのは強力だが、詠唱が必要なものがほとんどだ――これは黒曜との座学で勉強したことだ――声を発する都合上、こういった静かな場所では魔術での不意打ちはしづらいはずだ。
「――」
「ッ!」
案の定、ほんの僅か聞こえた何かを呟く声に、俺は反応した。反射的にその場を離れると、木箱の影から炎でできた玉が飛び出してきて、ついさっきまで俺がいた場所に突き刺さった。炎の玉は大きいものではなかったが、あんなものが直撃したら大火傷だ。
だが、炎の玉は真っ直ぐ俺に向かって飛んできた。ターニンの場所が分かった。左手側に積まれた木箱の影だ。
炎の玉に当たらないようにジグザグに旋回しつつ、木箱に近づく。パーシィの神聖力が祈りで成り立つように、魔術師ってのは魔力を源に魔術を使うものだ――これも黒曜との座学で学んだ。その魔力も無限ではなく、使えば使うほどに消費されていく、らしい。つまり適度に魔術を撃たせながら近づくのは有効なはずだ。
「ちっ……!」
俺に近付かれたらまずいと判断したのだろう、移動のためかターニンは木箱の影から飛び出した。魔術師は相手と距離を取って戦う、基本中の基本だ。逆を言えば、魔術師相手に戦うなら距離を取らせず、詠唱の隙もない状態に持ち込めばいい。
「待ちやがれ!」
倉庫内に飛び出してきたターニンは新聞の人相書きにあった通りの顔面で、パサついた前髪が顔に落ちている。
「この私相手にたったの二人とはな!」
ターニンは俺を振り返り、手を翳した。
「<ファイアー・ボール>!」
「あっぶね!」
ギリギリだったが、かろうじて直撃は避けた。着弾した倉庫の床に焦げ目がつく。
さっさと倒しちまったほうがいい。縄は黒曜が持ってきてくれている。俺はこいつの意識を奪うことを考えるだけだ。
距離を取ろうとするターニンに、俺はなるべく動き回りながら近付く。狙いが付けづらいようで、ターニンは舌打ちした。
それで焦れたターニンは、動き回る俺より後方で黙って見ている黒曜のほうに意識が向いたらしかった。
「<ファイアー・ボール>!」
短い呪文の詠唱をしてすぐ、ターニンは迷わず、俺ではなく黒曜に向かって魔術を放った。
「!」
考える前に身体が動く。
黒曜なら魔術の発動を見てからでも回避はできたのかもしれない。そんなことを思ったのは後からで、この瞬間の俺はもうすでにターニンと黒曜の間に躍り出ていた。炎の玉の軌道上だ。間違いなく当たる。
炎上を覚悟したが、俺は目を閉じはしなかった。
だが、
――リン――
甲高い、鈴のような音がして、炎の玉は俺の目の前で掻き消えた。
「な……!?」
驚愕の声はターニンからで、俺はどちらかというと戸惑いが強かった。だがターニン側の問題でないことはターニンの反応から明らかで、だとすれば今炎の玉が消えたのは別の、何らかの外部からの影響ということになる。
それですぐに心当たりにぶつかった。サナギから受け取った<マジックバリア>のマジックアイテムを、俺は懐に入れていたのだ。
「はっ……サナギにはあとで感謝しねえとな!」
俺は斧を構えてターニンに突っ込んでいく。ターニンは一瞬色めき立ったが、すぐに手を翳し、
「今の感覚、<マジックバリア>か……! だが残念だったな、<魔法解除>は私の十八番だ!」
俺が駆け込むまでにこれもまた短い呪文を唱え――熟練度によって詠唱の長さが決まる、という話を思い出す――叫んだ。
「<魔法解除>!」
放射状の光がターニンを中心に放たれ、俺は思わず立ち止まり、腕で目元を覆った。俺の懐にあった鈴がリリリリ、と短く何度か鳴り、パキリと小さな音がして割れたのが分かった。
「ちっ……!」
だが一回でもあの炎の玉を防いでくれたんだ、よくやってくれた。
ようやく収まった光に俺は腕を下ろし、改めて斧を構える。さっきと同じく動き回りながらなら近付ける!
