鏡裡を砕く 6
日はとっくに落ちていてずいぶん暗い。街灯の少ない裏路地だからなおさらだ。しかし月があるから真っ暗闇を手探りで進むというほどでもない。問題なく帰れるだろう。
戦闘訓練をサボってしまった形になる。黒曜はああ言っていたが、あるいは戦闘訓練に現れないタンジェを探しに来たのだろうか?
……聞くのはやめた。黒曜は「偶然だ」と言ったのだ。だったらそれが真実だ。
二人で並んで、黙って夜道を歩く。
タンジェもおしゃべりではない、沈黙に耐えられなかった、というわけではないのだが、
「……てめぇが壊したあの鏡は……」
なんとなく、さっきの状況を説明したほうがいいのかもしれないと思って口を開いた。
「<罪の鏡>とやらで……罪が、映るらしいぜ」
黒曜は黙って聞いている。言っているうちに、説明するならば見えたもののことも白状しなければならないことに気付いた。脳裏にちらつく、砕けたタンジェの鏡像。
「見えたか? 俺の罪が、あれだってこった」
その事実は、普段ならばタンジェを奮起させたかもしれない。生来の負けず嫌いは、自分の未熟さを痛感するたびに鎌首をもたげて、タンジェを立ち上がらせてきた。
けれども今回の件は、自覚しているよりずっと、タンジェをヘコませたらしい。
弱音を吐く気はなかった。しかし黙っているのもいたたまれず、場を紛らわすように、タンジェの口から出たのは、
「……情けねえ」
だった。
「弱い俺をぶっ殺したかったが……、できなかった。あれを殺したのはてめぇだ」
「……」
「悔しくてたまらねえッ……俺が殺せねえ弱い俺を、てめぇはこんなに簡単に殺してみせやがる」
黒曜の石のような瞳が、つい、と、タンジェを向いて、
「強くなることだ。自分が弱いと思う暇もないくらいに、……お前ならそれができるだろう?」
どくりと胸を打つ。
黒曜の言葉は別に、期待でもないし、希望でもない。タンジェを鼓舞する意図もない。ただ、弱音を吐くくらいならそうしろ、というだけだ。分かっている。
けれどもその言葉は、タンジェの心の深いところに、静かに沈んでいった。
タンジェの負けず嫌いをもってすら抵抗がかなわない絶望が訪れたとしたなら、最後にタンジェを奮い立たせるのは、黒曜のこの言葉に違いない、と思った。
黒曜の言葉に依存するわけではない。それだけを支えにするつもりもない。そればかりに執着するのも、違うだろう。
けれども強くなるための道は黒曜が示してくれる。それは戦闘訓練で、あるいは依頼の実戦で。思えば黒曜は、タンジェが盗賊役だとて、戦闘の際にタンジェを後方支援へ下がらせたことは一度だってなかった。
心臓が熱くなる。
黒曜の言動が、タンジェの心の深いところからタンジェの心の臓を燃やして、たちまちタンジェの全身に血を、活力を巡らせる。
「……はっ、そいつは、分かりやすくていい」
タンジェはたまらず、笑った。
黒曜はこんなにも容易く、タンジェの胸裡を砕く。
だが礼は言わない。素直にありがとうが言えるような性分ではないのである。
タンジェが強くなることが、今日言えなかった礼の代わりになるだろう。
タンジェが怒りをくべて燃やす復讐の炎。その火元にある、「強くなりたい」という、ただひたすらに抱く、強さへの渇望。
弱いことは罪だろうか? ペケニヨ村の人々が蹂躙されたのは、弱者という罪人であったためだろうか?
違う。
弱いことは罪ではない。弱さを嘆き、身の丈に合わない強さを求めたとき、人は弱さの罪を負う。
過去のタンジェの弱さは、タンジェのことをいつでも罪人にし得る。
だが、罪を逃れたいのではない。贖いたいのでもない。謝罪などいっとう無意味だ。
ただ復讐のために、弱い自分を殺すために、あの言葉と黒曜に報いるために、タンジェは、強くなる。それしかない。がむしゃらに、強くなるしか。
やがて立ち向かえる。
タンジェは、弱い自分を、今度こそきっと、自分自身で打ち砕くのだ。