カンテラテンカ

分水嶺 9

「じゃあ、ライゴさんとラッシュに案内してもらって、まずはクマハギの位置の確認だ」
「ああ……しかし、あの場所はこの人数で格闘できん。少し逸れれば、多少開けた場所に出るわい。追い立てるのはラッシュの領分だ。お前がセコをやれ」
 と、緑玉を見た。
「え?」
「ワシは単独猟しかやらん。体力こそ若いやつらには負けんが、走り回れんわい。ラッシュも懐いているようだし、お前がやれ」
「……そもそもセコって何?」
 緑玉の疑問にはサナギが答えるだろうと思っていたが、何故かタンジェに説明を譲ろうとするので、しぶしぶ、
「よさげな場所を何人かのマチで囲んで、セコが獲物を追っかけ回して、そんで来たところを、近いマチが仕留めんだよ」
「……何も分からない。専門用語が増えてるし。説明向いてないね」
 顔を歪めたタンジェが舌打ちする。自分の思考や知識の言語化はめっぽう苦手なのだった。タンジェには無理らしいと察したサナギが、
「獲物を仕留める係が何人か潜伏するでしょ。彼らがマチ。で、マチが待ち構えているところに獲物を追い立てる役割がセコ。このセコが猟犬も使役するよ」
「ああ、ラッシュに指示を出して、みんなが待ち構えてるところに、クマを追い立てればいいってこと」
 タンジェが「俺の説明とそんなに違ってたか?」と文句を言うと、サナギは笑った。そもそもなんで俺に説明させたんだよ、と続けて尋ねると、
「俺が全部しゃべると、タンジェと緑玉のコミュニケーションの機会をひとつ奪うと思って」
 タンジェと緑玉はお互いに変な顔になった。
「しかし大事な猟犬でしょう。いいんですか?」
 2人の顔から視線をライゴに移し、サナギは尋ねた。ライゴは、
「お前らは猟銃は使わんのだろう。誤射はない。それにぎりぎりまでワシもついとくわい。走り出したら追いつけんから、そのときはノワケを優先して放っておけ」
「やり方は教えてくれるんだよね?」
「当たり前だ。しかしまあラッシュは賢い子だ。ノワケからの反撃を避けるだの、多少の判断は自分でする。それにラッシュは追い立てと呼び戻しの指示は間違いなく聞くわい。やってやれんことはないだろう」
 サナギが頷き、
「クマハギの位置と追い立てる場所を確認して、緑玉はライゴさんとラッシュとクマハギの場所で待機。残りは、ノワケを追い立てる予定地付近で潜伏だ。ノワケが現れたら戦闘」
 もっとも、たぶん俺は役には立たないなあ、とサナギがぼやく。
「クマと格闘なんかできるわけないからね。どうしたものか」
「だが、いざというときのために誰かしらの近くにはいろ」
 淡々とした黒曜の言葉には、サナギも「了解」と素直に頷いた。
 一同はすぐに森へと発った。道中、ノワケとの不意の遭遇を避けるため、鈴を鳴らし、定期的に空砲を撃つ。ライゴが緑玉にラッシュへの指示を教え、緑玉は何度か実際にラッシュを動かした。
 間もなく予定地へつく。確かに樹皮の剥がれた木々が立ち並ぶ一角がある。やがてこれらの木は枯れて倒れ、土に還るだろう。
「ははぁ。なるほど、これはすごいな」
 樹皮はぎを初めて見たというサナギは感心した様子で屈み込み、樹皮の剥がれた部分を観察している。
「おい、のんきなこと言ってる場合じゃねえぞ。いつノワケがここに来るか分からねえ。俺たちは縄張りに踏み込んでるんだからな」
 わざわざ人間を襲いたい野生動物はまずもっていない。突然出会って驚き襲うもの、子どもを守るために戦おうとするもの、腹が減って凶暴化するもの、やむを得ない事情で人を害しはするけれども、基本的に野生動物は人間を恐れ、忌避する。だが、ライゴはノワケのクマハギを縄張りのアピールだと言い、今まさにタンジェたちはそこに踏み込んでいるのだ。いつ襲われてもおかしくはない。