「……」
だが、ターニンは俺ではなく、俺の後ろを見て、呆然としていた。
「……?」
明確な隙だったが訝しく思い、思わずターニンの視線を追って後ろを向く。倉庫の入り口近くに待機していた黒曜がゆっくりとこちらへ向かってきていた。
その瞳が、まばゆい。
いつもは石のような漆黒の瞳が、太陽にあてた宝石のようにまばゆく輝いて見えた。だが、絶対にそれは、窓から入る淡い日の光が当たったせいじゃなかった。黒曜の内側からまるで自発的に発光しているかのように見えるそれは――まるで黒曜石そのものだった。
「やってくれたな」
黒曜は呟いた。
「知られたからには、生かしてはおけん」
冷淡、という言葉すら生ぬるい、酷く冷めた声色だった。
それとは真逆に、ターニンは、
「ほ、ほ、宝石眼……!」
たちまち興奮した様子になり、
「なんという魔力……! 実在していたのか! 私は……運がいい!!」
手を翳した。ゆらりと近付く黒曜に怯んだ様子もなく、詠唱をするターニン。
「<アイス・アロー>!」
たちまち氷が凍りつき、氷柱の矢になって放たれた。目にも止まらぬ速さで飛んでいく氷の矢を、しかし黒曜は全部分かっているかのようにすらりとかわして、たったの三歩でターニンの目の前に躍り来た。それから、
「いいや、お前は――運が悪い」
ターニンの首を一撃で跳ね飛ばした。
共犯者とワルツ 4
何を言ってるのかよく分からない。
「何を言ってるのかよく分からないって顔だね。まあ、そういうわけだから、今の俺の身体の前の身体……前の代があるんだよ。その身体は結構長生きしたんだけどね、その身体がまだ若い頃の話」
俺は、いろいろ質問したいことをグッと呑み込んで、とりあえずサナギの話を最後まで聞くことにした。サナギは相変わらず手元を忙しなく動かしながら、
「その頃の俺はいろいろな術を作るのにハマっていて、たくさん術を作ったんだ。術を作るってのは、要するに……こういう手順でこういうことをすればこういう結果の術になる、っていう設計図を作るみたいなこと。分かる?」
「そりゃまあ、何となく」
頷くと、サナギはニコリと笑った。続ける。
「でも俺も作るだけ作って満足しちゃうタイプでさ。別に作った術のスクロールも要らないし、錬金術連盟に寄贈したんだよね。それが今になって錬金術連盟から盗まれたって報告があったというわけ」
「……なるほどな」
だから、盗まれた『らしい』、か。
「理由も犯人も不明だけど……盗まれたなら悪用されるだろうと思って、今、過去の日記を漁って、当時の記録を確認しながら解除の術式を作ってたんだよ。きみたちにお使いを頼んだのは、それの術式回路の発火に使う材料なんだ」
だいたいの話は分かった。俺は頭を抱えたい思いだったが、
「……まあ、まだ悪用されてるわけじゃねえんだろ? 先に手を打てるならまだマシか」
「その通り! まあ盗まれた術は人を殺せるようなものじゃないけれどね」
「たとえば?」
「<眠りへのいざない>とか。広範囲に催眠を誘発する霧を発生させて生物を眠らせる術だよ」
俺は目を瞬いた。
「……普通に冒険にも役立ちそうじゃねえか? なんで寄贈なんかしたんだよ、勿体ねえ」
「うん、味方も自分も寝るからだね」
つ、使えねえ……。
「だからこそ、今になって解除術式なんか組み立ててるわけで」
「当時から作っとけよ、そんなもん」
それはもっともだね、とサナギは笑った。
「でも当時の俺はそういうの投げっぱなしでさ。解除術式より新しい別の術式を作るのに時間を使いたかったんだね。だからこうして過去の俺の投げっぱなしを今の俺が引き受けているというわけ」
