カンテラテンカ

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密やかなる羊たちの聖餐 7

 順番に入浴を終えて団らんの時間になると、タンジェはようやく一息ついた。修道院側から用意された寝間着はローブと同じく修道士全員が同じものである。袖を通して適当に廊下をふらついていると、サナギに出会った。
「お疲れさま」
「ああ……」
「話題になっていたよ。新人は草刈りの達人だってね」
 くすくす笑うサナギ。
「そんな噂話みたいなことをすんのか、ここの修道士も」
「そりゃそうさ。みんな人間なんだから」
 この窮屈な清貧の世界に望んで訪れる人間がこんなに大勢いる……タンジェの理解が及ぶところではないが、それはなんだか、途方もないことのように思えた。だが、ここの修道士の中に、人を死に至らしめる麻薬を取引している外道がいるかもしれない。
 誰が灯したのか、廊下の燭台にあるろうそくの火がゆらめく。廊下は人通りがない。
「何か手がかりはあったか?」
 タンジェが尋ねると、サナギは壁を背に寄りかかって、腕を組んだ。
「使徒職でハーブ園に行ったんだよ」
「ハーブ園?」
「うん。そこではいろんな植物が栽培されていて……その中に確かに中毒を引き起こす植物はあったよ」
「なんだと!」
 タンジェは色めき立った。
「それじゃあ……!」
「いや……結論を出すのはちょっと早計かな。それらの植物は、どれも薬効ハーブとしてベルティア修道院に認可されているものばかりだ。毒性があるだけあって、採取もかなり厳しくチェックされている。引き続きハーブ園は調査するけど……たぶん本命は表にはない。あのハーブ園にある植物は、どれも健全だよ」
「毒性があるのにか?」
「健全な毒性だよ」
「健全な毒性ってなんだよ」
 とにかくさ、とサナギが言う。
「きみは中庭のほうだよね? もしかしたらそっちに麻薬植物が生えてたりするかも」
「見た感じはただの野菜畑だったが……まあ、雑草に見せかけて栽培とか、ありえなくはねえか」
「あはは、だとしたらきみが刈りつくしたわけだけどね」
 ……さすがに、誰にでも刈れるような場所で栽培してるってことはないだろう。が、確かに、雑草の中にはあまり田舎では見ないタイプの草もあった。
 気候の違いとかで、故郷とは違う雑草が生えるんだろうくらいにしか思わなかったが、今後は雑草も注意深く見るべきだろう。
「明日はもう少し気を付けて見てみる。だが、俺には麻薬植物なんざ、見ても分からねえぞ?」
「来るときに挿絵を見せながら説明したじゃないか」
 そういえば、確かに。
「うっすら覚えてんな……」
「あはは、まあいいよ、見るのは植物じゃなくて、人さ。もし使徒職の間にこっそり採取してるなら、絶対動きは不審だ」
「……なるほどな」
 外回りの仕事を選ぶやつは少ないと聞いた。それでもなお畑仕事を選ぶやつは、タンジェのような体力自慢か、田舎で畑仕事を生業としていたか……いろいろ考えられるが、あるいは何かしらの目的があるのかもしれない。
「ちっ、今日の使徒職でよく観察しときゃよかったぜ」
「まだ初日だ、そんなに急くことはないさ。それにもし本当に中庭に麻薬植物があるなら……きみが雑草を刈りつくしたのを見て犯人は焦るだろうし、妙な動きをするかもしれないよ」
「そうか……確かに、そうかもしれねえ」
 タンジェは頷いた。確かに焦るべきはタンジェではない、犯人のほうだ。
 そこまで会話したところで急に人の気配がして、その一瞬後には「おーい!」とドートがタンジェとサナギの会話に割り込んできていた。
 ――聞かれたか? タンジェはひやりとしたが、ドートは特に今までと変わりない様子だった。
「何の話してたの?」
「初日の感想をお互いに語り合ってたんだ」
 サナギが愛想よく笑った。
「タンジェが雑草刈りで噂になっていたし」
「あ! 俺もさっき聞いた。みんな褒めてたよ」
「……」
 いよいよ言われすぎて面倒くさくなってきたところで、ふと閃いてドートに尋ねてみた。
「俺を疎ましく思っているやつはいねえのか?」
「疎ましく? なんで?」
「修道士どもが数日かける仕事を、半日でやっちまったみたいだからよ」
 ここでタンジェの所業を嫌がるやつがいれば、犯人の目星もつきやすいんじゃないかと思ったのだ。タンジェは普段、こういうふうに、相手から情報を引き出そうと意図した言葉選びをすることはまずない。けれど、我ながらなかなか上手い言い方をしたと思う。
「うーん……? 別に、それが嫌って人はいないと思うけど」
 だが、手応えはなし。タンジェはそうかと答えた。すぐに引き下がる。そうなればこの話題は長く続ける必要はない。
 タンジェが話を変えようとする前に、ドートが話題を移した。
「あ、そういえばレンヤ見なかった?」
「レンヤ? 見てねえが……」
「誰?」
「同室のメガネ」
 ドートは首を傾げた。
「さっきまで談話室にいたんだけど見当たらなくてさ」
「便所じゃねえのか」
 それならいいんだけど、とドートは、どこか落ち着かない様子で廊下の奥を見るなどした。
 サナギが、
「そのレンヤって人に何か用なの?」
 と尋ねると、ドートは、うーとかあーとか、しばらく言葉にならない声を上げていたが、急に神妙な顔になってこう言った。
「実はその……心配で」
「心配?」
「夜1人で歩くのは……危ないからさ」
 タンジェは訝しく思った。危ない? そりゃあ、ここが都会の街中だというなら、男だろうが深夜の1人歩きに危険はあるかもしれない。だが、実際はそうではない。ここは人の出入りすら管理された修道院で、中にいるのはみんな神の道を志す修道士なのだ。
 そりゃ、タンジェたちだって麻薬調査に潜入しているのだから、全員が全員、清廉潔白というわけではないのだろうが、ドートにとっては信頼のおける仲間の集まりではないのか。
「何が危ねえんだよ?」
 ドートは挙動不審に視線を彷徨わせたあと、タンジェたちにそっと耳打ちした。
「誰にも言わない?」
「何をだよ」
「これから俺が言うこと……」
「言わない、言わない」
 身を乗り出したサナギが、わくわくといった様子で目を輝かせている。神妙な顔のドートと見比べれば、話を聞く前からそれが不謹慎だということが分かった。が、タンジェが咎めようとする前に、サナギはドートを急かす。
「何かあったの?」
「それが……」
 渋ったわりに、すんなりと口を開くドート。もしかしたらそもそも誰かに言いたかったのかもしれない。
「俺、数日前に階段で突き飛ばされたんだよ……!」
 タンジェとサナギは顔を見合わせた。それからサナギが、