「ああそうだね。よし、次はノワケを追い込む場所だ」
「こっちだ」
 ライゴの案内で、十数分ほど西に進めば、確かに少し開けた場所がある。クマとの取っ組み合いに充分かは……、経験がないので確信をもって頷くことはできないが、先ほどのクマハギの地点よりははるかに動きやすそうだ。
「……ここにノワケを追い立てればいいんだね」
 緑玉がラッシュを撫でた。
「できるか」
「分かんないけど、やらなきゃいけないんでしょ。じゃあやるよ」
 ひねくれた言い方ではあったものの、実質、緑玉は頷いた。
 タンジェとライゴでマチの潜伏場所を選択する。サナギが、
「俺は……セコ側にいようかな。ライゴさんにつくよ。どうせ俺も、ラッシュと緑玉には追いつけない」
 と言うので、選んだのは4カ所。パーシィは本来後衛の聖職者だが、メイスで戦う技術はあるし、いざというときに素早く怪我の治療するためにもマチ側にいるべきだと判断された。
 黒曜、アノニム、タンジェ、パーシィの位置取りを確認。
 あとは、緑玉、ラッシュ、ライゴ、サナギが先ほどのクマハギの位置に戻り、ノワケを待つ。ノワケが現れたらこの場所に追い立て、4人で迎撃する。現れなければまた明日、同じことをするだけだ。
「4人がかりなら殴り殺せるものかい?」
 潜伏前にパーシィが尋ねてきた。
「どうだろうな。タイマンよりは可能性があるんじゃねえか」
 戦斧を担いだタンジェが素っ気なく答える。適当に肯定することもできたが、する意義はないとみた。パーシィは別に不安がってそれを尋ねたわけではなさそうだったし、タンジェは――本人の自覚は希薄だが――真面目な性分なのである。
「そうか。まあ、怪我は心配しなくていい。"祈り"にはまだ余裕があるし、怪我は俺が治すよ。即死でなければ」
 嫌なことを言う。
「……"祈り"に余裕がある?」
 嫌なことのインパクトが強すぎて聞き流しかけたが、意味不明な言葉があったので問い直した。
「俺の力の源は人々の祈りなんだよ。人の祈りがエネルギーになって、俺の身体にストックされる、とでも言えばいいかな。魔法使いがいうところの魔力、戦士がいうところの体力だ。これさえあれば、俺は癒やしの奇跡を何度でも使える」
「……聖職者ってのは、みんなそうなのか?」
 祈りが力になるなんて、初めて聞く概念だった。
 もともと聖職のことには疎いのだが、タンジェの故郷ペケニヨ村があったエスパルタ国は聖ミゼリカ教国家だったので、タンジェも村の私塾でほんの少し聖ミゼリカ教のことは習っていた。もっともペケニヨ村はそれほど聖ミゼリカ教に傾倒していたわけではなく、タンジェも両親も信者ではなかったし、それどころかタンジェは不心得者のほうである。  だからパーシィの言い出したトンデモな話も自分が知らないだけで一般的なものなのかと思ったが、パーシィは、
「いや、けっこう特殊体質だと思う。俺は元天使だから、それに由来するものだ」
「はあ?」
 タンジェは驚きと怪訝をないまぜにした変な顔になった。パーシィは冗談を言っているふうでもなくごく普通の表情である。
「あれ? きみには言っていなかったか。ちょっといろいろあって地に堕とされた……要するに堕天使なんだよ、俺は」
 またわけのわからないことを言い出しやがったな、とタンジェは思ったが、今はそんなことよりノワケを待ち潜伏するのが最重要だ。タンジェはパーシィを「そうかよ、さっさと潜伏場所へ行け」と雑にあしらった。パーシィは「本当なんだけどな」と言いつつも特に頓着の様子はなく予定場所につき、静かに腰を下ろした。

