カテゴリー「 ┣密やかなる羊たちの聖餐」の記事一覧
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 6
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 5
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 4
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 3
- 2023.10.12
密やかなる羊たちの聖餐 2
密やかなる羊たちの聖餐 6
昼食を終えると、午後の仕事になるはずだが、実際は15分ほど、食休みの時間があるようだ。
レンナは早めにしたい作業があるからとさっさと立ち去ったが、クーシンとドートはのんびりとしていた。出された茶を飲みながら彼らと話をしていると、使徒職はある程度は希望がきくことが分かった。
「タンジェはいい身体してるけど、やっぱ肉体労働が得意?」
ドートが尋ねる。
「そうだな。ドートは庭仕事してるって言ったよな。俺もそういうのがいいんだがよ……」
本心だ。
「外回りはやりたがる人が少ないからめっちゃ助かると思う!」
ベルティア修道院周りの木々も、担当が切ってるんだよ、というので、
「俺は元木こりだからな、そういうのは得意だ」
「木こりだったんだ」
クーシンが茶菓子を摘まみながら俺に尋ねた。
「なんで信仰の道に?」
「あ……いや……」
しまった。迂闊なことを言った。俺は答えに詰まり、
「その、勧めがあってな……サナギから……」
と、適当なことを言った。そもそも、俺はでっち上げを取り繕うのは苦手なのだ。
「あ、さっき前で紹介されてた人だよね。同郷なんだ?」
「お、おう」
「サナギさん、美人だよね〜!」
「最初女の人かと思ったよ。でもここ男子修道院だしね、女の人が来るはずないって」
そこから話がなんとなくサナギの話題になったので、俺は内心で胸をなで下ろす。
なるべく余計なことを喋らないためには、やっぱり意図して口数を減らすのが一番だ。俺はそこからはなるべく相槌だけ打つようにして、使徒職の時間を待った。
ドートは午後の仕事に出ないらしかったが、気を利かせて俺を庭先まで案内してくれた。
庭には何人かの修道士がいて、倉庫から鎌や斧、枝切りバサミなんかを取り出している。その中の一人に声をかけ、ドートが俺を紹介すると、あっさり歓迎された。
「この使徒職は本当に人手が足りなくてね。だいたい皆、自身の祈りを活かす医療職などの社会奉仕を好むのです」
そりゃそうだろう、とは、さすがに口には出さなかった。
「しかし、施設管理も大事な職務です。誇りをもって励むように」
「ああ……」
俺は頷いた。
「じゃあ、俺はこれで」
そそくさと立ち去るドートを、特に咎める声もなく、修道士たちは見送っていた。ドートが午後の使徒職にも出ないという話は、すでに通っているらしい。
俺はこの場で一番偉そうな修道士に尋ねた。
「ドート、具合悪いんですか」
修道士は細い目をこちらに向けた。
「数日前から、休みがちなのですよ」
「ふうん……」
数日前から、か。なぜ左腕の故障を「体調不良」だと騙っているのかは分からないが、昨日今日に原因があるってわけじゃなさそうだ。
ということを考えてから、返事が素っ気なかったことを自覚して、
「そうすか。ありがとうございます。心配ですね」
慣れない敬語で取り繕った。
「ええ。あなたはドートとは?」
「同室になりました」
「そうでしたか」
それ以上は特に深く突っ込まれることもなく、
「では畑の草取りからしましょうか。倉庫から軍手と鎌を持ってきて、自分のペースで始めてくださいね」
見れば、中庭の奥に畑や菜園があるのが分かった。少ない修道士がてんでばらばらに、すでに活動を始めている。
