分水嶺 4
- 2023/09/19 (Tue)
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冒険者はだいたい宿屋を根城にしていて、その宿は冒険者宿とか、ギルドなんていうふうに呼ばれる。コンシットの言う『湖の恋亭』とやらもそれだろう。
タンジェの拠点も例に漏れず宿であり、名を『星数えの夜会』という。先ほどまでパーティ会議をしていたまさにその場所だ。宿は、宿屋のみならず食堂や酒場を兼営していることがあって、星数えの夜会もしかり。タンジェたちはだいたい、その食堂の一角を借りてパーティ会議なんかをしている。
宿は、単に冒険者たちへ寝床を提供するだけではない。所属する冒険者へ依頼を斡旋する役目も持っている。
今回のグリズリー退治の依頼も、実際に獣害を受けている村から、星数えの夜会の経営責任者である宿の"親父さん"へ持ち込まれたものだ。
べつに、親父さんを介さなくても、冒険者は自己責任と自己判断で、自由に仕事を受けていい。だが宿を通さなかったなら、それは人目を避けた後ろ暗い仕事か、是も否もなく事件に巻き込まれるパターンか……。どちらにせよ、きちんと見合った報酬が支払われるか、見返りがあるのかは保証されない。
通常、見返りのない依頼なんか受けたくないから、冒険者を志す者が宿に所属しない理由はない。
そしてその宿にどんな依頼がどの程度持ち込まれるか――要するに、冒険者宿としての評判は、所属する冒険者の働きにかかっている。星数えの夜会はタンジェたち「黒曜一行」がパーティを組んで初めて「冒険者宿」を名乗るようになった。つまり、コンシットの言うとおり、新興の宿だ。新興の宿に舞い込む依頼は多くない。
「そうそう、その……星見の会? そんな無名の宿、ろくな依頼こないだろ。くだらないし、つまんないじゃん、なあ?」
タンジェは舌打ちし、小声で「うるせぇな」と吐き捨てたが、コンシットには聞こえなかったらしい。しつこく畳みかけてくる。
「あんな獣人だらけのパーティで、やることは獣退治! おまけにお前、戦士役から外されたんだろ?」
カッとなった。
"獣人だらけのパーティ"。嘘はない。黒曜は黒豹、緑玉は孔雀の獣人であったし、アノニムはミノタウロスの血を引いていた。3人とも耳や尾やあるいはツノで、見ただけでそうと知れる。獣人差別が色濃い地域こそあるものの、人種の坩堝であるこのベルベルントでそんなことをとりたてて言うやつはめったにいないのだが……。もっとも、タンジェは良くも悪くも他人の人種や人種への思想には無関心である。タンジェの怒りに火をつけたのはこれではない。
"やることは獣退治"。これも嘘はない。どこから嗅ぎつけたか知らないが、確かに今回の依頼は正しく"獣退治"だ。山に生きてきたタンジェは、野生動物の身体能力の高さをよく知っている。獣退治は簡単ではない。だが、都会人らしいコンシットはそのことをよく分かっていないらしかった、馬鹿にした言い方で見下す程度には。それはコンシットの見込みが甘いだけだ。怒りのもとはこれでもない。
"戦士役から外された"。コンシットの勘違いならよかったが、――嘘はなかった。
だがしかし、これである。タンジェの怒りを燃え上がらせた言葉は。
――そもそも戦士役とは何か? "役"の名がつくとおり、役職のひとつだ。
役職というのは、冒険者パーティを組むにあたり、何を専門にそのパーティに貢献するかという目安である。
望ましい役職の配分は、リーダー、参謀、戦士、盗賊、聖職者、遊撃手の6人体制だと言われている。この組み合わせのパーティは生存率も高いという統計があるらしい。だから冒険者パーティは一般的に6人組であることが多いのだ。
ただ、そういう理屈やら統計やらに、タンジェはいっさいの興味はない。
タンジェの関心は、つまり、人並みはずれた怪力を持ち、命を預ける得物は戦斧という完全な近接戦闘武器でありながら、自分は"戦士役"ではない、ということであった。
コンシットは嘲笑する。
「なんだっけ? タンジェさ。戦士どころかあれやらされてんだろ――"盗賊役"!」
ブチ切れて暴れ出さなかったことを褒めてほしい。
――タンジェリン・タンゴは黒曜一行において"盗賊役"を割り当てられた冒険者である。
盗賊といっても、冒険者ならばその意味合いは追いはぎなんかをするいわゆる"賊"とは異なる。
盗賊役は、ダンジョンや遺跡などの探索の最中に、鍵開け、罠の発見・解除、諜候などをこなす役職で、これがいるといないとではパーティ全体の生存率が大きく変わってくる。まず不可欠の、重要な役職だ。
ところが、だ。
タンジェたち6人が集まり、パーティを組むことを検討した当時、6人の中に盗賊適性があるメンバーはいなかった。正確には、戦士役適性・志望がかち合ってしまい、かつ、盗賊役を引き受けようという者がいなかった。
それぞれの適性配分は、黒曜がリーダー、サナギが参謀、パーシィが聖職者、緑玉が遊撃手である。自薦も他薦もあったが、この4人に振り分けられた役職に議論の余地はない。
戦士役に志望したのはタンジェと、褐色の大男アノニムだ。もっともアノニムのほうは「志望」というほど積極的なわけではなく、「やるならそれしかできねえ」という言い分であった。
タンジェは、今まさに披露したとおり、人間離れした相当の怪力だ。戦闘技量は粗削りだが、力比べにだったらそうそう負けはしない。
冒険者になる目的も、より強い力を求めてのことだ。戦闘経験を積むなら戦士役一択! 断じて譲る気はなかったし、だいたい、そもそも盗賊役が身に付けているべき諜候や解錠のスキルも何一つ持ってないんだから、盗賊役なんて無理な話である。
だが、盗賊役に向いていないのはアノニムだって同じだ。そうなれば、どちらかがイチから盗賊役にならなければならない。
だから、タンジェとアノニムは決闘をした。
タンジェが負けた。かなり、あっさり。
いくら怪力と言えども、ミノタウロスの血が流れるアノニムに、力で敵うはずがなかったのだ。どこで何をしていたのか過去の経緯は知らないが、戦闘技巧もアノニムのほうがはるかに高かった。
それでタンジェは盗賊役にならざるを得なくなった――戦士志望が、同じ戦士志望に負けて、何の経験も知識もない盗賊役にさせられる屈辱!