「誰に突き飛ばされたのかは分からないんだね?」
 うん、とドートは頷く。
「でも階段から落ちたときに左腕を変についちゃったみたいで……左腕痛めちゃってさ」
「ああ、それでか。だが……なんで体調不良なんて隠し方をしてんだよ」
 純粋に疑問で尋ねると、ドートは「それがさあ!」と拳を振り上げ熱弁した。
「俺、ウワノ修道士に言ったんだよ? 『誰かに突き飛ばされた』ってさぁ……そしたら『みんなを不安がらせるから、誰にも言ってはいけませんよ』って! ……だから、今日タンジェたちとウワノ修道士に居合わせたとき、すごい困ったんだよ。あの人が隠せって言ったくせに、体調のこと聞いてくるんだもん」
 なるほど、言い方は悪いかもしれないが、修道院側としては、あくまで隠蔽の路線というわけか。
「ふむ……今は巡礼者や、外からの宿泊客はいないんだよね?」
「う、うん……」
「つまり、『きみを突き飛ばした犯人は修道士の中の誰か』」
「!」
 タンジェとドートは同時にサナギを見た。
「そ……それは……外から人は来てないから、そうなっちゃうよね……!? なんで俺、誰に突き飛ばされたんだろ!?」
 声が大きくなるドートに、声がでかいと言うと、ドートは胸の前で手を組んで何度か深呼吸しながら「神よ……!」と言った。
「心当たりはないんだね?」
「ないよ! で、でも、犯人は分からないから……! もしかしたら、悪いやつが隠れてるかもしれないし、だから夜にうろつくのはやめたほうがいいって……」
「それで、レンヤを探してたのか」
 ようやくいろいろと納得がいった。
 理由も動機も分からない加害……。これは手がかりの1つになのだろうか? それともまったく関係のない、修道院内のいざこざか?
 タンジェがサナギに視線を向けると、サナギもこちらを見て小さく肩を竦めた。たぶん「関係があるかはまだ不明だね」ってところか。
「だが、レンヤを探しててめぇが1人になってちゃ元も子もねえ」
「……」
 ドートが目に見えて落ち込む。タンジェはため息をついた。
「仕方ねえ。俺も探してやるから、さっさと行くぞ」
 ぱっと顔を上げたドートが、目を瞬かせたあと、今度はみるみるうちに明るい顔になった。
「タンジェー! ありがとう!」
 ドートがタンジェに向かって両手を広げてハグを求めてきたが、無視した。
「サナギはどうする」
「俺は談話室とやらに行こうかな。2人とも気を付けてね」
「談話室はそこの角を曲がって、しばらく行ったところだよ! さすがに何もないとは思うけど、サナギさんも気を付けて……」
「うん。また明日ね」
 立ち去るサナギを見送る。
 さて、じゃあレンヤを探しに行こうかとドートと2人で廊下を歩き出そうとすると、入れ替わるようにして、とうのレンヤが現れた。
「何をしているんだ? タンジェリンさん、ドート」
「レンヤー!」
 忙しいことに、ドートは今度はレンヤに飛びつきに行った。慣れているのかレンヤは普通に受け入れて、
「なんなんだ、いったい……」
「急にいなくなるから心配したんだよー」
 そうか、とレンヤが言って、「あなたも?」と、タンジェに顔を向けた。
「俺はたまたま居合わせただけだ。もう部屋に戻る」
「待ちたまえ、どうせ同じ部屋なんだから一緒に行こう。道中でなぜ私を探していたのか聞かせてもらう」
 ドートを引きはがしたレンヤが言うので、断る理由もなく、タンジェはドートとレンヤと連れ立って寄宿舎に戻ることにした。
 タンジェとサナギに事情を話したことで隠す気が失せてしまったのか、ドートは自分が何者かに突き飛ばされたこと、犯人が誰か分からないこと、犯人が誰にせよ、1人でうろつくのは危ないことを、身振り手振りを加えながらレンヤに語った。
 タンジェはレンヤのことは何も知らないが、勝手な印象として、まあ加害をしてくる何者かに怯えるタイプではなさそうだ。問題はないだろう。
 レンヤは眼鏡をクイと上げて、なるほどな、と言った。
「そういうことなら、心配してくれてありがとう、と言うべきだろうな」
「そうだよ。レンヤ、どこ行ってたんだよー」
「私たちの部屋のろうそくが切れそうだったので、受け取りに行っていたのだ」
 レンヤが懐から新品のろうそくの束を取り出した。
「気付かなかったよ。ありがとー」
「うむ」
 2人の会話を聞きながら歩いていると、廊下でまたサナギとばったり出会った。といっても、今回は寄宿舎の前で会ったから、たまたま部屋に戻る時間が重なったってだけだろう。
 サナギはタンジェの知らない修道士と一緒にいた。痩せぎすの、茶髪の修道士だ。
「やあタンジェ、よく会うね」
「おう」
 サナギはレンヤのほうを見て、愛想よく笑った。
「きみがレンヤ? 怪我もなく見つかったようでよかったよ」
「あなたは……確か、サナギさんか。昼食のときに紹介されていたな」
 2人は握手している。サナギの横にいた茶髪の修道士が、それをじっと見つめている。
「彼は、俺と使徒職で一緒のヤン」
「あ、あ、や、や、ヤンです……。よ、よ、よ、よろし……」
 ヤンとやらは、何度か言葉に詰まりながら、なんとか自己紹介した。悪いやつではなさそうだし吃音に偏見はないが、ドートとは違う意味で、単純に苦手なタイプだ。
「ああ。それじゃあ、俺はもう寝るからよ。サナギもさっさと寝ろよ」
 タンジェは言って、B棟への入り口へ向かっていった。途中で足を止め振り返り、「……寝ろよ?」ともう一度サナギに念を押すと、サナギはすっとぼけた笑顔で首を傾げている。これ以上言っても無駄だと判断し、立ち去る。ドートが慌てて、「じゃあね!」とサナギとヤンにあいさつして追ってきた。
 タンジェ、ドート、それから少し遅れてレンヤが部屋に戻る。クーシンはすでに中にいて、備え付けの机でクッキーを食べている。
「あ、おかえりー」
「ああ。ろうそく、もらってきたぞ」
「ありがとうー」
 燭台には溶けてなくなりそうなろうそくが立っていた。これを見てレンヤはろうそくを取りに行ったのだろう。
 明日は早い。さっさと寝よう。2段ベッドが2つあって……そこで、タンジェはレンヤたちのほうを振り向いた。
「俺のベッドはどれだ?」
「ああ……」
 昼間にドートが顔を出したベッドでないことは分かるのだが、あと候補が3つある。レンヤは向かって右側のベッドの上を指さした。
「そっちの上が空きベッドだ」
「上か……」
 特に理由はないが、なんとなく下がよかった。まあ仕方がないか。大したことじゃない。
 簡素なはしごを上って、布団に潜り込む。使われていないだろうにも関わらず、きちんと手入れと洗濯がされている。布団は太陽のにおいがした。