俺は言われるまま小さな倉庫に入った。何度も洗濯されたのだろう、くたくたの軍手と、使い込まれた草刈り鎌、ほかにもいくつか、畑仕事なんかの道具が入っている。
サイズが合いそうな軍手を選んで身に着け、草刈り鎌を手にした。
中庭の一部とはいえ、そもそもが広大な敷地だ。畑もそれなりの広さがある。修道士たちはさすがに畑の手入れを職務にしているだけあって、別に危なっかしいところはなかったが、どうにも動きがのんびりしていた。俺だったらたぶん1.5倍はこなせる。あんまり目立つのもよくないが、仕事に手を抜くようなこともしたくねえ。
さっそく草刈りを始める。俺は元木こりだが、村では畑仕事も手伝っていたし、農業だの林業だの、そういうことには自信があった。田舎者には田舎者なりの矜持ってもんがある。
時間いっぱい使って、俺は畑の雑草という雑草を刈り尽くした。
さて、とりあえず初めての使徒職を片付けまで終えて食堂に行こうとしていると、一人の修道士から声がかかった。
たぶん初めて会う修道士だ。正直どこを見ても同じローブの男なので全然見分けがつかない。俺が覚えたのは、ドート、レンナ、クーシンの同室三人と、最初に俺たちを案内した修道士、それから中庭での使徒職を統括している細目の修道士だけだ。後者の二人にいたっては、名前も知らない。名札でも首から提げてくれねえもんかな……。
ともかく、その修道士はこう言った。
「新人さん。そっちじゃないよ」
「あん?」
次は晩飯だろ、と聞くと、うん、その前に晩課、と修道士が答える。
「ばんか?」
「夜の祈り。だから、食堂の前に礼拝堂」
「そうなのか」
礼拝堂には、確か昼間に案内されたが、現在地点から礼拝堂までの道がどうも結びつかない。目の前の修道士に頼んで案内してもらうことにする。
並んで歩きながら修道士は晩課とやらについて説明してくれた。要するに俺たちが昼にやったのは、単なる「いただきます」の祈りで、夕飯と朝飯の前には、それとは別に祈りが要るってことらしい。
そもそも俺は、パーシィやここの修道士には悪いが、神は信じていないほうだ。だからこう一日になんべんも祈るやつらがどういう気持ちで日課をこなしているのか、いまいちピンとこない。
だがそんなことを聞こうもんなら、一応、信徒としてこの場に来ているのが台無しになる。別に知りたくもないが……もしそれを聞くならあとでパーシィにでも聞けばいい。
結局、俺は特にこちらから振る話題がないまま、修道士と並んで礼拝堂へとやってきた。
大多数の修道士がすでに揃っているようで、広い礼拝堂いっぱいに整然とローブ姿が並んでいるさまは、なかなか壮観だ。特に決められた場所はないらしく、俺は勧められるまま最後尾のあいている席についた。前に俺より背の高い修道士が何人かいるため、前方はよく見えない。どうやら講壇に代表の修道士がいるらしく、そいつが何かを喋っているのは分かった。内容は俺にはさっぱり理解できなかったし、単語もまともに聞き取れなかったが、周囲が何事かを唱和するのには何とか合わせて同じことを言っているふりをした。
それから、たぶん聖歌ってやつだろう、歌が歌われた。曲だけなら聞いたことがある気がするが、歌詞を知らないのでこれも適当に合わせた。
次いで周囲は静まり返り、何事かを熱心に祈っている。俺も適当に両手を組んで、目を閉じた。思いのほかその時間が長く、俺は腹が鳴らないか心配をしなければならなかった。
薄く目を開けて横目で様子を見る。周囲の修道士が顔を上げ始めたのを確認して、俺も顔を上げる。どうやら晩課とやらはこれで終わりらしい。みんなは最後に礼をして、退室し始めた。
どの所作も静かなものだが、さほど緊張感はない。俺は自然に見えるタイミングで、人の流れに乗って退室した。そのまま進んでいくと人波は自然に食堂に入っていく。食堂にはすでに料理が用意されていた。何らかの冷製スープと、かぼちゃのキッシュ、それからパン。