未だにその遺恨は根深く、タンジェはアノニムに対して穏やかじゃない感情を抱いている。そのアノニムがクマ退治に対して一言。「人間相手よりは苦労する」――それを聞いたときのタンジェの気持ちといったら、容易く言語化できるものではなかった。
これら一連の痛恨が記憶に新しいタンジェにとって、コンシットの言葉はまさに地雷そのものだったのである。
「俺たちのパーティなら、戦士役として置いてやるぜ? やることも獣相手なんかじゃなくて妖魔退治さ」
「……」
「明日さっそくヤイ村ってとこでゴブリン退治だ。そうだ! そこから俺たちのパーティに参加しろよ。なっ!」
黒曜たちのパーティからの異動を、考えないではなかった。黒曜たちだってちゃんと訓練を積んだ盗賊役のほうがありがたいに決まっている。
異動を今まで選択肢から外していたのは、黒曜たち5人はあと盗賊1人を探せばいいが、タンジェはほかの5人を探さなくてはならないからだった。貯金らしい貯金もなく、コネもなければ愛想もない。挙句、戦士役志望同士で決闘に負けたタンジェを、戦士役として引き入れてくれるパーティがあるだろうか? 少なくとも黒曜たちは「盗賊役をやるならパーティに入れる」と言ってくれていた。
やむを得ずタンジェは盗賊ギルドを探し当て、そこでなけなしの金を積んで盗賊の基礎の基礎から教えてくれる師匠を見つけた。
いつの時代も、理屈と技術を磨くばかりで実戦には出られない臆病者はいて、そういうやつはスキルを他人に伝授することで金を稼いでいる。師もろくでもない大人ではあるが、腕は確かだった。金を積めばタンジェに盗賊役の技術を教えることを惜しまない。
それ以来、タンジェは何とか盗賊役をやっていた。だが、パーティにいるため、すなわち盗賊役でいるためには、戦闘訓練や筋トレとは別に鍵開けなどの特訓もしなければならず、それは正直、煩わしいことだった。
つまるところ、タンジェにとって――コンシットからの勧誘は、悪い話では、なかった。
答えは決まっている。
「断る。失せろ」
理由はシンプルである。わずか数分のやりとりの末、分かったことには、タンジェはコンシットの性根が嫌いであった。
「な……!」
口をあんぐり開けたコンシットは、たちまち顔を真っ赤にして、
「ふん。哀れに思って言ってやったのによ。一生、獣臭い宿で、薄汚い盗賊役をしてるんだな!」
手が出た。コンシットは、タンジェの馬鹿力やパーティのメンバー構成、何の依頼を受けるのかなど、やけに偏執的に情報を収集しているくせに、タンジェが恐ろしく気の短い男であることを把握していなかったらしい。
コンシットの胸倉を掴んで引き寄せ、頬に拳を一発。カッとなったわりに、手加減はしている。感謝してほしい。タンジェの馬鹿力で全力を出したら、頬の骨くらいは容易に砕く。
「ごっ……! ぐ……!」
倒れ込んだコンシットに、パーティメンバーらしい残りの男女が慌てて駆け寄る。コンシットと一緒に睨んできたが、まったく怖くはなかったし、謝罪する気も沸いてはこない。コンシットたちを見下ろして追い打ちに吐き捨てる。
「てめぇに哀れまれるほど安かねえんだよ。すっこんでろ、雑魚が!」
「どっちが雑魚だ……! 獣退治ごときで調子に乗りやがって。もういい、行くぞお前ら!!」
コンシットは両脇の二人に支えられながらよろよろと立ち上がり、怒り心頭といった様子で立ち去っていった。