カンテラテンカ

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神降ろしの里<前編> 8

「私はリザードマンの集落で暮らすリザードマンの一人で、その日は集落を襲ってきた冒険者と戦っていた。珍しいことではない、冒険者側からすれば、通りがかりに討伐でもしてやろう、くらいの気持ちだったのではないか」
 いきなり衝撃の事実だ。ラケルタは特に悲壮感もなく、淡々と続けた。
「冒険者と言っても練度の低いパーティで、人数も四人だった。四人相手なら私一人でも返り討ちにできる。実際、三人は殺した」
 そういうこともあるだろう。冒険者と妖魔の間で生死をやりとりするのは当たり前だ。
「残りの一人は召喚師だったようだ。せめて私に一太刀、ということで、召喚術を放った……と同時に、私はその召喚師を殺してしまった。召喚自体は成立したらしく、召喚されてきたのが……」
「らけるだったってことか」
 先ほどもその冒険者たちは未熟だと言っていた。らけるみたいな戦う力も特にねえのが召喚されてしまっても無理はないのかもしれない。
「召喚師を斬るため目の前まで近付いていた私は、召喚師の目の前に召喚されてきたらけると重なり、合体してしまったようだ」
 そういうことだったのか。らけるが「召喚主はすでに死んでいる」と言っていたのも納得だ。その状況なら、らけるは死体を見ただろうから。
「未熟な召喚師の、死に際の召喚か……」
 サナギは難しい顔をしている。
「相当めちゃくちゃな召喚術だっただろうね。らけるとラケルタが融合してしまっているのも複雑さに拍車をかけている。万が一、本人に会えても還せるかどうか怪しくなってきたな」
「そうか……」
「そもそも、ラケルタとらけるを引っぺがすことはできるのかい?」
 パーシィが口を挟む。
「らけるだけを故郷の……ニッポンと言っていたっけ。そこに還すわけだろう?」
「こういう融合の仕方は初めて見るからなぁ……奇跡的なバランスで人格が共存しているみたいだけど、ラケルタのほうは身体を失っているようだし」
 ラケルタが知性ある妖魔であったことが、らけるとラケルタにとって幸か不幸か、とサナギは呟いた。
「私は最悪どうなっても構わん」
 俺はラケルタのほうを見た。
「らけるを無事に家に帰してやれるならな」
「やけに協力的じゃねえか」
 こいつはこのまま、らけるの身体を乗っ取って暮らしていったっていい。リザードマンとしての故郷には戻れないかもしれないが、あの剣の腕なら冒険者なり何なりで生きていくことはできるはずだ。
「そうだな。らけるが普通の人間なら、らけるの人格を殺して私がこの身体を使ってもよかった」
 すました顔でそう言うので、妖魔は妖魔だな、と思う。らけるの身体なのだから、らけるの人格を尊重しろと言うべきだったかもしれない。だが、結局俺はそのことには何も言わなかった。理性的な妖魔というのにどうも俺は弱くなってしまったような気がする。だいたい叔父のせいだ。
「何故そうしない?」
 代わりに黒曜が尋ねてくれた。ラケルタは即答する。
「らけるが『いいヤツ』だからだ」
 ……それでいいのか。
「どちらにせよ、私の身体は融合の段階で消滅している。死んだも同然、と言えるだろう。となればらけるが優先されてしかるべきだ」
 サナギが顔を綻ばせた。
「きみもよっぽど『いいヤツ』じゃないか」
 俺からすればお人好しすぎるくらいだ。
「……ともかく、らけるのことをよろしく頼む。今回はらけるの意識がなくなったので表に出られたようだが、常に私がらけるを守ってやれるとは限らない」
「依頼人だ。心配するな」
 黒曜が事務的な返事をする。素っ気なさすぎるとは思ったが、俺も特には言い重ねなかった。それでもラケルタは満足したのか、
「そろそろらけるも目を覚ましそうだな。また会えたら会おう」
「待て、らけるに戻るのか?」
 俺が尋ねると、
「ああ。らけるが起きている間は私は出しゃばらない」
「俺はてめぇのほうがいいんだが」
「ははは。らけるは貴殿のことを慕っているよ。タンジェリン」
 初めて笑うラケルタは、らけるの顔で、でもらけるより落ち着いた大人の表情をしていた。言葉の内容は頭を抱えたくなるものだったが、さりとて悪い気もしなかった。
 ラケルタが目を閉じて、そしてもう一度開いたときには、彼の目は暗めの茶色になっていて、彼がらけるだと知れた。
「タンジェー!」
 らけるは視界に入った俺に突然飛びつき、
「し、し、死ぬかと思った! 怖かったよお!」
 そう言って顔をくしゃくしゃにして泣くもんだから、俺はらけるを引き剥がして引っぱたいた。
「あんなところにいるほうが悪ぃんだよ! 馬鹿野郎!」
「えぇん、タンジェが叩いた!」
 ああちくしょう、うるせえな! やっぱりラケルタのほうがいい!