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密やかなる羊たちの聖餐 6

 昼食を終えたら午後の仕事になるはずだが、実際は15分ほど食休みの時間があるようだ。
 レンナは早めにしたい作業があるからとさっさと立ち去ったが、クーシンとドートはのんびりとしていた。出された茶を飲みながら彼らと話をしていると、使徒職はある程度は希望がきくことが分かった。
「タンジェはいい身体してるけど、やっぱ肉体労働が得意?」
 ドートが尋ねる。
「ああ。ドートは庭仕事してるって言ったよな。俺もそういうのがいいんだが……」
 本心だ。
「外回りはやりたがる人が少ないからめっちゃ助かると思う!」
 ベルティア修道院周りの木々も、担当が切ってるんだよ、と言うので、
「俺は元木こりだからな、そういうのは得意だ」
「へえ! 木こりさんだったんだぁ」
 クーシンが茶菓子を摘まみながらタンジェに尋ねた。
「なんで信仰の道に?」
「あ、ああ……いや……」
 しまった。余計なことを言った。タンジェは答えに詰まり、
「その、勧めがあってな……サナギから……」
 と、適当なことを言った。そもそもタンジェはでっち上げを取り繕うのは苦手なのだ。
「あぁ、さっき前で一緒に紹介されてた人だよねぇ。同郷なんだ?」
「お、おう」
「サナギさん、美人だよね〜!」
「最初女の人かと思ったよぉ。でもここ男子修道院だしね、女の人が来るはずないからさぁ」
 そこから話がなんとなくサナギの話題になったので、タンジェは内心で胸をなで下ろす。
 なるべく余計なことを喋らないためには、やっぱり意図して口数を減らすのが一番だ。タンジェはそこからはなるべく相槌だけ打つようにして、使徒職の時間を待った。

