カンテラテンカ

鏡裡を砕く 5

 窓がないから風もない。なのに灯ったランプの火が揺らめき、落ちた影が歪む。
 視線が、離せない。タンジェの目の前で、ぼんやり霞んで映っていたおぼろげなタンジェの像がゆらりと動く。
 タンジェは椅子に縛られたまま動いていない。なのに鏡の像が、摂理に反してゆっくりと立ち上がった。ゆらゆらと揺れるそれは、立ち上がってもやはりタンジェの姿に違いない。
「……!」
 息を呑む。タンジェの視線の先で、あいまいな輪郭が明瞭になっていく。まるで鏡から靄を消し去ったかのように、突然それはタンジェの視界に飛び込んできた。

 ――血まみれのタンジェだった。

 タンジェは、それだけで、すべて理解した。
 顔、髪、服についた夥しい量の血、そのほとんどは、他人の血だ。父の血で、母の血で、村の人々の血だ。

 タンジェの罪は、ペケニヨ村の人々がオーガに蹂躙されるのを、ただ見ているしかできなかったことだ。

 そしてこの<罪の鏡>で、初めて分かったこともある――血まみれのタンジェは、顔を歪め、本当に、無様で、情けない顔をしていた。
 タンジェの罪は何より「弱かったこと」に他ならないのだ。

「……、ち、……くしょおッ……!」
 こんな八つ当たりみたいなわけのわからない逆恨みで、自分の弱さが暴かれたことが、悔しい。
 目の前で顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きそうな、弱っちい自分をぶん殴れないことが、悔しい。
 何より今すぐロープをぶち破ってめちゃくちゃに暴れることすらできない今の自分が、この頃の自分と何が違うのかと突き付けられたことが、悔しかった。

 これが本当に<罪の鏡>とやらだとして、それが映すものはコンシットではないだろうことを、タンジェは最初から知っていた。
 なのにこうして直面したとき、タンジェは何の抵抗もできない。でも、ただ屈して負けたくはない。
 どうすればいい。今の俺に、何ができる? ……。

 ――混迷するタンジェの目の前で、血まみれの、弱いタンジェが粉々に砕け散った。

「――」
 砕けた鏡裡が、床に落ちる。ランプに揺られてちらちらと光るそれを、じゃり、と踏む黒衣。

 弱いタンジェの代わりに、気配の一つもさせずにそこに立っていたのは、黒曜だった。

 タンジェの鏡映ごと<罪の鏡>を叩き割った黒曜は、タンジェのほうをちらと見て、一歩でタンジェに歩み寄り青龍刀を閃かせた。
 椅子とタンジェを縛り付けていたロープが切り落とされて、タンジェはようやく自由になる。
「――っは、」
 力が入らないなりに立とうとするが、うまくいかない。黒曜はタンジェの腕を掴んでぐいと引き寄せた。それでなんとか立ち上がり、2、3歩よろけて、タンジェは黒曜の胸に飛び込むはめになった。
「おわ!」
 思わず飛びのき、またよろめく。黒曜がいったん椅子に座るよう促したので、タンジェは仕方なく座り込んだ。
「……身体の自由を奪う魔術だろう」
「……」
「じきに治る」
 そういえば、路地でトリカと対面したときに彼女が叫んだ言葉は、魔術師が使う呪文のような感じだった。あの手に持っていたのがその呪文を放つためのいわゆる「スクロール」ってやつだったのかもしれない。おそらくこの状況に持ち込むためにあらかじめ用意していたのだ。
 でも、そんな答え合わせに大して意味はない。タンジェは尋ねた。
「……なんでここに?」
「偶然だ」
「そうか……」
 確かに黒曜が言ったとおり、話している側からだんだん身体が動くようになってきた気がする。タンジェは顔を上げた。
「トリカ……女がいなかったか?」
「見なかった」
 即答する黒曜。タンジェはちょっと眉を寄せた。あの女がタンジェの謝罪を聞かずして遠くに行くようなタマとは思えない。しかし黒曜が嘘をつく理由もないだろう。……タンジェはトリカの行方を訝しく思いつつも、
「……どこに行ったか知らねえが、……戻ってくるまでに、出てったほうがよさそうだな……」
 なんとか動けそうだ。タンジェは立ち上がる。黒曜の先導についていき、部屋から出た。
 タンジェが監禁されたのは路地裏の廃屋の地下だったらしい。ほどなく外にも出られた。確かにトリカはいない。もっとも、探す必要も理由もない。もう関わり合いになりたくなかった。

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