 【神降ろしの里<前編> 了】

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神降ろしの里<前編> 7

 手始めに近くの触手に斬りかかり、勢いを付けて斧を振り下ろした。手応えはあるのだが、デカすぎるのと弾力が邪魔して両断しきれない。ズブズブと沈む刃に体重を掛けて切り落とそうとしていると、
「危ない!」
 背後から別の触手が伸びてきて俺を払おうとする。間に滑り込んできた黒曜が一閃、青龍刀を振れば、見事な切れ味で触手の先が吹き飛んでいった。
 同時に斧の刃が触手を落とし、勢い余った刃が甲板の板に僅かに沈む。それを引き抜いて振り返りながら、
「助かった、黒曜!」
 黒曜は前を向いたまま緩慢に頷いた。
 その様子に若干の違和感を覚えたが、考えるより先に触手が次々伸びてくる。クラーケンがちかちかと発光したかと思うと、身体が固まり、動かなくなった。テレキネシス……! それから俺の身体はぐん、と上に引っ張られた。
「……ぐ!」
 それから勢いよく甲板に叩きつけられる。持ち上げられたのがもっと高い位置だったら落下死していただろう。それでも背中を強く打ち、痛みに顔を歪めた。口の中に潮が入って咳き込む。
 倒れ込んだ俺を叩き潰そうと触手が迫る。俺は甲板を転がって回避した。もし動けなかったら俺はペシャンコになっていただろう。自分の頑丈さに感謝する。
「くそっ! 何本あるんだよ!」
「イカなんだから10本だよ! ちなみにそのうちの2本は触腕っていうもので、正確には脚はタコと同じ8本さ!」
 要らない雑学を披露したサナギが、太股のホルダーから抜いた銃を構えている。猟銃くらいしか縁の無い俺にとっては見慣れぬそれの銃口が明るく光ったと思うと、遅れて銃声がして、クラーケンの触手の一本に銃弾がめり込んだ。
 大したダメージには、と思った瞬間、弾が弾け、爆発する。大きな音と同時に爆煙が立ち上り、俺の目の前に爆砕した触手が落ちてきた。
「はっ、やるじゃねえか!」
「お手製の爆裂弾だよ! 広いとこじゃないと仲間を巻き込むじゃじゃ馬だけどね」
 そんな危険なもんを持ち歩くな! だが、今回ばかりは助かった。これだけ開けてりゃ誤射もないだろう。
「俺が触手の気を引くから、とっととやっちまえ!」
「うん、あと2発しかないんだ」
「馬鹿野郎!」
 触手はあと7本ある。
 テレキネシスと触手の組み合わせは厄介だが、テレキネシスの力自体はそれほど強くないらしい。少なくともヒトの質量を数メートルを超えて高く持ち上げることはできないようだ。だからこそ、確実に獲物を仕留めるためにあんなデコイを用意したのだろう。
 伸びてきた触手を回避したアノニムが棍棒を振り下ろしていた。弾力があるというのにそれを無視し、怪力で触手を甲板に叩きつける。アノニムはそのまま追い打ちをかけようとするが、テレキネシスで身体が一瞬浮き、先ほどの俺と同じように甲板に落とされた。あれを食らった体感では、テレキネシスが解除されるのは甲板にぶつかるほんの一瞬前だったが、アノニムはその一瞬で受け身を取り素早く起き上がった。
 そのまま触手の吸盤を片手で鷲掴んで動きを止めると、イカ足のタタキでも作る勢いで滅多打ちにした。さすがに強い。
 アノニムの背後に勢いよくもう一本の触手が振り下ろされる。あのアノニムが気付かないわけがないと思っていたが、アノニムは回避行動をとらず、さりとて防御するでもない。何故か反応が明らかに遅れている。
 カバーに入るにも間に合わない。アノニムに触手が叩き付けられようとしたそのとき、
「<プロテクション>!」
 パーシィの言葉と同時にアノニムの眼前に光が集約して、それが不可視の壁を作り上げた。バァン、と大きい音がして壁にぶち当たった触手が跳ね返る。
 光の壁は長くは続かないらしく、光の粒が砂みたいに消えていった。触手が怯んだ隙を狙い駆け込む。斧を叩きつけると、今度は何とか一回で両断でき、切り落とした触手はびちびちと跳ね回った。
「大丈夫かい、アノニム!」
「おう」
 さっきからアノニムと黒曜の動きが鈍いように思う。問い詰めたいが戦闘中だ。仕方なく俺は舌打ちして、
「黒曜とアノニムは下がってろ!」
「何故……?」
 黒曜が本気の声で呟いたので、どうやら自覚がないようだと悟る。あのなあ、と黒曜に視線を投げた一瞬の隙に俺の真後ろに滑り込んだ触手が、サナギの爆裂弾で弾け飛んだ。
 触手の数は減っているが、今回ばかりは黒曜とアノニムの二人はあまりアテにしないほうがいいかもしれない。
 俺の視界の端で踊るようにくねっていた触手が、不意に全然関係ない方向へと伸びていった。そちらの方向には誰もいない。いや、いた。触手が向かったのは、このボロ船に寄せていたアビゲイル号で、そのアビゲイル号の船首にアビーとらけるがいた。あいつら、そこで見てたのかよ!