紺色の髪が見える。ドートだ。それでなんとか席は分かった。レンナとクーシンもいる。軽く手を挙げてあいさつし、席につく。祈り。それからいっせいに食事。
昼食よりはまだ味がしたし、それは思ったより美味かったが、やはり量は少なかった。少し使徒職で使うパワーを調整しないと腹が減って目を回すかもしれない。
まるで牢獄だ、と言ったら、パーシィはどんな顔をするだろうか。
密やかなる羊たちの聖餐 5
ドートが食堂の前で足を止め、俺たちを振り返った。
「ささ、入って入って!」
まるで自分の家に案内するような言い草だ。サナギは笑顔で「うん」と頷いたが、俺は黙って食堂に足を踏み入れた。
すでに粛々と食事の準備がされていて、何人もの修道士が席に着いている。食事時だというのに静かで、ドートのようなおしゃべりはやはりどちらかといえば異端なタイプらしいと分かる。
数人が俺たちのほうを見て会釈した。俺は会釈を返して、少し食堂を見回す。
すると、一人が俺たちに気付いて歩み寄ってきた。よく見ると、最初に案内をしてくれていた修道士だ。
「よく来ましたね。さあ、食事の祈りの前に、あなた方を紹介するから前に出てください。おや、ドート、身体はもういいのですか?」
俺とサナギの横に立っていたドートに気づき、そう問われると、ドートは何故か俺たちのほうを見てから、少し黙った。
「えーと、はい、いくらかマシになりました」
「そうですか、午後の使徒職は出られそうですか?」
「うーん、……ちょっと厳しい、かも……?」
ドートがしおらしいので、俺は不審に思った。さっきまで元気だったじゃねえか。左腕が悪いのならそう言えばいいだろうに、「体調不良」で押し切るところもなんだかおかしい気がした。
「医務室に行きますか?」
「大丈夫です。えーと、その……あ……ちょ、ちょっと疲れてるのかも!」
「そうですか、ではゆっくり休むとよいでしょう」
修道士は微笑んでそう言った。
左腕を故障したことを言えない理由があるのか? 俺は難しい顔をした。サナギが「タンジェ、眉間にシワ寄ってるよ」と笑うまで、俺はそのことに気付かなかったが。
「さ、こちらにどうぞ」
修道士が俺とサナギを、食堂の正面、天使像が建っている場所へ案内した。静かな食堂に集合した修道士たちが俺を見つめている。居心地が悪い。
「本日付で我々の兄弟となるお二人です。サナギさんとタンジェリンさんです。よろしくお願いしますね」
はい、と、息のピッタリ合った返事が部屋に響く。
「では、席は部屋ごとに並んでおりますので、サナギさんはあそこ、タンジェリンさんはあちらに座ってくださいね」
俺が指定された席は、部屋ごとというなら当たり前だが、ドートの隣だった。
ほかに、眼鏡をかけた切れ長の目の男と、ふくよかな体型の男がいる。
「長く三人部屋だったからな」
小声で、眼鏡の男が言った。
「そろそろ誰か来る頃かと思ってたんだ。私はレンナだ、よろしく」
「僕はクーシン」
ふくよかな体型の男が少し身を乗り出した。
「よろしくね」
「ああ……」
俺は適当に返事をした。とりあえず、歓迎はされているようで安心する。
用意されている食事に目を落とすと、どうやら魚の香草焼きのようだ。
ここに来る前は修道院の食事になんざ期待していなかったが、なかなかどうして、美味そうだ。野菜のスープとパンもついている。
「では食前の祈りです」
俺とサナギが席に着いたと見て、修道士が言った。一同が一斉に祈りのポーズを取るので、俺は慌てて、とりあえず隣のドートを真似た。それから、みんなが何かの言葉を唱え始める。
祈りだ。
俺は祈りの文言なんざ、ひとつも知らない。食前の祈りなんてのもあることさえ知らなかった――いや、そういえばパーシィは食事前に何事か唱えていたか。
俺はバレないように、なるべく下を向いて声を出さずに口だけ動かした。これは覚えないといずれ不審がられるかもしれない。面倒だ。サナギのほうは上手くやってそうだが……。祈りなんてもんがあいさつ代わりにあるなら、教えとけ!