「……なんつーか、不毛だが……まあ、自分のケツを自分で拭くのは当たり前のことだな」
「手厳しいねえ」
サナギは言葉ほど凹んだ様子はなかった。実験器具から顔を上げ、
「そうだ! ついでに長話を聞いてくれたお礼だ。これをあげるよ。日記を探してたら出てきたんだ」
俺のことをちょいちょい、と指の仕草で呼んで、近寄った俺の手に何かを握らせた。
手を開いて見てみれば、銀色の小さな鈴のようだった。だが、鳴らない。
「何だよ、これ? 鈴?」
「マジックアイテムだよ。当時は結構値打ちものだったんだけどね」
「何の効果があるんだよ?」
マジックアイテムは大体かなり値が張るものだ。効果によっては、礼を貰いすぎる可能性がある。
「マジックバリアだよ」
貰いすぎだ。俺は鈴を突き返そうとした。
「あれ? いらない? いいものだよ」
「よすぎる。長話に付き合った礼にしちゃ貰いすぎだ」
タンジェは真面目だね、とサナギは言った。さっき親父さんにも言われたな……。俺は自分のことを特別真面目だと思ったことはない。
「古いものだから、たぶんもうずいぶん劣化しているし。でも捨てるのは忍びないしさ。貰ってほしいな」
「……」
捨てるくらいならもちろん受け取るが、マジックバリアなんてそうそうお目にかかれない代物だ。俺は鈴を懐に入れた。鈴は中に玉が入っていないのか、俺が動いても静かなままだった。
★・・・・
翌日の朝。やけに静かで寒いと思ったら、ちらちらと雪が降っていた。まだ積もってはいないので、降り出したばかりだろう。特別寒さに弱いたちではないが、布団から出るとさすがに冷えた。
朝に身体を動かす日課がある俺は、起床はかなり早いほうだ。廊下はまだ薄暗い。白い息を吐きながら階下へ向かう。
食堂では俺よりさらに早い親父さんが暖炉に火を入れていて暖かかった。
「早いな、タンジェ」
おう、と応じて、洗面所に向かって身支度を整えた。食堂へ戻ってくると、親父さんは朝食にとコーンスープとパンを出してくれた。
「今日はこんな天気だから、ジョギングには出ないだろう?」
親父さんの言葉に、俺はまた「おう」と返した。コーンスープはできたてらしく熱いくらいだ。ふうふうと息を吹きかけていると、
「まあ物騒だしな。あんまり丸腰で外に出るもんじゃない」
「物騒?」
顔を上げて首を傾げると、親父さんは、
「なんだか得体の知れない魔術師だかがうろついているらしいぞ。何人か殺してるとか」
「マジかよ……」
思わずぼやく。
「昨日はそんな話は聞かなかったぞ。街だって賑わってた」
「昨晩脱獄した死刑囚らしいぞ」
「騎士団は何やってんだよ……」
脱獄囚の殺人鬼なんて、聖誕祭ムードの街中に現れたらえらいことだ。親父さんの口ぶりからしてまだ噂の域を出ないようだが、もう少しすれば朝刊が届く。そこで発表されるのかもしれない。
ベルベルントの騎士団はあまり実戦には慣れない治安維持隊で、冒険者が跋扈するベルベルントでは活動が地味だが、みすみす脱獄されて街中でうろつかれちゃさすがに威信に関わるだろう。
騎士団と冒険者というのは、あまり仲が良くない。特にベルベルントでは冒険者が日常の大小トラブルを解決し、騎士団のお株を奪っている状態だ。騎士団に絡まれたら面倒なことになる。今日は街中に出ないほうがよさそうだ。
共犯者とワルツ 3
日は差していたが、空気は冷えている。爽やかな冬晴れだ。
ベルベルントにも雪は降る。俺の故郷のペケニヨ村でも、年によっては降雪があった。だがベルベルントのほうが寒く感じる。