「馬鹿! 下がれ! 逃げろ!」
 俺が咄嗟に叫ぶも、目を見開くアビーとらけるには巨大な触手が迫る。パーシィのさっきの防御壁、と思ったが、指示なんか間に合うわけがない。
 らけるとアビーが触手に叩き潰される、と思ったそのとき、らけるが突然、アビーの腰にあった護身用のダガーを引き抜いたのが確かに見えた。それかららけるが何をしたのかは俺には目視できなかった。だが、触手は何故からけるとアビーの真上でぶっつり両断され、大きな音を立てて、アビゲイル号の甲板に落ちて跳ねた。
「なん……だ……?」
 らけるとアビーは変わらず船首にいて、どちらも傷一つ負っていないようだった。それはいいのだが、いったい何が起きた? サナギの爆裂弾かと思ったがそれも違う。サナギは炸裂弾は残り二発だと言っていて、今まさに俺に迫っていた触手に最後の一発を叩き込んだからだ。
 らけるが俺を見上げてくる。らけるの金の瞳が霧の中でいやに鮮明だ。――金色?
「あと三本ッ!」
 サナギが叫んだので俺は我に返った。らけるのほうは気になるが、とりあえず今はこのクラーケンを無力化しなくちゃならない。だが、さすがにこれだけの触手を失ったクラーケンは食欲も失せたのか、突然大きな音と飛沫を上げて海に潜り込んだ。俺たちはしばらく、クラーケンが海の底からこの船を突き上げでもしないかと緊張して構えていた。テレキネシスはたぶんこの船そのものをどうこうするほどの力はないだろうが、油断はできない。辛うじて見える海の影が霧の向こうへ去って行くのを見て、ようやく息を吐く。
「何とかなったか」
 クラーケンの触手から滴った海水はおびただしく、俺たちは頭から潮まみれになっている。気持ち悪い。
 突っ立って青龍刀を構えたままの黒曜に、
「おい、もう行ったぞ。すぐにアビゲイル号に戻……」
 言い切る前に、黒曜が突然「エッ」と短い声を出して嘔吐した。
「うお!」
 量は僅かだったが、
「だ、大丈夫かよ……?」
 さすがに心配だ。黒曜は無表情のまま、「問題ない」と俺に告げた。顔色を窺ったが、褐色の黒曜が青くなっているかは分からなかった。
 大きな波が来て船が揺れる。と同時に、視界の端でアノニムがふらついて膝をついたのが分かった。パーシィが駆け寄っている。
「アノニム! よろけるなんて珍しいな……」
 戦闘中でもアノニムが膝をつくところなんて見たことがない。黒曜とアノニムの様子に戸惑っていると、
「ははあ、酔っているね」
 とサナギが言った。
「酔って……?」
「船酔い。緑玉と同じさ」
 獣って船酔いするらしいよ、獣人もするんだねえ、とのんびり続けた。二人の動きが緩慢だったのはそれが理由か。それでもあんだけ戦えるのは尋常じゃねえな……。とはいえ、
「おい、なんで言わなかった。具合悪いなら緑玉と残ってるべきだったろ」
 俺が黒曜を咎めると、黒曜は目を瞬かせて、
「具合は悪くない」
「吐いただろうが!」
「吐いていない」
「そこは誤魔化せねえよ!」
 俺は黒曜に、パーシィはアノニムに手を貸してやりながら、俺たちはアビゲイル号へと戻った。らけるとアビーの無事も気になる。
 クラーケンとの戦いの最中に、最初に船の間を渡した板は壊れていたが、アビーと水夫がすぐに代わりの板を用意してくれた。アビゲイル号に戻るとこちらも甲板は海水まみれだった。もっとも、すでに数人の水夫が甲板の掃除を始めていたので、これが原因で沈むことはないだろう。
「無事かよ?」
 らけるとアビーに尋ねる。
「ああ」
 らけるはすました顔で言った。顔を覗き込むと、やはり目が金色だ。
「てめぇ、そんな目の色だったか?」
 他人の外見を気にするほうではないが、らけるはもう少し地味な色の目をしていたと思う。らけるは少し黙ったあと、
「目の色が変わるのか。そうか……自分では分からんが……」
 と、妙なことを言った。訝しく思い顔を歪めると、
「待って。もしかして、らけるの中の『もう一人』?」
 サナギがそんなことを言い出した。らけるの中のもう一人? たまにらけるがひとりごとを言っているとき、本人が『会話している』と主張しているヤツか?