 ドートは午後の仕事に出ないらしかったが、気を利かせてタンジェを庭先まで案内してくれた。
 庭には何人かの修道士がいて、倉庫から鎌や斧、枝切りバサミなんかを取り出している。その中の1人に声をかけたドートがタンジェを紹介すると、歓迎された。
「この使徒職は本当に人手が足りなくてね。だいたい皆、自身の祈りを活かす医療職などの社会奉仕を好むのです」
 そりゃそうだろう、とは、さすがに口には出さなかった。
「しかし、施設管理も大事な職務です。誇りをもって励むように」
「ああ……」
 タンジェは頷いた。
「じゃあ、俺はこれで」
 そそくさと立ち去るドートを、特に疑問に思う様子もなく、修道士たちは見送っていた。ドートが午後の使徒職にも出ないという話はすでに通っているらしい。
 タンジェはこの場で一番偉そうな修道士に尋ねた。
「ドート、具合悪いんですか」
 修道士は細い目をこちらに向けた。
「数日前から、休みがちなのですよ」
「へぇ……」
 数日前から、か。なぜ左腕の怪我を「体調不良」だと騙っているのかは分からないが、昨日今日に原因があるわけではなさそうだ。
 ということを考えてから、返事が素っ気なかったことを自覚して、
「そうですか。どうも。あー……ええと、心配ですね」
 慣れない敬語で取り繕った。
「ええ。あなたはドートとは?」
「同室になりました」
「そうでしたか」
 それ以上は特に深く突っ込まれることもなく、
「では畑の草取りからしましょうか。倉庫から軍手と鎌を持ってきて、自分のペースで始めてくださいね」
 見れば、中庭の奥に畑や菜園があるのが分かった。少ない修道士がてんでばらばらに活動を始めている。
 タンジェは言われるまま小さな倉庫に入った。何度も洗濯されたのだろう、くたくたの軍手と、使い込まれた草刈り鎌、ほかにもいくつか畑仕事なんかの道具が入っている。
 サイズが合いそうな軍手を選んで身に着け、草刈り鎌を手にした。
 中庭の一部とはいえ、そもそもが広大な敷地だ。畑もそれなりの広さがある。修道士たちはさすがに畑の手入れを職務にしているだけあって、別に危なっかしいところはなかったが、どうにも動きがのんびりしていた。タンジェだったらたぶん1.5倍はこなせる。あんまり目立つのもよくないが、仕事に手を抜くようなこともしたくない。本人は特別そうは思っていないのだが、タンジェは真面目な気質なのである。
 さっそく草刈りを始める。タンジェは元木こりだが、村では畑仕事も手伝っていたし、農業だの林業だの、そういうことには自信があった。田舎者には田舎者なりの矜持があるのだ。
 時間いっぱい使って、タンジェは畑の雑草という雑草を刈り尽くした。

 さて、とりあえず初めての使徒職を片付けまで終えて食堂に行こうとしていると、1人の修道士から声がかかった。
 たぶん初めて会う。もっとも、食堂で全員に紹介されたのだから、向こうからはタンジェのことを知っているだろう。正直、どこを見ても同じローブの男なのでまったく見分けがつかない。タンジェが覚えたのは、まずドート、レンナ、クーシンの同室3人。それから最初にタンジェとサナギを案内した白髪の修道士、名はウワノというらしい。それから中庭での使徒職を統括している細目の修道士、こちらの名前はトイメルだ。その5人だけである。
 ともかく、その修道士はこう言った。
「新人さん。そっちじゃないよ」
「あん?」
 次は晩飯だろ、と聞くと、うん、その前に晩課、と修道士が答える。
「ばんか?」
「夜の祈り。だから、食堂の前に礼拝堂」
「……そうなのか」
 礼拝堂には昼間に案内されたが、現在地点から礼拝堂までの道は……考えてみたが、分からなかった。目の前の修道士に頼んで案内してもらうことにする。
 並んで歩きながら修道士は晩課とやらについて説明してくれた。要するにタンジェたちが昼にやったのは単なる「いただきます」の祈りで、夕飯と朝飯の前には、それとは別に祈りが要るということらしい。
 そもそもタンジェは――パーシィやここの修道士には悪いが――神なんか信じていない。こう1日に何回も祈るやつらがどういう心持ちで日課をこなしているのかさっぱり分からない。もちろん、興味もない。
 だがそんなことを口に出そうものなら、一応、信徒としてこの場に来ているのが台無しになる。別に知りたくはないが、もしそれを聞くならあとでパーシィにでも聞けばいいだけの話だ。
 結局、タンジェは特にこちらから振る話題がないまま、修道士と並んで礼拝堂へとやってきた。
 大多数の修道士がすでに揃っているようで、広い礼拝堂いっぱいに整然とローブ姿が並んでいるさまは、なかなか壮観だ。
 特に決められた席はないらしく、タンジェは勧められるまま最後尾のあいている長椅子に座った。前にタンジェより背の高い修道士が何人かいるため、前方はよく見えない。
 どうやら講壇に代表の修道士がいるらしく、そいつが何かを喋っているのは分かった。内容はタンジェにはさっぱり理解できなかったし、単語もまともに聞き取れなかったが、周囲が何事かを唱和するのには何とか合わせて同じことを言っているふりをした。
 それから、歌。聖歌だ。曲だけなら聞いたことがあるが、歌詞をまともに知らないので、周囲が歌っているのに適当に合わせた。
 次いで周囲は静まり返り、何事かを熱心に祈っている。タンジェも適当に両手を組んで、目を閉じた。思いのほかその時間が長く、タンジェは腹が鳴らないか心配をしなければならなかった。
 薄く目を開けて横目で様子を見る。周囲の修道士が顔を上げ始めたのを確認して、タンジェも顔を上げる。
 どうやら晩課とやらはこれで終わりらしい。一同、最後に礼をして、退室し始めた。タンジェも、自然に見えるタイミングで、人の流れに乗って礼拝堂を出た。そのまま進んでいくと人波は自然に食堂に入っていく。
 食堂にはすでに料理が用意されていた。野菜の冷製スープと、かぼちゃのキッシュ、それからパン。
 紺色の髪が見える。ドートだ。レンナとクーシンもいる。軽く手を挙げてあいさつし、席につく。祈り。それからいっせいに食事。
 昼食よりはまだ味がしたし、それは思ったより美味かったが、やはり量は少なかった。少し使徒職で使うパワーを調整しないと腹が減って目を回すかもしれない。
 まるで牢獄だ、と言ったら、パーシィはどんな顔をするだろうか。