思ったより長い――少なくともパーシィが日頃飯前に唱えている文言よりははるかに――祈りの時間がようやく終わり、俺は顔を上げた。顔色が変わっていないか、冷や汗をかいていないか――俺は冷静を装った。幸い、誰にもおかしくは思われなかったようだ。
食事の間も、誰も会話を楽しんだりはしない。
沈黙の中で行われる食事は、俺は別に苦痛とは思わなかったが、自分の食事マナーが世間一般と逸脱していないかだけは気になった。普段通りに食っていると悪目立ちするに違いない。俺は努めて丁寧な所作で静かに飯を食った。なんとかそちらも誰かに咎められることはなかった。
そんなことを考えていたので、飯の味なんてほとんど覚えていない。量も普段食ってるものより少なかった。これがこの先、調査が終わるまで続くと思うと、俺はげんなりした。
密やかなる羊たちの聖餐 4
俺とサナギは、それぞれA棟とB棟でそれぞれ部屋が分けられてしまっている。
俺はサナギと離れ、5番部屋を探してB棟をうろついた。誰にもすれ違わなかったので聞くこともできず、少しだけ手間取る。
修道士たちは、確か……教えられたスケジュールによれば、今の時間は午前の仕事をやっているはずで、部屋にいるやつはいないのだろう。
5番部屋がようやく見つかった。誰もいないことを察しながらも、一応、ノックをして部屋に入った。質素な部屋で、二段ベッドが二つと小さな椅子が四脚、机が一つ。それからクローゼットがあるだけだった。
「あれ、新人さん?」
いないと思っていたのに急に声をかけられたので、俺は反射的に腰に手を伸ばした――普段腰に下げているナイフを取ろうとしたのだ――先に言ったとおり、装備はほとんどを置いてきてしまったので、急に腰に手を当てただけになったが。
顔を上げると、二段ベッドの上で大あくびをしている男がいる。紺色の癖毛で、顔にそばかすがある。人懐こそうな丸い目は、薄い茶色だった。
「ずっと3人だったからね、新人さんが来てもおかしくないかぁ。あ、着替えるならそこのクローゼット使いなよ。でも、その服の上からローブ着るだけでも大丈夫だよ」
「……今は、使徒職? とやらの時間じゃねえのか?」
俺が思わず尋ねると、男は、
「えー、もうそんなことまで習ったの? きみ、結構真面目なタイプ?」
こんなへらへらしたやつが、修道院にいるなんて思わなかった。
俺は自分の顔が歪むのを感じた。別に、修道士のあり方についてどうこう言う気はない。馴れ馴れしさに苦手意識を持っただけだ。
ただまあ、この服の上からローブを着るので問題ないというのはありがたい。単純に動きやすい服だし、この服の中に、盗賊用の道具をいろいろ隠し持っている。ローブを着ると、二段ベッドの上から「ブフッ」と吹き出す声が聞こえた。
「似合わないねー!」
「……」
俺は二段ベッドの上を睨んだ。
「へへ、ごめんごめん。だってきみ、修行僧とかやる体付きだもん。信仰心を高めに来たの?」
「……まあ、そんなところだ」
俺自身の設定なんざ決めていないので、適当に話を合わせた。
「なあ、きみ、名前なんつーの? 俺はドート!」
「……タンジェリンだ」
少し考えたが、確かサナギは偽名を使っていなかったので、俺はそのまま答えた。
「タンジェ、これから12時になったら昼だし、一緒に行こ」
やっぱり馴れ馴れしいな!