「そうだ。名はラケルタという」
 らける――いや――ラケルタはそう答えた。
「……そんな二重人格みたいになるもんか?」
「そもそも召喚位置がずれてくっついちゃうなんてのがイレギュラーだからね。召喚術は複雑な術だし、こうなってもおかしくはないかも」
 そう、なのか? ラケルタは金色の目を伏せて、手に持っていたアビーのダガーを弄んだ。
「らけるとの会話はできたのだが、今まで私がらけるの身体の主導権を握れたことはなかったし、私にその意思もなかった。あのクラーケンの触手がよほど怖かったと見える。らけるが失神したと思ったら、この身体が動かせるようになっていた」
 ラケルタはダガーをアビーに返した。
 アビーは変な顔をしてラケルタの顔面を見ていたが、さりとて困惑した様子もなく、素直に受け取り、すぐさま水夫たちへの指示へ向かっていった。
「その短剣でクラーケンの足を両断するとは、相当な剣の腕だ」
 黒曜が言った。
「痛み入る。確かに剣に関してはリザードマンの集落では私が一番の使い手だった」
 もうらけるじゃなくてこいつでいいんじゃねえか。
「リザードマンなんだ。らけるが召喚されてきたときのことは覚えている?」
 サナギが尋ねると、ラケルタは頷いた。
「貴殿の期待に応えられるかは分からないが、らけるよりは知っているだろう」
「話を聞かせてもらおう。それに、黒曜とアノニムは休んだほうがいいよ。俺たちも着替えたいしね」
 一同、そうだな、と答える。
 霧も晴れつつあるようだ。近く再出航できるだろう。

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神降ろしの里<前編> 6

 航海は順調だったのだが、8日目ともなるとトラブルなしというわけにもいかない。今日はいやに霧が出ていた。
 悪天候時に甲板になんか出ていられるわけもない。ましてや俺たちは海に関しては素人だ。大人しく船室で過ごしていた。筋トレをする俺を面白がり、腕立て伏せをする俺の背にサナギやららけるやらが代わる代わる乗るなどした。緑玉をはじめとした黒曜やアノニムといった獣人組はいつにもましてやけに無口で、船室に設けられた円い窓から外をぼんやりと眺めたり、居眠りをしたりしている。
 汗だくになった身体を軽く拭いていると、廊下がにわかに騒がしくなった。アノニムが面倒そうに瞼を上げる。
「アビー姐さん!」
「分かってるよ! 冒険者どもを呼んできな!」
 扉越しでも聞こえるその言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
「冒険者さん!」
 すぐさま船室の入口が開いて、水夫の一人が飛び込んでくる。肩で息をしたその男は、俺たちを見回して、真っ青な顔でこう言った。
「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊船でさァ!!」
 手早く装備を整えた俺たち――少し悩んだが、ダウンしてる緑玉はそっとしておくことにした――は、急いで甲板に向かった。
 ミルク色の霧は濃く、手を伸ばせば指先が見えないほどだ。それでも俺たちは互いを見失わないようになるべく寄り合いながら船首へと近づいた。
 先に霧の向こうを眺めていたアビーが振り返り、「来たね」と言った。それから、霧の向こうを指差す。
 大気の動きでゆっくりと霧が回る。うねるように、ちぎれるように霧が少し晴れたその合間に、確かに、ひどく汚れた船が鎮座していた。
「幽霊船だ……」
 らけるが言った。いや、てめぇはなんで来てるんだよ。俺がらけるに船室に戻れと言い含める前に、
「いや、アンデッドの気配はしない」
 まっすぐ船を見つめたパーシィが告げる。
「たぶん、単なる漂流船じゃないか?」
「こんなに幽霊船の雰囲気なのに!?」
「霧が出てるときに、たまたまボロい船を見つけたってだけの話だろうが」