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密やかなる羊たちの聖餐 5

 ドートが食堂の前で足を止め、こちらを振り返った。
「ささ、入って入って!」
 まるで自分の家に案内するような言い草だ。サナギは笑顔で「うん」と頷いたが、タンジェは黙って食堂に足を踏み入れた。
 すでに粛々と食事の準備がされていて、何人もの修道士が席に着いている。食事時だというのに静かで、ドートのようなおしゃべりはやはりどちらかといえば異端なタイプらしいと分かる。
 数人がこちらを見てにこやかに会釈した。タンジェは会釈を返して、少し食堂を見回す。
 すると1人がこちらに気付いて歩み寄ってきた。よく見ると、最初に案内をしてくれていた白髪の修道士だ。
「よく来ましたね。さあ、食事の祈りの前に、あなた方を紹介するから前に出てください。おや、ドート、身体はもういいのですか?」
 タンジェとサナギの横に立っていたドートにも声をかけた。ドートは何故かタンジェたちのほうをちらと見てから、どうもはっきりしない様子で、
「えーと、はい、いくらかマシになりました」
「そうですか、午後の使徒職は出られそうですか?」
「あ、えっと、うーん、……ちょっと厳しい、かも……?」
 タンジェは不審に思った。よそから来たばかりのサナギに対してだけでなく、修道士に対しても「体調不良」で通しているのか。素直に左腕の怪我だと言えば話は早いだろうに。怪我を言えない事情が何かあるのかもしれないが、……まさか今回の麻薬調査には関係ないだろう。
「医務室に行きますか?」
「あ! だ、大丈夫です。その……あ……ちょ、ちょっと疲れてるのかも!」
「そうですか、ではゆっくり休むとよいでしょう」
 白髪の修道士は微笑んでそう言った。それから、タンジェとサナギに、
「さ、こちらにどうぞ」
 そう声をかけ、誘導する。食堂の正面、天使像がある場所へ案内されるまま立つと、静かな食堂に集合した修道士たちがこちらを見つめている。居心地が悪い。
「本日付で我々の兄弟となるお2人です。サナギさんとタンジェリンさんです。よろしくお願いしますね」
 はい、と、修道士一同の明朗な返事が部屋に響く。
「では、席は部屋ごとに並んでおりますので、サナギさんはあそこ、タンジェリンさんはあちらに座ってくださいね」
 タンジェが指定された席は、部屋ごとというなら当たり前だが、ドートの隣だった。ほかに眼鏡をかけた切れ長の目の男と、ふくよかな体型の男がいる。
「長く3人部屋だったからな」
 小声で、眼鏡の男が言った。
「そろそろ誰か来る頃かと思ってたんだ。私はレンナだ、よろしく」
「僕はクーシン」
 ふくよかな体型の男が少し身を乗り出した。
「よろしくね」
「ああ……」
 タンジェは適当に返事をした。とりあえず、歓迎はされているようだ。余計なことを言わず、目立たないように動けば、思ったよりはスムーズにいくかもしれない。ともあれまずは腹ごしらえだ。
 用意されている食事に目を落とすと、用意されている食事は魚の香草焼きだ。
 ここに来る前は修道院の食事になんか期待していなかったが、なかなかどうして、美味そうである。野菜のスープとパンもついていた。
「では食前の祈りです」
 タンジェとサナギが席に着いたと見て、修道士が言った。一同が一斉に祈りのポーズを取るので、タンジェは慌ててとりあえず隣のドートを真似た。それから、みんなが何かの言葉を唱え始める。
 祈りだ。
 タンジェの故郷ペケニヨ村があった国エスパルタは、聖ミゼリカ国家である。国教は聖ミゼリカ教で、国民のほとんども信徒なのだが、ペケニヨ村では浸透しておらず、村人の大半が信者ではなかったし、タンジェも然り。とはいえやはり聖ミゼリカ教自体に触れる機会は一応あって、村の私塾で多少のことは学んでいる。
 しかしもう10年近く前に、私塾で少し習った程度のことなんて、すっかり忘れている。そうでなくてもタンジェは興味の薄いことへの覚えはかなり悪いのだ。祈りの文言なんてひとつも覚えていない。食前の祈りなんかあることも知らなかった。パーシィだってそんなことしていない。
 タンジェは周囲にバレないように、なるべく下を向いて声を出さずに口だけ動かした。これは覚えないといずれ不審がられるかもしれない。面倒だ。サナギのほうは上手くやってそうだが……。祈りなんてもんがあいさつ代わりにあるなら、教えとけ、と誰にともなく脳内で文句を言う。
 数秒ほどの祈りの時間がようやく終わり、タンジェは顔を上げた。度胸はあるほうだと自負しているので、こんなことで緊張はしないのだが、タンジェの一挙一動で潜入が台無しになる可能性はある。そうなれば依頼は失敗だ。黒曜一行は、そんなに大きな依頼をバンバン受けるような大手ではないが、まだ依頼の失敗は一度もない。その輝かしい功績にタンジェが泥を塗るわけにはいかないだろう。
 幸い、誰かにおかしく思われることもなかったようだ。食事が始まる。食事の間、会話を楽しむ者はない。
 沈黙の中で行われる食事は、タンジェにとっては別に苦痛ではなかったが、不意に、自分の食事マナーが世間一般と逸脱していないかが少しだけ気になった。タンジェは努めて丁寧な所作で静かに食事した。なんとかそちらも誰かに咎められることはなかった。
 そんなことを考えていたので、せっかく美味そうだった魚の味を、ほとんど覚えていない。量も普段食ってるものより少なかった。これがこの先、調査が終わるまで続くと思うと、タンジェはげんなりした。