サナギも込みで俺のことをタンジェと愛称で呼ぶやつは多い。
それは別に、馴れ馴れしいとは思うが、長い名前なので、仕方ないとも思う。別に気も悪くはないのだが、ドートといったか? こいつは距離が近すぎてやりづらい。
「食堂の場所は教えてもらった。一緒に行く義理はねぇ」
冷たくあしらおうとすると、ドートは二段ベッドから降りてこようとした。
その仕草が、わずかに左腕を庇っていたのを、俺は見逃さなかった。
怪我か? だが、特に興味が湧かなかった。
二段ベッドから降りてきたドートは、
「そう言うなってー。先輩風吹かさせてくれよ」
と、肩を組んでこようとしたので、さすがにそれは避ける。
「……どっちにしろ食堂に向かうなら同じ方向だろ」
「それもそうか。ま、仲良くしようなー」
ドートはにこにこ笑っている。
「……で、なんで部屋にいたんだ?」
「え? ……へへ。体調不良!」
「左腕か?」
何気なく尋ねると、ドートは目を見開いたあと、少し視線を逸らした。それからほんの僅かに沈黙があり、
「すごいね、よく分かったね」
「……」
少し、目ざとすぎたかもしれない。俺は、適当に「まあな」と言った。
「実は、ちょっとケガしちゃって」
「……」
「俺の使徒職、庭の手入れなんだけど、腕使うからさ。結構困ってんだー」
ドートは、はは、と笑った。
「そうかよ」
言ったあと、素っ気なさすぎたか、と思い直し、
「身体は資本だろ。大事にしやがれ」
と付け足すと、ドートは明るい顔になり、「タンジェ、めちゃくちゃいい奴じゃん!」と、俺の腰に抱きついてきそうになったので、それも避けた。
昼食のために部屋から出て、ドートと一緒に歩いていると、A棟とB棟の合流地点でサナギと出会った。
サナギはドートを見て少し驚いた顔をしたが、「もう友達ができたの?」と、屈託なく笑った。
「……そういうわけじゃねえ」
「きみ、美人だねえ! タンジェの知り合い?」
ドートが後ろからでかい声を出すので、俺は顔をしかめる。
「ベルベルントから一緒にこの修道院に来たんだ」
サナギは設定通りのことを言った。
「ベルベルントから? あんな都会から、よくこんな田舎まで来たね」
「だからいいんじゃないか。俺たちは自然派なんだよ――俺はサナギ。きみは?」
「ドートだよ」
ドートとサナギ、両方を変人だと思っている俺は、二人がまともにコミュニケーションが取れていることに驚く。
そんな俺を余所に、握手をしたサナギとドートは、話を続けた。
「ところで、ドートはなんでタンジェと一緒に?」
「同じ部屋なんだよ」
「俺の部屋には誰もいなかったよ。今は仕事の時間じゃないの?」
「体調不良で休んでたのさ」
ドートは俺に対して言ったのと同じことを言った。
今見る限りでは元気そうなので、サナギは不思議そうな顔をしたが、深く突っ込みはしなかった。
二人の会話を眺めていると、鐘の音が鳴った。
「正午の鐘だよ。行こ!」
さっき、食堂の場所は教えてもらったと言ったのに、ドートは率先して先頭に立って、俺たちを先導した。
俺は呆れながらも、サナギと並んでそれについていく。サナギはドートに聞こえないように小声で言った。
「さっそく、いい情報源を見つけたじゃないか」
「……苦手なタイプだぜ」
「ふふ、お互い頑張ろう」
ドートから得られる情報が有益かは分からないが、確かに聞き込みしやすい状態ではあるのかもしれなかった。だが、四人部屋ということはあと二人、あの部屋には誰かがいるわけで、ドートと二人きりで話せる時間は多くはないだろう。
「とにかく、夜か」
「そうだね」
俺たちは頷き合った。
密やかなる羊たちの聖餐 3
落ち着かない気持ちで修道院へ向かう。修道院に着くまでの道のりで、ベルティア修道院は歴史が深く、建物は大きいが古い、などとサナギが解説している。
さらに麻薬として考えられるのは、アルタイン、イリーマリー、オーマ、それから……と、様々な麻薬植物について、本の挿絵を見せながら紹介してくる。その間にも、俺はそれを横目で見ながら、周囲への警戒を怠らなかった。