 パーシィが言うなら、アンデッドはいないだろう。パーシィの人間性についてはともかく、元天使とやらのレーダーとでも言うべきか、アンデッドの探知能力は信用していいはずだ。
「野郎どもがビビっちまってね。悪いけど、少し中を見てきてくれないか。本当に漂流船なら、中に生き残りがいるかもしれないしね」
 アビーが腕組みして俺たちに言った。もちろん、乗船の対価の一つなのだから断る理由はない。アビゲイル号をギリギリまで漂流船に近付けてもらい、板を渡して漂流船へと乗り移る。
 漂流船は、アビゲイル号より一回り小さいくらいの船だ。盗賊役として俺はみんなを待機させて、先に船室の様子を探った。扉は半壊していて、鍵はかかっていない。慎重に開ける。
 俺は目を瞬かせた。
 簡易キッチンが取り付けられた船室で、火が焚かれていた。寸胴の鍋で何かが煮えている。まな板には、びちびちと跳ねる魚が載せられていて、包丁まで準備があった。
「……?」
 誰か、いるのか?
 困惑はしたが、室内に踏み入り、アンデッドらしい妖魔がいないことを確認する。ついでに、キッチン内に人間がいないことも分かった。
「どうだ?」
 黒曜の小さな声が甲板から聞こえてきた。
「誰もいねえな」
 キッチンから顔を出して返事をする。
「だが、なんか変だ。火が焚かれてるし、料理をしていたみたいな形跡がある」
「もしかして、隠れているのか?」
 パーシィが不思議そうな顔をした。
「いや、人の気配はねえんだが……。ゴーストなんかもいるようには見えねえな」
 ゴーストに関してはパーシィほどの察知能力はないが、ヤイ村で交戦した経験があるのでいるならそうと分かるはずだ。俺は感じたことをそのまま言った。
「気味が悪いぜ」
 とりあえず安全とみた黒曜たちがキッチンに入り、ともに探索を進めることにする。
「煮えてるのは……」
 サナギが寸胴鍋を覗き込む。
「お湯……かな? 具材らしきものは入ってないね」
 湯気で見づらいが、確かに単に湯を沸かしているだけに見える。大きな寸胴鍋を使ってこんだけの湯を沸かすなら、それなりの量の料理を作ろうとしてるってことだ。そんなにたくさん人がいる、のか?
「魚もまるで獲れたてだな。生きているし」
 びちびちと跳ねる魚をパーシィがマジマジと見つめている。
「だが、人の気配はしない……」
 黒曜の言うとおりだ。少なくともキッチンには誰もいない。俺はいったんキッチンを出て、少ない船室を見て回った。だが、やはり人らしい気配はなく、キッチン以外に生活の痕跡も見られなかった。
「誰もいねえ」
 キッチンに戻り報告すると、黒曜は少し考え込んだようだった。パーシィが、
「不審な船だが、やはり幽霊船ではなさそうだ。アビーには放置して進むように言うかい?」
 その言葉に、黒曜が口を開こうとしたときだった。
「あ……!!」
 突然サナギが大きな声を出した。
 俺たちはサナギが見つめているほうを反射的に見た。そして、すぐに悟った。
 キッチンの円窓から、巨大な目が、こちらを見ていた。
 認識し、理解して、一瞬。俺たちはキッチンから出ようとしたが、間に合わない。丸太のような太さの、うねる白いものが入口から伸び出てくる。それに一抱えほどもある丸い吸盤がついているのを見れば、白いものの正体は明白だ。
「クラーケン……!!」
 化け物のような巨大イカだ。伸ばされた触手がキッチン内でびちびちと跳ね回り、俺たちを掻き出すような仕草をする。まるで、ビンの底に残ったジャムを掻くスプーンのように。
「狭すぎる!」
 キッチン内で暴れられると、保たない。キッチンそのものも、俺たちも。
 俺とアノニムが同時に同じことを考え、俺は斧を、アノニムは棍棒を触手に叩き付けた。弾力。
「っち……!」
 あまりダメージにはなっていないらしい。もう一発、と斧を振りかざしたとき、キッチンの隅にいたサナギが叫んだ。