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密やかなる羊たちの聖餐 4

 寄宿舎の入り口、A棟とB棟を分ける岐路でサナギと別れたタンジェは、5番部屋を探してうろついていた。誰にもすれ違わなかったので聞くこともできず、少しだけ手間取る。
 修道士たちは、確か……教えられたスケジュールによれば、今の時間は『使徒職』、つまるところ午前の仕事をやっているはずで、部屋にいるやつはいないのだろう。
 10分ほどさまよい、ようやく5番部屋を見つけた。誰もいないことを察しながらも、一応、ノックをしてから部屋に入る。質素な部屋で、2段ベッドが2つと小さな椅子が4脚、机が1つ。それからクローゼットがあるだけだった。
「あれ、新人さん?」
 いないと思っていたのに急に声をかけられたので、タンジェは反射的に腰に手を伸ばした――普段腰に下げているナイフを取ろうとしたのだ――先に言ったとおり、装備はほとんどを置いてきてしまったので、急に腰に手を当てただけになったが。
 顔を上げると、2段ベッドの上で大あくびをしている男がいる。紺色の癖毛で、顔にそばかすがある。人懐こそうな丸い目は、薄い茶色だった。
「ずっと3人だったし、新人さんが来てもおかしくないかぁ。あ、着替えるならそこのクローゼット使いなよ。でも、その服の上からローブ着るだけでも大丈夫だよ」
「……今は使徒職の時間じゃねえのか?」
 タンジェが思わず尋ねると、男は、
「えー、もうそんなことまで習ったの? きみ、結構真面目なタイプ?」
 へらへらしている。タンジェの修道士のイメージとも、実際に廊下ですれ違った何人かの修道士との印象ともまるで違う。こんなやつが修道院にいるとは思わなかった。
 タンジェの顔が少し歪んだ。別に修道士のあり方についてどうこう言う気はない。馴れ馴れしさに苦手意識を持ったのだ。もっとも、タンジェが好ましく思う相手というのはまず少ない。この紺髪の修道士が悪いことは何もなく、彼が親切な人柄であることは分かる。
 いそいそローブを着ると、2段ベッドの上から「わあ!」と感嘆の声が聞こえた。
「似合わないねー!」
「……」
 感嘆ではなかったらしい。タンジェは2段ベッドの上を睨んだ。
「へへ、ごめんごめん。だってきみ、修道会っていうより修行僧みたいな感じだからさぁ。滝行とかするやつね!」
 何故か脳内で滝に打たれる自分を想像してしまい、あまり違和感がないことに少しげんなりした。
 紺髪の修道士は気にせず尋ねてくる。
「ここには信仰心を高めに来たの?」
「……まあ、そんなところだ」
 信仰心を高める、という概念からまず理解できなかったが、適当に話を合わせた。
「なあ、きみ、名前なんつーの? 俺はドート!」
「……タンジェリンだ」
 今回、偽名は使っていない。タンジェは不器用で要領が悪いので、その場限りの偽名なんか逆にボロが出るだけだ。
「タンジェ、これから12時になったら昼だし、一緒に行こ」
 ごく自然に、ドートは迷わずタンジェを愛称で呼んだ。慣れた呼び名なので違和感も悪い気もないのだが、やはり馴れ馴れしい。
「食堂の場所は教えてもらった。一緒に行く義理はねぇ」
 冷たくあしらおうとするも気にせず、ドートは2段ベッドから降りてこようとした。そこでタンジェは、ドートのその仕草が、わずかに左腕を庇っているのに気付いた。
 2段ベッドから降りてきたドートは、
「そう言うなってー。先輩風吹かさせてくれよ」
 と、肩を組んでこようとしたので、さすがにそれは避ける。
「……どっちにしろ食堂に向かうなら同じ方向だろ」
「それもそうか。ま、仲良くしようなー」
 ドートはにこにこ笑っている。
「……で、なんで部屋にいたんだ?」
「え? ……へへ。体調不良!」
「左腕か?」
 別に興味があったわけではないのだが、気付いたので何気なく指摘すると、ドートはびっくりした様子で目を見開いた。
「すごい! ……よく分かったね」
「……」
 少し目ざとすぎたかもしれない。タンジェは適当に「まあな」と言った。
「実は、ちょっとケガしちゃって」
「……」
「俺の使徒職、庭の手入れなんだけど、腕使うからさ。結構困ってんだー」
 ドートは、はは、と笑った。
「そうかよ」
 別にドートの怪我にも、それを負った経緯にも、それでドートがどの程度困っているのかにも、興味はない。
 だが、タンジェはただでさえ社交的でないのだから、せめて同部屋のほか3人とは良好な関係を築いておくべきだろう。何せ、情報収集をしなければならないのだ。
 それでタンジェは、少しだけ考え、
「身体は資本だろ。少しは気、遣えよ」
 と言った。ドートは明るい顔になり、「タンジェ、めちゃくちゃいい奴じゃん!」とこちらに抱きついてきそうになったので、タンジェはそれも避けた。