理由は、武器である斧も、サバイバルナイフも、いっさいを置いてきてしまったからだ。
いつも通りのリュックに斧を担ごうとした俺に、
「その格好で修道院に行くのはちょっと無理だな」
とパーシィが言ったので、最低限の荷物だけで俺とサナギは出発したのだ。
残りの荷物に関しては、何日修道院にいることになるか分からないので、宿より割安な貸し倉庫を借りることにした。
俺としては愛用の武器を他人に預けるなんて正直気が気じゃない。
武器の心配もそうだが、俺自身の身も、武器なしで守らなくてはならない。
徒手空拳はそれほど自信があるわけじゃないが、少なくともサナギよりは強いだろうから、いざとなったらやつも守ってやらなくちゃならねえ。サナギは特に気にしてない様子だ。
考えてみれば、修道院内でも装備なしで行動しなくちゃならないのは、結構な痛手な気がする。かと言って、サナギ一人に潜入を任せるのも不安すぎるので、仕方ないことなのだが……。
ベルティア修道院の玄関口で、「ちょっと待っててね」とサナギが言って、中で修道士と何事か話しているのを、俺は落ち着かないまま待っていた。
周囲を警戒ついでに観察すると、ベルティア修道院は確かにでかい。俺から見える範囲だけでも充分でかいのに、他にもまだ敷地があるようだった。
周囲は森に囲まれていて、この森は人の手が入っていることが俺には分かる。定期的に修道士たちが手入れをしているのだろうか。そうなると結構な労働だな。
「タンジェ!」
サナギが呼ぶので、俺は警戒をいったん解いて玄関口へ向かった。白い石壁で作られた建物だ。素朴なローブを着た男がにこやかに立っていて、「ようこそいらっしゃいました」と告げた。
「我がベルティア修道院への入会をご希望ですね。まことにめでたいことです」
俺は余計なことを言わないように黙り、ただ頷いた。
「ではベルティア修道院での基本的な生活についてご案内いたしますので、ついてきていただけますか?」
サナギのほうを見ると、サナギは別に驚いたフウでもなく、「はい」と笑顔で頷いていた。俺は展開が早く、スムーズすぎて逆に混乱している。
修道士についていきながら、俺はサナギに小声で尋ねた。
「試験とか面接とかねえのか?」
「ないみたいだよ。希望者は拒まずって感じなんだろうね」
「身元の確認とかはいいのかよ?」
「一応、ベルベルント出身だと言っておいたよ。あそこのミゼリカ教会は有名だから、あんまり警戒してないのかも」
そうかよ、と俺は引き下がった。とにかく、サナギが上手いこと言ったんだろう。
廊下を歩いている間に、ローブを着た修道士何人もとすれ違ったが、みんな一様に礼儀正しく俺たちに礼をしていった。
まず、俺たちは、寝泊まりする部屋が並ぶ場所に案内された。
いわゆる、寄宿舎というやつだろう。右と左に廊下が延びている。
静かだ。今の時間は、中には誰もいないのかもしれない。
「ここが、あなた方の自室がある寄宿舎になります。左がA棟、右がB棟。どちらも間取りは同じで、四人一部屋です」
四人部屋か、やりづらいな。俺はサナギに目配せした。サナギも同じように思ったらしい、本当に少しだけ、肩を竦めた。
「起床時間は朝の4時です」
サナギにはそっちのほうがキツいらしく、笑顔が強張ったのが分かった。サナギはどちらかというと夜型で、朝も夜も遅いタイプだ。
俺にとっては普段より2時間早いってところだ。まあ、早く寝りゃ問題ないだろう。
「朝の祈りがあり、朝食は5時。食事当番は、持ち回りです。当番でない者は、祈りから朝食の間に『聖なる読書』を行います」
修道士が次はこちらに、と歩を進める。
次は礼拝堂に案内された。
かなりでかい。ベルベルントの教会に一度だけ入ったことがあるが、あれと同じくらいでかいかもしれない。
「朝食が終わったら、掃除、洗濯を行い、7時からは朝のミサ。その後には、それぞれの使徒職へ」
「使徒職?」
「要するに、我々にとっての仕事ですね。あなた方には、しばらくは修道院内の仕事を学んでもらう時間になると思います」
俺は隣を歩くサナギに小声でささやいた。
「おい。宗教の仕事なんざ俺にはできねえぞ」