「火! 火を当てて!」
 それには黒曜が素早く対応した。キッチンで焚かれていた火から一本、素早く薪を抜き取ると、点火したままのそれを触手に押し当てた。
 ジュウ、と焼ける音がして煙が立つ。イカが焼ける匂いも立つ。間髪入れずパーシィが叫んだ。
「すごくいい匂いがする!」
「言ってる場合かよ!」
 触手はのたうって、ちかちかと発光した。突然、煮えていた鍋がひとりでに持ち上がり、俺たちに向かってぶちまけられた。狭すぎる船内ではあるが、かろうじて熱湯の直撃は避けた。それでも肌を露出した部分に飛沫がかかり痛みが広がる。
「なんだ、今のは!?」
「て……テレキネシス……!」
 サナギが震える声で言った。
「この海域のクラーケンがそんな特殊能力を持っているなんて!?」
 触手はキッチンから勢いよく引っ込んでいった。その隙に俺たちは甲板に出る。荒れ狂う波の上で、クラーケンが怒ったように触手を踊らせている。サナギが、
「信じられない……! この船はデコイだ! このクラーケン、テレキネシスを使ってあたかも誰かがいるような不審なキッチンを作り、そこに俺たちを誘き寄せたんだよ!」
 そんな馬鹿な!
 サナギの言葉を肯定するでも否定するでもなく、クラーケンは触手を船に絡ませた。木造の船がミシミシと音を立てる。
「ちっ……! やるしかねえか!」
 アビゲイル号に危険が及ぶ前に、こいつを倒すしかない。俺は斧を構え直した。

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神降ろしの里<前編> 5

 俺は船に乗るのは初めてだ。ペケニヨ村近くの川や池でボートに乗ったことくらいはあるが、こんなデカい船は見たこともない。
「こんなデカいもんが水に浮くのか」
 俺が船に乗り込みながら呟くと、サナギが「浮力があるからね」と答えた。
「ものには密度というものがあって、水に沈むかどうかはそれが密接に関係している。木は密度が水よりも小さいから、沈む力よりも浮き上がろうとする力のほうが強いんだよ」
 木が浮くこと自体はなんとなく知っていたが、そういう理屈なのか。そこまで深く理解したわけではないが、俺は「なるほどな」と返事をした。もっとも……とサナギは続ける。
「俺たちも船上のことを手伝いながら、救命用の浮き輪なんかの位置を確認した方がいいね」
「冒険者ってのは意外と慎重派だねえ」
 指示ついでに、たまたま近くを通りかかったアビーがこちらの話に口を挟んだ。
「きちんとアタイから緊急時の手順をレクチャーするさ。何かが起きてから教えるんじゃ遅いからね!」
 と胸を叩くので、その言葉に甘えることにする。
 俺たちは出航の準備が整うまでの時間に、アビーから緊急時の対応について叩き込まれた。誰がどの対応をすることになってもおかしくはない。船上であることを除けば、緊急時の心構えをするなんて慣れたものだったが、らけるは終始緊張した様子だった。
 にわかに船上が騒がしくなり、出航が近づく。
 俺たちは船着き場からアビゲイル号が離れていくのをデッキで見届けた。
 太平倭国への航路は実に18日におよぶ。18日間も海の上、というのは変な感じだ。
 アビゲイル号は客船ではなく貨物船である。船室には限りがあるだろうから、俺たちはてっきり貨物室に押し込まれるのだろうと思っていた。予想に反してきちんと船室を貸し与えてくれたのには感謝するべきだろう。
 船室はアビゲイル号の中央近くにあり、サナギによれば「船は中央がもっとも揺れない」らしい。
 それでも陸よりはるかに揺れる。最初は船内の廊下を歩くにもよろける始末だった。慣れてくれば、なんてことはない、ちょっと足場が悪いだけの床の上だ。
 と、ほとんどのやつは時期の差こそあれ船旅に適応したが、航海が3日を過ぎても緑玉は気分が優れないようだった。顔色が悪い緑玉はほとんど常に備え付けのベッドに横になっていて、サナギが甲斐甲斐しく世話を焼いてやっている。