 昼食のために部屋から出て、ドートと一緒に歩いていると、A棟とB棟の合流地点でサナギと出会った。
 サナギはドートを見て少し驚いた顔をしたが、「もう友達ができたの?」と、屈託なく笑った。
「……そういうわけじゃねえ」
「うわうわ、すっごい美人じゃん! タンジェの知り合い?」
 ドートが後ろからでかい声を出すので、タンジェは顔を顰める。サナギのほうは別に不快にも思わなかったらしく、朗らかな笑顔のまま、
「ベルベルントから一緒にこの修道院に来たんだ」
 設定通りのことを言った。
「ベルベルントから? あんな都会から、よくこんな田舎まで来たね」
「だからいいんじゃないか。俺たちは自然派なんだよ。俺はサナギ。きみは?」
「ドートだよ」
 握手をしたサナギとドートは、話を続けた。
「ところで、ドートはなんでタンジェと一緒に?」
「同じ部屋なんだよ」
「俺の部屋には誰もいなかったよ。今は仕事の時間じゃないの?」
「体調不良で休んでたんだー」
 ドートはタンジェに対して言ったのと同じことを言った。サナギは少し不思議そうな顔をする。「体調不良」という言い方がよくないと思う。ドートはどう見ても健康そうなのだ。
 怪我なのだからそう言えばいいだろうに、とタンジェは思うのだが、ドートが言わないことをわざわざ割り込んでまで指摘することはないだろう。サナギも特に突っ込みはしなかった。
 鐘の音が鳴る。
「正午の鐘だよ。行こ!」
 食堂の場所は教えてもらったと言ったのに、ドートはわざわざタンジェとサナギを先導した。呆れながらもサナギと並んでそれについていく。サナギはドートに聞こえないように小声で言った。
「さっそく、いい情報源を見つけたじゃないか」
「……苦手なタイプだぜ」
「ふふ、お互い頑張ろう」
 得られる情報は多いほうがいいし、最初は手当たり次第だ。だったらドートは確かに、会話するのに悪い相手ではない。だが4人部屋ということはあと2人、あの部屋には誰かがいるわけで、ドートと2人きりで話せる時間は多くはないだろう。
「とにかく、夜か」
「そうだね」
 タンジェとサナギは頷き合った。

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密やかなる羊たちの聖餐 3

 落ち着かない気持ちで修道院へ向かう。修道院に着くまでの道のりで、ベルティア修道院は歴史が深く、建物は大きいが古い、などとサナギが解説している。
 さらに麻薬として考えられるのは、アルタイン、イリーマリー、オーマ、それから……と、様々な麻薬植物について、本の挿絵を見せながら紹介してくる。タンジェはそれを横目で見ながら、その間にも周囲への警戒を怠らなかった。武器である斧も、サバイバルナイフ等の冒険装備一式も、いっさいを置いてきてしまっているのだ。
 今朝方、いつも通りのリュックに斧を担ごうとしたタンジェに、
「その格好で修道院に行くのはちょっと無理だな」
 とパーシィが言ったので、最低限の荷物だけで出発したのだ。
 残りの荷物に関しては、何日くらい修道院にいることになるか分からないので、宿より割安な貸し倉庫を借りた。初めて利用する施設なので、どのくらい信用に足るのかは分からない。もっとも、愛用の武器ではあるものの、タンジェの戦斧はごく一般的な市販品なので、たとえ何があっても買い戻しはきくが。
 そして丸腰である以上、タンジェ自身の身も、武器なしで守らなくてはならない。
 徒手空拳にはさほど自信はないが、少なくともサナギよりは動けるだろう。いざとなったらサナギの身も守ってやる必要がある。サナギの武器は拳銃だが、もちろんそれも置いてきているのだ。だというのに、サナギは普段と何も変わりない。
 大きな建物が見えてきた。街はずれの林の中に静かに建っている。あれがベルティア修道院だろう。

 サナギは「ちょっと待っててね」と告げ、ベルティア修道院の中へ入っていった。特に緊張とかはないらしい。図太いやつである。おそらく中で何かしらの手続きをしているのであろうサナギを、タンジェは落ち着かないまま待っていた。
 周囲を警戒ついでに観察する。ベルティア修道院は白い石壁で作られた建物だ。見える範囲だけでもかなり大きいのだが、他にもまだ敷地があるようだった。
 立地としては、ちょっとした林に囲まれている。人の手が入った林であることがタンジェには分かる。この修道院の私有林なのだろう。
「タンジェ!」
 不意にサナギが呼ぶので、タンジェは警戒をいったん解いて玄関口へ向かった。サナギの隣に素朴なローブを着た男がにこやかに立っていて、「ようこそいらっしゃいました」と告げた。白髪を肩口で束ねた、年配の修道士である。
「我がベルティア修道院への入会をご希望ですね。まことにめでたいことです」
 タンジェは黙って頷いた。余計なことを言わないように、だ。
「ではベルティア修道院での基本的な生活についてご案内いたしますので、ついてきていただけますか?」
 てっきりこれから面談やら審査が入るのかと思っていたら、タンジェとサナギが修道会にお試し入会することはもう決まったらしい。サナギのほうを見ると、彼はもちろん承知の上で、「はい」と笑顔で頷いていた。
 修道士についていきながら、タンジェはサナギに小声で尋ねた。
「試験とか面接とかねえのか?」
「ないみたいだよ。希望者は拒まずって感じなんだろうね」
「身元の確認とかはいいのかよ?」
「一応、ベルベルント出身だと言っておいたよ。あそこの聖ミゼリカ教会は有名だから、あんまり警戒してないのかも」
 そうかよ、とタンジェは引き下がった。とにかくサナギが上手いこと言ったのだろう。
 廊下を歩いている間にローブを着た修道士何人もとすれ違ったが、みんな一様に礼儀正しくタンジェたちに礼をしていった。