「教えてもらえるんだろうから大丈夫さ」
それより、朝が早すぎない? と、逆にサナギに尋ねられたので、「早く寝ろ」と答えておいた。
「12時には昼食です。それから、13時過ぎには、午後の使徒職に励みます。17時には、夜の祈り。それが済んだら夕食です。18時を過ぎたら、入浴、読書、それから修道士たちの団らんの時間になり」
修道士はほほえんだ。
「21時に就寝になります」
「に、21時に就寝」
サナギが引き攣った笑顔で繰り返すのを、面白く眺める。
「21時に寝りゃ、4時には起きられるだろ」
「寝ない方が楽かも」
「おい」
俺はサナギの腕を軽く突いて、小声で言った。
「ちゃんと寝ろよ? 体調崩したりなんかしたら、悪目立ちするし、人手が減る」
「分かってるよ……」
サナギは困ったような笑顔で答えたが、こいつのことだから、「3日は寝なくても大丈夫な薬」とか持ち出しかねない。きちんと見ておかなくては。め、めんどくせえ……。
「一日の流れはこんな感じですね。食堂と、お風呂場にご案内します」
小声でのやりとりに、修道士は不思議そうな顔をするものの、俺たちの相談内容に関心はないらしく、特に咎められることもなく話は進んでいった。
こちらもだだっ広い食堂と、風呂場に案内されて、なんとか場所を覚える。
森なんかの道を覚えるのは得意だし、山歩きも好きだが、こう、人工的な場所の位置関係はどうも感覚を掴みにくい。
「迷ったら、構内にも地図がありますし、修道士に聞けばすぐ分かりますから、ご心配なく」
広くて迷う修道士が、年に数人いるのですよ、と、修道士は笑った。
「では、もうじき昼になりますので、食堂で皆様にご挨拶しましょう。その前に、ローブを貸与しますので、こちらに」
俺たちは、事務室らしき場所に連れて行かれて、ローブを渡された。それから、部屋番号を知らされる。
「サナギさんはA-3、タンジェリンさんはB-5ですね」
確か、A棟とかB棟とか言ってたよな。……別部屋どころか、別棟じゃねえか!
サナギはさすがのポーカーフェイスで、「わかりました」とニコニコして答えた。
「では、それぞれの部屋でローブに着替えて、食堂に来て下さいね。お待ちしています」
そこまでが案内だった。俺たちはローブを抱えて、それぞれの部屋がある棟まで歩きながら、また小声で言い合った。
「どうやって連絡とるんだよ……」
「19時過ぎの団らんとやらか、夜の間しかないね」
サナギは俺のほうを見た。
「タンジェ、文字の読み書きは?」
「共通語なら、村の私塾で一応、習った」
「なら、手紙なんかをこっそり受け渡しするのも有効かもしれない」
俺は頷いたが、
「しかし、自由時間が少なすぎねえか? 調査なんかマトモにできるのかよ」
「新人であることを利用して、なんでもかんでも聞き回るしかないよ。あるいは迷ったフリで色んなところに踏み込むんだ。辛抱強くやろう……明日には、黒曜たちも合流する予定だしね」
そうだ。黒曜たち四人は、巡礼者としてベルティア修道院を訪れ、世話になる手はずになっている。
巡礼者は、たぶん修道士よりは時間に縛られずに動ける。だが、逆に教会内の事情なんかを調べるのには向いてないだろう。
お互い、できる範囲で上手くやるしかない。
密やかなる羊たちの聖餐 2
俺たちはベルティアの街で宿を取り、さっそく作戦会議をすることになる。各々荷物を下ろして、円座になった。
「さて、依頼の件だが」
黒曜が俺たちを見回した。
「どう攻める」
「修道院に乗り込んで、片っ端から殴って吐かせる」
「犯罪者だよ!!」
攻めるの意味を勘違いしているアノニムの言葉にパーシィがツッコミを入れる。仲良く漫才しているアノニムとパーシィを尻目に、
「潜入はどうだろう?」
手帳を眺めていたサナギが提案する。
「修道院に潜入……可能か?」
黒曜がパーシィのほうに顔を向けると、パーシィは少し目を瞬かせてから、座り直し、
「無理ではないと思う。修道士は、まず修道会を志す際に、願期という一定の期間で適性を確かめるんだが……」
急に真面目な顔で解説を始めるパーシィに、アノニムが露骨に退屈そうな顔をして横になった。おい、せめて座って聞け。