 そんなものを見届けても特にメリットはない。今日は天気がいいので、俺はデッキに出ることにした。数人の水夫が元気よくあいさつをしてくるのに、俺も短く返事をする。
 デッキではらけるが海鳥を眺めていて、俺に気付くとぶんぶんと手を振った。無視することもできず、仕方なく隣に立って海を眺める。
「サナギと緑玉、仲良いんだね」
 らけるが急にそんなことを言った。
 エスパルタに行った折も思ったが、サナギと緑玉の間に特別な絆があると感じたことはない。だが初めて行動を共にするらけるまでこう言い出すということは、俺が気付いていないだけの可能性が出てきた。
 俺は少し渋い顔をしたと思う。らけるが「なんだよその顔ー!」と笑った。
「パーティってみんな仲良くていいよな」
 ひとしきり笑ったあとのらけるがそんなことを言うので、俺の脳裏にアノニムの顔面がよぎる。
 別に仲良しこよしでパーティを組んでるわけじゃない。俺たち6人に関して言えば、たまたまそこにいたメンバーでパーティをこしらえたというだけだ。
「全員が全員、仲良いってわけじゃねえ。仲が良いからパーティを組んでるってわけでもねえしな」
 俺の言葉に、らけるが首を傾げる。
「仲良くないのに一緒に生活するの、きつくね? 一緒に寝泊まりしたりできるってことはさあ、嫌いあってはいないってことだろ?」
「寝泊まりするのに好きも嫌いもあるかよ。必要なのは……」
 だって俺は、アノニムのことは小憎たらしく思っている。一緒にいるのに必要なのは、
「後ろから刺さねえっていう信頼だろ」
 らけるは目をぱちぱちと瞬かせたあと、はぁーと感嘆の息を漏らして、
「なるほどなあ」
 と何度か首肯した。
「な、なんだよ」
 急に恥ずかしくなってきた俺は、らけるを横目で睨む。らけるが「タンジェ、何赤くなってんの!」とからかうので、ますます俺は睨む目に力を込めた。
 話変わるけどさ、とらけるはまるで気にしていない様子で言った。おい、人が睨んでる前で話を変えるんじゃねえ。睥睨の行き場を失った。
「翠玉さんって美人じゃね?」
 俺は一瞬、らけるが何を言ってるのか分からなかった。翠玉? ……ああ、緑玉の双子の姉か。
 確かに顔は整っていると思う。翠玉とは大して話したことはないが……双子の弟の緑玉が美形であるからして、姉の翠玉も同様に秀麗でも別におかしくはない。
「それがどうした?」
「翠玉さん優しいしスタイルもいいし素敵だよな!」
「だから、それがどうした?」
 らけるは海の向こうを眺めてぽつんと言った。
「翠玉さん彼氏いるのかな……」
 さすがに鈍い俺でも分かる。こいつ、翠玉に惚れてやがるのか。
「いや、てめぇは元の世界に帰る気なんだろ?」
「そうなんだよ! うわー、やっぱ告白してくればよかった!」
 らけるは頭を抱えた。頭を抱えたいのは俺のほうだ。
「……あのな。この世界から消えるかもしれねえやつに告白されても困るだろうが、よく考えろ」
「そうかな……? どうせ脈無しだし言ってきたほうが未練なくてよくね……?」
「てめぇの都合で他人を振り回すなよ」
「翠玉さん、黒曜と付き合ってんのかな?」
 ?
 ……?
 俺はしばらく思考停止してらけるを凝視した。
「いつも一緒にいるじゃん? 緑玉は弟だから分かるけどさ、黒曜と翠玉さん、よく食事してるし」
「あ、ああ……?」
 確かに黒曜、緑玉、翠玉は三人でよく食事や歓談をしているが、故郷が同じで特別な信頼関係があるからだろう。黒曜の過去を見てきた俺なら分かる、お互いがお互いの身を案じてそうしていることも。
 いやしかし、そうだとして、あの二人が付き合ってると思うか!? 普通!?
 そもそもそこが付き合ってたら緑玉は何なんだよ、そこ三人でいたら気まずすぎるだろうが。
 というか、まず前提として黒曜と付き合ってるのは俺なんだよ!