 まずタンジェとサナギは寄宿舎に案内された。
 修道士たちが寝泊まりする部屋が並ぶ場所だ。右と左に廊下が延びている。
 つまるところ、修道士たちの自室なのだろうと思うが……静かだ。今の時間は、中には誰もいないのかもしれない。
「ここが寄宿舎になります。左がA棟、右がB棟。どちらも間取りは同じで、4人1部屋です」
 4人部屋か、やりづらいかもしれない。タンジェはサナギに目配せした。サナギも同じように思ったらしい、本当に少しだけ、肩を竦めた。
「起床時間は朝の4時です」
 サナギにはそっちのほうがきついらしく、笑顔が強張ったのが分かった。昨晩も宿でずいぶん遅くまで起きていた。サナギは夜型で、朝も夜も遅いのだ。タンジェにとっては普段より多少、早い。早く寝れば問題なく起きられる範囲だ。
「朝の祈りがあり、朝食は5時。食事当番は持ち回りです。当番でない者は、祈りから朝食の間に『聖なる読書』を行います」
 聞いてはいるのだが、あまり記憶に残らない。ただ、修道士からすればサナギとタンジェは聖ミゼリカ教徒なのだ。改めてそれら一つ一つの作業の説明をすることはない。当たり前だろう。記憶に残らなかった部分、分からなかった言葉は、あとでサナギに聞くしかない。
 ではこちらに、と案内されるまま廊下を歩く。次に案内されたのは――さすがのタンジェでも見れば分かる――礼拝堂だ。
「朝食が終わったら、掃除、洗濯を行い、7時からは朝のミサ。その後には、それぞれの使徒職へ」
「使徒職?」
 『聖なる読書』くらいなら読書なのだろうと思うのだが、これはまったく意味が分からず、ほとんど反射的に復唱してしまった。聖ミゼリカ教徒に扮しているのに、まずかったかもしれない。
 が、幸い、修道士は特に不審がる様子はなく、
「要するに、我々にとっての仕事ですね。あなた方には、しばらくは修道院内の仕事を学んでもらう時間になると思います」
 そうか、とタンジェは思った。こちらが聖ミゼリカ教徒に扮していても、修道会に入るのは初めてという設定なのだから、修道院特有の諸々については別に知らなくてもおかしくはないのだ。
 ただ、タンジェは隣を歩くサナギに小声でささやいた。
「おい。宗教の仕事なんざ俺にはできねえぞ」
「教えてもらえるんだろうから大丈夫さ」
 それより、朝が早すぎない? と逆にサナギに尋ねられたので、「早く寝ろ」と答えておいた。
「12時には昼食です。それから、13時過ぎには午後の使徒職に励みます。17時には、夜の祈り。それが済んだら夕食です。18時を過ぎたら、入浴、読書、それから修道士たちの団らんの時間になり、21時に就寝になります」
「に、21時に就寝」
 サナギが引き攣った笑顔で繰り返した。サナギにとってはこれからが本番という時間だろう。
「21時に寝りゃ、4時には起きられるだろ」
「寝ない方が楽かも」
「おい」
 タンジェはサナギの腕を軽く突いて、小声で言った。
「ちゃんと寝ろよ? 体調崩したりなんかしたら、悪目立ちするし、人手が減る」
「分かってるよ……」
 サナギはそう答えたが、正直、タンジェのサナギに対する印象としては、「3日は寝なくても大丈夫な薬」とか持ち出しかねないと思っている。きちんと見ておかなくては。仕事が増える。面倒くせえ!
「1日の流れはこんな感じですね。食堂と、浴場にご案内します」
 タンジェはサナギと何度か小声でやりとりしていて、それに修道士は不思議そうな顔をするものの、相談内容に関心はないらしかった。特に咎められることもない。タンジェとサナギは設定上、同郷なので、修道院の様子にはしゃいでいるとでも思われているのだろう。
 こちらもだだっ広い食堂と浴場に案内され、脳内で広げた地図を埋め、なんとか場所を把握する。タンジェは方向感覚は悪くないのだが、ド田舎の出身だけあってこう大きな建物にはまったく馴染みがなく、部屋などの位置関係をどう覚えていったものかまったく分からないのである。
 難しい顔をしているタンジェに気付いたのだろう、
「迷ったら、構内にも地図がありますし、修道士に聞けばすぐ分かりますから、ご心配なく」
 広くて迷う修道士が年に数人いるのですよ、と修道士は笑った。
「では、もうじき昼になりますので、食堂で皆様にご挨拶しましょう。その前に、ローブを貸与しますので、こちらに」
 タンジェとサナギは事務室らしき場所に連れて行かれて、ローブを渡された。それから部屋番号を告げられる。
「サナギさんはA-3、タンジェリンさんはB-5ですね」
 確か、寄宿舎で左右に分かれた道を示し、A棟とかB棟とか言っていたはずだ。……別部屋どころか、別棟だ! とんでもなくやりづらい。
 サナギのほうはさすがのポーカーフェイスで、「わかりました」とニコニコして答えた。
「では、それぞれの部屋でローブに着替えて、食堂に来て下さいね。お待ちしています」
 そこまでが案内だった。2人はローブを抱えて寄宿舎まで歩きながら小声で言い合った。
「どうやって連絡とるんだよ……」
「19時過ぎの団らんとやらか、夜の間しかないね」
 サナギはタンジェのほうを見た。
「タンジェ、文字の読み書きは?」
「共通語なら、村の私塾で一応、習った」
「なら手紙なんかをこっそり受け渡しするのも有効かもしれない」
 タンジェは頷いたものの、
「しかし、自由時間が少なすぎねえか? 調査なんかマトモにできるのかよ」
「新人であることを利用して、なんでもかんでも聞き回るしかないよ。あるいは迷ったフリで色んなところに踏み込むんだ。辛抱強くやろう……明日には、黒曜たちも合流する予定だしね」
 そうだ。黒曜たち4人は巡礼者としてベルティア修道院を訪れ、世話になる手はずになっている。巡礼者はおそらく修道士よりは時間に縛られずに動ける。だが、逆に教会内の事情なんかを調べるのには向いてないだろう。
 お互い、できる範囲で上手くやるしかない。

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