 静寂が支配する。
 元より黒曜やアノニムは口数が多くない。パーシィも真面目に静かに潜伏していた。
 空気は蒼く、まだ日も高いというのに、山林に阻まれて陽は落ちず足元はわずかに暗い。
 呼吸のわずかな音すら立てず、タンジェも”その時"を待っている。
 何分、何十分、あるいは1時間は経っただろうか。

 静謐を裂く。
 けたたましく勇ましい、犬――ラッシュ――の吠声だ。
 タンジェは顔を上げた。視線だけで木々の隙間を縫う。瞬間、地面を蹴って飛び出した。
 吠え立てられて逃げ込んだ"獲物"と駆けこむタンジェとがぴったり交差し、遭遇する。

 視界に飛び込む、3mはあろうかというグリズリー。対面かなった、やつがノワケ!
「――喰らいやがれッ!!」
 タンジェはほとんど不意打ちの形で、迷わずその巨体に戦斧を叩きこんだ。
 毛皮を裂いたが、狙いもつけずに振り下ろした戦斧の刃は骨で止まる。噂通りの頑強さだ。
 吠えたノワケが腕を振り回し、タンジェを振り払おうとする。暴れるノワケの腕をかろうじてかわした。ノワケの横っ腹に突き刺さった戦斧を引き抜こうとしたが、体勢が悪い。骨まで達しているのだ、片手間に抜けるほど浅くはなかった。
「ちっ……!」
 仕方なくタンジェはいったん戦斧を諦め、ノワケの身体を蹴って離れて間合いをとる。
 ノワケは立ち上がりタンジェを見据えた。咆哮を上げる。3mものグリズリーとの相対は凄まじい迫力で、だが、タンジェは怯みはしなかった。
 もっとも、精神的には負けていないのだが、戦斧を持っていかれているタンジェはほとんど丸腰だ。腰にサバイバルナイフはあるのだが、戦斧でかろうじて破れる毛皮をこれでどうにかできるはずはない。
 ノワケは脇目も振らずタンジェに突進してきた。到底ヒトが逃げ切れる速度ではない。それでも横っ跳びして避けるか、あるいは自分の馬鹿力に賭けて取っ組み合うか、一瞬の間に思考する。
 が、思考に決着がつく前のほんの刹那に、
「<ホーリーライト>!」
 猛進してきたノワケの目の前に閃光が迸り、弾けた。たまらずノワケは仰け反り、その場に縫い付けられる。
「……!」
 視線だけ横に向ければ、パーシィが構えた腕を下ろすところだった。聖ミゼリカ教徒の奇跡は、癒やしだけではなく、聖なる光の力をもたらすのである。
 タンジェは悶えるノワケに素早く駆け寄った。今度は地面に足をつけて踏ん張れるので、容易く戦斧を引き抜くことができた。
 もう一撃食らわせようとしたが、それより躍り出たアノニムの攻撃のほうが速い。棍棒を振りかぶったアノニムは、渾身の力でノワケの額にそれを打ち据えた。ノワケの巨体がぐらりと揺れてよろける。クマの頭蓋は分厚く、脳は奥まったところにあるものだが、そんなことは関係ないとばかりに無視した凄まじい一撃だった。
 平衡感覚を失い、またまだ目も眩んでいて、ノワケはまるで無防備だ。
 今、攻撃を重ねれば、頑強なノワケだろうが殺せる! 畳みかけようとしたタンジェだったが、その意気はほとんど空振ることになった。音もなくいつの間にかノワケの前にいた黒衣――黒曜の手元が凛とひらめき、そして、その青龍刀の一撃は、鮮やかに、ノワケの喉元を刺し貫いていた。

 じきに大きな音を立ててノワケが倒れ伏す。
 木々にとまっていた鳥が羽ばたき、樹海から飛び立っていった。

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