 言いたいことがごちゃごちゃと頭を回るが、いったん全部飲み込んだ。
 らけるに恋人の話をする気はない。言ったらめんどくさいことになりそうだ。だが黒曜と翠玉が付き合っているのではという盛大な勘違いは正しておいてやったほうがいいだろう。
「……そこの二人が恋人ってことはねえぜ」
「そうなんだ!? タンジェ、夜会の人間関係詳しいの?」
「詳しくはねえが……てめぇよりは知ってる。もっと知りたいなら、娘さんあたりが把握してんじゃねえか」
 それも、てめぇが元の世界に帰りゃ関係ねえことだがな、と俺は付け加えた。
「そうだよなあ」
 らけるは気のない返事をして、また手すりに寄りかかって海の向こうを見た。
 海鳥が鳴いている。

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神降ろしの里<前編> 4

 港町セイラは、ベルベルントの目と鼻の先。馬車を使って2時間ほどでつく、ベルベルントの海の交易の要だ。とはいっても、冒険者が世話になることは特にない。セイラに届く荷物のほとんどはすぐにベルベルントに送られるから、セイラで手に入るものはベルベルントでも手に入る。わざわざセイラまで訪れるのは、観光か、海に繰り出す必要がある――ちょうど今の俺たちのように――かのどちらかってところだろう。
 セイラにはサナギがらけるに紹介したという物好きなコレクターがいて、そのコレクターを訪ねた際、らけるは船の目処を付けた、とのことだった。
「あ、あれだよ! あの船!」
 先頭を意気揚々と歩いていたらけるが、船着場で船を指した。横っ腹にアビゲイル号と書かれているのでずいぶん目立つ。らけるが駆け寄り、船の周囲でデカい声を出していた女に声をかけた。
「アビーさん!」
 アビーと呼ばれた女は振り返り、らけるを見るや否や笑顔になってがっしとらけると肩を組んだ。
「らけるじゃないか! 予定通り来たね!」
「当たり前だろ。アビーさんの好意を無駄にするわけないじゃんか!」
 らけるは俺たちに向き直り、
「アビーさん! 話したろ? 貨物船の船長さん!」
「……おう」
 誰も応答しなかったので、仕方なく俺が返した。
「なんだい、辛気臭いねぇ!」
 アビーと呼ばれた女は、腕を組んで、ウェーブがかった金髪を搔き上げた。
「顔がよくてもそんなんじゃあ話にならないよ。アタイのアビゲイル号に乗せてやろうってんだ、自己紹介くらいしたらどうだい!」
 ……そもそも女は嫌いなのに、その中でもかなり苦手なタイプだ。
「失礼した。黒曜だ。星数えの夜会から来た」
 さすが、黒曜は澄ました顔で言った。
「サナギだよ。このたびは乗船許可をありがとう。素敵な船だね。アビゲイル号というのはアビーの名前が由来なのかな?」
 こちらもさすがで、サナギは握手を求めながら世辞と質問まで重ねている。アビーは一転、気を良くした様子で、
「あんた、見る目があるねえ! そうさ、アビゲイル号はアタイの本名から取ってるんだ。イカしてるだろ?」
「沈むかもしれないものに自分の名前を付けるなんて……むぐ」
 パーシィが余計なことを言おうとしたので、そしてそれを誰も止めようとしないので、仕方なく俺が口を塞いだ。
「船に女性の名前を付けるのが流行ってるみたいだね」
 パーシィの言葉を揉み消すようにサナギが続けると、アビーは景気よく笑った。
「まあ、願掛けみたいなものさね。船乗りは男が多いだろう? 愛しい相手の名前をつけりゃ、士気が上がるからねえ」
 もっとも、とアビーは続けた。
「アタイがこの船にアビゲイルと付けたのは、野郎共が手を抜かないようにさ! アビゲイルの名の船を沈めたとあっちゃ、アタイに怒鳴られるだろう?」
 そして大笑いする。なんというか……最大限配慮して、ポジティブな言い方をするならば、豪気な女だ。
「ほら、ほかの男共もあいさつしな!」
 忘れてた。
「タンジェリンだ」
「パーシィだよ。こちらはアノニム」
「……緑玉」
「そうそう、最初からそうすればいいのさ」
 アビーは全員にまとめてよろしく、と言ったあと、
「さて、太平倭国だったね。長旅になるよ」
 早々に話を本題へと切り替えた。
「野郎共が荷物を積んでるから、少し待ってな」
「おや? 積荷の上げ下ろしが乗船の条件では?」
 積荷の上げ下ろしに一番役に立たないサナギが首を傾げると、アビーはまた笑った。
「行きだけはサービスだよ! 慣れない船旅、疲れて乗船したら下手すりゃ死ぬからね。万全な状態で乗り込んでもらうのさ」
「それは海賊や妖魔との戦いに備えて?」
「分かってるじゃないか。もっとも……」
 アビーや口端を上げて、少し意地悪そうな顔になった。
「あんたたち陸の民にとって、一番の敵は船酔いだと思うけどね」

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