辺りは聖ミゼリカ教の聖誕祭のムードで、家々や店は軒並み飾り付けられて銀の星飾りが日の光を反射してぴかぴかと光っていた。
重ね着をした人々が白い息を吐いて大通りを往来する。
中央の広場に巨大なツリーがあった。
何人もの体格のいい男たちがツリーに登って飾りを付けたり、ツリーの剪定をしたりしている。
「そういえばツリーを立てる手伝いの依頼が来ていたな」
ぼそっと黒曜が言う。
「そうかよ。サナギの使いより、こっちの依頼を受けたかったぜ」
俺が愚痴半分にこぼすと、
「割は良くなかったぞ。ほとんどボランティアだ」
と黒曜が嫌なことを言うので「それなら、サナギの使いのがマシか」と、俺は手のひらを返した。
黒曜によればサナギのお使いメモには数種のマジックハーブが書かれているらしく、俺たちは魔法雑貨屋を目指す。交易都市たるベルベルントには玉石混交の魔法雑貨屋がある。俺には普段から用も縁もない場所だからどの店が玉あるいは石なのか見当もつかない。
「店の指定はねえのか」
「それはこちらの台詞だが……」
確かにサナギに直接依頼されたのは俺なので、黒曜の言葉はもっともだった。
「特に何も言われてねえよ。メモにも書いてねえか?」
「ああ」
どうしたもんかな、と俺が呟くと、
「以前のお使いで指定された店でいいだろう」
そういえば黒曜は『前のお使いでサナギのメモから一つのミスもなく買い物を済ませてきた』んだったか。
「そうか、確かにそれなら問題ねえだろうな」
黒曜を連れてきてよかった。やっぱ俺いらねえだろ。
ともあれ、黒曜の先導についていくことにした。目的の店に行くには大通りから少し外れなければならないそうだ。
もともと無口な黒曜と社交的でない俺の間には特に話題らしい話題もなく、無言のまま魔法雑貨の店に来た。マジックハーブは全部で145Gだった。それが高いのか安いのか俺には分からない。
サナギが俺に手渡してきた紙幣と硬貨は合計300Gあったから、155G残っているわけだ。普通に半分にすれば77G前後だ。これだけでは宿代には到底足りないが、手持ちの金を合わせれば今月分は支払えそうだ。
広大なベルベルントのこと、店先でのトラブルなんて日常茶飯事だが、今日のお使いに関しては終わってみればあっさりだった。サナギは俺を「荷物持ちくらいにはなる」と言っていたが、実際のところマジックハーブ数種の購入に男二人はどう考えても不要だった。
俺は黒曜に、付き合わせて悪かったな、と呟くように言った。
「いや……。……構わない」
黒曜は淡々と応じた。俺は軽く頷く。
「……寒いな。さっさと帰ろうぜ」
魔法雑貨店から出て目抜き通りを歩いていく。聖誕祭が近いからだろう、やけに人が多い。普通に歩いていて人にぶつかるほどではないが、ド田舎の山中の村で暮らしていた俺は歩くのにてこずった。
黒曜はすらりすらりと人混みをよけていく。黒曜の背中が遠ざかる。はぐれても星数えの夜会で合流できるから問題はないのだが、人混みに負ける男だと思われたくなかった。必死に進んでいると、黒曜がちらとこちらを振り返る。
「大丈夫か、タンジェリン」
かろうじてこちらに聞こえる音量で言った。
「お、おう」
頷いたものの、説得力はないだろう。黒曜だって往来で急に立ち止まるわけにはいかない。俺は若干、観念した思いで、
「悪い、先に行ってくれ。どうせ目的地は夜会だ」
「分かった」
黒曜は頷き、すいすいと先に進んでいった。すげえな、あいつ……。