「願期は修道院で過ごすもの、と定められているんだ。これを利用して、修道士見習いに扮して潜入するわけだね」
「書類審査や面接は?」
「あるところとないところがあるけど、ベルティアはどうだったかな……」
ベルティアというのはこの近辺の地名だ。
「まあ、どちらにせよ、修道士を志すものを追い返す修道院はないよ。ただ……」
パーシィは少し悩んだ様子を見せたが、黒曜に続きを促されて、
「問題もあって。聖ミゼリカ教においては、獣人や亜人の修道会入りは認められていない。黒曜、緑玉、アノニムはその方法での潜入は無理だな」
「はっ。神ってのは不平等だな」
思ったことが口を突いて出た。パーシィは気を悪くした様子もなく、
「神は平等さ。ヒトが勝手に作った決まりだよ」
と笑った。
「まあ、神が平等か不平等かは、この際どちらでもいいとしてさ」
今度はサナギが発言する。
「潜入が可能なのは、俺とタンジェとパーシィだけってことになるよね。三人かぁ……」
「……まあ、妖魔とかは出ないんじゃない」
体育座りをして、退屈そうにしていた緑玉が、顔を上げて口を挟んだ。
「別に三人でもいいでしょ。俺、修道院とか行きたくないんだけど」
「俺だって行きたかねえよ」
緑玉の言葉に、俺も文句が出る。修道院なんてのは、窮屈そうだし飯も不味そうだ。
サナギは緑玉や俺の言葉を気にした様子もなく、
「戦闘面で言えば、まあ問題はないだろうけど。今回の依頼は調査だよ。三人で足りるかな」
そうか。修道院の広さによっては、三人じゃ手が回らないところもありそうだ。パーシィが、「大きな修道院」と言っていたっけな。
うーん、と唸り声を上げて何か考えていたパーシィが、顔を上げる。
「残りは、巡礼者として迎え入れてもらうのはどうだろう?」
「巡礼者……?」
結局自分も修道院に行く可能性を察して、緑玉が僅かに顔を歪める。気付いているのかいないのか、パーシィははつらつとして続けた。
「修道院は、巡礼者の宿としての機能もある。宿を求める巡礼者を拒否することはまずない」
「だが、獣人だぞ」
黒曜の言葉に、パーシィは、
「修道会には入れないってだけだよ。獣人が聖ミゼリカ教を信仰すること自体は禁じられていないし、そうなれば当然、巡礼者には獣人もいる」
もっとも、獣人は土着信仰の類を信仰してることが多いから、まあ珍しくはあるだろうけれども、と付け加えた。
「でも獣人だけで各地を回ってる巡礼者ってのは、確かに少し目立ちすぎるかもしれない。俺が先頭に立つよ」
黒曜は頷いた。
「パーシィが残りの三人を率いて巡礼者を装い、正面から侵入。タンジェリンとサナギは内側から調査を進めていく、という形になるか」
「……嘘でも聖ミゼリカ教徒のふりするの、嫌なんだけど」
どちらかと言えば自己主張が弱い緑玉がそう粘るので、俺は珍しく思ったが、黒曜には特に響かなかったらしい。淡々と、
「一時的なものだ。よろしく頼むぞ」
と遠回しに決定を告げた。緑玉は少し不満そうな顔になったけれども、それ以上、重ねて文句を言うことはなかった。
「じゃあ、明日には出発か? サナギ」
俺とサナギが修道院に潜入、ということで、俺はサナギにそう声をかけた。サナギは頷き、
「手続きとかどのくらいかかるか分からないから、早めのほうがいいだろうね。明日の午前中には修道院に着きたいね」
「そうか。分かった」
夜も更けてきた。俺が、今日必要な準備が特にないなら先に寝る、と言うと、サナギは少し考えて、
「そうだね。特に準備はいらないか。今必要なのは睡眠だよ」
そう答えて、おやすみ、と続けた。
俺は立ち上がり、自分に宛がわれたベッドに潜り込んだ。それから一同の話し合いも終了し、みんな同じくベッドへと入っていったのが分かった。サナギは何か調べているらしく、しばらく彼のベッドサイドのランタンは点いていた。それが消えるところは見なかった。それより先に、俺が眠りに落ちたので。
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