続いて進もうとしたところで、不意にとんとん、と肩を叩かれた。
「失礼、あなたは冒険者ですか?」
肩が叩かれなければ俺への質問とは思わなかっただろう。俺は思い切り眉を寄せて振り返った。背の高い、片眼鏡の男が柔和な笑みを浮かべて首を傾げている。
無視してもよかったが、肩まで叩かれているので、気付いていないふりはさすがに無理があった。いったん道路端に身体を寄せると、俺の肩を叩いたらしい男も一緒にやってくる。
「冒険者だが……駆け出しだぞ。何か用か?」
俺が改めて尋ねると、
「冒険者宿を探していたんです。依頼を引き受けてもらえるのは大前提として、何日か宿泊できると助かるのですが」
暗に、俺の常宿を紹介しろ、ということだとすぐに察した。
「言っとくが、俺の紹介なんかじゃ値引きや特典はねえぞ?」
男は「そんなつもりで言ったわけではないですよ」と言った。
「皆さん忙しなさそうで……声をかけやすそうな相手を選んだだけですから」
俺が、声をかけやすそうだって? 褒め言葉のつもりだったのかもしれないが、まったく嬉しくはなかった。
だがまあ客が来ること自体は親父さんにとってはいいことだろう。断る理由もない。
「今から宿に戻るとこだ。ついてくるのは構わねえ」
「助かります。お言葉に甘えましょう」
男が頷いたので、俺は何とか人波に乗って目抜き通りを北上していった。
★・・・・ 星数えの夜会に戻ると、黒曜はすでに借りた外套を返して薄着で暖炉の前にいた。「おかえり」と声をかけてくるので、「ただいま」と返す。それから黒曜に改めて礼を言った。黒曜は礼には一つ頷くだけで返し、つい、と俺の後ろを見た。俺についてきていた片眼鏡の男は物珍しそうに星数えの夜会を眺めていたが、黒曜の視線に気づくとにこりと笑って頭を下げた。
俺は親父さんに声をかけて片眼鏡の男を任せる。それからサナギの研究室に向かった。サナギはうずたかく積まれた本の横に座り込み、熱心に何かを読んでいた。
「戻ったぞ、サナギ」
声をかけると、サナギは顔を上げた。
「おかえりタンジェ。ありがとう」
サナギは立ち上がり、入り口に立っていた俺のほうへと器用に歩いてくる。さっきまでは動いていなかったいくつかの機器がコポコポと音を立てたり、クルクルと回ったりしている。
マジックハーブを渡すと、サナギはそれを検品しながら言った。
「助かったよ、タンジェ。結構急ぎだったんだ」
「急ぎ?」
サナギは俺の前から離れ、実験器具らしきものの前に行く。検品を終えたものを投入しながら、
「うん。実は、俺がずいぶん昔に作った術が、いくつか盗まれたらしいんだよね」
「……?」
俺は首を傾げた。
「ずいぶん昔? 作った術? 盗まれた『らしい』?」
ああ、とサナギは言った。
「最初から説明するね。今の俺のひとつ前の代だから……だいたい六十年くらい前のことかな? そのときの俺は……」
「待て、それ本当に最初からになってるか? 前提がよく分からねえんだが……。なんで六十年前にお前がいることになってる?」
「そうか、そこからだよね」
実験器具がぐつぐつと煮えたつ。
「俺はホムンクルスなんだよ。俺とそっくり同じ身体がいくつかあって、俺は死の危機に瀕すると次の俺の身体に記憶や意識を移し替えているのさ」
「俺はホムンクルスなんだよ。俺とそっくり同じ身体がいくつかあって、俺は死の危機に瀕すると次の俺の身体に記憶や意識を移し替えているのさ」
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